ルー・リード

どうも。先週は腰が痛くて、一週お休みさせて頂きました。
で、とりあえず良くなって土曜日から夜勤に出たんですが、日曜日夜の休憩中にこのニュースを知って落ち込みました。


CNN.co.jp : ルー・リードさん死去、ロック界の伝説的存在


ルー・リードと言えば60年代にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヴォーカルとしてシーンに鮮烈な登場を果たしてから、現在に至るまでロックの第一線で活躍し、半ば神格化された偉大なシンガーソングライターです。
僕は全作品を聴くほどの熱心なファンではなかったですが、『Transformer』あたりは大好きで愛聴していたので、やはりショックでしたね。
今回は追悼も兼ねまして、彼の代表曲をいくつか取り上げてみようかと思います。ちょっと動画を詰め込みすぎましたので、そのへんはご了承を願います。


ルー・リードは本名をルイス・アレン・リードといい、42年3月2日に米国ニューヨーク州ブルックリンに生まれています。
父は会計事務所を営んでおり、裕福な少年時代を送りましたが、早くから同性愛の傾向を示していて、治療のため電気ショック療法を受けさせられたこともあるそうです。
また彼は早熟の音楽少年だったようで、高校生の頃にはザ・ジェイデスというグループで、レコードデビューも果たしています。


The Jades - So Blue


58年リリースのシングル。
思いっきりドゥーワップしていて、ちょっとビックリします。これがルー・リードが世に出た最初の音源なんですから。
リードはソロになってから、ブラック・ミュージックへの接近を何度も見せていましたが、こういうルーツがあったのですからそれも必然なんでしょうね。


しかしこのバンドはまったく成功せず、リードは挫折の末にシラキュース大学に入学し、英文学と哲学を専攻します。
そこで文学者のデルモア・シュワルツに師事して詩作を学ぶようになるのですが、それに熱中し過ぎて大学をドロップアウトし、ピックウィックというレコード会社の雇われソングライターをしながら、再びデビューの機会を窺っていました。
この雇われソングライター時代には、彼はスーパーなどで販売される廉価盤レコード用に、当時のヒット曲によく似た感じの曲を多数作曲していたようです。
その中でもザ・プリミティブズ名義の作品『The Ostrich』が好評で、リードはTV出演のために、実際にザ・プリミティブスを組んでいます。


The Primitives -The Ostrich


64年にこの曲はリリースされています。
プリミティブというバンド名にぴったりの、原始的なガレージ・ロックですね。


ちなみにこれもリードが関わっていた架空のバンド、ザ・ビーチナッツです。


The Beachnuts - Cycle Annie


この曲も64年リリースらしいですね。
すごくチープなサーフィン・サウンドなんですが、ヴォーカルは確かにリードのもので、そのギャップに笑いそうになります。


そんな中リードは、ウェールズからアメリカに現代音楽を学びに来ていた、のちの盟友(その割にはしょっちゅう喧嘩別れしてますが)ジョン・ケイルと出会い意気投合します。
当時リードは『アメリカン・バンド・スタンド』という番組から、ザ・プリミティブズとしての出演をオファーされており、メンバーをでっち上げる必要に迫られていました。ケイルは当然ザ・プリミティブズに誘われ、トニー・コンラッド(ベース)、ウォルター・デ・マリア(パーカッション)らと、リードとともにバンドのメンバーとして活動することになります。
ザ・プリミティブス自体の活動は1ヶ月で終わるのですが、これでバンド活動に希望を持ったリードとケイルは、スターリング・モリソン(ギター)、モーリン・タッカー(ドラムス)を加え、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動を開始しました。
このバンドはアンディ・ウォーホルに気に入られ、彼の全面バックアップのもと67年にデビューし、商業的な成功こそ得られなかったものの、ロックの歴史に名前を刻むこととなります。
もちろんヴェルヴェット・アンダーグラウンドについても取り上げたいのですが、さすがに長くなり過ぎてしまうので、それは次回にまわすこととしましょう。
リードはこのバンドで5年間活動し、4枚のアルバムを残していますが、プレッシャーからついに精神状態を悪化させ、70年の8月のツアー中に突如失踪し、そのまま脱退してしまいます。


その後リードは一時音楽業界を引退し、父の会計事務所でタイピストとして働く傍ら詩やエッセイを発表していましたが、71年末に一念発起してイギリスに拠点を移し、翌72年にアルバム『Lou Reed』(邦題は『ロックの幻想』)でソロ・デビューを果たします。
ただこのアルバムはほとんどがヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の未発表曲の再録で、アレンジも結構派手なヒット狙いという感じでして、後年のリードのイメージとはかなり違っています。
当時スタジオミュージシャンだったギターのスティーブ・ハウ、キーボードのリック・ウェイクマン(両者とものちにイエスに加入)が参加しているのが、今聴くと何とも不思議な感じがするのですが。


リードの本領は同じ年にリリースされた、2ndアルバム『Transformer』で思う存分発揮されました。
デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンの共同プロデュースによって制作されたこの作品は、都市の冷気を漂わせる繊細な曲調、ドラッグやホモセクシャルといった強烈なイメージ、そしてその楽曲の完成度の高さによって一躍注目され、ビルボードで16位、全英で10位というヒットとなるのです。
この頃のリードは、ボウイの影響なのかグラマラスなファッションに身を包み、いかにもグラムっぽいロックスターになっていたようですね。
バイセクシャルである事を公言し、レイチェルという青年をいつも恋人として連れて歩いていました。



右の人がレイチェルくんです。
『Transformer』の裏ジャケットにも堂々と出ていましたし、75年のリードの初来日にも帯同していたそうです。
また77年には結婚パーティーを開くなどの蜜月ぶりでしたが、78年初頭には離別しています。今はどうしてるんでしょうね。
ちなみにリードは『Transformer』リリース後にベティ・クロンスタットと結婚していますがすぐに別れ、80年代初頭に今度はシルヴィア・モラレスという女性と結婚しています。82年のアルバム『The Blue Mask』のラスト曲『Heavenly Arms』は、彼女に捧げられた曲です。
しかしいつの間にかその関係は終わってしまい、その後もう一度結婚・離婚した後、98年に前衛音楽家であるローリー・アンダーソンと再婚しています。このニュースを聞いたときには、その取り合わせの不思議さに驚いた記憶がありますね。


Lou Reed - Walk on the Wild Side


『Transformer』からのシングル。邦題は『ワイルド・サイドを歩け』。ビルボード16位、全英10位。
ベースラインが印象的なブラック・ミュージックっぽいサウンドに載せて、実在しているトランスジェンダーたち(今で言うドラァグ・クイーン)の様子を描いた曲で、その淡々とした感じがとても好きでした。
フェラチオスラングである「giving head」という表現が使われたり、差別用語が使われたりと、結構危ない歌詞なんですが、このへんはリードの真骨頂といったところでしょうか。
この曲はアメリカ・ホンダのスクーターのCMにも使われているそうで、動画を探してみたらありました。



リード本人も出演している豪華版ですね。
最初CMに使われたと聞いて、「歌詞の意味が分かって使ってるんだろうか」と思ったんですが、さすがに歌っている部分は使ってないんですね。まあそりゃそうか。


Lou Reed - Satellite of Love


『Transformer』収録曲。邦題は『愛の人工衛星』。04年にシングルカットされ、全英10位のヒットとなっています。
この曲は非常に暖かみのある美しいメロディーが特色で、個人的には彼の作品の中で一番好きです。映画『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』でも使われてましたっけ。
歌詞はテレビで人工衛星の打ち上げを見ていた男が、恋人との関係を終わらせることを何となく決めるというもので、その無気力なところが何とも良い感じです。


Lou Reed - Perfect Day


これも『Transformer』収録曲。
映画『トレインスポッティング』で使われたことで知名度も高い、退廃的で美しいバラードです。
歌詞は要するにドラッグのことですね。ヤクをキメた状態で過ごす一日を「Perfect Day」と称しています。
なおこの曲は意外にもデュラン・デュランがカバーしています。バンドのイメージで引く方もおられるかもしれませんが、原曲に忠実な良いカバーでした。リードも気に入ってるらしいです。


Duran Duran - Perfect Day


アルバム『Thank You』からのシングル。95年に全英28位を記録しています。
ドラムスには初期メンバーだったロジャー・テイラー(クイーンのドラマーと同姓同名)が、10年ぶりに復帰していますね。


話が飛んでしまいましたが、翌73年にリードは、アリス・クーパーをプロデュースして一躍注目された、新進気鋭のボブ・エズリンをプロデューサーに迎え、3rdアルバム『Berlin』をリリースします。
このアルバムは1stアルバムに収録されていた『Berlin』を発展させて、ドイツのベルリンを舞台にキャロラインという女性が自己崩壊していくさまを、あくまで傍観者的視点から綴ったコンセプト・アルバムとなっています。
レコーディングにも元クリームのジャック・ブルース(ベース)、フランク・ザッパの元で叩いていたエインズレー・ダンバー(ドラムス)、トラフィックで活躍しのちに英国随一のソウルシンガーとなるスティーブ・ウィンウッド(オルガン)、ランディ(トランペット)とマイケル(サックス)のブレッカー・ブラザーズ、のちにキング・クリムゾンで活躍するトニー・レヴィン(ベース)など、強烈かつ豪華なメンバーが参加しています。
正直リードの作品としてはオーバー・プロデュースな気もしますが、エズリンが後にキッスやピンク・フロイドの『The Wall』なんかを手がけていることを考えると、彼らしい仕事とは言えるのかもしれません。
このアルバムはビルボードでは98位どまりでしたが、英国では高く評価され、全英7位を記録しています。


Lou Reed - Berlin


『Berlin』のタイトルナンバー。1stアルバム『Lou Reed』に収録された曲のリメイクです。
パーティーの喧騒のSEから始まり、アラン・マクミランのピアノに載せて呟くように歌うリードのヴォーカルが、退廃的なストーリーの序章を語ります。


翌74年にリードは、自分のマネージャーであるデニス・カッツの弟であるスティーブ・カッツをプロデューサーに迎え、4thアルバム『Sally Can't Dance』(邦題は『死の舞踏』)をリリースします。
この頃リードは短く刈り揃えた髪を金色に染め、眉毛を剃り落とした異形のロックスターとしてシーンに君臨していましたが、本人の肉体や精神は疲労と重圧で悲鳴を上げており、レコーディングにも意欲を見せませんでした。
そこを無理矢理働かせる感じで作り上げたこの作品は、ビルボードで10位と大ヒットしたものの、本人はまったく満足しておらず、後に内容についてこき下ろしています。


Lou Reed - Sally Can't Dance


『Sally Can't Dance』のタイトルナンバーで、シングルカットもされた一曲です。
重たいファンクのようなリズムにカッコいいギターが乗り、リードが無気力な感じで歌っています。
サリーという60年代後半のヒッピー・ムーブメントで持て囃された女性が、時代の流れに取り残されて堕ちていくさまを描いた歌詞は、視線が冷徹でいかにもリードらしいと思いますね。


この頃リードは『Heroin』の演奏中にマイクのコードを腕に巻きつけ静脈を探し、そこへ何かを注射器で体内に打ち込むという、ドラッグの摂取を連想させるパフォーマンスを披露し物議を醸しました。
彼はニューヨークの闇の帝王としてカリスマ的な人気を得、人々は当時やはりドラッグに溺れていたキース・リチャーズとリードのどちらが先に死ぬか、という悪趣味な話題に花を咲かせるようになります。
しかしリードはそういうパブリック・イメージを演ずることに疲弊しており、また商業的な内容を求めるレコード会社、厳しいスケジュールを入れるマネージャー,自らの死を期待している聴衆たちにも嫌気がさしていて、精神的には限界に達していました。
そんな状況の中、75年に彼がリリースした『Metal Machine Music』(邦題は『無限大の感覚』)は、2枚組アルバムの全編がフィードバック・ノイズの嵐で、人々を戦慄させることとなります。
一切の感情を感じさせないノイズの洪水は、彼の荒涼とした精神状態を象徴していたのでしょう。これのリリースを許したRCAも、ある意味病んでいたのかもしれませんね。
このアルバムは当然のことながらまったく売れませんでしたが、史上初のノイズ・アルバムとして現在はある意味評価されています。


Lou Reed - Metal Machine Music Part.1


一応音も載せておきますけど、聴くのはやめておいたほうがいいんじゃないかな。
何しろリード本人がライナーで、「自分自身を含めこのアルバムを最初から最後まで聞き通した者はいない」って書いているくらいですから。
あとこのアルバムについては、ちょっとしたエピソードがあります。
この年初来日を果たしたリードに、渋谷陽一がインタビューしたのですが、話が上手く噛み合わず、まったく盛り上がりませんでした。
それを気にしたのかリードは、渋谷に対して「このアルバムはまだ日本で発売されていないんだけど、君にあげよう」と言って1枚のアルバムを贈ったのです。
喜んだ渋谷はさっそく家に持って帰ってアルバムを聴いたのですが、それが『Metal Machine Music』だったんだとか。ただの嫌がらせかよ(笑)
リードは基本的にジャーナリストとかが嫌いらしく、03年の来日時には洟を啜ったという理由で、某大手新聞社の記者を部屋から追い出すなど、記者に対して厳しく当たったエピソードは枚挙に暇がありません。


これで毒抜き作業が終わったのか、同じ年には打って変わってシンプルな内容の『Coney Island Baby』をリリースしています。
メンバーはキッスのレコーディングに何度かノンクレジットで参加したことで知られるボブ・キューリック(ギター、ちなみに彼の弟のブルースは、後にキッスのギタリストとなった)、当時のツアーメンバーだったマイケル・スコルスキー(ベース)、ブルース・ヨウ(ドラムス)の3人。プロデューサーはエンジニア上がりのゴドフリー・ダイアモンドでしたが、基本的にはリードの管理下でレコーディングは進められたようです。
そのせいか当時の恋人レイチェルとの生活のなかで生まれた、甘くも刺激的なラブソングを中心とした、私歌集といった趣になっています。ビルボード41位、全英52位。


Lou Reed - Coney Island Baby


『Coney Island Baby』のタイトルナンバー。
ニューヨーカーとしての己の姿を、衒いなくシンプルに歌い上げたもので、彼の若き日の心情が無駄なデコレーションを削ぎ落として、リアルに語られています。
またレイチェルへの真摯な愛についても言及されており、この曲のためにリードはアルバムを作ったといっても過言ではないでしょう。
ちなみにコニー・アイランドというのは、ニューヨークのブルックリン南端にあるリゾート地で、かつてはアストロランドという遊園地や、フリークスの出るサイドショーなどの見世物小屋があったところです。
リードは生粋のニューヨーカーですから、コニー・アイランドには子供の頃からの思い出があったと思います。そういうことを考えて聴くのもいいかもしれません。


Lou Reed - Kicks


これも『Coney Island Baby』収録曲。
このアルバムでは例外的に攻撃的な曲で、シンプルなリフの反復に徐々に凄みを増していくリードのラップのようなヴォーカルが重なり、殺伐とした緊張感を醸し出しています。
歌詞も非常に挑発的と言うか攻撃的です。「誰かを挑発して殺してしまえ」「退屈なんだよ、刺激が欲しいんだ」とか歌ってますから。


その後リードはRCAを離れてアリスタに移り、76年に『Rock And Roll Heart』をリリースしますが、個人的にはピンとこなかったですね。
しかし78年リリースの『Street Hassle』は、ブラック・ミュージックとパンクからの影響がうまく乳化している感じで、なかなか良い作品でした。


Lou Reed - Street Hassle


『Street Hassle』のタイトルナンバー。
11分にも及ぶ大作ですが、印象的なリフや弦楽四重奏をうまく使い、ダレさせない出来に仕上がっています。
ちなみに後半部の語りを担当しているのは、ノークレジットで参加したブルース・スプリングスティーンです。


その後リードは『The Bells』(邦題は『警鐘』)、『Growing Up In Public』(邦題は『都会育ち』)をリリースしましたが、これらはパッとしない感じで内容も全然記憶してません。
復活したと思ったのは、82年にRCAに戻ってリリースした『The Blue Mask』でしょうか。ヒットを狙うという意識から解放されて、渋い通好みのミュージシャン(現在のリードのイメージもこれだと思う)に変わったのはこの頃です。
このアルバムはリチャード・ヘルと共に活動していたロバート・クイン(ギター)、ジェフ・ベックとの活動歴のあるフェルナンド・ソーンダース(ベース)、のちにジェスロ・タルに加入するドーン・ペリー(ドラムス)をバックに配し、ほぼ一発録りで作られています。


Lou Reed - The Blue Mask


『The Blue Mask』のタイトルナンバー。
パワフルなドラム、唸る二本のギターが紡ぎ出すノイズ、その間を縫ってフレーズを刻むベースが、狂気を感じさせる一曲です。
歌詞は自虐について歌ったもので、自ら痛みと堕落を求める壮絶なものです。


その後もリードは多くのアルバムをリリースしていますが、僕より下の世代だと89年リリースの『New York』あたりが馴染み深いでしょうか。
荒々しいサウンドと強い社会的メッセージを持ったアルバムで、リードの詩人としての評価を再度知らしめるとともに、商業的にも成功しました(ビルボード40位、全英14位)。


Lou Reed - Dirty Boulevard


『New York』からのシングル。ビルボードのモダンロックチャート1位。
リフがキャッチーでカッコいい、非常にノリのいいロックンロールです。アンコールでは必ず演奏される名曲ですね。


Lou Reed - There is No Time


これも『New York』収録曲。
彼の作品の中でも最もポップなロックンロールなんじゃないでしょうか。


90年にリリースされた、かつての盟友ジョン・ケイルとの共作、『Songs for Drella』も個人的には印象深いです。
亡くなったアンディ・ウォーホルへの追悼として作られたこの作品は、二人だけで録音されたシンプルなもので、感情の縺れから80年代以降ウォーホルとの関係を絶ったことへの、後悔や謝罪の念が綴られています。


Lou Reed and John Cale - Forever Changed


『Songs for Drella』収録曲。
ケイルがピアノとヴォーカルを担当し、リードはノイジーなギターを弾いており、そのテンポのよさと相反するような物悲しさが伝わってきて、なかなか印象的です。


最後にリードと他のミュージシャンとのコラボ映像を2つ取り上げてみましょう。


Lou Reed and David Bowie - Waiting for the Man


これはソロ初期の重要なパートナーでもある、デヴィッド・ボウイとのライブですね。
歌われているのはヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の名曲、『僕は待ち人』です。
ヘロインの売人を待っているという退廃的な歌を、何とも楽しそうに歌っているのがいいですね。


Lou Reed and Metallica - Sweet Jane


こちらはメタリカとの共演です。
演奏しているのはやはりヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の代表曲ですね。カッコいいです。
メタリカとは手が合ったのか、11年に『Lulu』というコラボレーション・アルバムもリリースしています。
評価は賛否両論(僕はまだ聴いてません)だった記憶がありますが、結果的にこれが遺作となってしまいました。


正直な話、若い頃は麻薬に男色と放蕩の限りを尽くしてきた人だけに、それを考えたら長生きしたほうなのかなという気もしないでもないのですが。
しかし昔から知っている偉大な人ですので、やはり寂しいという気持ちが大きいですね。それと喪失感が半端ないわけで。
60代70代のロックスターたちが、これから毎年何人かづついなくなるかと思うと、何とも言えない気分になります。歳を取るということはたくさんの別れを経験することなのですね。
とにかくご冥福をお祈りします。安らかに。