ザ・ポーグス

二週連続で追悼記事を書くということになり、今週も誰か好きなミュージシャンが死んだらどうしようと戦々恐々としていたのですが、幸い誰も亡くならなかったようで何よりでした。
やはり人間は健康が一番ですよ。元気で楽しく長生きするということに勝る幸せはありませんから。
自分も早く健康を取り戻して、元気で楽しく暮らしたいものです。


ではさっそく本題にいきましょう。
3回前に取り上げたエルヴィス・コステロは、いろいろなミュージシャンのプロデュースをしていますが、その中で個人的に好きなアルバムはスペシャルズのデビューアルバム『Specials』とザ・ポーグスの2ndアルバム『Rum Sodomy & the Lash』(邦題は『ラム酒、愛、そして鞭の響き』)なんですよね(今考えると「Sodomy」を「愛」と訳すのは、苦肉の策だなと思いますが)。
今回はそこからとりあえずザ・ポーグスのほうを取り上げてみたいと思います。スペシャルズについてもなるべく早く書きたいのですが、あのバンドは派生グループも多いですし、当時の2トーン・スカブームにも言及しなくてはならないでしょうから、もうちょっと先になるかもしれないですね。まあ期待せずにお待ちください。


ザ・ポーグスは80年代半ばから90年代初頭にかけて活躍した、ケルティック・パンクの旗頭です。
アイリッシュ・トラッドなどに代表されるケルト音楽に、パンクのエッセンスを混ぜ込んだその独自の音楽性は、現在でも根強いファンを持っており、特に英国での人気はかなりのものがあります。
自分もこのバンドは大好きでしたね。当時としては特異な音でしたけど、もともとアイリッシュ系の音が好きでしたから、馴染むのも早かったんだと思います。
ザ・ポーグスは酔いどれ詩人のシェイン・マガウアン(発音が難しく「マッゴーワン」「マクガアン」などいろんな表記があるけど、最も一般的なこの表記に統一する)を中心に、82年に英国ロンドンで結成されました。
マガウアンはパンク全盛時にアイルランドからロンドンに出てきて、伝説のクラブ、ザ・ロキシーに出入りしつつ、77年にザ・ニップルエレクターズというバンドを結成します。
このバンドは「乳首を立たせた者」という名前が悪かったのか、後にニップス(これも「乳首」って意味だから、あまり変わってないけど)と改名を余儀なくされますが、インディーズからデビューを果たし、何枚かのシングルをリリースします。


The Nips - Happy Song


これは81年のシングル。プロデュースはなんとあのポール・ウェラーです。
何も考えずに聴ける、ノリの良いパンク・ソングですね。特にベースはカッコいいです。
マガウアンのヴォーカルは、いい感じにしゃがれていて、なかなか味があると思います。


ニップス解散後の82年、マガウアンはメンバーを集めてザ・ポーグスを結成します。
メンバーはマガウアン(ヴォーカル)、スパイダー・ステイシー(ティン・ホイッスル、ヴォーカル)、ジェームズ・ファーンリー(アコーディオンマンドリン等)、ジェム・ファイナー(バンジョー、ギター等)、ケイト・オリオーダン(ベース)、アンドリュー・ランケン(ドラムス)の6人です。なおベースのオリオーダンは女性でした。
バンドは最初、ゲール語で「Kiss my ass」を意味するポーグ・マホーンという名前だったのですが、さすがにヤバかったみたいでBBCで問題となり、深夜帯以外は名前が放送禁止措置となったため、やむを得ずザ・ポーグスに改名したというエピソードもあります。ニップスのときもそうでしたが、これってマガウアンのセンスなんでしょうか。
それはとにかくザ・ポーグスは、84年にシングル『Dark Streets of London』でデビューを果たすことになりました。


The Pogues - Dark Streets of London


これがそのデビュー曲。同年のデビューアルバム『Red Roses for Me』(邦題は『赤い薔薇を君に』)にも収録されています。
アイルランドの片田舎に住んでいる人が、パンクをプレイしたらこうなりました、といった感じの素朴な曲ですが、マガウアンのヴォーカルは異彩を放っています。


1stアルバムは最高位が全英89位と、無名バンドのデビューとしてはそこそこの売り上げを見せ、また各方面から好評を得ることとなります。
そこでバンドは85年にフィリップ・シェブロン(ギター)を加えて7人組となり、エルヴィス・コステロのプロデュースで前述の2ndアルバム『Rum Sodomy & the Lash』をリリースしました。
このアルバムは全英13位を記録するなどしてブレイクし、日本でもここから発売されるようになりました。


The Pogues - a Pair of Brown Eyes


『Rum Sodomy & the Lash』からのシングル。全英72位を記録し、初のチャートインとなりました。邦題は『ブラウン・アイの男』。
しみじみと歌い上げるマガウアンのヴォーカルが、アイルランドだなあと思わせてくれます。


The Pogues - Sally MacLennane


これも『Rum Sodomy & the Lash』からのシングル。全英51位。
ライブでの定番曲ですね。スタジオ盤で聴くとほのぼのしたトラッドのように思えますが、ライブではかなりスピードを上げて、テンションを高めるために使っています。


The Pogues - Dirty Old Town


これも『Rum Sodomy & the Lash』からのシングル。全英62位。
英国フォーク界の大物イワン・マッコールのカバーですが、何度聴いてもしみじみする名曲だと思っています。
放り投げるように歌う愛想のないマクガワンの声が、逆に胸に迫ってきますね。


86年にはプロデュースされたことが縁で、ベースのオリオーダンがコステロと結婚(00年には離婚していますが)することとなり脱退しますが、バンドは後任にダリル・ハント(ベース)を加入させ、他にも著名なフォーク・ロックバンド、スティーライ・スパンのオリジナルメンバーだったというベテランのテリー・ウッズ(マンドリンバンジョー他)も迎え入れ、8人編成へと膨れ上がります。


The Pogues with The Dubliners - The Irish Rover


87年にアイルランドを代表するフォークバンド、ダブリナーズとの連名でリリースしたシングル。全英8位のヒットとなりました。
トラッド・ソングのカバーですが、マガウアンのヴォーカルは勿論のこと、ダブリナーズの人(名前がよく分からない)の歌声も貫禄があっていいですな。


そんなこんなで一般にも名前が浸透していったザ・ポーグスは、ピーター・ガブリエルU2トーキング・ヘッズローリング・ストーンズなどとの仕事で知られる、あのスティーブ・リリーホワイトをプロデューサーに迎え、88年満を持して3rdアルバム『If I Should Fall from Grace with God』(邦題は『堕ちた天使』)をリリースします。
このアルバムは演奏が充実しており、曲も粒揃いの名盤でしたね。彼らの全盛期を象徴する内容で、全英で3位のヒットとなるほか、ビルボードでも88位を記録しています。


The Pogues featuring Kirsty MacColl - Fairytale of New York


87年リリースの『If I Should Fall from Grace with God』からの先行シングルで、彼ら最大の名曲です。邦題は『ニューヨークの夢』。
夢を持ってアメリカに渡ってきたアイルランド系の夫婦が、様々な辛酸を舐めて荒んでいき、互いを罵りあうようになりながらも、心の奥底ではお互いを必要としているさまを描いたこの曲は、全英2位と大ヒットし、英国を代表するクリスマスソングとなりました。
そしてこの曲のすごいところは、毎年クリスマスになるとシングルカットされることで、91年に36位、05年に3位、06年に6位、07年に4位、08年に12位、09年に12位、10年に17位、11年に13位、12年に12位を記録しています。山下達郎の『クリスマス・イブ』のような大定番曲なわけですね。
マガウアンとデュエットしているのは、リリーホワイトの当時の妻でもあった女性シンガー、カースティ・マッコールです。彼女のヴォーカルも素晴らしいですね。
なおマッコールは、00年にメキシコのコスメル島でダイビングをしていた際、船舶進入禁止区域に入ってきたモーターボートに激突されて亡くなりました。享年41歳。


The Pogues - If I Should Fall from Grace with God


『If I Should Fall from Grace with God』のタイトルナンバー。全英58位。
従来のザ・ポーグス節で、ノリのいいダンサブルな曲です。


The Pogues - Fiesta


『If I Should Fall from Grace with God』からのシングル。全英24位。
トラッドとマリアッチを合体させたようなハイスピードナンバーで、聴いていてかなりテンションが上がりますね。
途中スペイン語で歌ったり、コステロとオリオーダンの名前が出てきたりと、お遊び要素も満載です。


The Pogues and Joe Strummer - London Calling


この頃のライブ映像。元ザ・クラッシュのヴォーカルだったジョー・ストラマーをゲストに迎え、彼らの代表曲『London Calling』をカバーしています。
原曲はヘビーなギターのカッティングが緊迫感を出していてカッコよかったんですが、それをアコースティックでやるとこんなにほのぼのした感じになるのか、と驚いてしまいますね。
ストラマーはザ・ポーグスとは縁が深く、ライブでの共演は勿論のこと、90年のアルバム『Hell's Ditch』をプロデュースしたり、一時はメンバーとして加入したりと、ほとんどファミリーと化していましたね。亡くなる前に組んでいたザ・メスカレロスも、ザ・ポーグスの影響が多分にあったと思います。


The Pogues - Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah


88年のシングル。全英43位。89年ビルボードのモダン・ロックチャートで17位。
よりロックンロールに接近した感じで、スカッと楽しいナンバーです。


The Pogues - Summer in Siam


『Hell's Ditch』からのシングル。全英64位。
綺麗なピアノの音が非常に印象的な、じっくり歌い込むタイプのバラードです。


順調に見えたバンド活動でしたが、実はマガウアンは深刻な問題を抱えていました。
それはアルコールやドラッグへの過度な依存です。あまりにもひどいので、シネイド・オコナーによって警察に突き出されたことまであったくらいです。
ステージに穴を開けるなど問題行動を繰り返したマガウアンは、結局91年にバンドを去ることを余儀なくされました。彼は後にポープスという非常に紛らわしい名前のバンドを結成します。
マガウアン脱退後は、もともとセカンド・ヴォーカル的な存在だったステイシーがメイン・ヴォーカルを取るようになりました。


The Pogues - Honky Tonk Women


92年のシングル。全英56位。
言わずと知れたローリング・ストーンズのカバーです。ザ・ポーグスは88年にもこの曲をカバーしており(『Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah』のB面)、彼らのお気に入りのナンバーだったんでしょう。
ステイシーのヴォーカルはマガウアンに似ていて(意識して似せているのかも)、そんなに違和感は感じないですね。なかなか味があります。


しかしザ・ポーグスの運は好転せず、93年から94年にかけて、ファーンリー、ウッズ、シェブロンが次々と脱退するというトラブルに見舞われます。
バンドは3人のメンバーを補充し、95年にはアルバム『Pogue Mahone』をリリースしますが、これは商業的に失敗し、96年には解散してしまいました。


残念な形で解散してしまったザ・ポーグスですが、01年にはマガウアン、ステイシー、ファーンリー、シェブロン、ファイナー、ウッズ、ハント、ランケンという全盛期のメンバーで再結成し、ライブを中心に活動しています。
05年にはフジロック、06年には単独公演で来日も果たしていますし、また本国でのライブでは時々オリオーダンもゲスト参加しているようです。ただシェブロンは末期癌に侵されていて、最近の活動には参加していないようですが(追記:13年10月8日に死去。享年56)。
またマガウアンは俳優としてハリウッドにも進出したい意向のようで、そのため不摂生で抜け落ちてしまった歯を治療してくれる歯医者さんを探しているそうです。なんかそのへんの呑気さも、酔いどれの彼らしいお気楽さで良いですね。