キリング・ジョーク

どうもです。こちらは年末が近くなっていろいろ忙しいのですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
さて、ここのところエレ・ポップ系が続いてしまったので、そろそろハードな音でもいっておこうかな、と思いまして、今回はキリング・ジョークを書くことにしました。
このバンドは初期にすごい音を出していて、個人的には大好きだったんですけど、日本ではそんなに人気がなかったような記憶があります。全盛期に来日した時も、新宿厚生年金会館というそれほど広くないところでやってましたし。
しかし日本での当時の評価はとにかく、彼らはインダストリアル・ロックの先駆者として、のちのオルタナティブ勢に与えた影響は多大で、けっしてロックの歴史の中で無視できるような存在ではありません。
というわけで、ちょっとうるさいですけど、聴いて頂ければ何よりです。


キリング・ジョークの歴史は70年代後半、ポール・ファーガソン(ドラムス)の在籍していたマット・スタッガー・バンドというパンク・バンドに、現代音楽を学んでいたジャズ・コールマン(ヴォーカル、キーボード)が加入したところから始まります。
さっそく意気投合した二人は、新しいバンドを作るためにそこを脱退しました。そしてレイジというバンドにいたジョーディー(ギター、本名はケヴィン・ウォーカー)、ピッグ・ユース(ベース、後にユースと改名、本名マット・グローヴァー)が加わり、78年にキリング・ジョークが結成されるのです。
彼らは79年に自主レーベルからデビューEP『Turn to Red』をリリース、するとこれがBBCの有名DJ、ジョン・ピールに気に入られ、彼の番組に呼ばれるなどプッシュされることになります。
そしてピールの後押しもあってバンドは80年、アイランド・レコードと契約を果たしました。アイランド側が彼らのために新レーベルマリシャス・ダメージを用意するなど、破格の待遇だったようですね。
しかし彼らはそこからシングル『War Dance』をリリースしただけで、契約関係の縺れでそこを離脱してしまい、改めてヴァージン・レコード傘下のEGレーベル(キング・クリムゾンロキシー・ミュージックも在籍していたことで有名)に移籍することとなります。
そんなこんなで紆余曲折を経て、同年にはデビュー・アルバム『Killing Joke』(邦題は『黒色革命』)をリリース、するとその唯一無二のサウンドが話題を呼んでアルバムは全英39位まで上昇し、彼らは一躍ポストパンクの旗手として注目されることとなりました。
僕は当時高校生で、ラジオで初めて彼らの音を聴いたクチなんですが、そのパンクともハードコアとも違った攻撃的で危険なサウンドに、一発でとりこになったのを覚えています。


Killing Joke - War Dance


Killing Joke』に収録された、初期の彼らの代表曲。
ドコドコした原始的なドラムス、暴力的でエッジの効いた轟音ギター、ズシリと重いベースライン、不穏な響きのシンセ、そしてエフェクトをかけられて歪んだ中にも冷徹な狂気が垣間見えるコールマンのヴォーカルが強烈です。
「お前は正直になろうとしたけど、その結果手に入れたものを見てみろ」という冷笑的、挑発的な歌詞も、ポストパンクな感じで良かったですね。


Killing Joke - The Wait


これも『Killing Joke』収録曲。
彼らにしては割とストレートな楽曲で、スピード感があり攻撃的なので、パンク好きには聴きやすいと思います。
のちにメタリカがカバーしていたので、彼らの曲の中では最も知名度が高いかもしれません。


Killing Joke - Complications


これも『Killing Joke』収録曲。
彼らの曲の中ではかなりあっさり味な感じですが、分かりやすいですし単純にカッコいいですね。


翌81年、彼らは2ndアルバム『What's THIS For...!』(邦題は『リーダーに続け』)をリリースします。全英42位。
このアルバムはエスニックなビートを導入しており、単調なきらいのあった前作に比べるとよりダンスフロアに接近していて、かなり分かりやすくなっていましたね。
個人的には彼らのアルバムの中で最も気に入っていますし、ヘヴィかつデジタルなスタイルは、当時としては革新的だったと思っています。


Killing Joke - Tension


『What's THIS For...!』収録曲。
力強いジャングルビートに乗せて、開放的なメロディが炸裂するダンスナンバーで、彼らの曲の中では一番明るいかもしれません。
当時渋谷陽一サウンドストリートでもこの曲がオンエアされ、渋谷が「こういう曲のほうが(一般に言われるヘヴィメタルより)ヘヴィメタルと呼ぶに相応しい」みたいなことを言ってたのを覚えています。


Killing Joke - Follow The Leaders


『What's THIS For...!』からのシングル。全英55位。ビルボードのダンス・クラブチャートで25位。
打ち込みの反復リズムに切れ味鋭いギターが絡み、そこにドコドコと畳み掛けるようなドラムとうねりまくるベースが重なってくる、強烈なダンスナンバー。
ノリがよく実はポップな曲なのですが、どう聴いてもポップに聴こえないのが怖いです。


Killing Joke - Unspeakable


これも『What's THIS For...!』収録曲。
反復するタムワークとグループするベース、ノイジーなギターが不気味さを醸し出していて、なかなか聴いていて緊張します。
コールマンの顔面ペイントは、後のポジティブ・パンクに影響を与えているのかもしれません。


Killing joke - Exit



これも『What's THIS For...!』収録曲。
こちらは打って変わってストレートなナンバーで、彼らの曲の中では最もハードコア・パンクに近いと思います。


順調に評価を上げていった彼らは、翌82年にはコニー・プランクのプロデュースのもとで3rdアルバム『Revelations』(邦題は『神よりの啓示』)をリリースします。
実はコールマンはアレイスター・クロウリー*1の信奉者で、この当時はさらにオカルトや新興宗教にのめり込んでおり、そのせいか不協和音が支配するヘヴィな作風になっているのですが、英国では12位を記録するヒットとなりました。
個人的にはとっつきにくい感じがしたんですが、彼らにしか出せない音であったことは確かで、評価に迷ったのを記憶してますね。


Killing joke - Empire Song


『Revelations』からのシングル。全英43位。
呪文のように同じフレーズを繰り返すヴォーカルと、不協和音を鳴らしながら突っ走るギターが印象的な曲ですね。
これはBBCの人気番組トップ・オブ・ザ・ポップスに出演した時の映像ですが、ドラムのファーガソンが歌ってます。まあこの番組は口パク当て振りなので、誰が歌ってようが関係ないんですが。
実はこの時、コールマンはオカルトに入れ揚げた挙句アイスランドに逃走してしまったため、番組に出演できなかったんですね。彼の代わりとして、養蜂場で働いている人みたいな格好をしている謎の人物が、キーボードのところに立っています。
結局コールマンはこの後ギターのジョーディーも招いてアイスランドに滞在し、そこで思う存分オカルトを満喫しつつ、地元のバンドとも交流を深めています。そのうちの一つであるTheyrというバンドは、後にビョークを輩出したシュガーキューブスの前身でした。


そんなこんなでバンドがごたごたする中、ベースのユースが二人を追ってアイスランドに渡りました。
ユースはしばらく二人と行動を共にしたようですが、結局は愛想をつかしたのか英国に舞い戻り、ファーガソンとともにブリリアントというファンク・バンドを結成します。
しかしすぐにファーガソンが脱退してコールマンの元に赴き、バンド再編を図りました。これに激怒したユースは結局キリング・ジョークを脱退し、ベーシストの座はポール・レイヴンに代わることとなりました。
ユースは脱退後バンド活動の傍ら、プロデューサーやエンジニアとしても活動を開始し、ザ・ヴァーヴの『Urban Hymns』をヒットさせた他、ガンズ・アンド・ローゼズプライマル・スクリーム、スージー&ザ・バンシーズ、アート・オブ・ノイズU2、ヤズー、バナナラマ、INXS、オーブなど様々なミュージシャンの仕事を手がけています。
また彼はあのポール・マッカートニーと組んでザ・ファイアーマンというユニットを結成し、3枚のアルバムをリリースするなど、幅広く活躍しました。
まあそれは別の話として置いておくとして、結局キリング・ジョークのメンバーも英国に戻り、翌83年には4thアルバム『Fire Dances』(邦題は『ファイアー・ダンス』)をリリースしています。
このアルバムはリズムがシャーマニックな感じになっている他、サウンドもややダークかつトランシー気味で、聴く人を選ぶ内容だったと思います。自分は正直食い合わせが悪かったですね。セールスは全英29位とまずまずでしたが。


Killing Joke - Let's All Go (To The Fire Dances)


『Fire Dances』からのシングル。全英51位。
キリング・ジョークにしてはキャッチーな曲ですが、しっかりと彼ららしさは出ていて、このアルバムの中では好きでしたね。


2作連続でいまいち好みでないアルバムが続いたため、そろそろキリング・ジョークを聴くのを止めるかなんて思ってたんですが、ここで彼らは起死回生の一発を放ちました。85年リリースの5thアルバム『Night Time』(邦題は『暴虐の夜』)です。
このアルバムはそれまでとはがらりと音が変わりました。大胆にシンセとダンスビートを導入し、メロディも叙情性が増し、ニューウェーブのようなポップなサウンドになったのです。そのせいか全英11位という、彼ら最大の成功作になっています。
この新路線は「売れ線に奔った」と一部で非難され、このアルバムで離れた人も実際多かったみたいなんですが、個人的にはかなり気に入っていました。ポップとハードさのバランスが上手く取れていると感じたんですね。
それに表面的にはポップですが、よく聴くと不安感が付きまとっている感じがするのが良かったですね。心を病んでいた人が一見治ったように見えるのに、実は全然治ってないどころか奥底ではさらに悪化しているような感じでした。


Killing Joke - Eighties


『Night Time』からのシングル。全英60位。
印象的なリフとアグレッシブなシャウトが、インパクトを放つドライビング・ナンバー。
PVに昔の政治家たちがたくさん出てきて、観ていて懐かしくなります。
またこのリフをニルヴァーナが『Come as You Are』でパクっているのは有名な話です。キリング・ジョーク側はニルヴァーナに対して訴訟を起こしましたが、カート・コバーンの死の直後にそれを取り下げています。
後に当時のニルヴァーナのメンバーだったデイブ・グロール(フー・ファイターズ)が彼らのアルバムに参加していますが、それはこの件に対しての侘び代わりであるという説もあります。本当かどうかは知りませんが。


Killing Joke - Love Like Blood


『Night Time』からのシングル。全英16位まで上昇し、彼ら最大のヒットとなっています。
全体を覆うシンセの響きとメロディアスな曲調のため、ゴシックなムードが漂っていて、当時は賛否両論でしたね。個人的には好きでしたけど。
キリング・ジョークという先入観がなければ、普通に良い曲なんですけどね。


彼らは翌86年に『Brighter Than a Thousand Suns』(邦題は『漆黒の果て』)をリリースしますが、このアルバムは前作をさらに叙情的にした感じで、さすがに丸くなり過ぎたと感じた僕は、彼らの音を聴くのをやめてしまいました。本国での評判も良くなかったようですね(全英54位)。
それでも88年には7thアルバム『Outside The Gate』の録音を開始しますが、コールマンとファーガソンが仲違いをし、ファーガソンはあえなく解雇されてしまいます。
バンドは後任にジョン・コプレイを迎えてアルバムのリリースにこぎつけますが、前作以上にキーボードを多用した作風は受け入れられず、セールスでは全英92位という惨敗を喫しました。
おまけにファーガソンの解雇の件を不満に思っていたレイヴンが、リリース後にコールマンとジョーディーを非難する声明を発して脱退してしまいます。
残されたコールマンとジョーディーは、EGレーベルから離れようと画策した結果法廷闘争になったのもあって、一時的ではありますがバンドを解散させてしまうのでした。


キリング・ジョークが復活したのは90年でした。コールマン、ジョーディー、元パブリック・イメージ・リミテッドのマーティン・アトキンス(ドラムス)、デイブ・ボール(ベース)というラインナップです。
ベースはすぐに元メンバーのレイヴンに代わりましたが、バンドは8thアルバム『Extremities, Dirt & Various Repressed Emotions』(邦題は『怒涛』)をリリースし、復活の狼煙を上げたのです。
このアルバムは特に反響を得られなかったのですが、元メンバーだったユースを呼び戻して94年にリリースされた9thアルバム『Pandemonium』は、全英で16位というヒットとなり、彼らは完全に蘇ることに成功しました。
『Pandemonium』は久々に聴いたんですが、ギターノイズとエレクトロニクス、民族音楽の三つの要素が絡まりあった感じで、なかなか良かったと感じた記憶がありますね。


Killing Joke - Pandemonium


『Pandemonium』からのシングル。全英28位。
ヘヴィなループがインダストリアル的な要素を醸し出していて、往年の攻撃性が蘇っている感がありますね。


この後の作品は、先に書いたデイブ・グロールの参加している『Killing Joke』(03年リリース、全英43位)だけは聴いています。
神経病質的な感じこそ完全に失われてしまいましたが、気合の入ったヘヴィネスが提示されており、ベテラン健在を感じましたっけ。ちなみにプロデュースはギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルでした。


Killing Joke - Loose cannon


Killing Joke』からのシングル。全英25位。
彼ららしい硬派なサウンドに仕上がっていて、ヘヴィな音好きな人は満足できると思います。また打ち込みといわれても遜色ないほどの正確無比なグロールのドラミングは脱帽ものです。


Killing Joke』リリース後にユースは再び脱退し、代わりにレイヴンがまたまた加入するのですが、彼は06年にミニストリーの活動に招かれてバンドに籍を置いたまま離脱し、翌年にはスイスで心臓発作のため客死してしまいます。
そのためバンドにはユースがまたもや復帰、10年にはファーガソンも長年の恩讐を越えて復帰し、ここでオリジナル・メンバーが再集結することになりました。
その後キリング・ジョークは10年に『Absolute Dissent』(邦題は『宣戦布告』)、12年に『MMXII』をリリースし、バリバリの現役として活動を続けています。
また06年(フジロック)、08年(単独公演)には来日も果たし、元気なところを見せてくれました。
一方コールマンの奇行にはさらに磨きがかかっており、昨年にも一緒にツアーをする予定だったザ・カルト、ミッションを中傷する書き込みをフェイスブックに残した(本人は自分が書いたことを否定していますが)まま消息を絶ち、西サハラ遊牧民として暮らしていたという事件を起こし、物議を醸しています。コールマンはもともとポジパン嫌いで有名だったので、そのへんに遠因があるのかもしれませんけど、だったら最初から合同ツアーとか受けなければいいのに(結局そのツアーはポシャったらしいですけど)。
彼は今も自宅菜園でほぼ自給自足の生活をして、キリスト教アメリカの悪口ばっかり言ってるみたいですし、まったく丸くなる気配がないのが逆に頼もしいかもしれません。

*1:英国の神秘主義者、魔術師。オカルト関連の多くの著書を発表する他、派手な演出の魔術儀式を実施し物議を醸した。ジミー・ペイジデヴィッド・ボウイらミュージシャンのフォロワーも多く、ビートルズのアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』のアルバムジャケットにもその姿が見られる。