リーナ・ラヴィッチ

こんにちは。皆様いかがお過ごしでしょうか。
こちらは結構忙しいです。仕事柄7月と12月は繁忙期で、残業の嵐なもので。
そんな具合なので、12月中は比較的簡単な更新でお茶を濁そうと考えております。ご了承頂ければ何よりです。
さて、簡単な更新となりますと、どうしても一発屋とかもう忘れられちゃった人とかになっちゃいがちなんですが、たまにはそういうのもいいですよね。
というわけで、今回はリーナ・ラヴィッチを取り上げてみたいと思います。ニューウェーブ勃興期に瞬間的に売れた人なんですが、今となってはどれくらい覚えている人がいるのやら。
同時期の女性シンガーと比べると、パティ・スミスのように文学的なわけでもなく、スージー・スーのようにゴシックな感じでもなく、ニナ・ハーゲンのようにおどろおどろしくもなく、トーヤ・ウィルコックスのようにシアトリカルでもなく、多少エキセントリックなところはありながらも本質的にはマイルドで、ポップスとして普通に聴きやすい人でしたね。
また三つ編みにした奇妙なロングヘアに、毛糸で編んだベールやシフォンのショールを纏った、ジプシーのようないでたちの個性的なファッションも、インパクトがありましたっけ。


ラヴィッチは本名をリリー・マレーネ・プレミロヴィッチといい、1949年に米国ミシガン州デトロイトで、セルビア人の父と英国人の母の間に生まれています。
彼女が13歳の時、一家は父の健康上の理由もあり、母の実家である英国のハルに移住し、以後は英国で暮らしていたようですね。この頃には後に長年のパートナーとなる、ギタリストのレス・チャペルと出会っています。
ハイスクール卒業後、彼女はアートスクールに通うためにロンドンに出、そこで学業の傍らロンドンの地下鉄の駅で大道芸をしたり、エキゾチックな容姿を生かしてナイトクラブでダンサーをしたり、わざわざスペインに渡ってあのサルバドール・ダリに面会したり、アーサー・ブラウン(古い)のショーに出演したり、ホラー映画の悲鳴のアテレコをしたり、フランスのポップス・シンガーのために歌詞を書いたりと、様々な活動をしていました。
また75年にはファンクバンド、ディヴァージョンズに加入し、ポリドール・レコードと契約しますが、これは成功せず失意の末に解散しています。


そんな彼女のデビューは企画ものシングルででした。76年に有名なクリスマス・ソングである、『I Saw Mommy Kissing Santa Claus』を歌うチャンスに恵まれたのです。


Lene Lovich - I Saw Mommy Kissing Santa Clause


これは52年に当時13歳の歌手ジミー・ボイドが歌って、ビルボードで1位の大ヒットとなった曲のカバーですね。
他にもザ・ロネッツジャクソン5ジョン・クーガー・メレンキャンプなど、様々なミュージシャンがカバーしています。日本でも『ママがサンタにキッスした』の邦題で有名で、天地真理後藤久美子天童よしみ鈴木雅之などが歌っています。
ラヴィッチのヴァージョンは、妙に猫撫で声で歌っているということ以外に、特筆すべき点はありません。しかしちょっとエキセントリックな感じがするところは、後年に通じるものがあるかもしれませんね。


その後ラヴィッチはソロ・シンガーとして活動するために準備を重ねます。そしてそれが当時の有名DJであるチャーリー・ギレットの目に止まり、その口利きで78年にはスティッフ・レコードから、シングル『I Think We're Alone Now』でデビューを果たしたのです。


Lene Lovich - I Think We're Alone Now


これはトミー・ジェイムス&ザ・ションデルズのカバー(67年にビルボードで4位)で、87年にはティファニーもカバーしてビルボードで1位になっている名曲です。
アレンジがかなりニューウェーブっぽいですし、ラヴィッチのヴォーカルもまだまだおとなしいですが、独自の世界を展開しつつある感じになっていますね。


この曲はチャートにこそ入りませんでしたが、いかにもニューウェーブっぽい空気を纏ったラヴィッチの存在は、プレスに一躍注目されることになります。
また同時期に行った、レイチェル・スウィート、ミッキー・ジャップ、レックレス・エリック、ジョナ・ルイ(うわあ懐かしいメンツ)ら同じくスティッフ・レーベルのミュージシャンたちとのパッケージ・ツアーも好評で、新し物好きの若者たちの心を掴んでいきました。
そして翌79年にリリースしたシングル、『Lucky Number』が全英3位の大ヒットとなり、ようやく彼女はブレイクを果たしたのでした。


Lene Lovich - Lucky Number


全英3位に輝き、彼女の出世曲となったシングル。
ラヴィッチとチャペルの共作であるこの曲は、微妙にエキゾチックなアレンジに乗せて、演劇的でエキセントリックなヴォーカルが軽やかに跳ね、キュートな世界を作り出しています。
この曲に関して言えば、今聴いてもそんなに古く感じないんじゃないでしょうか。ダメな人には絶対受け付けられない世界でしょうけど。


Lene Lovich - Say When


同年にリリースされたシングル。全英19位。
この曲には『Lucky Number』のような良い意味での軽さはなく、パンキッシュなゴスといった感じがします。
その後の彼女の音を聴いてみると、こっちのほうが本来の資質なのかも、と思いますね。ということは『Lucky Number』のポップさは、ある種奇跡的なものなのかもしれません。


この年彼女は先にリリースされた3枚のシングルを含んだ、デビュー・アルバム『Stateless』もリリースしています(全英35位、ビルボード137位)。
当時の彼女は「無国籍性」を売りにしていた記憶があります。ダリに心酔していたことからも分かるように彼女のヴィジュアル・センスは特異でしたから、この路線は正解だったかもしれません。
この頃僕は音楽雑誌で彼女の存在を知ったのですが、その記事には確かポーランドだかルーマニアだかの出身って書いてあった記憶があります。実際に東欧の血が入っているせいもあってか、結構リアリティのある設定でしたね。


Lene Lovich - Bird Song


これも79年にリリースされたシングル。全英39位。
サウンドはやや重くなり、ラヴィッチのヴォーカルもシャーマニックな響きを増していて、荘厳さすら感じるくらいです。


80年に彼女は2ndアルバム『Flex』をリリースしています(全英19位、ビルボード94位)。
このアルバムはチャペルのトラック作りのセンスが冴えているほか、ラヴィッチのヴォーカルも妖艶さに磨きがかかり、なかなかの内容だと思った記憶がありますね。
しかし彼女の活動のピークはこのへんで、以降はどんどん下降線を辿っていくこととなります。ニューウェーブのブームが過ぎて、飽きられてしまったというのが大きな原因でしょう。
先に名前を挙げた同時期の女性シンガーたちは、皆アンダーグラウンドに軸足を置いていたので、割とニューウェーブ以降も活躍していた印象があるんですが、ラヴィッチはなまじポップに寄っていただけに反動が大きかったのかもしれません。


Lene Lovich - New Toy


81年リリースのシングル。全英53位。ビルボードのダンス・クラブチャート19位。
この曲は当時彼女のバンドに籍を置いていた、トーマス・ドルビーが書いたものです。
そのせいか作品は確かにラヴィッチのものなんですが、随所にドルビーっぽい要素が顔を出しているような気がします。


Lene Lovich - It's You, Only You


82年リリースのシングル。全英68位。ビルボードのダンス・クラブチャート25位。
かつての軽快さはなくなりましたが、これはこれでポップですし、ラヴィッチのヴォーカルも強迫的な面がフィーチャーされていて結構いいと思うんですよね。
しかしこの曲以降、日本で彼女の音がラジオで流れることはなくなりました。この曲が入った3rdアルバム『No Man's Land』以降は、国内盤も出なくなりましたし。


彼女は83年に来日も果たしますが、その後出産と子育てのために第一線から退き、名前をほとんど聞かなくなります。
しかし85年には旧友であるトーマス・ドルビーのユニット、ドルビーズ・キューブにゲスト参加して復帰、以降89年に4thアルバム『March』、05年に5thアルバム『Shadows and Dust』をリリースするなど、マイペースに活動しています。
現在は舞台などで活動する傍ら、サブタレイニアンズなるバンドを組み、ツアー活動も行っているようです。つべには去年や今年のライブ映像が転がっているので、興味のある方はどうぞ。還暦を過ぎてもまだまだ頑張ってますよ。


また当時比較されたニナ・ハーゲンとは、80年に映画『Cha Cha』で競演して以来親友で、共同でこんなシングルも出しています。


Nina Hagen & Lene Lovich - Don't Kill The Animals


これは86年にリリースされたものですね。チャートインはしていません。
なんかひたすら怖いという感想しか出てこないんですが、とりあえず妙な切迫感だけは伝わってきますね。
またハーゲンはラヴィッチの代表曲である『Lucky Nunber』もドイツ語でカバーしています。似たもの同士惹かれ合っているんでしょうか。