ヒューバート・カー

どうもです。今日は病院に行ってきたりしてちょっと疲れてるので、軽く一発屋でもいってみましょうか。
というわけで、今回はドイツ出身のエレポップ・ユニット、ヒューバート・カーを取り上げることにします。ドイツの一発屋と言えばネーナがあまりにも有名ですが、こっちのほうが個人的に好きなので(ネーナも割と好きですけど)。
日本でも『Angel 07』がソニーウォークマンのCMソングに使われてヒットしたので、曲を覚えている方もいるかもしれません。


ヒューバート・カーは西ドイツのロイトリンゲンで結成されたバンドです。
メンバーはヒューバート・ケムラー(ヴォーカル)、クラウス・ヒルシュブルガー(ベース)、マルクス・レール(キーボード)の3人です。初期にはドラムスもいたのですが、その人の名前はどこを調べても分かりませんでした。
中心人物のケムラーは、あの偉大な天文学者ヨハネス・ケプラーを輩出したテュービンゲン大学で法律を学んでいたインテリで、いいとこのお坊ちゃんでもあったようですね。
彼らはドイツ・ポリドール社に見出され、82年にデビューすると、2曲目のシングル『Rosemarie』が西ドイツで3位、オーストリアで5位、スイスで6位と大ヒットを記録し、ドイツ語圏内限定とは言え一躍スターになるのです。


Hubert Kah - Rosemarie


これが最初のヒット曲。
ちょっとニューウェーブの匂いを持った、イロモノ系バンドといった感じですね。ムカデダンスは往年のマッドネスみたいですし。
『Angel 07』の頃しか知らない人が見たら、あまりに様相の違いに衝撃を受けるかもしれません。


Hubert Kah - Sternenhimmel


82年リリースのシングル。ドイツで2位のヒットを記録しています。
曲はそこそこだと思うんですが、とにかくナイトガウンで歌うケムラーの姿が、衝撃的と言うか痛々しいですね。どう見てもイロモノ。
この頃の彼らは、ナイトガウン以外に拘束衣を着用して歌うこともあり、そっちの方向で話題を呼んでいたようです。


そんな彼らですが、ドイツ語圏内では着実に人気を上昇させ、ポップスターとなっていきます。
そこでドイツ・ポリドール社が目論んだのが世界進出でした。歌詞を英語にし、プロデューサーに後にアラベスクのサンドラ・アン・ラウアーとともにエニグマを結成して有名になるマイケル・クレトゥを迎え、当時流行っていたエレポップ・ユニットとして大々的に売り出しにかかったのです。
その結果シングル『Angel 07』は日本をはじめとして多くの国でヒットし(残念ながら英米ではヒットしなかった)、彼らはワールドワイドな名声を得ることとなりました。


Hubert Kah - Angel 07


84年リリースのシングル。日本でも10万枚以上を売るヒットになっています。
ヨーロッパ的な哀愁を持ったエレポップの名曲ですね。この泣きの入った感じは日本人好みでしょう。サウンドが堅牢に作られているところは、いかにもドイツっぽいですが。
この曲のプロモートのためだったか、来日したのも覚えてます。小林克也のインタビューを受けたのを観た記憶がありますから。


Hubert Kah - Engel 07


『Angel 07』のオリジナル・ヴァージョン。
ドイツ語で歌われていて、当然ドイツ語圏ではこのヴァージョンがリリースされたわけですね。なんか響きが面白いです。
ただあまり本国ではウケが良くなかったのか、西ドイツで30位、スイスで15位に止まっています。いい曲だと思う(少なくとも初期の曲よりずっといい)のに何でなんでしょう。


Hubert Kah - Limousine


これも84年リリースのシングル。
女声コーラスなども入れて、AOR的な方向に舵を取ってますね。後期のチャイナ・クライシスに似ている気がします。


この後彼らは日本では忘れられてしまうものの、アメリカを中心に活動してそこそこの活躍をしていました。


Hubert Kah - Military Drums


87年のシングル。ビルボードのダンス・クラブチャートで8位。
かなりリズムを強調していて、ダンス・ミュージックに大きく接近しています。
ソウルフルな女性ヴォーカルがコーラスの分を超えてガンガン歌っていて,ケムラーの影が薄いのが何とも言えません。


Hubert Kah - Machine Gun


89年のシングル。ビルボードのダンス・クラブチャートで7位。
かなりノリのいいディスコティックなエレポップで、もうドイツという感じが全然しません。


Hubert Kah - So Many People


これも89年のシングル。ビルボードのダンス・クラブチャートで7位。
この曲はノリ一辺倒という感じではなく、ヨーロッパっぽいメロディーが印象的な佳曲に仕上がっているんじゃないでしょうか。


しかしヒューバート・カーは90年頃に活動を停止します。原因はケムラー鬱病にあったようですね。
何でも80年代後半から病に苦しんでおり、だましだまし音楽活動を続けていたのですが、ついにこのあたりで限界に達したようです。
病が癒えたケムラーが表舞台に復帰したのは96年でした。すでに他のメンバーは去っていて、彼一人でヒューバート・カーを名乗って活動を再開したのです。
この活動はドイツ国内でそこそこの成功を得たようですが、90年代末頃にはケムラー鬱病が再発、またしても彼は音楽業界から身を引くことを余儀なくされました。
05年に再度復帰を果たしたケムラーは、ヒューバート・カーの活動と並行して、ミュージカルにも出演するなど、活動の幅を広げているようです。頭はすっかり薄くなっていますけど。
経験者は語るじゃないですけど、鬱病って本当に苦しいんですよ。この病気の患者という時点でもう他人とは思えないので、無理せずぼちぼちと活動を続けてほしいと願っています。