イップ・イップ・コヨーテ

どうもです。
2週にわたってU2について書いたんですが、ビッグネームでしかも超シリアスなバンドなので、下手なこと書けないなと思いつつやってたらかなり肩が凝ってしまいました。
やはりこのブログは忘れられたバンドとか一発屋とかイロモノとかそういうのを、軽々しく取り上げるほうが向いているんでしょうね。改めて痛感しました。
というわけで今回は初心に帰って、イロモノ系でいってみましょう。カウパンクの華、イップ・イップ・コヨーテです。これは結構な度合いで忘れられてるというか、そもそも知らない人も多いんじゃないでしょうか。
てかカウパンクというジャンル自体がマイナーなので一応説明しておきますけど、早い話がカントリーやブルーグラス、ロカビリーの要素を取り入れウエスタン風味に味付けしたパンクと言うか、オルタナティブ・カントリーの変種と言うか、まあそんな感じの音です(ざっくり過ぎ)。
代表的なバンドを挙げようとしてもソーシャル・ディストーション、ジェイソン&ザ・スコーチャーズ、スーパーサッカーズといったいまいち知られていない顔触れしか思い出せないというマイナーなジャンルなんですが、サイコビリーあたりと関連付けられて語られることも多く、今も各地に根強いファンを持っています(と思う)。
そんなカウパンクですが、僕が最初に名前を聞いたのは82、3年くらいでした。当時ストレイ・キャッツを筆頭とするネオ・ロカビリー・ブームが盛り上がっていて、そのバリエーションみたいな感じで紹介されたんでした。
そのムーブメント自体はファッション先行でいかにも作られた感じが強く、どのバンドもパッとせずにすぐに消えちゃったんですが、その中でも一番印象に残ったのがイップ・イップ・コヨーテでした。
ただ印象に残った理由というのは音楽性が優れていたとかそういうのじゃなく、単に胡散臭かったからですね。女性ヴォーカルをフロントに据えたところと企画もの丸出しな感じが、バウ・ワウ・ワウを西部劇っぽくアレンジした感じで、いかにもインチキ臭くて僕好みだったので。
ちなみにどういうわけか当時のカウパンクには女性がフロントだったバンドが多くて、他にもヘレン・アンド・ザ・ホーンズとかシレラ・シスターズ(バナナラマの追加メンバー、ジャッキー・オザリバンがヴォーカルだった)なんてのを思い出します。どれも泡沫バンドですぐいなくなった記憶があるんですが、機会があったら取り上げてみたいですね。


さてイップ・イップ・コヨーテですが、ケンジントン・ハイ・ストリートの古着屋で店員をしながらモデルもやっていたフィフィ・コヨーテ(ヴォーカル)がカール・エヴァンス(ギター)、イグ・ホワイト(ベース)、フォルカー・ボンホフ(ドラムス)といったメンバーを集め、おそらく83、4年頃(資料が少なくてよく分かりません)に英国ロンドンで結成されました。エヴァンスはザ・シェフというバンドでインディーズから2枚のシングルをリリースした経験があります。ホワイトはデビュー当時18歳のティーンエイジャー、ボンホフは名前からしてドイツ系のようですね。
彼女たちはどういう経緯なのか分かりませんが、84年にアメリカのインディー・レーベルI.R.S.からシングル『Dream of The West』でデビューを果たします。I.R.S.はポリススチュワート・コープランドの兄マイルズが設立したレコード会社で、当時メジャーのA&M傘下でした。R.E.M.やゴーゴーズ、ファイン・ヤング・カニバルズらをアメリカでヒットさせるなど、インディーとしては実績も豊富でしたから、これは恵まれたデビューと言ってもいいのではないでしょうか。
『Dream of The West』は英国で小ヒットしたくらい(インディーズにしては上出来でしたけど)だったんですが、一応モデル出身の女の子をフロントに据えたことがマスコミの目に止まったのか、当時宣伝され始めていたカウパンクのスター候補として、あちこちのメディアに取り上げられるようになります。日本でちょっとだけですけど紹介されたのも、多分この頃なんじゃないかと思いますね。


Yip Yip Coyote - Dream of The West


彼らのデビューシングル。全英97位。
マカロニ・ウエスタンとネオ・ロカビリーの合体という感じで、けれん味たっぷりでインパクトだけはすごいです。
とにかくこのやらされてる感が素晴らしい。これはマルコム・マクラーレンのプロデュースなのかとつい疑ってしまうほどで、まがい物の臭いがぷんぷんして個人的には最高ですね。
フィフィのヴォーカルはヘタウマを超えて単に素っ頓狂なだけなんですが、モデル出身だからなのかファッションだけはばっちり決まってます。『i-D MAGAZINE』や『THE FACE』といったあちらのファッション雑誌でも大きく取り上げられたそうですが、それも納得ですね。ルックス自体は好みでも何でもないですが。
ちなみにプロデューサーはジェシー・ジェイムズ*1となっていますが、これはアメリカ西部開拓時代のガンマンの名前でこのへんも変に凝ってるなと感心します。実は正体が誰だか未だに分かってないんですけど、もしかして本当にマクラーレンの変名だったりして。


Yip Yip Coyote - Pioneer Girl


同年にリリースされた彼らのセカンドシングル。
なんとプロデューサーは元ニュー・ミュージックの中心人物で、キャプテン・センシブルやネイキッド・アイズなどのプロデュースで知られた売れっ子トニー・マンスフィールドです。
ロカビリーとカントリーをごっちゃにしたようなイップ・イップ・コヨーテと、テクノポップの申し子マンスフィールドってどう考えても食い合わせが悪そうなんですけど、いざ聴いてみると意外にしっくり溶け合っているような気がしますね。
バンジョーフィドル、牛の鳴き声などをサンプリングした電脳カントリー・ウエスタンで、これはこれでなかなかの珍味なのではないでしょうか。



こちらはマンスフィールドがリミックスした12インチ版。
思いっきり遊び倒していて、マンスフィールド節が冴え渡っております。


彼らは翌85年、イリーガル・レコード(これもマイルズ・コープランドの作ったレーベルで、当時I.R.S.の英国でのディストリビュートを担当していました)からアルバム『Fifi』(邦題は『憧れのカウパンク・ガール』)をリリースします。
プロデュースはシングル以外は1曲を除いてデイブ・ラフィってなってるんですが、この人はなんとアズテック・カメラの『High Land、Hard Rain』などでドラムを叩いていた人です。ちなみに除く1曲のプロデュースはアート・オブ・ノイズのアン・ダドリーでした。


Yip Yip Coyote - Cry Like the Wind


『Fifi』収録曲。これがダドリーのプロデュースした曲ですね。
アート・オブ・ノイズの人が手がけているのでもっとフェアライトとかバリバリ使ってるのかなと想像しましたけど、予想以上に本来の持ち味を大事にしようとしたのが分かる仕上がりになっています。
エスタン風ですがベースはかなりブリブリいってて、まあまあいけるんじゃないかなと思いましたね。


しかしこのアルバムはさっぱり売れず、イップ・イップ・コヨーテはそのまま活動を停止してしまいます。07年にはCD化もされた(VINYL JAPANから日本盤も出た)んで一応聴きましたけど、これといったものがない曲が多く一回聴けば十分って感じの凡庸な内容でした。
やはり企画ものだったので、売れないと分かった途端に切られちゃったんですかね。イロモノの宿命と言ってしまえばそれまでですが、あまりにもあっさりしてるんでちょっと気の毒な気もします。ビジネスってシビアですよね。
たとえ出発が企画ものでもそれを超える実力があれば、メジャーになることも可能なんですけど、さすがにそういうケースはなかなかないですし、そもそも彼女たちの場合は実力自体あるのかどうかも怪しかったですから、まあ仕方ないんでしょうね。


メンバーの消息についてはそのほとんどが不明ですが、唯一ホワイトだけはその後も頑張っています。
彼はイップ・イップ・コヨーテ解散後にブラザー・ビヨンドというポップバンドのオリジナルメンバーになりました。このバンドは後に売れっ子ストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースで全英トップ40ヒットを5曲出すなど成功するのですが、間が悪いことにホワイトはその直前に脱退しています。
しかし彼はその後ソングライターとして開花、ウィル・ヤングに提供した『Leave Right Now』で03年に全英1位、アデルに提供した『Chasing Pavement』で08年に全英2位、ビルボードで21位、ダフィーに提供した『Warwick Avenue』(ダフィー自身との共作)で08年に全英3位、ダイアナ・ヴィッカーズに提供した『Once』(キャシー・デニスとの共作)で10年に全英1位を獲得するなど、ポップスのフィールドでいくつも大ヒットをものしていますね。
他にもカイリー・ミノーグセリーヌ・ディオン、ジェームス・ブラント、サム・スミスシャルロット・チャーチフローレンス・アンド・ザ・マシーン、ビヴァリー・ナイトなどに曲を書いていますし、英国で最も権威のあるアイヴァー・ノヴェロ賞も二度受賞(04年に『Leave Right Now』でベストソング賞、09年にソングライター・オブ・ザ・イヤー)しています。また『Chasing Pavement』でグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた経験もあります。
まさかああいうイロモノバンドのメンバーに、そんな才能を持った人がいるとは思わなかったので驚きましたが、当時彼はまだ10代でしたから思うように実力を発揮できるような状況ではなかったんでしょうね。
とにかく一人でも音楽で成功した人がいるというのは、他人事とはいえ嬉しいです。

*1:アメリカの無法者。南北戦争の際に南軍のゲリラ部隊に加わって殺人や強盗を覚え、終戦後は兄フランクや戦友らとともにジェイムズ=ヤンガー・ギャングを結成し、銀行や列車を襲って金品を奪い人を殺した。世界初の銀行強盗は彼である。結果賞金首となり、最後は仲間に裏切られて射殺されるが、甘いマスクの美男子で敬虔なキリスト教徒だったこと、そして強奪の対象を実業家らに限定していたこともあり、その死は民衆に惜しまれ後に伝説化した。タイロン・パワー、ロバート・ワグナー、ロバート・デュヴァル、ウィリー・ネルソン、コリン・ファレルブラッド・ピットらが映画で彼の役を演じている。