U2

引き続きU2です。前回はアマチュア時代からデビュー当時のことについて書いたんですが、今回は個人的に一番聴いていた『October』『War』あたりの頃をいってみようかと。
それ以降のことになるとちょっと大物になり過ぎてしまって、このブログにはいまいち合ってないんじゃないかという気がしますし、そもそも僕自身がそんなに熱心に聴かなくなってしまったので、まあこのへんまでに止めておくのが無難じゃないかと思いまして。


デビューアルバム『Boy』で一部に注目されたU2は、81年の10月に2ndアルバム『October』(邦題は『アイリッシュ・オクトーバー』)をリリースします。
このアルバムは内容が地味でヒット曲もないこと、あからさまに宗教を連想させるスピリチュアルなフレーズが多いことなどの理由もあって、基本的に評価は低いです。ベストアルバムにもこのアルバムからは一曲も選ばれてないですし、プロデューサーのスティーブ・リリーホワイトも「U2のライブの魅力が反映されていない」と発言していますし、そもそもファンからもあまり人気はないんじゃないでしょうか。
ただ個人的にはバンドの若さと瑞々しい感性が色濃く出ているように思えて、かなり愛聴していましたね。サウンドの透明感、凍てついた冬のような感覚に関しては、彼らの作品の中でもベストなんじゃないかと勝手に感じていたんですが。
ただジャケットは本当にダサくてねえ(苦笑)。『Boy』と『War』の間に挟まれている分、余計にダサさが際立っているような気はします。全英11位、ビルボードで104位。


U2 - Fire


81年7月にリリースされた先行シングル。全英35位、アイルランドで4位。
彼らのシングルで初めて全英チャートに入った曲ですね。もともとは『Saturday Night』というタイトルで、『Boy』の初回盤ではラストにシークレット・トラックとして入っていたんだとか。
まあそれはそれとして、個人的にはそんなに惹かれる曲じゃないと言うか、有体に言ってしまうと凡曲だと思いますね。エコーの使い方にちょっと新しさを感じるくらいでしょうか。
実際この曲についてはボノは「それほどいい曲じゃなかったね」、ジ・エッジは「理想と中身が一致しなかったんだ」と発言しており、出来について不満があることを隠していません。
しかしこの曲には大きなエピソードがあります。U2はこの曲で初めてBBCの人気音楽番組『Top of The Pops』に出演し、それを観ていた14歳の少年がU2の熱烈なファンになったのです。それは誰あろうオアシスのノエル・ギャラガーでした。



これがその時の映像です。
『Fire』だから炎の映像を合成するという演出が、今観るとあまりに安直過ぎて眩暈がしますが、それはこちらがすれてしまったからそう思うだけであって、当時ノエル少年は相当興奮したのでしょう。
今もノエルはU2の熱狂的な大ファンで、普段は暴言吐きまくりなのにU2に関しては基本的に大絶賛です。彼がここまで褒めちぎるのはマンチェスター・シティU2だけなんじゃないでしょうか。
実はギャラガー兄弟の両親は揃ってアイルランド移民なので、そのへんにシンパシーを抱いているのもあるかもしれませんが、それは数ある好きな理由のうちの一つに過ぎず、もう単純に憧れなんじゃないかと思います。ほとんど崇拝してるとしか思えない発言が多過ぎますので。「U2は歴史上もっとも過小評価されているバンド」とか、思わず突っ込みたくなっちゃうじゃないですか。
あまりに好き過ぎて時に苦言を呈してしまうこともあるんですが、それは音楽以外の活動に限られており、音楽に関してはほぼ手放しで大絶賛してますね。ボノもそんなノエルを憎からず思っているようで、いろいろ可愛がっているようです。なんか微笑ましい話。


U2 - Gloria


『October』からのシングル。全英55位、アイルランドで10位。
ボノの熱い叫び、ハードにドライブするジ・エッジのギターが炸裂する、シンガロングできるアンセム的な曲。
しかし躍動するハードなサウンドとは裏腹に、歌詞は母親を神聖化している、聴きようによってはマザコンの極致のような内容になっております。ボノ曰く「女性を精神的に扱い、神を性的に扱ったラブソング」だとか。
当の本人もこの曲が宗教的な匂いが強いことは自覚していたようで、シン・リジィの前座でこの曲を初演奏した時は、拒絶反応が起きないかびくびくものだったらしいですね。結果好意的に受け入れられたので、ほっと胸をなでおろしたそうですが。
またこの曲は、アメリカの保守系雑誌『National Review』が選ぶ、歴代ベスト保守ロックソングの6位に選ばれているそうですが、やはり神や母に言及しているあたりが大きいんでしょうかね。
ちなみにサビの部分の歌詞はラテン語ですが、これは「In te domine」と言っており、「我御身に依り頼みたり」という意味のようですね。


U2 - I Fall Down


『October』収録曲。
ジ・エッジが弾く美しいピアノに導かれて始まる曲で、現在特に評価されてはいないようなんですが、個人的にはこの陰影に富んだリリカルな感じが好きでしたね。
結構ニューウェーブっぽいところがあるので、そこが琴線に触れたのかもしれませんが。


U2 - Tomorrow


『October』収録曲。
アルバムの中でも最も哀感溢れた曲です。イントロでイリアン・パイプス*1をフィーチャーするなど、彼らがアイルランドの伝統に根ざしたバンドであることが、今さらながらに確認できますね。


アルバムリリース後、彼らはJ・ガイルズ・バンドの前座としてアメリカの津々浦々を回り、新たなファンを獲得していきます。
しかし金銭的な成功には程遠く、ツアー終了後スタッフに給料を払うと、ほとんど手元に金が残らなかったとか。さすがのメンバーもこれにはまいったらしく、ヒット曲が必要だと思うようになっていったようです。


U2 - A Celebration


82年3月リリースのシングル。全英47位、アイルランドで15位。
ヒットを狙ったのか妙にはじけた感じがするのが、なんか彼ららしくなくて逆に面白いですね。反語的な歌詞も彼らにしては珍しいかもしれません。しかし残念ながらそれほど売れませんでしたが。
なおPVを撮影した場所はキルメイナム刑務所といい、多くのイギリスに対する抵抗運動の指導者が投獄・処刑された悪名高い場所なんだとか。


またこの時期、U2のメンバーは精神的にかなりギリギリのところまで追い詰められていました。
ボノとジ・エッジ、マレン・ジュニアは敬虔なカトリック信者で、まだアイルランドのローカルバンド時代だった78年から、クリストファー・ローというカリスマ的な指導者に率いられる急進的なカトリック団体、シェロームフェローシップに所属していました。ガチの信徒だったわけで、これを知った時はそのストイックな姿勢はこういうバックグラウンドからくるのかと、妙に納得した記憶がありましたっけ。
で、メンバーはバンドの成功によってある程度金銭的に余裕が出来たため、シェロームフェローシップに対して金銭的な援助を申し出ました。ところがローは「ロックンロールで得た不浄な金など受け取れない」とこれを拒絶し、あまつさえ「バンドよりもっと啓発的な活動に従事すべきだ」とU2を非難したのです。
普通ならこんなことを言われたら怒りだすと思いますし、実際マレン・ジュニアはこれで頭に来てシェロームフェローシップを脱退するのですが、あくまでも良き信徒であったボノとジ・エッジはこれを真剣に受け止めてしまい、音楽と信仰の板挟みとなり、どんどん精神的に追い詰められていったのでした。
悩みに悩んだ二人はついに「ロックンロールは無力で無益なものである」という結論に達し、バンドを脱退することを決め、マネージャーのポール・マクギネスに辞意を伝えます。
マクギネスは優秀なマネージャーでしたが、さすがにこの申し出には驚いたようでした。しかしそこは年の功でしょうか。「すでにツアーは組まれているし、君たちはU2のために働いている人たちに対して法律的、道義的な責任を果たす義務がある」と二人を説得し、何とか辞意を撤回させることに成功しました。
これを見守っていたのが、メンバーの中で唯一無宗教だったクレイトンでした。彼はマウント・テンプル・スクールに転校してくる前に、校則の厳しい寄宿制の学校に通っていたせいで、信仰を持つこと自体を忌避しており、U2の他のメンバーが宗教にのめり込んでいくさまを危惧していたのです。そのへんの経緯はマリリン・マンソンに似ていて、そこも興味深いところではあります。まあクレイトンはマンソンのように、宗教を皮肉ったり挑発したりはしませんでしたが。
平均的日本人である僕からすれば、クレイトンの立場が一番しっくり来るんですが、彼は彼で酒好き、女好きで大麻も吸うなど私生活が奔放過ぎたため、他の禁欲的なメンバーから非難されて仲が拗れ、脱退寸前になったことがあります。人間関係というのはなかなか難しいものですね。
それはとにかくとして、ボノとジ・エッジはこの後ロックと信仰の折り合いをつけることに腐心し、苦しみながらバンド活動を続けていくことを選びました。


そんなこんなでいろいろな精神的な危機を乗り越え、彼らは83年2月に名作の誉れ高い3rdアルバム『War』(邦題は『WAR(闘)』)をリリースします。
このアルバムもジャケットが強烈でしたね。『Boy』のジャケットと同じ少年を起用しているんですが、表情が怒りを帯びており、社会に対して鋭い視線を投げかけるバンドの姿勢を示しているように思いました。



このジャケットに起用されたピーター・ローウェンは、前回も書きましたがボノらの親友であるヴァージン・プルーンズのグッギとストロングマンの弟です。彼は現在写真家となり(Wikipediaの『War』の項目では俳優となっていますが、実際はいくつかの映画で端役を経験しただけですし、本人もあれはたまたまそうなっただけとインタビューで語っています)、U2とも仕事をしたことがあるとか。


このアルバムは『October』までにあった内省的な部分や青臭さが薄れ、より積極的に社会にコミットしていこうとする姿勢が強く見られます。
サウンドは相変わらず冷ややかで硬質で攻撃的で、カミソリのような鋭さすら持っているんですが、社会に対する怒りが加わった分、熱さを隠し切れない部分も出てくるようになりました。その歌詞も相まって、生々しくてリアルな質感がありましたね。
こういう言い方が正しいのかどうかは分かりませんが、この頃までの彼らの音楽には最前線で戦う戦士のような切迫感がありました。この作品以降は将校クラスに昇進して、視野が広がり社会を俯瞰から観る余裕が出来た反面、臨場感やリアリズムのようなものは薄れたと思っています。
まあそれはとにかくとして、この作品はアメリカでも売れまくり、彼らの名を一躍ワールドワイドなものにしました。全英1位、ビルボードで12位。


U2 - New Year's Day


83年1月にリリースされた先行シングル。全英10位、ビルボードで53位。
もともとはボノが恋人で後に妻となるアリソン・スチュワート(現在はアリ・ヒューソンの名で知られる)のために書いたラブソングなんですが、レコーディング中に歌詞が変わっていき、最終的にはレフ・ワレサ*2率いるポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」がテーマの曲に生まれ変わったという、何だかよく分からない顛末を経たナンバー。ボノ曰く「抑圧に対抗する有効な手段としての愛」について歌っているんだとか。
そのへんを抜きにしてもヴォーカルもメロディーもギターリフも高い次元で結晶化されており、非常に印象に残る曲になっていると思います。クールなのに熱く、美しく切ないのに力強いという、U2らしい曲になっていますね。
なおメンバーは全員馬に乗れないかもしくは乗りこなすほどのレベルではなかったため、PVでは地元の十代の女の子たちがメンバーに見えるような扮装をして馬に乗っています。


U2 - Two Hearts Beat As One


『War』からのシングル。全英18位、ビルボードで101位。
クレイトンのベースが躍動していて、当時の彼らとしては割と異色のナンバーだと思いますがカッコいいです。サビが適度に爽やかなのもいい感じかも。
歌詞は割と普通のラブソングなんですが、それもそのはずこの曲はボノとアリが結婚してハネムーンの最中に作ったんだとか。


U2 - Sunday Bloody Sunday


『War』からのシングル。
この曲は北アイルランド紛争における『血の日曜日事件*3』をテーマとしています。
北アイルランド紛争で対立する者同士に和解を促す曲なんですが、当時イギリス政府側は自分たちの責任を認めていなかったため、歌詞の「How long, how long must we sing this song?」という一節が、大変痛切に聞こえますね。
この曲はあまりに刺激的と判断されたのか、シングルカットされたのはドイツとオランダ、日本だけで、オランダでは3位を記録しています。なおU2と言えば政治的なイメージが強いため、アイルランド紛争に関連したことも多く歌っていると思いがちですが、実際はこの曲と『Peace On Earth』くらいなのは意外な事実です。あとこの曲を書いたのはボノではなくジ・エッジです(曲のアイディア自体はかなり以前からボノも温めていたらしいですが)。
そう言えばライブ・エイドでもこれを歌っていましたね。



このチャリティーについてはいろいろ思うことがありますが、それを飲み込んでしまうくらいこの鬼気迫るパフォーマンスにはこちらを圧倒するパワーがあります。


なおこれを歌ったことで、U2IRA*4の暗殺リストのトップに載せられてしまったそうですが、それにも屈することなく歌い続けたあたり、彼らの姿勢は本物だと思います。
またU2は『Pride』で公民権運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアについて歌い、白人至上主義者から射殺すると脅迫されるなど、この手の話題には事欠きません。
個人的に一番印象に残っているのは、あの『悪魔の詩』を書いてイランの最高指導者ホメイニ師から、「イスラム教への冒涜」とされ死刑宣告を受けたサルマン・ラシュディを93年から数年間、ボノが匿っていたらしいということでしょうか。
この小説を邦訳した筑波大学助教授の五十嵐一氏が、大学構内で首を鋭利な刃物で切られて惨殺され、他にもイタリアやノルウェーでも翻訳者が襲われたことからも明らかなように、当時ラシュディに関わることは生命のリスクを伴っていましたが、ボノはそれを省みずに言論の自由を守ろうとしたわけで、そこはさすがと言うしかありません。
自由を叫ぶこと自体は別に難しいことではありませんが、そのために自らがリスクを負うというのは、そうそうできることではありません。ボノが多大な影響力を持つその背景には、こういう姿勢が大きいのではないかと思います。


『War』の成功で世界的なバンドになったU2は、84年にブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、4thアルバム『The Unforgettable Fire』(邦題は『焔』)をリリースしましたが、なんかマイルドになった気がして、個人的にはちょっとピンと来ませんでした。もしかすると僕はスティーブ・リリーホワイトの、冬を思わせるサウンドワークが一番好きだったのかもしれませんね。
87年に出した5thアルバム『The Joshua Tree』も買いましたが、アメリカのルーツ・ミュージック色がさらに濃くなっていて、良い作品だとは思ったんですがなんか違う感が拭えなくて、さらに興味は薄れましたっけ。そして91年の『Achtung Baby』で打ち込みダンスビートに接近したあたりで、レンタルでしか聴かなくなってしまいました。
ただ初期の音のままだったら、世界的なビッグバンドであり続けることは不可能だったというのは分かりますので、そのへんいろいろ難しいですね。作品自体はどれも質が高く、僕の初期U2に対する思い入れが少なかったら、もっと虚心に聴けると思いますし。
あと社会的な貢献はものすごいのは認めてますし、そこについては本当に尊敬していますので、いつまでもその生真面目さを失わずに頑張ってくれればな、と勝手ながら思っております。
それとデビュー以来34年間メンバーチェンジがないというのもすごいですね。まあZZトップのように結成以来45年間メンバーチェンジがないバンドもありますので、上には上がいるって感じになっちゃいますが、メッセージ性の強いバンドって必ず衝突が起こる印象があるので、それを考えるとこれはこれで稀有の存在なんじゃないでしょうか。これからも仲良くやっていってほしいなと、なんか子供みたいで申し訳ないですけどそんなふうに思っております。

*1:アイルランドの民族楽器で、民俗音楽やポピュラー音楽によく用いられる。バグパイプの一種だが皮袋に空気を送り込むのに、演奏者の呼気ではなくふいごを使うのが最大の特徴。

*2:ポーランドの政治家。もともとは電気技師だったが、「連帯」を創設して当時のポーランド政府の政策を批判し、戒厳令により身柄を拘束された。ポーランド自由化後は大統領となりノーベル平和賞も受賞したが、再選はされず政界からは引退し、現在は教育に携わっている。また正しい名字の発音は「ヴァウェンサ」。

*3:1972年にアイルランドのロンドンデリーで起きた、軍隊が非武装の市民を虐殺した事件。デモ行進中の市民がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃され、14名死亡、13名負傷という大きな被害を出した。死者のうち5人は背後から射殺されたとされる。裁判でイギリス軍は無罪となったが、1998年にトニー・ブレア政権において独立調査委員会が発足し、事件の再調査が開始された。結果2010年イギリス側に非があると発表され、デービッド・キャメロン首相がイギリス下院において、イギリス政府として初の謝罪を行った。

*4:アイルランド共和軍北アイルランドをイギリスから分離させて全アイルランドを統一することを目的として、対英テロ活動を行ってきた。90年代後半には和平路線に転じ、05年には武装闘争の終結を宣言し武装解除したが、現在も分派したリアルIRAが何度か無差別テロ事件を起こしている。