ドアーズ

前回スレイヤーのジェフ・ハンネマンの追悼記事を書いたばかりですが、今回も追悼記事になるとは思ってもみませんでした。


ザ・ドアーズのレイ・マンザレクが死去 - amass


ドアーズと言えばジム・モリソンのカリスマ性と、レイ・マンザレクのオルガンというのが二大特徴でしたから、その二つともがこの世から失われたか、と思うと寂しい限りです。
このバンドは中学生の頃から好きでした。偶然ラジオで『Light My Fire』を聴いて、そのサイケデリックなオルガンの音色に衝撃を受けたんですよね。
その後いろいろと勉強して英語の歌詞が読めるようになると、モリソンの歌詞のドラッギーさと、その奥底に見える深遠な部分に再び衝撃を受けたんでしたっけ。
聴き始めた頃、もうモリソンはこの世の人ではなかったという事実も、自分の心の中で彼らを伝説化、偶像化するしたのに一役買っていたのは否めませんが、それを差し引いてもかなり影響は受けていたと思います。自分のフェイバリット・バンドにストラングラーズがあるのですが、彼らを聴き始めたのも、「ドアーズに似てる」と思って愛着を感じたのがきっかけでしたから。


ドアーズはUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の映画科の学生だったモリソン(ヴォーカル)とマンザネラ(キーボード)が出会ったことがきっかけで結成されました。なお彼らの同級生には、のちに映画監督として大成するフランシス・フォード・コッポラもいたとか。
マンザネラはモリソンの書いた詩を読み歌を聴いて感銘を受け、兄のリック(ギター)と、メディテーション・センターで知り合っていたジョン・デンズモア(ドラムス)を誘い、バンドとしての形態を整えたのです。
リックはすぐに脱退してしまいますが、バンドはすぐにロビー・クリーガー(ギター)と女性ベーシスト(この人の名前はどこで調べても分からなかった)を加え、名前をドアーズにし、5人組のバンドとしてロサンゼルスなどでライブ活動を開始します。なお名前の由来はオルダス・ハックスレーのエッセイ『The Doors of Perception』(邦題は『知覚の扉』)から取ったそうです。
ドアーズは瞬く間に人気を集め、それに目をつけたプロデューサーのポール・A・ロスチャイルド*1に誘われて、66年にエレクトラ・レコードと契約します。この時は女性ベーシストは抜けていて、ベースレスの4人組としての契約だったようですね。


67年1月、彼らはアルバム『The Doors』(邦題は『ハートに火をつけて』)を引っさげてデビューします。このアルバムははっきり言って彼らの最高傑作と呼ぶにふさわしい出来で、ビルボードで2位と大ヒット。ドアーズはあっという間にセンセーションを巻き起こし、ジェファーソン・エアプレーンやグレイトフル・デッドらと並び、時代の寵児として持て囃されます。


The Doors - Break On Through (To the Other Side)


彼らのデビューシングル。
普通の人が持っているドアーズのイメージとは違う感じの、アグレッシブな曲ですが、「向こう側に突き抜けるんだ」とシャウトするモリソンはカッコいいです。


The Doors - Light My Fire


言わずと知れた彼らの代表曲。邦題は『ハートに火をつけて』。
全米1位の大ヒット曲でもあります。全英では49位とふるいませんでしたが、91年には再度シングル化され、7位にまで上昇しています。
この曲はやはりオルガンでしょうか。特にイントロのフレーズは大変有名ですね。キャッチーかつサイケデリックで、非常に印象的です。
またアルバムでは間奏が3分以上あり、マンザレクのオルガンとクリーガーのギターのバトルも繰り広げられているんですが、これもなかなか素晴らしいんですよ。
シングルバージョンではカットされているんですが、やはり間奏あっての曲だと思うので、アルバムバージョンも載せておきます。


The Doors - Light My Fire


またこの曲については伝説が残っています。
67年にドアーズが、あの有名なテレビ番組『エドサリヴァン・ショー』に出演した際、歌詞の一節「Girl we couldn't get much higher」がドラッグを連想させるとクレームが入り、当該部分を「Girl we couldn't get much better」と変えて歌うようにテレビ局側が要求したのですが、バンドはそれを無視して生放送でオリジナルどおりの歌詞を歌ったのです。



これがその時の映像です。
面子を潰された形になったホストのサリヴァンは当然激怒し、演奏終了後彼らとの握手を拒絶、その後舞台裏で「二度と出演はないと思え」と詰め寄ったのですが、モリソンは「もう『エドサリヴァン・ショー』は卒業した」とクールに受け流したということです。実際彼らはこれ以降、この番組には出演していません。
ロックがまだ反体制だった頃の、らしいエピソードですね。


それとこれは余談なんですが、この曲のベースを弾いているのは、女性ベーシストのキャロル・ケイです。
彼女は当時珍しかった白人の女性ベーシストで、この作品の他にもビーチ・ボーイズのアルバム『Pet Sounds』、サイモン&ガーファンクルの『Scaborough Fair』、スティービー・ワンダーの『I Was Made To Love Her』(邦題は『愛するあの娘に』)、シュープリームスの『You Can't Hurry Love』(邦題は『恋はあせらず』)などで弾いている腕利きです。
件の名前不明の女性ベーシストがこの人ならすごいのですが、調べてみた限りそうではないようですね。


The Doors - The End


これも彼らを語るには欠かせない曲。12分近くにも渡る大作です。
この曲はモリソンの表現者としての爆発力や衝動が、存分に発揮されているのではないでしょうか。
「これで終わりだ。たった一人の友よ」という絶望的なフレーズから始まり、激情の末「父さん、貴方を殺したい。母さん、貴方を犯したい」と絶叫する歌詞は、エディプス・コンプレックスの極みのようで、何度聞いても強烈です。
この曲は映画フランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』でも効果的に使われていましたので、記憶している方もおられるのではないでしょうか。


The Doors - The Crystal Ship


The Doors』に収録された一曲。邦題は『水晶の船』。
不思議な美しい雰囲気をまとった曲で、聴くだけで彼岸の世界に旅立ちそうになりますね。
ピアノの美しい調べが印象的ですが、「Before You…」で始まるモリソンのヴォーカルにもぞくぞくします。
歌詞は刹那的な恋愛を歌った、非常に分かりにくい内容ですが、デンズモアは後に自伝の中で、「この曲はドアーズというバンド自体を描いたもの」と発言しています。


Light My Fire』の成功でスターの座に就いたドアーズでしたが、そのセックスや死をタームとした歌詞やステージでの言動などのため、彼らは反戦、反体制のシンボルとされ、結果保守層からの攻撃の対象となります。
それが影響してなのかそれとももともとそういう願望があったのか、モリソンはロックスター的なアイコンとして振舞うようになり、ステージでは常にセクシャルなものを連想させる行動を行い、インタビューではメディアが飛びつきそうな、過激でキャッチーな言葉を好んで使用するようになりました。
そのため彼は全米の若者たちから、セックスシンボルとして支持を集めるようになりましたが、長い目で見るとそれが彼の精神を次第に蝕んでいったという側面は否めません。
そんなこんなで喧騒の中、同じ67年に彼らは間髪入れず、2ndアルバム『Strange Days』(邦題は『まぼろしの世界』)をリリースします(ビルボード3位)。


The Doors - Love Me Two Times


『Strange Days』からのシングル。ビルボードで25位。
クリーガーの作曲したポップなナンバーで、キャッチーなリフとセクシーなヴォーカルが何とも印象的です。
「俺を二度愛してくれ。俺はどこかへ行ってしまうんだ」という歌詞も意味深ですね。こうやってモリソンは愛の言葉を囁いていたのだろうかと、邪推してしまいそう。


The Doors - People Are Strange


『Strange Days』収録曲。邦題は『まぼろしの世界』。
クールでキャッチーな曲ですが、「君がよそ者であるとき、人々はよそよそしい。ひとりぼっちのとき、人の顔は醜く映る。求められていない時、女たちは邪悪に見える。気分が沈んでいる時、道はでこぼこだ」という歌詞は、モリソンの孤独を象徴しているのかもしれません。


こうして順調に進んでいたドアーズでしたが、内情は早くも危機的な状況でした。
バンドはこれまで持っていたオリジナル曲を、2枚のアルバムのためにほとんど使い切ってしまっていたのですが、モリソンは精神的な疲弊が激しく、新しい曲を作れるような状態ではありませんでした。
レコーディングにも顔を出さず、出したとしても酩酊状態で使い物にならず、仕方なくモリソン抜きで作業を進めることも多かったようです。
本来モリソンには職業作家的な資質はなく、時間に制約を受けることのない環境で、感じるままに歌を作るタイプだったのですが、レコード会社との契約下ではそんな自由は許されるわけもなく、彼は板挟みのような状態になって苦悩が深まっていったのです。
幸いクリーガーはメロディーメイカーとしての能力が高く、ヒット曲のほとんどは彼の作曲によるものだったため、曲としての質は下がることはなかったのですが、以降のドアーズの作品からは、初期のような鬼気迫る迫力やイマジネイティブな広がりは感じられなくなっていきました。
そんな状況でありながら、バンドは68年に3rdアルバム『Waiting For The Sun』(邦題は『太陽を待ちながら』)をリリースするのです。


The Doors - Hello,I Love You


『Waiting For The Sun』からのシングル。ビルボードで1位、全英15位という大ヒットとなりました。
今までの彼らからは考えられないような、ポップで分かりやすい曲です。個人的には好きですが、ファンの間では賛否両論みたいですね。
この曲はもともとデビュー前にクリーガーが作曲しましたが、自分たちのカラーに合わないとお蔵入りになっていた曲でした。それが1位になるんですから、メンバーの気持ちも複雑だったでしょう。
なおこの曲はキンクスの64年のヒット曲、『All Day and All of the Night』とメロディやコード進行が似ているということで、盗作ではないかと騒ぎになりました。僕は20代になるまでキンクスは『Lola』と『You Really Got Me』くらいしか知らなかったんですが、大人になって聴いたら確かに似てるなと思いましたね。


翌69年には、4thアルバム『The Soft Parade』(邦題は『ソフト・パレード』)がリリースされます。
このアルバムはレコード会社の意向でヒットを狙い、ホーンやストリングスを積極的に導入するなどしてポップな感じになっています。
そのためビルボードで6位、全英16位とヒットはしましたが、オーバープロデュースと見做されたせいもあり、モリソン在籍時の彼らのアルバムの中では、最も評価が低いですね。


The Doors - Touch Me


『The Soft Parade』からのシングル。ビルボードで3位の大ヒットとなっています。
らしくないという評判を踏まえても、個人的にはモリソンの表情豊かなヴォーカルが素晴らしく、かなり良い曲だと思っています。
作詞作曲はクリーガーで、彼のメロディメーカーとしての才能を遺憾なく発揮した作品ですね。なお歌詞はクリーガー夫妻の夫婦喧嘩をモチーフにしているんだとか。


この年モリソンは、またしても伝説的な行為を行っています。3月1日のマイアミでのコンサートで、性器を露出したとして逮捕されたのです。
彼は裁判の結果軽犯罪法で有罪を宣告され、禁固6か月と罰金500ドルを宣告されることとなりました。これによってドアーズは反社会的なバンドというレッテルを貼られ、ライブ活動にも支障をきたすようになっていきます。
なおこの件に関しては、2010年にフロリダ州の知事が特赦を行い、41年ぶりに名誉が回復されているそうです。


そんなバンドを取り巻く狂騒の中、彼らは70年に5thアルバム『Morrison Hotel』をリリースします。
このアルバムでは4人のルーツであるブルースに回帰し、力強さを取り戻していますが、今聴くとどことなくモリソンのヴォーカルには、言い知れない疲労感が貼り付いているように感じる気もしますね。
ただこのアルバムの評判は上々で、ビルボードでは4位、全英12位と前回を越えるヒットとなっています。


The Doors - Roadhouse Blues


『Morrison Hotel』からのシングル。ビルボードで50位。
イントロのギターといいハープといい、もろにブルースなんですが、モリソンのヴォーカルは力強く、何か吹っ切れたような感じがしますね。
シンプルなリズムの組み立てとギターリフは、のちのハードロックにも繋がるところもあり、当時としてはかなり先鋭的な音だったんじゃないでしょうか。


落ち着きを取り戻したバンドは、71年に6thアルバム『L.A.Woman』をリリースします。
このアルバムではこれまでのプロデューサーであるロスチャイルドから離れ、エンジニアのブルース・ボトニックとメンバーの共同プロデュースという形で、一発撮りに近い感じで録音されているのですが、演奏はシンプルかつ力強く、バンドの充実ぶりを示した傑作となりました。ビルボード9位、全英28位。


The Doors - Riders on the Storm


『L.A.Woman』からのシングル。ビルボード14位、全英22位。
雨の音のSEから始まり、囁くように歌われる彼らには珍しい曲調で、特に間奏のオルガンの美しさは、筆舌に尽くしがたい味があります。
陰鬱な歌詞はモリソンやバンドの当時の状況を歌ったもののようで、今考えるとバンドの終焉を暗示していたものなのかもしれません。


何とか立ち直ったドアーズですが、そこへ最大の不幸が襲います。
この頃にはモリソンは、ストレスや放蕩で別人のように太ってしまい、そのため『L.A.Woman』リリース後に休養することを決め、ガールフレンドのパメラ・カースンとともにパリに渡りましたが、71年7月3日にパリのアパートの浴室で変死してしまいます。享年27。
パリの警察は事件性がないと判断し、埋葬前の検死を行わないという信じられないミスをしたため、死因ははっきり分かっていないのですが(当初は心臓発作と発表された)、カースンの証言から現在ではドラッグの過剰投与が原因と考えられています。またアメリカ政府による暗殺説も、根強く唱えられていました。


カリスマ的な魅力を持つフロントマンを失ったドアーズは、バンド崩壊の危機に立たされました。
一時はイギー・ポップを後釜に迎えるプランもあったらしいですが、いろいろな問題があって頓挫したようで、結局マンザレクとクリーガーがヴォーカルをとることとなり、バンドはトリオとして再起を図ります。
しかし2枚のアルバムは商業的に失敗し、モリソンなくしてはドアーズは成り立たないということを証明することとなりました。結局バンドは72年で解散します。


The Doors - The Mosquito


これがモリソン死後のドアーズの音です。
アルバム『Full Circle』からのシングルで、ビルボードで85位を記録しています。
オルガンの音色などを聞くと確かにドアーズのような気もしなくもないのですが、ヴォーカルがあまりにも凡庸で、売れないサイケデリック・ロックのように聞こえてしまうのが難でしょうか。


解散後、78年に『An American Prayer』をリリース(モリソンの詩の朗読テープに、他のメンバーがバックトラックをつけたもの)する以外、彼らの消息は伝わってきませんでした。
しかし79年のコッポラの映画、『地獄の黙示録』で『The End』が使用されて話題になったり、91年にオリバー・ストーンが彼らを題材にした『ドアーズ』という映画を撮ったりして、定期的にその名は喧伝され、さらに伝説と化していきました。




『ドアーズ』は観ましたが、主演のヴァル・キルマーがモリソンになりきっていて、素晴らしい演技でしたね。
しかし映画はモリソンを自制心を失った精神病患者のように描写していて、他のメンバーが不快感を示したというのも有名な話です。


そんなこんなで時が経って、02年に驚くべきニュースが入ってきました。なんとマンザレクとクリーガーが、何を思ったのかドアーズ(一応バンド名は「The Doors of the 21st Century」となっているが)を再結成したのです。
ヴォーカルにはエモーショナルな歌い方が確かにモリソンに似ていると言われれば似ている、元ザ・カルトのイアン・アストベリーという大物を迎え、しかもドラムスには元ポリスのスチュワート・コープランドが加入するというものすごさでした。ちょっとしたスーパーバンドですね。
しかしコープランドは数回のライブで脱退。おまけに耳の不調で参加しないと発表されたデンズモアが、実際には参加要請がなされなかったとし、ドアーズの名前の使用差し止めを求める裁判を起こしました。もう泥沼です。
この訴えは一度退けられ、バンドは03年には来日してサマーソニックにも出演するなど盛んに活動しましたが、後にモリソンの遺族や死亡時のガールフレンドであるカースンまで加わって訴えが再度法廷に持ち出され、結局05年には正式にドアーズの名前の使用差し止め命令が下りました。
バンドはライダーズ・オン・ザ・ストームと名前を変えて活動を続けましたが、アストベリーは今はザ・カルトを再結成しているはずなので、このバンドが最終的にどうなったのかはよく分かりません。


The Doors of the 21st Century - Roadhouse Blues


ドラムスはコープランドではありませんが、これが新生ドアーズのライブです。
アストベリーのヴォーカリストとしての力量が高いので、ドアーズだということを念頭に置かなければかなり良いかもしれません。


などとお決まりの騒動はあったものの、とりあえずメンバーはそれぞれ、いろいろなことをして暮らしてはいたようです。
デンズモアとマンザレクはドアーズ時代に関しての自叙伝を物しています。マンザレクに至ってはドアーズ時代を描いた映画『Riders on the Storm』の監督も務めています。
クリーガーブルー・オイスター・カルトなどのアルバムに参加して、ギタリストとして評価が高かったようですね。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において03年は第91位、11年の更新版では第76位にランクされているのですから、腕は認められているのでしょう。
今回マンザレクは亡くなってしまいましたが、残りの二人はできるだけ長生きしてもらいたいものです。
とにかくご冥福をお祈り致します。合掌。

*1:アメリカのプロデューサー。ドアーズとの活動が有名だが、他にもジャニス・ジョプリンニール・ヤングジョニ・ミッチェルラヴィン・スプーンフル、クロスビー、スティルズ、ナッシュなどのプロデュースも行っている。95年に59歳で肺癌のため死去。