ネイキッド・アイズ

こんばんは。最近本当に寒いですね。今も鼻水啜りながら書いてます。
前回トニー・マンスフィールドのバンド、ニュー・ミュージックを取り上げたんで、続いて彼がプロデュースしたユニットでも取り上げてみましょうか。
と言うわけで今回は英国のエレポップ・デュオ、ネイキッド・アイズです。日本でもアルバムがオリコンで50位程度に入るくらいには売れたんで、ご存知の方もおられるかもしれません。


ネイキッド・アイズは82年に英国バースにおいて、古くからの友人同士だったピート・バーン(ヴォーカル)、ロブ・フィッシャー(キーボード)の二人で結成されました。
彼らはのちにティアーズ・フォー・フィアーズを結成するローランド・オーザバル、カート・スミスとともに、ネオンというバンドで活動していた経歴を持っています。このバンドの音源は現在CD化されているらしいのですが、僕は聴いたことありません。
二人は地元で自主制作シングルをリリースすると、それが評判を呼んだことで自信をつけました。そこでデモテープを作ってロンドンに赴き売り込みをすると、英国EMIの制作担当であるヒュー・スタンリー・クラークの目に止まり、見事に契約を得ることに成功します。
そんな彼らの売り出しに当たって、英国EMIはこれまでと違った戦略を打ち出します。それは最初からアメリカをターゲットとすることでした。
これまで英国EMIがアメリカで売ったミュージシャンにはデュラン・デュラン、トーマス・ドルビー、カジャグーグーがいましたが、彼らは全てまず英国で人気者になってからアメリカに進出しています。しかしネイキッド・アイズの売り込みに関しては、現在進行形で進んでいた第二次ブリティッシュ・インベイジョンの波に乗せることにしたのです。
そのためネイキッド・アイズのマネージメントは、ケニー・ロジャースJ・ガイルズ・バンドなどで知られるクレーゲン&カンパニーが担当することになります。もうアメリカで売る気満々の体制でした。
こうしてお膳立てが整うなか、ネイキッド・アイズは83年にシングル『Always Something There to Remind Me』(邦題は『僕はこんなに』)でデビューを果たしました。するとこの曲が全米で大ヒットし、華々しいデビューを飾るのです。


Naked Eyes - Always Something There to Remind Me


彼らのデビューシングル。ビルボードで8位に輝いていますが、全英では59位と惨敗しています。
これはハル・デヴィッド作詞、バート・バカラック作曲で、64年にサンディ・ショウが歌って全英1位の大ヒットとなった曲のカバーですね。
今聴くとシンセドラムが致命的に古い感じになっちゃってますが、曲自体はさすがに大御所の名作だけあって、大変キャッチーで軽快なポップスになっています。バカラックもこのヴァージョンはお気に入りだとか.


Naked Eyes - Voices in My Head


83年に英国限定でリリースされたシングル。
本国でも売り出そうと思ってリリースしたらしいのですが、まったく売れずチャートインすらしませんでした。いかにも英国向けな感じの佳作だと思うんですけど。
ネイキッド・アイズは非常に英国らしいエレポップを演奏していたのですが、不思議なくらい本国では売れませんでしたね。シングルが2曲下位に入っただけで、アルバムはチャートインできませんでしたから。
やっぱりアメリカを意識し過ぎた売り方が、本国では反感を買ったんでしょうか。よく分かりませんけど。


Naked Eyes - Promises, Promises


これも83年リリースのシングル。ビルボードでは11位のヒットとなりましたが、全英では95位と惨敗しています。
この曲も個人的にはなかなか好きです。キャッチーなメロディーもいいですが、マンスフィールドの弾くギターのリフもいい感じを出しています。


この年彼らはデビューアルバム『Burning Bridges』(邦題は『ネイキッド・アイズ』)をリリースしました。このアルバムはビルボードで32位と、まずまずのセールスを記録しています。
ここまでのプロデュースはすべて、マンスフィールドが担当しています。無機質なエレクトロニクスを多用しつつも、メロディーは人間味があって暖かいというのは、マンスフィールドのいたニュー・ミュージックとネイキッド・アイズの共通点でしょう。
そのせいか両者の相性は非常に良く、当時の作品は皆クオリティが高いです。クールなシンセが全体を覆ってはいるものの、陰がありつつポップなメロディーと、バーンのちょっと鼻にかかった英国的なヴォーカルが温もりと湿気を感じさせ、淡々とした中にも非常に人間臭さのようなものを感じさせる気がするんですよね。エレポップが嫌いでないなら、一度は聴いてもらいたい名作ですね。


Naked Eyes - When the Lights Go Out


『Burning Bridges』からのシングル。ビルボードで37位。邦題は『灯が消えるころ』。
いかにも英国人らしい哀愁味溢れるドリーミーなメロディーが、好きな人にはたまらないんじゃないかと思います。


84年に入ると彼らはより強くアメリカ市場を意識するようになり、さらにダンサブルな音を志向していきます。
しかしあまりに売れ線に奔り過ぎたためなのか、作品は凡庸なものとなり、セールスは思うように上がりませんでした。


Naked Eyes - (What)In the Name of Love


84年のシングル。ビルボードで39位。
プロデューサーはマンスフィールドではなく、シンディ・ローパーブルース・スプリングスティーン、ホール&オーツ、ペットショップ・ボーイズなどを担当したアーサー・ベイカーに代わっているんですが、それが良い方向に向いたかと言われると難しいところですね。
なんかアメリカナイズされ過ぎたのか、持ち味であるはずの人間的な温もりが消えて、ただのダンサブルなエレポップになっちゃったように感じるんですよね。いや悪い曲じゃないんですけど。
ちなみにこの曲は最初ただの『In the Name of Love』というタイトルでリリースされる予定でしたが、同時期にU2が同名の曲を発表したため、慌てて『(What)』を付け足したというエピソードがあります。


このあと2ndアルバム『Fuel for the Fire』(邦題は『イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ』)もリリースされましたが、ビルボードで83位というぱっとしない結果に終わります。
このセールス不振が影響したのか、ネイキッド・アイズはこの年限りで活動を停止し、そのまま解散してしまったのです。わずか3年の短い命でした。
のちにフィッシャーのインタビューを読んだのですが、その時彼は「ネイキッド・アイズは売れたことによっておかしくなってしまった」と語っていましたっけ。
売れることだけをレコード会社から求められ、そのプレッシャーに耐えかねた結果、短命に終わってしまったのでしょうか。いいメロディーを作るバンドだったのに残念です。


解散後フィッシャーはマンスフイールドと組んで、プラネット・ハ・ハというユニットを結成しますが、これはシングル1枚を出しただけで解散してしまいます。
しかしその後ロジャー・ダルトリーや元ABBAのフリーダなどに楽曲提供をしていたサイモン・クライミーと組んで、クライミー・フィッシャーなるポップ・デュオを結成するとこれが大当たり。『Love Changes Everything』を全英2位のヒットにするなど成功しました。
ところがこのユニットもネイキッド・アイズの轍を踏んだのか、アメリカナイズされた音になると売れなくなり結局90年に解散。その後フィッシャーはリック・アストリーに楽曲提供するなど作曲家に転進するものの、99年に腸癌のため死去しています。享年39。
一方のバーンはアメリカに渡り、スティービー・ワンダーのバックコーラスを担当したり、オルセン姉妹(『フルハウス』などに出演して人気だった双子の子役)のアルバムに曲を提供したりと、主に裏方として活動していました。
そんな裏方稼業にも飽きてきたのか、06年になるとバーンは突如ネイキッド・アイズの名前を掲げて活動を再開します。この新生ネイキッド・アイズはほぼバーンのソロ・プロジェクトなんですが、今年アルバムを発表するなどまだまだ元気なようです。
なんでも08年には、ベリンダ・カーライル(元ゴーゴーズ)、ABC、ヒューマン・リーグといった懐かしい面々と組んで、アメリカツアーもしたらしいですね。これは正直観たかったかも。