プラズマティックス

残暑お見舞い申し上げます。自分は連日の猛暑にいささか参っておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
まあご挨拶はこのへんとして、今日もどマイナーなバンドでいってみましょうかね。
今回は一応前もって断っておきますけど、マジでキワモノです。なんじゃこりゃと思われる方も多いでしょうが、最近は暑いせいもあって、ちゃんとしたミュージシャンを取り上げて時間をかけて書く、という気力が失われているんですよ。
というわけで、しばらくはネタ系のミュージシャンが続く可能性が高いですが、そのへんは生温かい目で見て頂けるとありがたいです。


今回取り上げるのは、アメリカのハードコア・パンクバンド(と言っていいのか分かりませんが)プラズマティックスです。
様々な伝説を残していて、一部でカルト的な人気を誇っていたバンドですね。日本でもその存在が色物的な興味で取り上げられたので、「ああ、あれね」という感じで覚えている人もいるかもしれません。
自分がプラズマティックスを知ったのは、確か高校1年生くらいの頃でした。ある音楽雑誌を開いてぱらぱらとめくっていたら、彼らの写真が目に飛び込んできたんでした。
その写真がまた尋常なものじゃなかったんですよね。女性ヴォーカリストがトップレス(乳首には絆創膏もしくはニップレスを貼っていましたが)で仁王立ちし、その隣ではバレリーナの格好をしたギタリストが、額から流血しながらギターを弾いていたのですから、それはもう異常なインパクトでした。
他にもその女性ヴォーカリストがチェーンソーを振りかざしている写真や、なぜかステージに自動車が置いてあってそれが火を噴いている写真なんかもあって、まだ若かった自分はしばし呆然としてしまったのでした。


そんなプラズマティックスは、77年に米国ニューヨークで結成されています。
中心人物は元ストリッパーという経歴を持つ女性ヴォーカリスト、ウェンディ・O・ウィリアムズ。またベーシストは日本人の船原長生という人物でした。
彼女たちは先にも書いたような異様な風体と、ギターをチェーンソーで真っ二つにしたりマシンガンをぶっ放したり自動車を爆破したりという過激なパフォーマンスで名を上げ、一気にメジャー契約を掴み取ります。
その派手なライブは人気を呼び、全米ツアーを敢行して大成功。80年の8月8日にはついに英国にも上陸しましたが、あまりに危険だからという理由でデビューライブが中止になるなど、話題には事欠かなかったバンドでしたね。
当時は日本でも『宝島』あたりを中心として、「ついにこんな過激なバンドが出てきた」みたいな叩き文句で話題にされていましたっけ。


The Plasmatics - Butcher Baby


僕が唯一知ってたプラズマティックスの曲。当時ラジオでオンエアされたのを聴きました。
音はまあ単なるハードコア・パンクだな、という感じですが、乳房にシェービングクリームらしきものを塗って乳首に洗濯ばさみを挟んでいるというウェンディの異様な風体と、ギターをチェーンソーで真っ二つにするパフォーマンスはインパクトがあります。
また覆面をしているギタリストは船原長生なんでしょうか。最初のカウントを日本語で「いち、に、さん、し」とやっていますね。


The Plasmatics - Butcher Baby


これも同じ曲で申し訳ないですが、ニューヨークでのライブだそうです。
ライブ会場が最後めちゃめちゃになっちゃって、アホらしいと言っちゃえば確かにその通りなんですが、なんか楽しそうでいいですね。


The Plasmatics -


これは曲名が分からないんですが、81年のカリフォルニア州パサデナでのライブらしいです。
ステージに自動車を持ち込んで、爆破するパフォーマンスが見られます。日本じゃ消防法もありますから、まず再現できないでしょうね。


しかしプラズマティックスは話題にこそなりましたが、セールスはふるいませんでした。
そのパフォーマンスがキワモノ視されたというのもあるんでしょうが、やはり第一の理由は音が凡庸だったから、ということに尽きるのではないでしょうか。
確かにウェンディのダミ声はなかなか迫力がありますが、ヴィジュアルがなければ他のハードコア・パンクより抜きん出ているところは特になかったですからね。


ただウェンディ自身のキャラクター性は買われていたようで、彼女はソロとしても活動しています。


Wendy O. Williams - It's My Life


これは84年リリースの彼女のソロ曲。
ノースタントでオープンカーからセスナに飛び移ったり、女子プロレスの真似事をしたりして、体を張って頑張っています。


またウェンディは女優業にも進出し、ドラマ『冒険野郎マクガイバー』にゲスト出演したり、映画『監獄アマゾネス/美女の絶叫』であのシビル・ダニング*1と共演し、牢名主の女囚といういかにもな役柄を演じています。
並行して88年くらいまではプラズマティックスとしても活動していたようですが、バンドについては見るべき成果はなかったようです。


そんなこんなで頑張っていたウェンディですが、もともと別にルックスが良かったわけでもなく、何か才能があったわけでもなかった彼女は、90年代に入ると表舞台から姿を消してしまいます。
その後コネチカット州で自然食品の店をオープンしたのですがそれもうまくいかず、世を儚んだのか彼女は、98年に自宅近くの雑木林の中で拳銃自殺を遂げてしまいました。享年49。
やっぱりここまで過激なことをやると精神的な負担も大きくて、それで知らず知らずのうちに心を蝕まれてしまったのかな、とも思いますが、とにかく気の毒な最期でした。


余談ですが日本人ベーシストの船原長生は、80年頃にはバンドを脱退しています。
当時世界で活躍する日本人ベーシストは山内テツ(元フリー。ロッド・スチュワートのバックもやっていた)と彼くらいしかおらず、ニューヨークではかなり人気だったようなのですが、もともと彼は映像関係に進みたいという希望を持っていて、それを実現するためにミュージシャンを廃業したのでした。
脱退後の船原はPV制作会社を設立し、RCサクセションRUN D.M.C.のミュージックビデオを手がけたのを皮切りに本格的に映像ビジネスに進出、サンダンス映画祭でグランプリを受賞したヒット作品『イン・ザ・スープ 夢の降る街』の製作総指揮、村上龍原作の映画『トパーズ (東京デカダンス)』のプロデュースを行なうなど、映画界で活躍しています。

*1:オーストリア出身の女優。巨乳が売りの肉体派で、特に収容所の女所長やナチの女将校、刑務所の牢名主などの嗜虐的な役で人気を博した。