ディック・セント・ニクラウス

どうもです。
体調は相変わらずあまり芳しくないのですが、さすがに先週よりはましになってきました。
でもやはり無理は禁物だと思うので、今回も前回に引き続き日本でだけヒットした人を取り上げて、軽くお茶を濁そうかと考えています。
もう少し体力が戻れば、久しぶりにニューウェーブ系なんかも取り上げてみたいのですけどね。最近ずっとポップス系ばかり書いてますし。
とりあえず療養頑張ります。まあ頑張るという種類のものではないような気もしますが。


まだ僕が中学、高校生の頃、日本ではAORブームというものがありました。もう死語なのかもしれないので一応説明しておきますと、これはアダルト・オリエンテッド・ロックの略で、早い話が大人向けのロックやポップスのことですね(これ以外の意味もあるんで、詳しくはここを読んで頂けると幸いです。)。
基本的にソフトで耳ざわりの良いサウンドで、バラードやミドル・テンポの曲が比較的多いのが特徴でした。わたせせいぞうの漫画『ハートカクテル』の世界なんかでかかっていそうなオシャレな音、と言ったらお分かり頂けるでしょうか。
ブームの中核を担っていたのはボズ・スキャッグスクリストファー・クロスといった、実力派でアメリカでもヒットした大物たちだったんですが、ブームでしたので中には日本でしかヒットしなかった人たちもいました。前回取り上げたトニー・シュートはその好例ですが、もう一人日本で一発ヒットを飛ばした人がいました。それが今回取り上げるディック・セント・ニクラウスです。


セント・ニクラウスは米国ワシントン州ワキマ出身のミュージシャンです。名字が大変仰々しいので芸名なのかと思ってたんですが、一応は本名らしいですね。
彼は子供の頃からドラムを習い、高校生だった63年には母親の姓だったピーターソンを名乗り、キングスメンというバンドにドラマーとして加入しています。何故母の姓を名乗ったか理由は不明ですが、結果欧米ではこの名前が浸透しており、「Dick St.Nicklaus」で検索してもまったく何も引っかかりません。のちに彼はキングスメン時代のことについて本も書いている(内容は後述)んですが、その時もディック・ピーターソンを名乗っており、ディック・セント・ニクラウスという名前はほとんど日本限定の名乗りらしいです。
このキングスメンというバンドは『Louie Louie』(邦題は『ルイ・ルイ』)という63年にビルボードで2位、キャッシュボックスで1位の大ヒット曲を持っていて、それだけで日本では知られています。ジャッキー吉川ブルーコメッツがカバーしていたくらいですし。個人的にはルイルイというと太川陽介なんですが、あの曲とこの曲はまったく関係ありません。
なおセント・ニクラウスの日本でのプロフィールを見ると、必ず「キングスメンというバンドに加入し、『Louie Louie』を全米2位とヒットさせている」となっているのですが、正確には『Louie Louie』発表時には彼はバンドのメンバーではありませんでした。この当時のドラマーはゲイリー・アボットという人で、この曲が収録されたアルバム『The Kingsmen In Person』で叩いています。
ただ『Louie Louie』は何度かシングルとしてリリースされており、ビルボードで2位になったのも二度目のリリースの時だったので、その時にはセント・ニクラウス(本来はピーターソンの名前で表記すべきなんでしょうが、ややこしいのでセント・ニクラウスで統一します)がメンバーだった可能性はあります。ただシングルを出すたび録音し直していたかどうかは不明なので、ヒットしたシングルは彼が演奏していないということもありそうですね。


The Kingsmen - Louie Louie


これがそのシングルです。大昔の曲ですが非常に知名度は高く、ロックンロールのクラシックですね。
もともとこの曲はリチャード・ベリーがキューバの音楽にインスパイアされて書き上げ、56年にシングルとしてリリースしたもののまったくヒットしませんでした。その後ウェイラーズ(ボブ・マーリーのウェイラーズとは違うバンド)がカバーしたインストルメンタル・バージョンがそこそこヒット、そして63年になるとキングスメンが50ドルという低予算(これはメンバーの自己負担だったそうです)でこれをワンテイクで録音し、前述の大ヒットになったわけです。
やる気のなさそうなヴォーカル、たどたどしいギター、つんのめるようなビート、たった3本のマイクで録音されたというローファイな音質が強烈なんですが、3つのコードが繰り返され続ける非常にシンプルな構成だったこともあって、この曲はガレージ・ロックのスタンダードとして現在でも親しまれています。
一応R&Bをベースにしているのに変に明るい感じがあるのは、キングスメンが主に大学のダンス・パーティーで演奏していたという事情が影響しているのだと思いますね。酔っ払った大学生の前で暗い音を出していたら、総すかんを食らって呼ばれなくなっちゃいますから。
またこの曲は録音が酷かったせいか歌詞が聞き取り辛かったため、過激な性描写が含まれているという噂が立ち、FBIが31ヶ月間にわたってこの曲を調査するという事件も起こっています。
その結果「歌詞が聞き取れなくてよく分からん」という間抜けな結論に落ち着いたのですが、この間複数のラジオ局がこの曲を放送禁止にしました。しかしそのせいでかえって曲の人気が上がり、ヒットに繋がったということらしいですね。セント・ニクラウスが05年にに書いた『Louie Louie』という本には、この騒動の顛末について詳しく書かれているそうですが、洋書でしかも現在在庫切れなので、読んで確かめる機会はなさそうです。



一応スタジオでの演奏の動画も貼っておきますね。
これは65年の映像だそうですので、ドラムを叩いているのはセント・ニクラウスことピーターソンなんでしょう(顔をよく知らないので断定できない)。


その後キングスメンは65年に『The Jolly Green Giant』という曲をビルボードで4位のヒットとするなど活躍しましたが、60年代後半には様々な理由でほとんど活動しなくなってしまいます。セント・ニクラウスのプロフィールを読むと「キングスメンは69年に解散し」と必ず書いてあるんですが、実際は単なる活動停止状態であり、バンド自体は一応存続していたようですね。
とは言え開店休業状態では食っていけないわけでして、セント・ニクラウスはロサンゼルスに移り住んで音楽出版社に入り、そこでソングライターの傍らプロデュースなどのノウハウも学んでいたようです。またその途上で自らも歌うようになり、79年にはアルバム『Magic』でソロデビューも果たすことになります。
このアルバムは本国ではまるっきり売れず、彼のアメリカでのソロ作はこれっきりとなってしまうのですが、意外なところで需要がありました。それは日本の大阪です。
大阪のミナミにあるメロディハウスという輸入盤屋で、『Magic』が好調な売れ行きを見せるという怪現象が起きたのです。大阪はウェストコースト系とかAORとかの人気の高い土地柄でしたので、このアメリカでは無名のシンガーのアルバムも受け入れられたのでしょう。
これに目をつけたのがエピックソニーの担当者でした。彼は上司に対して積極的に働きかけ、結果80年初頭に「関西地区限定販売」という異例な形で日本盤が出ることが決定しました。そのへんのいきさつはこちらに詳しいです。当時の関係者の貴重な証言ですね。
当時僕は土曜日深夜に放送されていた『笑福亭鶴光オールナイトニッポン』で、彼のシングル『Magic』を聴いたんでした。鶴光師匠が「この曲は大阪限定で発売される」「自分も気に入っている」と熱っぽくアピールしていたのを覚えています。あまり洋楽を推すタイプの人じゃなかったので、かえってよく覚えているのかもしれません。


Dick St.Nicklaus - Magic


この曲が日本でヒットしたシングルですね。オリコンでは39位だそうですから、当時の洋楽にしてはかなり売れたほうじゃないでしょうか。
サックスのリードが印象的なレトロ感漂う歌謡AORといった趣きで、当時としても古い感じはした(この頃は主にニューウェーブとか聴いてたんで、余計にそう思ったところはありました)んですが、女性コーラスの使い方が上手でしたしメロディーも日本人好みですし、ウケたのは分からなくもないですね。
鶴光師匠がこの曲をラジオで熱く宣伝していたのは、今思うと仕事だったからなんでしょうけど、師匠の年代でも受け入れやすいサウンドだとは思います。だから当時は素直に師匠の宣伝を受け入れられたんでしょう。まあ子供だったからというのもありますけど。


その後『Magic』は見事全国発売となり、セント・ニクラウスもプロモーションやライブのために何度か来日しています。ライブ自体は結構好評だったようですね。また80年には日本限定で2ndアルバム『Sweet And Dandy』もリリースしています。
しかしこのアルバムは『Magic』ほどは売れなかったらしく、そのうち彼の名前は日本でも聞かなくなってしまいます。完全な『Magic』の一発屋でしたね。
その後彼は本国に戻り、ソングライターとしての活動に戻ったようですね。ローラ・ブラニガンケニー・ロジャースなどに曲を提供していたらしいです。
またキングスメンとしての活動も再開しており、80年以降6枚のスタジオアルバムもリリースしています。


予想以上にあっさりした内容になってしまった(てか資料少な過ぎ)ので、ボーナストラックをいきましょうか。
彼が所属していたキングスメンのヒット曲『Louie Louie』は、人気が高いうえに演奏も簡単だったためたびたびカバーされています。そのバージョンは1600以上もあるとか。
せっかくですからそれらの中からいくつかを紹介してみましょうか。様々なジャンルの人がカバーしていて、かなり興味深いので。


The Beach Boys - Louie Louie


ビーチ・ボーイズのルイルイ。
基本オリジナルに忠実ですが、コーラスワークはさすがですよね。


The Doors - Louie Louie


ドアーズのルイルイ。
最初のほうはライブを録音したものなんでしょうか。ヴォーカルがエコーかかりまくりで、大浴場で歌っているみたいですね。
途中からスタジオバージョンになりますが、こっちは割と正統派のカバーです。


Frank Zappa & The Mothers of Invention - Louie Louie


フランク・ザッパのルイルイ。
69年のアルバム『Uncle Meat』に収録されたものですが、何だかよく分からないのがザッパらしいと言うか何と言うか。


The Sonics - Louie Louie


ガレージ・ロックの始祖ソニックスのルイルイ。
歪んだギターと攻撃的なドラムス、やかましいヴォーカルがカッコいい逸品。とても60年代の音とは思えません。


Flamin Groovies - Louie Louie


これもガレージロックの古株、フレイミン・グルーヴィーズのルイルイ。
71年のアルバム『Teenage Head』に収録されたもので、ブルージーなプロト・パンクっぷりが良いです。


Led Zeppelin - Louie Louie


これは超意外なレッド・ツェッペリンのルイルイ。
72年のロサンゼルスでのライブでの演奏ですが、見事なくらいツェッペリンしていてこれはこれでなかなかです。


Iggy Pop - Louie Louie


イギー・ポップのルイルイ。
彼にしてはゆったりとした感じですが、問答無用の迫力は感じます。ギターがカッコいいですし。
イギーのルイルイはジム・ジャームッシュの監督した映画『Coffee and cigaretts』のエンディングで使われていますし、アサヒスーパードライ ドライブラックのCMにも使われていましたね。


Motorhead - Louie Louie


モーターヘッドのルイルイ。78年にシングルカットもされています。
レミーのダミ声で歌われるルイルイというのも、なかなか乙なものでありますな。


The Clash - Louie Louie


ザ・クラッシュのルイルイ。
ジョー・ストラマーの暑苦しいヴォーカルと、彼ららしい隙間の多い演奏がなかなか良いです。


Johnny Thunders - Louie Louie


ジョニー・サンダースのルイルイ。
82年のライブですが、やっぱりヘロヘロですね。まあこの人の場合はヘロヘロなのが芸風ですし、カッコいいですから問題ないんですけど。


Patti Smith - Louie Louie


パティ・スミスのルイルイ。
スピードを落として演奏されており、ニューヨーク・パンクの女王の貫禄たっぷりです。


Blondie - Louie Louie


ブロンディのルイルイ。
80年のロンドンでのライブですが、とりあえずチープなキーボードがらしいなと。


Pretenders - Louie Louie


プリテンダーズのルイルイ。
81年の演奏ですが、クリッシー・ハインドさんがド迫力です。


Black Flag - Louie Louie


アメリカン・ハードコア・パンクの雄、ブラック・フラッグのルイルイ。81年にシングルとしてリリースされています。
とにかくヘンリー・ロリンズのヴォーカルがパワフルで、聴いていて圧倒されます。


Grateful Dead - Louie Louie


グレイトフル・デッドのルイルイ。
88年のライブですが、まったりしてますね。彼らのライブってみんなマリファナ吸ってるらしいんですが、そういう場所にはピッタリなバージョンかもしれません。


この他にもビートルズオーティス・レディングジョン・レノンキンクス、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、トロッグス、ルー・リードスタンリー・クラーク、アイク&ティナ・ターナー、ジョーン・ジェット、ブルース・スプリングスティーントム・ペティ&ハートブレイカーズR.E.M.スマッシング・パンプキンズなどのバージョンもあるんですが、さすがに紹介しきれないので割愛します。
多少の例外はありますが、基本的にとりあえずご機嫌な感じになっているのが良いですね。みんな楽しそうに演奏していて、親しまれているんだなというのがよく分かります。