ビッグ・カントリー

どうもです。台風が来るようですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こちらはワールドカップが佳境に入っているため、すっかりそちらに夢中です。おかげで睡眠時間が短くなり気味で大変ではあるんですが。
今日も準決勝のアルゼンチンvsオランダ戦がこれからあるんですよね。ですからさっさとこれを書いて観戦に集中したいのですよ。
というわけで、今回は多少端折り気味になると思うんですが、事情が事情ですので御了承願えれば幸いです。


さて今回は前回書いたザ・スキッズの派生バンドということで、ビッグ・カントリーを取り上げてみようかと思います。
このブログを読まれている方々なら、彼らの代表曲『In a Big Country』は御存知なのではないでしょうか。この曲は当時ヒットしましたからね。
ただこれ以外の彼らの曲を知っている、という方は少ないかと思います。日本とアメリカでは思いっきり一発屋扱いされてますし、それも仕方のないことなのかもしれません。
しかし彼らは本国イギリスでは、シングルを15曲、アルバムを9枚全英トップ40に送り込んでいて、2013年にもアルバムがチャートインしているという、非常に息の長いバンドです。
英国限定ではありますが愛されているバンドなんですよね。まあ僕も今回調べてみるまで、そんなに長く活動しているって知らなかったんで、大きなことは言えないんですが。
というわけで、今回は彼らの長い活動の中から、全盛期である80年代を中心に掻い摘んで紹介していきます。


ザ・スキッズを81年に脱退したスチュワート・アダムソン(ヴォーカル、ギター)は、故郷であるスコットランドのダンファームリンに帰り、そこで旧友のブルース・ワトソン(ギター)、ピート(キーボード)とアラン(ベース)のウィシャート兄弟、メンバーズやスピッツエナジー(アスレティコ・スピッツ80)に在籍経験のあるクライブ・パーカー(ドラムス)とバンドを結成します。
このバンドはアリス・クーパーの前座を務めるなど地元で活動していましたが、評判はいまいちだったようで、すぐにウィシャート兄弟とパーカーは脱退してしまいました。
アダムソンらが失意に打ちひしがれる中、英国フォノグラムのディレクターであるクリス・ブリッグスから声がかかります。ブリッグスはかつてABCレコードに在籍していた時、ダイアー・ストレイツデフ・レパードと仕事をしたことがある実績の持ち主で、ザ・スキッズ時代のアダムソンとも面識がありました。
ブリッグスはアダムソンに才能を見出したのか、彼とワトソンをロンドンに招き、何本かデモテープを録音させ、またトニー・バトラー(ベース)、マーク・ブレゼジッキー(ドラムス)を紹介します。
バトラーは短期間だけですがプリテンダーズに在籍したことがあり、またブレゼジッキーはCM音楽の制作をしている人物でしたが、双方ともアダムソンとは面識がありました。二人はかつてザ・フーピート・タウンゼントの弟サイモンが率いていたバンド、オン・ジ・エアーのメンバーで、当時ザ・スキッズの前座を何度か務めたことがあったのです。
そのため四人はすぐに意気投合し、ビッグ・カントリーを結成、フォノグラムとの契約も得て82年にシングル『Harvest Home』でデビューを果たすこととなるのです。プロデューサーは超大物クリス・トーマスでしたから、フォノグラムの期待の大きさが分かるというものです。


Big Country - Harvest Home

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これがそのデビューシングル。全英91位。
商業的にも批評的にもパッとせず、またメンバーも音楽性に関して不満を抱いたため、結果トーマスのプロデュースで行われていたアルバム制作は中断し、プロデューサーはスティーブ・リリーホワイトに変更となりました。
一応ザ・スキッズという前歴があるとはいえ、一介の新人バンドのために二人の大物プロデューサーをあてがうんですから、フォノグラムはビッグ・カントリーが売れるという確信があったんでしょうね。
ギターリフもカッコいいですし、曲自体は個人的には悪くないと思うんですが、デビューシングルにしては地味かなあ。


プロデューサーがリリーホワイトに代わると、両者の個性が上手く融合したのか、バンドはどんどん上り調子になっていきます。


Big Country - Fields of Fire

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83年リリースのシングル。全英10位、ビルボード52位。
彼らの最初の大ヒットですね。お得意のバグパイプ調のギターが高らかに響き渡り、何とも言えぬ高揚感が湧き上がってきます。
間違いなくロックなんですけど、トラッドっぽいフレーバーをまぶして土の匂いをさせているあたり、メン・アット・ワークなんかにも通じるものがあるかもしれません。まあこちらのほうが大分ソリッドですが。


Big Country - In a Big Country

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83年にリリースされた彼ら最大のヒット曲。ビルボード17位、全英17位。
独特のバグパイプに似たギター音が醸し出すスコットランド臭さ、享楽的な音楽が多かったこの時代とは相容れなさそうな武骨さが、逆に冒頭から絶好調のリリーホワイト独特の先進的なドラム音や、アダムソンのポップなメロディセンスと微妙に融合し、奇跡的なバランスで成り立っている名曲です。
この曲は結構好きでして、忘れた頃にふと思い出して聴きたくなる、不思議な魅力があるんですよね。途中の剛竜馬も真っ青の「ショアッ」を聴くと、理屈抜きで盛り上がってしまいます。


この年バンドはデビューアルバム『The Crossing』(邦題は『インナ・ビッグ・カントリー』)をリリース、全英3位、ビルボードで18位とヒットさせています。
実は僕がアルバムをリアルタイムで聴いたのはこれだけなんですが、馬力と情熱で押し切りつつも、スコティッシュな哀愁も感じられる好作品だと思いましたっけ。


Big Country - Chance

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『The Crossing』からのシングル。全英9位。
ロディアスでかつ実直な感じのするバラードですね。トラッド・フォークの影響も大いに感じられます。


Big Country - Wonderland


84年のシングル。全英8位、ビルボード86位。
哀愁があると言えばそうだし、田舎っぽいと言っちゃえばそれもまた正しいのですが、何とも懐かしい感じがして個人的には好きですね。


同年彼らは2ndアルバム『Steeltown』(邦題は『スティールタウン ビッグ・カントリーII)をリリースすると、これが全英1位(ビルボードは72位)に輝く大ヒットとなり、彼らは人気の絶頂期を迎えます。
このアルバムは後に聴きましたが、前作のような勢いはないもののメロディ重視で落ち着いた感じがして、音楽的な成熟を感じましたね。


Big Country - Where The Rose Is Sown


『Steeltown』からのシングル。全英29位。
シングルにしてはいまいち地味な気もしますが、骨太で実直な感じは好感が持てます。こういうところが逆に愛されたのかもしれませんね。


その後も彼らは順調にヒットを飛ばします。86年リリースの3rdアルバム『The Seer』は全英2位(ビルボードでは59位)、88年リリースの4thアルバム『Peace in Our Time』は全英9位(ビルボードでは160位)と高い売れ行きを示し、4thアルバムリリース後にはソ連のモスクワでの公演も実現させています。


Big Country - Look Away

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『The Seer』からのシングル。全英7位、ビルボードのメインストリームロックチャートで5位。
スコティッシュな男臭さ満載のフォーキーな曲ですね。ギターの音色がこちらの琴線に触れてきます。


Big Country - One Great Thing


『Peace in Our Time』からのシングル。全英19位。
サウンドは多少アメリカ市場に寄せてきた感はあるんですが、どうしてもスコティッシュっぽさが抜けないのが彼ららしいです。


Big Country - King of Emotion


これも『Peace in Our Time』からのシングル。全英16位。ビルボードのモダンロック・トラックスチャートで11位。
黒人コーラスなども入れて、さらにアメリカ市場を意識した音になっていますが、根っこの部分にはスコティッシュ魂が息づいているように感じますね。


90年に入るとブレゼジッキーが脱退してしまいますが、バンドは後任にパット・アーヘムを迎え、さらに精力的に活動を続けました。この年にはベスト盤『Through A Big Country Greatest Hits』をリリースし、全英2位に叩き込むなど健在ぶりをアピールしています。
しかし翌91年リリースの5thアルバム『No Place Like Home』が全英28位と期待外れの売り上げに終わると、だんだんバンドの勢いは落ちていきました。
その後はシングルもアルバムもチャートに入ることは入るんですが、音が飽きられたのかそれともアメリカナイズされたのがファンの離反を招いたのか、かつてのような活躍は見られなくなっていきます。



Big Country - Alone


93年の6thアルバム『The Buffalo Skinners』からのシングル。全英24位。
かつての自分たちを取り戻そうと思ったのか、飾り気のないストレートで男っぽいロックンロールになっています。


95年にはブレゼジッキーが復帰し全盛期のラインナップに戻るんですが、バンドはいまいちまとまりきれないまま、惰性のような形で活動を続けていきます。
低迷する状況に悩んだアダムソンは精神的に追い詰められ、どんどんアルコールに耽溺するようになりました。
そして99年11月、アダムソンはグラスゴーで行われるブライアン・アダムスの公演の前座を務める直前、休養が必要だとのメッセージを残して失踪してしまうのです。
しかし運が悪い時はこんなものなんでしょうか。同じ日にオアシスのリアム・ギャラガーも失踪したため、アダムソンの失踪はメディアから相手にされず、ほとんど記事にすらなりませんでした。
これにショックを受けたのでしょう。アダムソンのアルコール中毒はさらに悪化し、ついには離婚して妻や子供とも別れることとなり、その最悪の精神状態の中、ビッグ・カントリーは00年のフェアウェル・ツアーを最後に解散してしまうのです。


解散後ですがアダムソンは、翌01年の11月に再び失踪。そして翌月の16日にホノルルのホテルの一室で縊死しているのが発見されました。享年43。
葬儀にはビッグ・カントリーとザ・スキッズのメンバー、先述のサイモン・タウンゼント、ザ・スキッズのプロデューサーを務め、アダムソンのバグパイプ風ギターの元ネタにもなったビル・ネルソン、元ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロコックニー・レベルのスティーブ・ハーレイ、アダムソンの遺児らが参列し、またU2のジ・エッジが追悼の言葉を寄せています。
ワトソンとブレゼジッキーはサイモン・タウンゼント、そして元ザ・ジャムのベーシストだったブルース・フォクストンとともにカスバ・クラブなるバンドを結成し、1枚のアルバムをリリースしています。
バトラーはソロ活動を開始し、初期のビッグ・カントリーにそっくりな音を出している他、ピート・タウンゼントロジャー・ダルトリーのレコーディングにも参加しています。またコーンウォールの大学で音楽も教えているそうです。
それと07年にはワトソン、バトラー、ブレゼジッキーが集結して、ビッグ・カントリーを再結成しています。
この時は一時的な結成に終わったんですが、10年にはヴォーカルにジ・アラームのマイク・ピータースという大物を迎え、本格的に再始動。アルバムもリリースしています。
現在バトラーとピータースは抜けてしまいましたが、代わりには元シンプル・マインズのデレク・フォーブス(ベース)というこれまた大物を迎え(ヴォーカルはサイモン・ハフという知らない人)、地道に活動しているようです。
また初期のキーボード・プレイヤーだったピート・ウィシャートは、現在スコットランド下院議員を務めています。彼はスコットランド国民党に所属し、下院の院内幹事長の重責を担うほか、議員仲間でバンドも結成しているんだとか。
同じく初期のドラマーだったパーカーは、ポップ・ウィル・イート・イットセルフ、リヴィング・カラー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ディーコン・ブルーなどのサポートを務めていたようです。