トランスヴィジョン・ヴァンプ

皆さん、こんばんは。久しぶりに水曜日に更新してみましたよ。
いつもは週1更新なんですけど、今は自宅静養中で暇なので、3週間だけペースを上げてみることにしようかと思って書いてみました。
考えてみたら昔は毎日更新していたわけでして、今までがサボっていただけなんですけどね。もう歳だから気力が続かなくて(笑)。
まあたいしたことも書けないと思いますけど、読んで頂けたら幸いです。


今回は前々回からのポップ路線ということで、トランスヴィジョン・ヴァンプを取り上げてみたいと思います。
80年代末に英国に登場し、セクシーな女性ヴォーカリストのウェンディ・ジェイムスの魅力もあって一世を風靡し、そしてすぐ消えてしまったバンドです。
歌は下手だしギターも殺人的なノーテクという困ったバンドだったんですが、音自体はデジタル・パンクといった趣でカッコよかったんで個人的には好きでしたね。


トランスヴィジョン・ヴァンプは86年に、ヴォーカルのウェンディとギターのニック・クリスチャン・セイヤーを中心に結成されました。
ウェンディは幼い頃に養女としてもらわれ、DVも受けるという荒んだ少女時代を送り、16歳で故郷を飛び出してロンドンに渡ります。
そこで大学に通いながら、ブライトンにあるクラブでリズムボックスに合わせてパティ・スミスの曲を歌っていたところ、偶然セイヤーと出会って恋に落ち、バンドを結成することになるのです。
活動を開始するとウェンディのルックスに目をつけられたのか、すぐにメジャーのMCAと契約することになりました。この時には当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった、あのストック・エイトキン・ウォーターマンからのプロデュースの申し入れを蹴った、という新人らしからぬ豪快な逸話も残っています。
まあそれはとにかくとして、バンドはウェンディのセックスアピールを前面に押し出してマスコミに露出すると、これが大当たり。
ウェンディはマスコミに「ブリジット・バルドーの再来」だの「英国製マドンナ」などと持て囃され、一気に大ブレイクするのです。


Transvision Vamp - Tell That Girl To Shut Up


88年4月にリリースされたシングル。全英45位を記録し、初のチャートインとなりました。
この曲はパンク全盛の頃に活躍した女性ヴォーカルバンド、ホリー&ジ・イタリアンズのカバーです。
原曲もポップなロックンロールなんですが、このヴァージョンは電子音を巧みに加えて、より下世話でやかましくかつキュートに仕上げています。
ウェンディのヴォーカルは音痴すれすれの危なっかしさ(これはどの曲にも共通)なんですが、そこが逆にパンキッシュな味を出していると思います。


Transvision Vamp - I Want Your Love


88年6月リリースのシングル。全英5位を記録する大ヒットとなり、次いでリリースされたアルバム『Pop Art』も全英4位となっています。
T.レックスザ・クラッシュなどの影響を感じさせるパンキッシュなポップナンバーで、個人的には非常に好きな曲ですね。
ヴァースの部分は蓮っ葉な感じなのに、サビの部分はキュートという、ウェンディのヴォーカルの使い分けはなかなか見事です。相変わらず歌は下手ですが。


Transvision vamp - Baby I Don't Care


89年4月リリースのシングル。全英3位を記録したほか、この曲を収録したアルバム『Velveteen』に至っては、全英1位という栄冠を獲得しています。
トロッグスの『Wild Thing』やニルヴァーナの『Smells Like Teen Spirit』を連想させるギターリフから始まる、極上のポップ・パンクですね。
歌は前作から進歩なく下手なままなんですが、それが逆にパンクっぽい奔放な雰囲気を醸し出していますし、そこに抜群のメロディが絡んで良質の楽曲になっています。
余談ですがこのアルバムには『Born To Be Sold』というタイトルの曲もありました。「商品になるために生まれて来たのよ」なんて強烈な歌詞を、あっけらかんと歌ってしまうウェンディは潔くて逆にカッコよかったですね。


Transvision Vamp - Landslide Of Love


89年8月リリースのシングル。全英14位。
これまでの曲とは毛色が違っていて、フィル・スペクターをネタにしていると思しきサウンドになっています。
電子音を使ったポップ・パンクというイメージを勝手に持っていたので、こういう引き出しを持っているとは思わず驚いた記憶がありますね。
この年には来日もし、今は亡きインクスティック芝浦でライブを行っています。自分も友人と見に行きました。
ウェンディは確かに可愛かったんですけど下手でしたねえ。演奏はまあ普通だったかな。あと1曲目にトラブルで音が出なくなって、初めからやり直したのを覚えています。


ここまでは順調だったトランスヴィジョン・ヴァンプでしたが、91年頃にはウェンディとセイヤーの仲がギクシャクし始め、暗雲が漂ってきます。
3rdアルバム『Little Magnet vs Bubble Of Babble』(邦題は『リトル・マグネットとザ・バブル・オブ・バブルの対決』)製作時もメンバーの意見が割れ、それでもリリースにはこぎつけたんですが、もう世間には飽きられていたようでチャートインすらしませんでした。
これが痛手となったのもあるのか、バンドはその年の内には電撃解散してしまいます。バンド内で恋愛関係があると、それが終わった瞬間バンド自体が崩壊するというのはよくある話ですが、彼女たちもその轍を踏んだようです。
この3rdアルバムはずいぶん時間が経ってから聴きましたが、ハウスに接近したせいか初期のハチャメチャさが薄れていて、いまいちだった記憶がありますね。


解散後ですが、ウェンディは93年になんとあのエルヴィス・コステロのプロデュースという、あまりにも意表をついた展開でソロデビューします。
そしてシングル3枚とアルバム1枚を発表しますが、世評は芳しくなくやがて姿を消してしまいました。一度来日するという話もありましたが、これも中止になっちゃいましたし。
一応このソロは聴いていますけど、曲の完成度はさすがコステロだけあって高いものの、単にコステロのカラオケをウェンディが歌っている感じで、全然マッチしてなくて困ってしまったのを覚えていますね。
その後はずっと音沙汰がなかったんですが、みんながその名前を忘れてしまった05年に、突然ラシンというバンドで再デビューを果たし、アルバム2枚を発表しています。
ちょっとだけ聴いてみましたけど、ローファイで場末感の漂うガレージ・パンクっぽい音になっていました。ヴォーカルスタイルもややけだるいスタイルに変えていましたが、なんか危なっかしいところは昔のままでした。
ベースのデイブ・パーソンズは、グランジバンドのブッシュのメンバーとして活躍しています。本国では売れてないんですがアメリカではかなり人気があり、元メンバーの中では最大の成功者ですね。
またドラムスのテックス・アクザイルは、元アダム&ジ・アンツのメンバーとMAXというバンドを結成し、それが解散した後は地道にソロで活動しているそうです。
最後にウェンディの彼氏だったセイヤーなんてすが、どうも消息不明のようで調べてみても何も分かりませんでした。きっとカタギになって働いているんでしょうね。