デペッシュ・モード

お盆休みですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分も人並みに休みを頂いておりますが、毎日暑くて死にそうです。
もうちょっと湿度の低い国に移住したいななどと、まったく現実性のない妄想をしつつ、今回も適当に更新致しますので、暇だったら読んで下さいな。


さて今回はデペッシュ・モードの続きですね。
インダストリアルの要素を持ち込み、歌詞も社会に対する批判や意味深なニュアンスを秘めるようになった彼らは、アイドルバンドというイメージを一掃することに成功し、シリアスなミュージシャンとして評価されるようになりました。
しかし英国や欧州では人気者になったものの、所詮はインディー・レーベルであるミュート・レコードに所属している悲しさで、ワールドワイドな成功(要するにアメリカでの成功ということ)を得るまでには至っていませんでした。
そんな彼らが起死回生の一発を放ったのは84年でした。『People Are People』がついにアメリカでも受け入れられ、彼らは念願の世界的なスターとなるのです。


Depeche Mode - People Are People


84年のシングル。全英4位。ビルボード13位。
メタルパーカッションをフルに使って、硬質かつアグレッシブなビートを展開したこの曲は、新世代のダンス・ミュージックとして、欧米の若者たちに熱狂的に受け入れられました。
また歌詞も人種差別や暴力に正面から取り組んだ深いもので、反レイシズムを象徴するアンセムとして、数多くのミュージシャンがカバーする名曲となっています。


Depeche Mode - Master and Servant


これも84年のシングル。全英9位。ビルボード87位。
タイトル、歌詞の内容、鞭の音や鎖の音などが、思いっきりSMプレイを想起させるものだったため、アメリカでは多くのラジオ局が放送を自粛し、ヒットはしなかったんですが、英国ではBBCでも普通に流されて(ただBBCでも放送禁止は検討されたらしい)、ヒットを記録しています。
ライブでは必ず盛り上がる定番曲で、エレポップとインダストリアルの要素がバランスよく配合されていてなかなかカッコいいです。


この年の10月には4thアルバム『Some Great Reward』もリリースされました。
サンプリングが多く取り入れられ、初期の頃とは違って普通のシンセでは演奏できないような音に仕上がっていますが、メタル・ビートと言っていい硬質で攻撃的なサウンドと、挑発的なテーマの楽曲の並んだことで話題を呼び、全英5位、ビルボード54位とセールス的には成功しています。
またこの頃からメンバーは、黒い革ジャケットやエナメルの服に身を包むようになり、まるで一時期のフレディ・マーキュリーヴィレッジ・ピープルを思わせる感じに変貌していったのですが、割と整ったルックスのメンバーが多いことが幸いしてか、ゲイからの爆発的な人気を得るという副産物も生じています。


Depeche Mode - Blasphemous Rumours


『Some Great Reward』からのシングル。全英16位。
自殺を図った少女がかろうじて一命を取り留め、そこでキリスト教に目覚めてそれに帰依するものの、その途端事故に遭って死ぬというものすごく性格の悪い歌詞を、ダークな音に乗せて歌っています。
神を敵に回すような過激な歌詞のおかげで、敬虔なプロテスタントの多いアメリカのラジオ局では、やはり放送禁止になりましたが、英国ではテレビ番組でも歌われました。
このへんはお国柄の違いでしょうね。アメリカって結構キリスト教の縛りってすごいらしいですし。
重苦しいながらも甘美なところもあるサウンドは、その後の彼らの路線を示していたとも言えるかもしれません。


Depeche Mode - Shake The Disease


85年のシングル。全英18位。ビルボードのダンスチャート33位。アルバム未収録。
ダンサブルなビートとポップなメロディを持ちながら、佇まいはあくまでクールという、当時の彼ららしい路線の曲ですね。


Depeche Mode - Stripped


86年のシングル。全英15位。
ゴアが当時はまっていたらしいゴシックでデカダンなメロディーと、ワイルダーの作り上げた肉体的なエレクトロ・ビートが融合した、実験的な匂いの強いシングルですね。
とは言えそこはさすがデペッシュ・モード、全体的にはちゃんと気持ちよく聴けるサウンドに仕上げてるんですからさすがです。後半のシンセのメロディとかぐっと来ますよ。


この年の3月には5thアルバム『Black Celebration』がリリースされました。
このアルバムはエミュレーターによるサンプリングを駆使して、ダークでニヒルでドラマティックな音に仕上げられています。ゴアのソングライティングとワイルダーサウンド・プロダクションがうまく噛み合った作品でしょうね。
まあ暗いっちゃ暗いんで、初期のファンには受け入れがたいのかもしれませんが、死や心の闇を取り扱ったこの音は英国では多くの人に受け入れられ、全英4位に輝いています。一方アメリカでは暗すぎて受けなかったのか、ビルボードで90位でしたけど。


Depeche Mode - A Question of Time


『Black Celebration』からのシングル。全英17位。ビルボードのダンスチャート34位。
ドライブ感のあるエイトビートと、ギターっぽいリフが印象的で、彼らにとっては異色な作品かもしれません。個人的にはシンセでこのリフは新しいな、と思いましたが。
なおPVは、U2デヴィッド・ボウイビョークなどを撮影していたフォトグラファー、アントン・コービンが担当しています。コービンはデペッシュ・モードとよほどうまが合ったのか、その後PV、写真、ステージ演出などを担当し、彼らのビジュアル面で大きく貢献しています。


Depeche Mode - Strangelove


87年リリースのシングル。全英16位。ビルボード50位。
キャッチーなシンセリフから始まり、哀愁のあるメロディが展開される曲で、シンプルにまとまっていて聴きやすい曲です。
この当時のデペッシュ・モードは、ポップな面と実験的な面がせめぎあっている感じだったんですけど、これはその両者がうまくブレンドされていて、洗練された感もありますね。


この年の10月には、6thアルバム『Music For The Masses』もリリースされます。全英10位、ビルボード35位。
初めて彼らがデジタル録音を取り入れた、というのが売りのアルバムでしたが、むしろ非常にパーソナルな内容で、独特の深みを持った世界が展開されています。
前回のような大胆なサンプリングの使用は抑えられ、割とシンプルで優しく浮遊感のある感じに仕上がっているのも印象的ですね。
この後デペッシュ・モードは101公演にも渡る大規模な世界ツアーを敢行。来日もしていますし、最終公演では米国カリフォルニア州パサデナローズボウルに、6万6千人を集めるという大成功を収めました。このライブの模様はライブアルバム『101』に収録された他、ドキュメント・フィルムも作成されてリリースされています。


Depeche Mode - Personal Jesus


89年のシングル。全英13位。ビルボード28位。
カントリーを思わせるようなギターフレーズが入っていて、これまでのデペッシュ・モードサウンドとすると違和感バリバリですが、音自体は優れています。
彼らには珍しくR&Bなんですが、エレクトリカルな仕様を施しているためトラッドなR&Bにはならず、ちゃんとデペッシュ・モードになっているのはさすがです。ノリもいいですし何よりカッコいいんですよね。


Depeche Mode - Enjoy The Silence


90年のシングル。全英6位、ビルボード8位と、過去最高の売れ行きを残しています。
サウンドはどちらかと言うと3rdアルバム『Construction Time Again』の頃に近くなっている気もしますが、メロディは非常に美しく、そこはさすがデペッシュ・モードです。
シンプルな単音リフも印象的ですね。


この年の3月には、7thアルバムであり彼らの10年間の集大成でもある『Violator』もリリースされました。
メタル・ビートはすっかり影を潜め、静と動のコントラストに重点を置いて、抑えた音使いをしたこのアルバムは、バンドサウンドへの回帰も窺え、非常に興味深い内容でした。
売れ行きも大変良く、全英2位、ビルボードでも7位という大ヒットとなっています。アメリカだけでも350万枚売れたということで、商業的には大成功と言ってもよかったのではないでしょうか。


Depeche Mode - I Feel You


93年のシングル。全英8位。ビルボード37位。
ノイジーなイントロから導かれるバンドサウンドは、初期のデペッシュ・モードしか知らない人が聴いたら卒倒するレベルかもしれません。
初期の彼らを知る身からすれば、かつての自分を否定してもがいているようにも見えて、痛々しさすら感じたのですが、若いリスナーからは評判が良かったみたいで、そこのところはジェネレーション・ギャップを感じますね。


続いてリリースされた8thアルバム『Songs of Faith and Devotion』は、とにかく売れました。何しろ全英、ビルボードともに1位ですから。
ゴアの死生観や宗教観を前面に押し出した重い内容だったにも関わらず、多くの人々の支持を得たというのは、やはり普通にロックとして良い出来だったことが大きかったのでしょう。
もう完全にサウンドオルタナティブ・ロックになっていて、当時のステージではゴアはギター、ワイルダーはドラムを演奏していたそうです。なんか隔世の感がありますね。


その後彼らはツアーを行いますが、長年の活動によるストレスは彼らの心身を大きく蝕んでいきました。
まずガーンは人々の注目を浴び過ぎたのか、ロックスター然と振舞うことが多くなり、取り巻きにドラッグの売人など怪しい人間が増えていくようになります。
またメンバー間の軋轢も相当なもので、その調整に疲労困憊したフレッチャーが心を病み、南米ツアーへの参加を拒否する事態も起こりました。
さらにゴアもソングライティングのストレスからか、アルコール依存症に苦しむようになっていき、バンドはどんどん求心力を失っていきました。
そして95年6月、ついにワイルダーが脱退を表明します。彼は自分の音楽面での貢献が、バンド内で正当な評価をされていないと不満を持っており、半ば喧嘩別れのような形で出て行ったようです(のちに和解)。
また彼は自分がやっているサイドプロジェクトである、リコイルでの活動に重点を置きたかったというのもあったようですね。リコイルはどちらかと言うと実験的なアンチ・ポップミュージックだったため、感情的な軋轢がなくてもいずれは脱退していたかもしれません。
それで済めばまだ良かったのですが、8月には生活の荒れていたガーンが自殺未遂をします。彼は重度の薬物中毒に陥っていたうえ、妻との離婚問題も抱えていて極度のストレスに苛まれていたようです。
この時は治療を経て回復したのですが、翌96年5月には親族と電話で喧嘩して逆上した挙句、ヘロインとコカインの混合物を大量に注射したうえ手首も切って、自殺を図るという事件も起こしています。
偶然訪ねてきた友人に発見されたガーンは、病院に救急搬送されますが、状況は非常に悪く、搬送時に二度心臓が止まったということです。これで生きているのが不思議なくらいですが、彼は何とか一命を取りとめ、逮捕されたうえにリハビリを命じられることとなりました。


これで崩壊の危機に陥ったデペッシュ・モードですが、休養の末に何とかメンバーは健康を取り戻し、97年にトリオとして再スタートを切りました。
時折ソロ活動を挟みつつもマイペースに活動を続け、13年までに5枚のアルバムをリリースし、その全てを欧米でトップ10に入れるなど、まだまだ一線級のバンドとして活躍しているようです。
またエレクトロニカやダーク・エレクトロ勢らへの影響力も強く、未だに多大なリスペクトを獲得しています。
活動もサウンドも変転が激しいバンドですが、貴重なエレポップ勢からの生き残りですし、できるだけ元気で頑張ってほしいものです。