ヤズー

今回も前置き等は特になく、いきなり本題からスタートです。これは前々回の続きになるのかな。
ジ・アッセンブリーをフィアガル・シャーキーと組んでいたヴィンス・クラークは、その前に短期間ですがエレポップ・デュオを結成して成功を収めています。それが今回取り上げるヤズーです。
彼らは82年にデビューし、83年にはもう解散してしまったという短命なグループだったんですが、その間にいくつものヒットを飛ばしているので、覚えている人も多いでしょう。


ヤズーは81年に英国のエセックスで、デペッシュ・モードを脱退したばかりのクラークと、オーディションで選ばれたソウルフルな女性ヴォーカリスト、アリソン・モイエの二人で結成されました。
彼らの特徴はシンセやシーケンサーなどで作られた無機質なトラックと、R&Bやソウルといったエモーショナルな部類のヴォーカルという、全くベクトルが正反対のものを組み合わせて、異種交配的な形で新しい種類のポップスを作ろうと考えたところじゃないでしょうか。
50年代、60年代のバブルガム・ポップをエレポップという形で再現し、そこにブラック・ミュージックのテイスト溢れるパワフルなヴォーカルを加えようというのは、他に誰もやっていなかったエポックメイキングな試みであり、当時非常に斬新でした。感覚として日本で言えば、中田ヤスタカのトラックで和田アキ子とかが歌うようなものですからね。
彼らは英国ではデペッシュ・モードと同じくミュート・レコード、アメリカではトーキング・ヘッズラモーンズと同じくサイアー・レコードと契約(アメリカにはYazooという名のレコード会社がすでにあったため、混乱を避けるためYazの名前でリリースしている)し、82年にシングル『Only You』をリリースしでデビュー。するとこれが全英2位という大ヒットとなり、順調なスタートを切るのです。


Yazoo - Only You


82年4月のデビューシングル。全英2位の大ヒットとなり、ビルボードでも67位に入っています。
シンセの優しげな音色に載せて、モイエの野太くも暖かみのあるヴォーカルが歌い上げるというバラードナンバーです。
エレポップっぽい無機質さはほとんどなく、人間の温もりのようなものを感じるところが、当時としては珍しかったですね。
実はこの曲はデペッシュ・モードのボツ曲だった、というエピソードも味わい深いです。


Yazoo - Don't Go


同年7月のセカンドシングル。全英3位、ビルボードのダンスチャートでは1位という大ヒットとなっています。
無機質なシンセを使いつつも、シーケンサーのフレーズやリズム構成などでダンサブルなノリを出そうとしているパンチの効いたサウンドと、モイエの迫力あるヴォーカルがうまく絡んで、ものすごくカッコいいダンス・ナンバーに仕上がっていますね。
個人的には彼らの代表曲だと思っています。


順調に活動を開始した彼らは、同年9月にはデビュー・アルバム『Upstairs at Eric's』(邦題は『オンリー・ユー』)をリリース。
するとこれも全英2位に入る大ヒット(ビルボードでは92位)となり、同年『Sweet Dreams (Are Made of This)』でブレイクした同系のユニット、ユーリズミックスと並んで覆いに人気を獲得する事となりました。


Yazoo - Situation


『Upstairs at Eric's』からのシングル。オランダとアメリカの限定シングルで、オランダでは16位、ビルボードでは73位(ダンスチャートでは1位)となりました。
また英国では90年にシングルカットされ、14位のヒットとなるなど、時代を超えた一曲でもあります。
この曲はクラークとモイエの共作で、そのせいかよりソウルフルな感じが強くなっているようにも思えますね。


Yazoo - The Other Side of Love


82年のシングル。全英13位。
これもクラークとモイエの共作で、典型的なヤズー節な感じですが、モイエはこの作品に出来に不満を持っているようで、08年の再結成ツアーでもセットリストに入りませんでした。
この曲は当初『Upstairs at Eric's』には収録されていなかったため、幻の一曲扱いされていたこともありましたが、現在は再発盤やベスト盤に12インチヴァージョンが入っている場合もあります。


Yazoo - Nobody's Diary


83年のアルバム先行シングル。全英3位。ビルボードのダンス・チャートで1位。
モイエの書いた曲で、今までの彼らのレパートリーの中では最も哀愁味が強いのではないでしょうか。


しかしこの頃には両者の軋轢は、修復不可能なものになっていたようです。
もともとやりたい音楽が天と地ほどに違っていましたし、特にモイエは本格的なソウルシンガーを目指していたこともあり、エレポップをバックに歌うのにはかなりの抵抗感があったらしいです。今は知りませんが、当時のブラック・ミュージックファンはエレポップ嫌いが多かったですから。
彼らは83年7月に2ndアルバム『You and Me Both』(邦題は『愛にさよなら』)をリリースしますが、結局はお互いの進みたい方向に向かうため、その後すぐにユニットを解消する事となります。2年にも満たない短い命でした。
ここまでバックグラウンドが違えば分裂も仕方ないのでしょうが、今の世の中ではもはや作るのも難しいようなサウンドではあったので、今考えて見るともったいなかったですね。
21世紀くらいになると、ビルボードのチャートの上位のほとんどはブラック・ミュージックで、しかもそれらの多くは打ち込みをメインとした音楽になった時代がありました。そんな時「ああ、やはりヤズーは正しかった。先駆者だった」と思ったりもしましたっけ。


その後クラークはジ・アッセンブリーでの活動などを経て、85年にアンディ・ベルとイレイジャーを結成、欧米では老若男女を問わず幅広い層から支持されるグループとなりました。
モイエも念願のソロシンガーとなり、80年代に5曲の全英トップ10ヒットを出すなど活躍しています。
また08年には驚きの再結成を果たし、ヨーロッパやアメリカでツアーも行っています。