アーモリー・ショウ

あー暑いですね。まだ梅雨明け宣言はされてないはずですが、もうすっかり夏と言ってしまって差し支えないのではないでしょうか。
毎年同じこと書いている気もするんですけど、僕は夏という季節が本当にダメで、期間中はほぼずっと体調を崩したままです。
実は昨日もあまり具合が良くなくて(これは持病の欝のせいもあるんですが)、病院に行ってきたくらいですし。
そんな感じですので、かなり短くいきます。いつもそんなこと書いても結局長くなってるんですけど、今回は本当に短くしますので。
前回、前々回とザ・スキッズ関連について書いてきたんで、おまけみたいな感じでアーモリー・ショウを取り上げてみようと思います。
このバンドはメンバーだけはすごい(あくまでニューウェーブのファン的にはですが)んですけど、当時の日本では全然注目されなかったので、知らない方も多いのではないでしょうか。


ザ・スキッズを解散したリチャード・ジョブソンは、ベルギーのクレプスキュール・レコードから詩の朗読のアルバムを出すなど、いかにも文系な感じの活動をしておりました。
朗読については、当時クレプスキュールのコンピレーションに収録されていたのを聴いた記憶があるんですが、これがまた全然ピンとこなくてですね。
そもそもこちらの英語のヒアリング能力が低いのに加えて、僕は朗読というものにまったく興味がないので、一回聴いただけでもういいやって思っちゃったんですよ。昔文学好きの女の子に連れられて、詩の朗読会というものに行ったことがあるのですが、思いっきり寝ちゃって内容がまったく分からず、帰りの食事の際弁解に必死になったのを、今書いてて思い出してしまいました。黒歴史
そんな感じでしたから、もう僕はジョブソンの活動について追うことはないんだろうな、と思っていたんですが、彼は83年に何の前触れもなく突然バンドを立ち上げたので驚きました。それが今回紹介するアーモリー・ショウです。
メンバーはジョブソン(ヴォーカル、ギター)、末期のザ・スキッズでジョブソンの片腕を務めていたラッセル・ウェッブ(ベース)とここまではまあ想定の範囲内だったんですが、他のメンバーがすごかったです。なんと元マガジン、スージー・アンド・ザ・バンシーズのジョン・マッギオーク(ギター)、やはり元マガジンのジョン・ドイル(ドラムス)でしたから、これは狂喜しましたっけ。
読んでいる方には何で僕が狂喜したのかよく分からないかもしれませんが、マッギオーク(当時の表記は「マクガフ」か「マッゴー」でしたけど、若い頃から一緒だったマガジンのハワード・デヴォートは、「マッギオーク」と発音しているそうなのでそれに準じます)は変幻自在の煌びやかな音を奏でるギタリストで、U2のジ・エッジ、元ザ・スミスジョニー・マーレディオヘッドジョニー・グリーンウッド、アズテック・カメラのロディ・フレイムレッド・ホット・チリ・ペッパーズジョン・フルシアンテジェーンズ・アディクションのデイヴ・ナヴァロら様々なギタリストが、彼からの影響を公言しているくらいのすごい人なんですよ。「ニューウェーブジミー・ペイジ」なんて呼ぶメディアもあったくらいですし。
もう一人のドイルもマッギオークに比べれば地味ですけど、堅実でありながらグループするドラミングを誇る名手でした。まあマガジンのメンバーって全員上手かったですけど。
ちなみにバンド名は、1913年にアメリカのニューヨーク、シカゴ、ボストンで行われた大規模な前衛芸術の展覧会からとったものだそうです。僕はそっち方面の知識がないのでこれは今回初めて知ったんですけど、このへんもジョブソンの芸術家的な志向がよく現れているように思いますね。


さて、「ニューウエーブのスーパーバンド」と呼ぶに相応しいメンツを揃えた(まあ今考えるといまいちキャラが立ってなくて、寄せ集めと言えなくもないですが)アーモリー・ショウは、さっそくEMI傘下のパーロフォンと契約を交わします。パーロフォンは彼らのためにわざわざ独自のレコード番号まで用意したくらいですから、僕と同じように期待していたんじゃないでしょうか。
そんなこんなで万全のバックアップを整えた彼らは、満を持して84年から85年にかけ、シングル『Castles In Spain』『We Can Be Brave Again』『The Glory Of Love』、アルバム『Waiting For The Floods』を続けざまにリリースするのでした。
デビュー時には英国の音楽雑誌に巻頭カラーインタビューも載ったそうなので、メディアの期待も大きかったのではないかと推測されます。まあこのメンツなら不思議はないですけど。
なおアルバムのクレジットにはなぜか異名がついておりました。ジョブソンは「The Captain」、マッギオークは「The Legend」、ウェッブは「Universe」、そしてドイルは「Doylie」(おいおい)でしたっけ。さすがにこれはいい歳こいて恥ずかしいセンスだなと思いましたっけ。あとドイルだけ可哀想。差別待遇だ。


Armoury Show - Castles in Spain


84年リリースのデビューシングル。
一本調子で歌い上げるジョブソンのヴォーカルも、独特の響きを持つマッギオークのギターもなかなかなんですが、曲としてはちょっと弱いかも。
当時ラジオで聴いた時も、期待が大きかっただけに肩透かしを食らったような気分になりましたっけ。


Armoury Show - We Can Be Brave Again


これも84年のシングル。
これはザ・スキッズっぽい壮大でスコティッシュなメロディーと、マッギオークのネオ・サイケっぽいギターがいい具合に絡んでいて、個人的にはなかなかの良曲だと思っております。


Armoury Show - The Glory of Love


85年リリースのシングル。
こちらはザ・スキッズ的な要素はかなり抑え気味で、かなりダークな感じに仕上がっております。


しかし期待に反してアーモリー・ショウの売り上げはいまいちでした。何しろシングルは全英69位、66位、63位、アルバムは全英57位ですから、いまいちどころではなく惨敗と言っていいレベルですね。まあ少なくともレコード会社に専用の番号を作らせるほど期待されたバンドの売り上げではないかと。
なんで売れなかったのかはいろいろ意見があるでしょうが、個人的にはもともと繊細な資質の人の集まりなのに、妙に重厚で力強い音を志向していたのが良くなかったんじゃないのかな、なんて思ってます。
まあ元同僚のスチュワート・アダムソンがビッグ・カントリーであれだけブレイクしちゃいましたから、それを意識するのは当たり前でしょうし、負けじと売ってやろうと思う気持ちもよく分かるんですが、匙加減を間違えて単なる大味になっちゃった感は否めなかったですな。
やはり自分の資質は正確に見極めないといけないですよね。無理はいかんです。


低迷する状況に失望したのか、85年にはマッギオークとドイルが脱退してしまいます。
バンドはギターにプロフェッショナルズで元セックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズやポール・クックと組んで活動していたレイ・マクヴェイ、ドラムスにデル・シャノンやクリフ・リチャードローリング・ストーンズビル・ワイマン、ポリスのアンディ・サマーズ、元ザ・クラッシュのミック・ジョーンズと仕事をした経験を持つレイ・ウェストンを加入させますが、マクヴェイはすぐに抜けてしまい、代わりにデイブ・ロックウッドを迎えて次のレコーディングに取り掛かります。


Armoury show - Love In Anger


87年のシングル。
いきなり落ち着いたネオアコみたいになっているんで驚きですが、肩の力が抜けていてこれはこれで悪くないような気がします。


しかしアーモリー・ショウはこの後シングルをもう1枚出しただけで解散してしまいます。
一応もう1枚アルバムを作ってはいたんですが、途中で嫌になっちゃったらしいですね。ちなみにこのときの音源は、のちにジョブソンのソロ名義でリリースされているそうなんですけど、僕は聴いてません。
その後このバンドは誰の口に上ることもなく、思いっきり忘れられた存在(というか黒歴史)になっていましたが、21世紀になってからCDは再発されています。再評価されているのかどうかまでは知りませんが。
あとなんか貶してるみたいな微妙な内容になっちゃいましたが、個人的には別にこのバンドの評価は低くありません。好きな曲もありますし、スケール感なんかなかなかのものだと思いますしね。


さて解散後ですが、ジョブソンはザ・スキッズを再結成するなど歌手活動も続けているものの、現在は俳優、TVキャスター、作家、映画プロデューサーとしての活動がメインになっているようですね。
特に目立つのは映画プロデューサーとしての顔でしょうか。現在彼はホースパワープロダクションズなる映画制作会社の代表を務めており、極めて多忙な日々を送っているようです。00年にユアン・マクレガージュード・ロウらも監督を務めた短編オムニバス映画『チューブ・テイルズ』が日本でも公開されましたが、この映画のプロデューサーもジョブソンです。
マッギオークは脱退後パブリック・イメージ・リミテッドに加入し、ジョン・ライドンの片腕的存在として活躍しました。解散後はヘブン17のグレン・グレゴリーや元スパンダー・バレエのジョン・キーブルとユニットを組むことを画策しますがこれは失敗。95年には音楽業界を引退し、その後看護師として働いていました。
それでも21世紀に入ってからは、TV向けの音楽の制作に関わるなど音楽活動を再開していたんですが、04年には睡眠中に亡くなっています。享年48。
ウェッブは一時パプリック・イメージ・リミテッドのツアーメンバーを務めていましたが、その後音楽業界から足を洗い、PCゲームのデザイナーに転身しました。マッギオークがTV音楽の仕事を再開した時には、一緒に曲を書いていたそうですね。
ドイルは元バズコックスのピート・シェリー、マガジンの同僚だったバリー・アダムソンのアルバムに参加するほか、ソラスというケルト音楽のグループを結成しヴォーカルとギターを務めていましたが、その後結婚して家庭を持ったため収入が不安定な音楽業界を離れ、DTPの仕事をしていました。現在は再結成マガジンに加わっています。
また末期のギタリストだったマクヴェイは、再結成セックス・ピストルズのサポートを務めたり、元X-JAPANのhideが海外向けに結成したバンドZilchのメンバーに加入したりしていました。また彼はオブリヴィオン・ダストのプロデュースも行うなど、何気に日本とは縁の深い人物です。
同じく末期のドラマーだったウェストンは、ウィッシュボーン・アッシュやアイアン・バタフライといった、レトロなバンドで叩いています。