ヴィサージ

もう9月に入ったのですが相変らず暑いですね。
日本の風情とかそういうのはどうでもいいから、一年中秋であってほしいです。本当にたまらん、と愚痴から始まってしまいましたが。
あとこれは私事なんですけど、このブログのページビューが10万を突破しました。なんか一区切りついたような気分で、ちょっとした達成感がありますね。
ここまで頑張ってこれたのも、読んで下さっている皆様のおかげだと思って、大変感謝しています。これからもマイペースでゆるゆる更新していきますので、どうぞ宜しくお願い致します。


今回はニューロマンティックの嚆矢的な存在であるヴィサージです。
ニューロマと言えば普通はデュラン・デュランスパンダー・バレエだったりするのですが、元祖はこの人たちでしたから。


ヴィサージは英国ロンドンで、スティーブ・ストレンジを中心に結成されました。
ストレンジは本名をスティーブ・ハーリントンといい、59年にウェールズで生まれています。
彼はのちにジェネレーションXで有名となり、ソロとしても活躍したビリー・アイドルと同級生だったそうで、その誘いで高校卒業後にロンドンにやって来ました。
この頃のロンドンはパンク全盛時で、彼もクラブで知り合ったクリッシー・ハインド(プリテンダーズ)の協力でバンドを始めますが売れず、クラブDJとパーティー・オーガナイザーに転進します。
そこで元リッチ・キッズのドラマーだったラスティ・イーガンと知り合い、二人で組んでビリーズなるクラブを根城にし、それまで主流であったブラック系のディスコ・ミュージックではなく、デヴィッド・ボウイロキシー・ミュージッククラフトワークなどのニューウェーブの元祖的ミュージシャンの曲ばかりを流すDJとして人気を博すことになります。
当時ストレンジは中世風のファッションに奇抜なメイク、という出で立ちをしており、客がそれをまね始めたのがニューロマンティックのファッションの始まりだと思われます。その客の中にはボーイ・ジョージや、後のデュラン・デュランのメンバーもいました。
ストレンジはロンドンにおいて一種のカルチャー・ヒーロー的な存在でありました。彼が開催する「ボウイ・ナイト」に当のデヴィッド・ボウイが訪れたことがきっかけで、ボウイの『Ashes To Ashes』のPVに出演したということからも、彼の当時の人気ぶりが分かるのではないでしょうか。
また彼はあのYMOの1stアルバムを、いち早くロンドンのクラブで流したことでも有名で、新しいことへの嗅覚は優れていたんでしょうね。


その人気に気を良くしたのか、ストレンジとイーガンは既存の曲を流すだけでは飽き足らなくなり、自らテクノ的なダンス・ミュージックを制作することを思い立ちます。
そこで元リッチ・キッズでイーガンの旧知であるミッジ・ユーロに声をかけてデモ・テープを作成。これが好評だったためビリー・カーリー(キーボード、ウルトラヴォックス)、デイブ・フォーミュラ(キーボード、マガジン)、ジョン・マクガフ(ギター、マガジン、後にスージー&ザ・バンシーズ)、バリー・アダムソン(ベース、マガジン、後にニック・ケイヴ&バッド・シーズ)らを彼らの幅広い人脈を通じて集め、ヴィサージが結成されるのです。
この知ってる人が聞けば歓喜に打ち震え、知らない人が聞けばなんだそりゃと思うある意味豪華なメンバーを擁した布陣は、個人的にはかなり興奮するものがありまして、そのせいでヴィサージには注目していたものでした。


ヴィサージは音的には「よくできたテクノポップ」といった風情で、それはそれでなかなか聴き応えがあったのですが、それよりもなによりも注目されたのが、ストレンジの顔面ペイントでした。
それはメイクというような生易しいものではなく、顔面をキャンバスにして絵を描いていたりしたのですから気合が入っています。日本でもミュージック・ライフ誌がデザインを募集して、確か龍の絵をモチーフにしたものが1位に選ばれていたという記憶があります。
このビジュアルイメージは人々に強烈なインパクトを残しましたが、さすがにけれん味があり過ぎてキワモノととった人も多かったようで、そこは諸刃の剣のようなものではありましたね。


Visage - Fade To Grey


80年にリリースされた彼らのデビュー曲。全英8位。
ストレンジのヴォーカルがやや平坦な感じで惜しまれますが、サウンド自体はなかなかカッコいいのではないでしょうか。
またこのPVで、ストレンジの顔面ペイントの一端が垣間見えます。昔「千の顔を持つ男」ミル・マスカラスという覆面レスラーがいて、試合ごとに覆面のデザインを変えていたのですが、ストレンジはそれのポップス版といった感じでしょうか。


Visage - Mind Of A Toy


81年リリースのシングル。全英13位。
新しいおもちゃを欲しがってはすぐに飽きてしまう男の子と女の子が、成長し恋愛関係に陥った顛末を歌にしたものだそうです。
ストレンジ演じる人形を虐待する青年が、やがて人形たちに逆襲される様を描いているPVは、シュールなセットと演出が光る面白い出来になっています。


Visage - Moon Over Moscow


81年リリースのデビューアルバム『Visage』(邦題は『フェイド・トゥ・グレイ』)に収録された曲。邦題は『モスクワの月』。
音は古いですが、「ロシア版YMO」って感じがして今でも結構好きな曲です。


Visage - The Damned Don't Cry


82年リリースのシングル。全英11位。
泣きメロ全開の哀愁ダンストラックという感じで、なかなか悪くないと思うのですが。



Visage - Night Train


82年リリースのシングル。全英12位。
ホーン・セクションを導入したファンク色の強いソウル・トレイン・ナンバーです。
日本でのビデオテープのCMに使われ、本人も出演しています。


ヴィサージは82年リリースの2ndアルバム『The Anvil』が全英6位を記録するなど、ニューロマンティックの代表格として活躍しました。
そんな中バンドはストレンジのソロプロジェクト化が進んでいき、メンバーは次々と離脱、サウンド面の中心だったユーロも83年頃にはヴィサージから離れていきました。


しかし一時はブームに乗って一世を風靡したヴィサージも、肝心のニューロマンティックが1年も経たないうちに沈静化すると、なまじムーブメントを体現化した存在であったがゆえに、結構強烈な速度で忘れ去られていきました。
持ち上げられた御輿の担ぎ手が突然消え去ったことで、騒ぎの全責任を取らされるような形で、まるで地面に叩きつけられるような感じでシーンから消えたのです。
ヴィサージ解散後ストレンジは、86年にストレンジ・クルーズというダンス・ミュージック・ユニットを結成しますが、ほとんど省みられることなく自然消滅しています。
彼はある意味センスのいいノン・ミュージシャンとも言える存在だったのですが、出現するのが早過ぎましたし、乗ったブームも悪かった、と言えるかもしれません。


その後彼の行方はようとして知れなかったのですが、2000年に突然その消息が明らかになりました。
なんと彼は、南ウェールズのプリシェンドという町で、テレタビーズ(幼児番組。日本でも放送された)の人形を万引きして捕まったのです。
ストレンジは他にも4つの窃盗を認めましたが、「刑務所に入ると自殺しかねない」という弁護士の主張により投獄は免れました。
このニュースを聞いた時は、諸行無常と言うか何と言うかちょっと切なくなったのをよく覚えています。


このまま終わると思われたストレンジですが、05年には「スティーブ・ストレンジ&ヴィサージ・マークII」という名義で復活し、現在も活動しています。
今年に入ってからはユーロやイーガンらヴィサージのオリジナル・メンバーの助けも借りてアルバムをリリースし、またデトロイト・スターズなるユニットも結成してこれもアルバムを制作するなど、なかなか元気なようで何よりです。


【追記】


ヴィサージは2014年5月にについに来日を果たして元気なところを見せてくれ、昔からのファンを安心させてくれました。
しかしそれもつかの間、2015年2月12日に、エジプトの病院にて心臓発作のため亡くなりました。享年55。
どん底まで落ちながらもようやく復活しただけに、突然の死は本人にとっても無念だったのではないでしょうか。せめて安らかにお眠り下さい。