アンスラックス

どうもです。
ここのところ7週連続でパンクやニューウェーブを取り上げてきたんですが、その反動でメタルについて書きたくなってしまいまして。
このブログではメタルのウケが悪いんで、できるだけ避けるようにはしていたんですけど、ここ半年くらい取り上げてませんし、ほどほどならまあいいだろうと思いまして、結局書いてしまいました。
今回は運が悪かった、と思って諦めて頂ければ幸いです。


今回取り上げるのはアンスラックスです。「スラッシュメタル四天王」としてメタリカメガデス、スレイヤーと並び称されるバンドで、日本でも結構人気はあります。
さて一口にスラッシュメタル四天王と言いましても、その音楽性はそれぞれ違っています。メタリカは初期こそモーターヘッドをハードコアにしたような音だったものの、90年代からは冷徹なリフを多用した重厚なサウンドになりましたし、メガデスプログレを思わせる複雑な展開を売りにしていましたが、その後正統派のメタルに接近していきました(インダストリアルにも接近したけどこれは失敗)。スレイヤーは唯一頑固にスラッシュに拘っていて、それはそれで頼もしいものがあります。
てはアンスラックスは、と言いますと、ハードコア・パンクやファンク、ヒップホップなど、ストリート・ミュージックを貪欲に取り込んでしまう雑食性を売りにしていました。今考えるとミクスチャーというジャンルのはしりだったかもしれませんね。そのせいか他の四天王のバンドに比べると勢いや遊び心、ユーモアがあって、当時の僕としては一番とっつきやすいバンドではありました。


アンスラックスはハイスクールの同級生だったスコット・イアン(ギター)とダン・リルカ(ギター)を中心として、81年に米国ニューヨークで結成されました。炭疽菌を意味するバンド名は、イアンらがたまたま百科事典で見つけ、「これはメタルだ」というノリでつけられたものだそうですね。
このバンドはメンバーの変遷が激しく、最初はイアンとリルカの他は、リルカの友人だったジョン・コネリー(ヴォーカル)、そしてケニー・クシュナー(ベース)、デイヴ・ウェイス(ドラムス)という顔触れでしたが、その年のうちに3人は脱退してディルク・ケネディ(ヴォーカル)、ポール・カーン(ベース)、グレッグ・ダンジェロ(ドラムス)に代わり、さらに同じ年にケネディが脱退してジェイソン・ローゼンフェルド(イアンの弟)がヴォーカリストの座に就き、またカーンも脱退したためリルカがベーシストにチェンジし、グレッグ・ウォールズがギタリストとして加入するというドタバタぶりでした。
しかし翌年にヴォーカルがイアンの高校時代の同級生だったニール・タービンに代わると活動は安定し始め、ライブを通じてその独自の音楽性が評判を呼ぶようになります。そして83年にギターのウォールズが抜け、代わったボブ・ベリーが2回のライブでクビになりダン・スピッツが加入、ドラムスもチャーリー・ベナンテに代わってほぼラインナップが固まり、このメンバーで84年にニューヨークのインディー・レーベルであるメガフォースから、アルバム『Fistful of Metal』をリリースしてデビューを果たしました。
このアルバムでのサウンドスラッシュメタルと言うよりNWOBHMの影響を受けたパワーメタルっぽい感じで、ポール・ディアノがヴォーカルだった頃のアイアン・メイデンに近い印象を持ちました。ただとにかくスピードが速くて、初期衝動や戦闘性を感じさせるところにパンクな部分が見えましたね。


Anthrax - Deathrider


『Fistful of Metal』のオープニングを飾った曲です。
とにかく速さと勢い、そしてカミソリのような切れ味があって、正統派のスラッシュという感じですね。
タービンのヴォーカルははっきり言ってヘタウマですが、ポール・スタンレーをヒステリックにしたようなシャウトは、これはこれでなかなか味があります。


『Fistful of Metal』はインディーでしたからそれほど売れませんでしたけど評価は高く、アンスラックスは当時勃興しつつあったスラッシュメタルの、アメリ東海岸筆頭格(メタリカメガデス、スレイヤーはいずれも西海岸のロサンゼルス出身)と目されるようになりましたが、この頃イアンとともにバンドを立ち上げたリルカが、金銭トラブルで揉めて解雇されてしまいます。後任には当時アンスラックスのローディーを務めており、ベナンテの甥(年齢は3つしか違いませんけど)にあたるフランク・ベロが加入しました。
新しいラインナップで全米ツアーに臨んだアンスラックスですが、今度は歌唱力に難のあったタービンが解雇されてしまいます。バンドは代わりにマット・ファロンを起用して残りのツアーを乗り切り、その後正式メンバーとしてやはりニューヨーク出身のジョーイ・ベラドナを迎えます。このスラッシュメタル史上最も歌えるシンガーの加入によって、アンスラックスには全盛期のメンバーが揃い、新たな段階に進むこととなりました。
バンドは85年にメジャーのアイランド・レコードから(アンスラックスとメガフォースが契約し、ディストリビュートをアイランドが担当するという形)2ndアルバム『Spreading the Disease』(邦題は『狂気のスラッシュ感染』)をリリースします。このアルバムはハイトーンを織り交ぜたエモーショナルなヴォーカル、ザクザクゴリゴリしたリフ、メロディアスなところと尖ったところのバランスが取れた楽曲群、痛快なくらい高いテンション、そして独特のユーモアと愛嬌が揃った素晴らしい作品で、メタル史上に残る名盤だと思います。ビルボードで113位。
僕が初めてリアルタイムで聴いた彼らのアルバムもこれなんですが、スラッシュメタルなのにメロディーが親しみやすかったため、超過激なポップミュージックという印象を受けましたっけ。一気に聴いてしまいましたね。まあ日本ではその間抜けな邦題とひどいジャケット(ジャケットは1stもひどかったですが)のせいで、かなりネタにもされてましたが。


Anthrax - Madhouse


『Spreading the Disease』からのシングル。
ダウンピッキングでかき鳴らすザクザクのギターリフ、スラッシュメタルのイメージを覆すポップでメロディアスなヴォーカルライン、そして精神病院をネタにした今では絶対作れないであろう不謹慎なPVと、三拍子揃った名曲です。
確かにバカっぽいですし、今聴くと音作りが拙いところもあるんですが、この曲なくしては彼らの成功はあり得なかったと思いますね。


Anthrax - Gung-Ho


『Spreading the Disease』収録曲。
この曲はとにかく速いですね。怒涛のツーバス連打、後半に向けて狂ったようになだれ込む激烈ギターリフに圧倒されつつも、間抜けなサビとラストのアホ丸出しな展開で笑ってしまうという、なんとも彼ららしい曲です。
いろんな意味で「バカ」と呼びたくなる、初期アンスラックスの代表曲ですね。


メジャーからの発売により一気に知名度が上がった彼らは、メタリカらとの全米・欧州ツアーを経て、さらに人気を高めていきます。
また同時期にイアンとベナンテは、かつてのメンバーで当時ニュークリア・アソルトを結成していたリルカと、サイコスというハードコア・パンクバンドのメンバーだったビリー・ミラノ(ヴォーカル)とともにストームトゥルーパーズ・オブ・デス(S.O.D.)というバンドを結成し、85年に名盤『Speak English or Die』をリリースしています。
たった3日間で制作されたというお遊びのプロジェクトなんですが、ハードコア・パンクスラッシュメタルを融合したクロスオーバー・スラッシュというジャンルの先駆的な音で、その斬新なアイディアと遊び心、そして毒まみれのメッセージは強烈でしたね。いつか取り上げる機会があればいいのですが。
それはとにかくとして、アンスラックスは87年に3rdアルバム『Among the Living』をリリースしています。このアルバムはS.O.D.(こう書くとソフト・オン・デマンドみたいですが)での活動に引きずられたのか、ハードコア色をぐっと強めています。そのため前作までの正統派ヘヴィメタルなところやユーモラスな部分が消え、ぶっきらぼうな感じの音になっているんですが、徹頭徹尾ヘヴィかつアグレッシブに攻めているため、スラッシュメタルとしては非常に優れています。全英18位、ビルボードで62位。
また社会問題を取り扱うなどシリアスなところも見せ、節操のない尻軽バンド(スレイヤーのメンバーもこれに近いことは言っていた)との悪評を吹き飛ばしました。


Anthrax - Caught in a Mosh


『Among the Living』収録曲。
これぞスラッシュと言うべき彼らの代表曲。イントロからのテンポチェンジで一気にテンションが上がります。
リフはすぐにコピーできそうなくらい単純ですが、そこがまたカッコいいですし、ベースもなかなか効いています。男臭い掛け声やキャッチーなサビなど彼らならではの要素もあり、ライブでは相当盛り上がりそうですね。


Anthrax - Indians


『Among the Living』からのシングル。全英44位。
個人的にはこれも名曲ですね。エスニックな雰囲気のドラム、哀愁味あるメロディー、ヘヴィなグループ、緩急ある展開が光ります。
歌詞はアメリカがいかに先住民族を迫害・差別してきたかをテーマにした、大変シリアスなものとなっています。ヴォーカルのベラドナは実は先住民族であるイロコイ族の血を引いていて、ステージ上でもネイティブアメリカンの衣装や飾りを身に着けるなど、自分のアイデンティティを前面に押し出していましたっけ。


Anthrax - I'm the Man


87年リリースのシングル。全英20位。
なんとラップをやっています。あまりにもストレートにやっているので、当時大変驚いた記憶があります。
この前の年にRun-D.M.C.エアロスミスのコラボ『Walk This Way』もあったんですけど、あれはハードロックの既存曲とヒップホップの組み合わせであるのに対し、こちらはメタルバンドが自覚的にヒップホップをやってしまったわけで、意味が多少異なるのではないでしょうか。
メタル大好きな人には評判が悪かったんですが、個人的にはこういう何でもありの柔軟な姿勢と、あっけらかんと明るく音楽を楽しんでいるところは評価してあげたいと思っています。
この年にはレッド・ホット・チリ・ペッパーズがラップを大胆に導入した『The Uplift Mofo Party Plan』で注目されたり、ビースティー・ボーイズが『Fight for Your Right』をリリースしたりと、ハードロックとラップの融合が多く試みられた時期でしたね。


88年に彼らは、4thアルバム『State of Euphoria』をリリースしています。
このアルバムではさらにハードコア色が強くなり、ギターのザクザク感などは減っています。また曲も複雑で長くなっており、前のようなバカっぽいノリの良さはほとんどなくなりました。
そのため個人的には若干興味が薄れましたが、雑誌などではおおむね好評だったですし、内容も悪くなかったと思います。全英12位、ビルボード30位。


Anthrax - Antisocial


『State of Euphoria』からのシングル。全英44位。
フランスのメタルバンド、トラストのカバーです。またえらくマニアックなところから引っ張ってきたもんだと思いましたが。
単純な曲なんですが、ノリが良くグループ感もあって、これはかなり気に入っていましたね。原曲も聴いてますが、こちらのほうがずっと出来がいいですし(トラストの方は声がおっさんっぽい)。


90年になると彼らは5thアルバム『Persistence of Time』をリリースしています。
このアルバムはシリアスですね。グランジ勃興前夜の90年という時代性を反映したのか、全体的に怒気をはらんだような感じになっています。
しかし攻撃的なテンションが高すぎるきらいはあって、「スラッシュなのにとっつきやすい」というアンスラックスならではの個性はほぼ消えてしまいました。あと確かに狂気はみなぎっているんですが、その方向性を見失ってるような気もしました。全英18位、ビルボードで24位。


Anthrax - Got The Time


『Persistence of Time』からのシングル。全英16位。
なんとジョー・ジャクソンのカバーです。さすがにメタルバンドがこの曲を取り上げるとは思ってなかったので、一本取られたって気になりましたっけ。
原曲もかなりスピーディーでハイテンションですが、このバージョンはさらにパンキッシュで疾走感を増しています。ベースラインも動きまくっていて楽しいですし。
彼らのカバーセンスは素晴らしいですね。まあヘヴィなこのアルバムの中では、明るい曲調が浮いているのも事実なんですが。


Anthrax feat. Pubric Enemy - Bring the Noise


91年リリースの企画盤、『Attack of the Killer B's』からのシングル。全英14位。
なんとパブリック・エナミーのカバーで、御丁寧に本家を呼んで、本格的なラップメタルに仕上げています。
もともとカッコいい原曲にザクザクリフを加えて、さらにカッコよくなっているのがいいですね。ミクスチャーの理想型だと個人的には思っています。


92年になると、アンスラックスに激震が走ります。バンドのフロントマンであるベラドナが脱退したのです。
原因については未だによく分かりません。当初の報道では友好的な脱退と言われていましたが、後にベラドナの性格が内向的なため、人間関係に支障をきたしていたという話も出てきました。あと『Persistence of Time』あたりのヘヴィネス路線が、メロディアスな歌い回しを得意とするベラドナのスタイルと合わなかったのも一因ではないかと推測しています。
後任のヴォーカリストにはアーマード・セイントのジョン・ブッシュが迎えられ、93年には6thアルバム『Sound of White Noise』がリリースされています。
アーマード・セイントというバンドはワイルドで威風堂々とした、正統派のヘヴィメタルだった(甲冑を身に着けるというステージングのせいで、イロモノ呼ばわりされてはいましたが)ため、ひょっとしたら80年代正統派のメタルに回帰するのかな、なんて思ってましたけど、蓋を開けてみるとパンテラあたりに影響されたのかかなりモダンなアプローチになっていました。もはやスラッシュメタルではなくなってしまいましたが、ヘヴィメタルとしては悪くないと思います。ビルボードで7位、全英14位。


Anthrax - Only


『Sound of White Noise』からのシングル。ビルボードで26位、全英36位。
メタリカのジェイムズ・ヘットフィールドをして「Perfect Song」と言わしめたメロディアスなヘヴィチューン。スピードはありませんが、グループと重量感はかなりのものです。


メンバーチェンジと新機軸への接近で、ぐっとセールスを伸ばしていったアンスラックスですが、その後は見事なくらい迷走していきます。なんかパンテラあたりのサウンドを中途半端に取り入れたような、微妙な感じの音になっていったんですよね。
スレイヤーのケリー・キングが「アンスラックスの弱点は、スコット・イアンやチャーリー・ベナンテのその時点での音楽の好みが、露骨に出過ぎるところだ」というようなことを言っていたんですが、二人がオルタナティブ・メタルに影響を受け過ぎて、安直に後追いした感じになってしまったところを目の当たりにすると、キングは慧眼の持ち主だったなと思わざるを得ません。
結果95年の6thアルバム『Stomp442』が商業的に失敗したため、ついにエレクトラ・レコードから契約を切られ、バンドはメジャーからドロップしてしまいます。またこの年にはスピッツが脱退してポール・クロックに交代しています。
バンドは地味な活動を余儀なくされますが、弱り目に祟り目というのはこのことでしょうか、01年に発生したアメリカ炭素菌事件により変な形でバンド名をクローズアップされ、名前の変更を検討せざるを得ない羽目に陥ってしまいます。これは多くのファンやミュージシャン仲間の励ましもあって、結局変更しないことになったのですが、一時は楽屋でたまたま出会った元レッド・ツェッペリンロバート・プラントに深刻な表情で心配されるくらい、シリアスな問題でした。
またヴォーカリストが安定しなくなり、05年にはベラドナがまさかの復帰をするものの07年には再び脱退したため、一時はスリップノットのコリィ・テイラーが加入することが取りざたされました。
これは結局実現せず、ダン・ネルソンが新ヴォーカリストになるのですが、09年には健康上の理由で脱退(ネルソンはこれを否定して、バンドを相手に訴訟を起こしましたが和解)しブッシュが復帰、しかし翌年にはベラドナがもう一度復帰と迷走し、もう何がなんだか分からなくなってしまいました。その間ギタリストもクロック(この人はサポート扱いだったようですが)からロブ・カッジアーノに代わり、一時スピッツが復帰したものの結局またカッジアーノが戻っています。
現在メンバーはベラドナ、イアン、ジョナサン・ドネイズ(ギター)、ベロ、ベナンテという布陣になっていて、ライブをメインに活動しているようです。とりあえず元気そうで何よりなんですけど。


最後に脱退したメンバーの消息ですが、初期の中心人物だったリルカは、ニュークリア・アソルトやブルータル・トゥルース、S.O.D.などを結成し、アンダーグラウンドの世界で活躍していましたが、去年の10月を最後にリタイアし、バンドも解散しています。
そう言えばこないだテレビで、谷原章介がブルータル・トゥルースのファンだって公表してましたね。地上波に「ブルータル・トゥルース」という単語を乗せたのは衝撃でした。あとつるの剛士もブルータル・トゥルースとナパーム・デスとS.O.B.のライブを観に行って、谷原章介と一緒に物販に並んでいたとか。
オリジナル・ヴォーカリストだったコネリーは、リルカに誘われてニュークリア・アソルトで歌っています。一時的に脱退したこともありましたが、結局最後までリルカと行動を共にしています。
同じくオリジナル・ベーシストだったクシュナーは、ワールド・バンというメタルバンドでギターとヴォーカルを務め、地元ニューヨークで活動しています。
初期のヴォーカリストだったケネディは、80年代半ばから90年代前半にかけて、地元ニューヨークでヒットマンというローカルバンドで活動していました。このバンドはパワーメタルで、インディーズから2枚のアルバムをリリースしています。
同じく初期のヴォーカリストだったローゼンフェルドは、ドラマーに転向していくつかのバンドで叩いています。91年にはレバーエンドというシアトルのスラッシュメタルバンドのメンバーとして、アルバムを1枚リリースしているのが確認できました。
初期のギタリストだったウォールズは、ケネディの結成したヒットマンにいたことがあるようですが、在籍期間は短かったようで、音源はリリースされていません。
デビュー時のヴォーカリストだったタービンは、デスライダーズというバンドを経てソロとなり、単独で来日もしています。またいろいろなバンドにゲスト・ヴォーカリストとして参加しています。
タービン解雇後に一時的にヴォーカリストを務めたファロンは、初期のスキッド・ロウで歌っていましたが、後にセバスチャン・バックに取って代わられています。その後も地元ニューヨークでスティール・フォーチューンというバンドに入っていたようですが、95年以降は活動していないようですね。
初期のドラマーだったダンジェロは、脱退後にホワイト・ライオンに加入し成功しましたが、91年に脱退した後は、元KISSのエース・フレイリーや元オジー・オズボーンザック・ワイルドら、様々なミュージシャンのバックバンドで叩いています。
ブッシュは古巣のアーマード・セイントに戻り、現在も活動しています。今でもステージで甲冑を着けているかどうかは不明です。
ネルソンは現スレイヤー、元テスタメントのポール・ボスタフ(ドラムス)らと、ブラックゲイツというバンドを結成して活動しています。
クロックはアメリカのロックスター、ミートローフの下でギタリストとして活動しています。
カッジアーノはヴォルビートというメタルとロカビリーを融合させたバンドに加入し、13年にはサマーソニックのため来日もしています。
一番異色の道を進んでいるのは、長くリード・ギタリストとして活躍したスピッツでしょうか。彼は幼い頃から興味のあった時計修理の技術を本格的に学び始め、アメリカの時計メーカー、ブローバの運営する技術者を養成する学校に入ります。そしてそこで優秀な成績を収めたのを認められ、スイスにある世界最高峰の時計技術者教育機関WOSTEP(Watchmakers of Switzerland Training & Educational Program)に奨学金を受けて留学し、世界最高レベルの時計職人になるための修行を積みました。
現在彼はアメリカに2ヶ所のサービスセンターを開設し、主にヴィンテージ時計の修理を行う傍ら、世界的に有名な宝飾メーカーであるショパールと契約し、北アメリカ地域で唯一の「複雑な機器専門の時計修理人(Watchmaker of Complications Specialist)」の肩書きを持つ、同社の専属職人としても活躍しています。一時心筋梗塞で手術したこともありましたが、今は無事回復して元気なようです。
また一時は音楽業界からは引退したと伝えられていましたが、現在はメガデスのデイヴ・ムステインとともにレッド・ラムというプロジェクトを結成。自閉症の啓発をテーマとした音楽を発表し、アルバムもリリースしています。双子のお子さんが自閉症だそうなので、かなり苦労したのではないかと思うんですが、頑張ってほしいですね。