ザ・スキッズ

毎日だらだら暮らしていたら、いつの間にかもう7月になっていました。今年も半分過ぎてしまったわけですよ。
こんな感じで無為に過ごしていくうちに、どんどん月日が経ってしまって、あっという間にジジイになって(実際もうジジイみたいなものですが)朽ち果ててしまうのだろうな、などと思って、ちょっと暗い気持ちになってしまいました。
我ながらなんでこんなに後ろ向きなんだか分かりませんが、暇な時間が多い(現在仕事量をセーブして療養に当てているので)のがかえって良くないのかもしれません。
まあある程度体調が回復さえしたら、いろいろ動くことができてもう少し前向きになれるんじゃないかと思うので、今はしっかり体を治すことを考えていきたいと思っております。


といきなり愚痴みたいな文章から始まってしまいましたが、今回もちゃんと更新はします。
最近はずっとオールドウェーブばかり取り上げていましたので、ここは初心に戻って英国のパンク、ニューウェーブ系でいきたいなと思いまして、スコットランドの雄ザ・スキッズについて書いてみます。
ザ・スキッズはスコットランドのパンク以降のシーンを切り開く役割を果たし、地元では確固たる評価を獲得しているバンドなのですが、日本ではまったくと言っていいほど人気がなく、リアルタイムでは途中で国内盤も出なくなったくらいなので、どのくらい需要があるのか甚だ心許ないところはあるのですけど。
でも良いバンドではありますので、お付き合い頂けると何よりです。


ザ・スキッズは英国でパンクムーブメントが燎原の火のごとく広がった77年に、スコットランドのダンファームリンで結成されています。メンバーはリチャード・ジョブソン(ヴォーカル)、スチュワート・アダムソン(ギター)、ウィリアム・ビル・シンプソン(ベース)、トム・ケリハン(ドラムス)の4人でした。
ザ・スキッズは基本的にはオーソドックスなパンクスタイルでしたが、トラッドの要素を導入するなど地域性を意識した音楽性、ジョブソンの野太いヴォーカルとそれに似合わぬ文学的な歌詞(スコットランド訛りがきつくて、非常に聞き取りにくいんですが)、アダムソンの書く分かりやすいメロディー、独特の音色を持つギターワーク、妙に泥臭い威勢の良さといった個性を持ち合わせており、すぐに地元では頭角を現しました。
ザ・クラッシュスコットランドでのライブのサポートを務めるなど、大舞台を踏んで自信をつけたバンドは、同年インディーズで出したシングルをBBCの有名なDJ、ジョン・ピールに高く評価され、彼の口利きでヴァージン・レコードとの契約を得ることに成功し、78年にシングル『Sweet Suburbia』でメジャーデビューを果たすのです。


The Skids - Sweet Suburbia


彼らのメジャーデビューシングル。全英70位。
まだプロトタイプといった感じの荒削りな音ですが、軽快で若さが溢れており、なかなかノリが良いですね。
歌詞はロンドン郊外での暮らしの無個性さ、薄っぺらさを皮肉ったもので、このあたりも若いなという感じがします。


The Skids - The Saints Are Coming


78年のシングル。全英48位。彼らの名前を一躍有名にした名曲です。
歌詞はジョブソンの友人が英国陸軍に徴兵され、北アイルランド紛争によって落命した事実を基に書かれており、人を救うためにあるはずの宗教が、かえって争いを引き起こす元になっているという愚かしい現実に絶望しつつも、それでも完全に望みを捨てられない様子を皮肉混じりに歌っていて、詩人ジョブソンの面目躍如といったところでしょうか。
この曲は06年になってU2グリーン・デイが、05年のハリケーン、カテリーナで多大な被害を被ったニューオーリンズのミュージシャンたちを救うため、チャリティーシングルとしてカバーして全英2位とヒットさせたことから、再び脚光を浴びました。結果彼らの中では最も知名度がある曲になっています。
もともとは戦争をモチーフとして書かれた曲なんですが、このことによって歌詞が天災にも置き換えられることに気づいて、その含蓄の深さに改めて感心した記憶がありますね。ジョブソンはこの当時まだ18歳でしたから、早熟の天才型だったんでしょう。


The Skids - Into The Valley


79年のシングル。全英10位に輝き、彼ら最大のヒット曲となっています。
歌詞はやはりスコットランドの若者が徴兵されることについて歌ったヘヴィなものなんですが、そのストレートなパワフルさと「ahoy! ahoy!」という威勢のいい掛け声がむちゃくちゃアッパーな感覚を産んで、難しいことを考えなくても楽しめる内容になっています。
PVはジョブソンの無駄な動きの多さ、顔のデカさ、癖の強さが前面に出過ぎていて、その10代とは思えない異常なまでの存在感に辟易しそうになりますが、慣れると微笑ましく見えてきますから不思議なものです。
またノリの良さが好まれたのか、この曲は彼らの地元のサッカークラブ、ダンファームリン・アスレティックの応援歌として採用されたほか、ホームスタジアムがザ・ヴァレーという名前であることからロンドンのチャールトン・アスレティックの、そしてやはりホームスタジアムがヴァレー・パレードという名前であることからイングランドブラッドフォード・シティの応援歌として使われています。確かに観客が一体となって盛り上がるには、最適な曲なのかもしれません。まあ歌詞は重いですけど。


また79年に彼らはデビューアルバム『Scared to Dance』(邦題は『恐怖のダンス』)もリリース、全英19位とヒットさせています。
このアルバムはアンサンブルに繊細さを欠くきらいがあるものの、気負いを感じるくらい若々しく、聴いていて気持ちの良いサウンドでしたね。


The Skids - Masquerade


79年のシングル。全英14位。
この頃からバンドのプロデュースをビル・ネルソンとジョン・レッキーが担当することとなり、キーボードが加わるなどサウンド的にはニューウェーブの要素がかなり濃くなっているんですが、それでいて田舎っぽさと言うか朴訥なところが残っているのは、やはりスコットランド出身というアイデンティティーの成せる業なんでしょうか。
歌詞はやはり戦争を皮肉ったものとなっていますが、前2作ほどヘヴィではありません。


しかしこのシングルをリリースした後、ケリハンが脱退してしまいました。バンドは元リッチ・キッズのラスティ・イーガンをゲストに迎え、2ndアルバム『Days in Europa』を制作することとなります。
このアルバムは全英32位とチャートアクションこそいまいちでしたが、アダムソンのバグパイプを思わせるような音色の特徴的なギターが目立っており、サウンドとしてはこのへんで確立されたと言ってもいいかもしれません。
ただこのアルバムは日本では出なかったので、僕がこのあたりの音を知ったのはずいぶん後のことになるんですが。


The Skids - Charade


『Days in Europa』からの先行シングル。全英31位。
いきなりリズムボックスの音から始まりちょっと戸惑いますが、ジョブソンの野太いヴォーカルが歌い始めるとザ・スキッズの世界になりますね。相変わらず垢抜けてなくていい感じです。
ギターの音はまるでXTCみたいで、もう完全にパンクじゃなくてニューウェーブにカテゴライズされるサウンドになっております。


The Skids - Working For The Yankee Dollar


『Days in Europa』からのシングル。全英20位。
アメリカの「正義」に真っ向から挑んだプロテストソングですね。あまりにも真っ向過ぎて引くくらいなんですが、これもジョブソンらしいっちゃらしいです。
音はガチャガチャしていて、そこもまたニューウェーブっぽいかも。


2ndアルバムリリース後、ゲストのイーガンが離脱しシンプソンも脱退してしまうのですが、バンドはラッセル・ウェッブ(ベース、スリックというバンドでミッジ・ユーロと一緒にやっていた経験あり)、マイク・ベイリー(ドラムス)を迎え入れて、80年に3rdアルバム『The Absolute Game』をリリースします。
このアルバムはジョブソンの持つ芸術的嗜好(時にはそれが自己陶酔っぽく見えてしまうこともあるのですが、そこも微笑ましく思えるのは彼の人徳なのかもしれません)とアダムソンの持つポップな音楽性が見事に融合し、一種のアートロック的な世界を作り上げることに成功し、全英9位という大ヒットになっています。
またジョブソンもスーツにネクタイ、七三分けというブリティッシュ・トラッド・スタイルに変貌。「育ちが悪かったせいで勉強できなかったので、これからそちらもしていきたい」というなんともパンクらしくない(でも極めて真っ当な)発言をするようになり、精神的な成熟を見せるようになっていきます。


The Skids - Circus Games


『The Absolute Game』からの先行シングル。全英32位。
サウンドは非常にモダンになっていますね。特にアダムソンのギターリフはカッコよく、あの布袋寅泰も大いに影響を受けたそうです。
しかし音はクールなのに、ジョブソンのヴォーカルが乗っかると途端にむさ苦しくなるところは、いかにもザ・スキッズという感じで良いですね。核となる部分は変わってないわけで。


The Skids - Goodbye Civilian


『The Absolute Game』からのシングル。全英52位。
イントロはほとんどエレポップなんですが、やはりジョブソンが歌うと途端にザ・スキッズ節になっていき、その安定感と支配力には感心します。


こんな感じで音楽的に成熟し、セールス的にも成功していたザ・スキッズですが、この頃バンド内は大きく揺れていました。
バンドの双璧であるジョブソンとアダムソンの関係がどんどん悪化していったのです。これには音楽的な志向の違いがあったようですね。アダムソンがあくまでロックやポップスの範疇内で、トラッド的な要素を展開していきたかったのに対し、ジョブソンはガチでトラッドに傾倒し、そちら方向にバンドを進めていきたがったらしいです。
結局アダムソンは脱退し、ベイリーも同じ頃にバンドを離れたため、以降はジョブソンとウェッブの2人でザ・スキッズは運営されることとなりました。彼らはマイク・オールドフィールド、ヴァージニア・アストレイ、ジ・アソシエイツのビリー・マッケンジーとアラン・ランキンといった多彩なゲストを招聘し、81年に4thアルバム『Joy』をリリースします。
このアルバムは現在に至るまでCD化されていないので、実は僕も今回初めて音を聴きました。


The Skids - Fields


『Joy』からのシングル。
前作までの面影はまったくなくなり、まんまスコットランド民謡みたいになっているので驚きます。
トラッドの持つ素朴かつ幻想的な部分と、本来バンドの持っている勇壮さが合わさっていて、個人的には好きな音なんですけど、さすがにこれは早過ぎたかもしれないですね。
この後しばらくすると、ザ・ポーグスなどに代表されるケルティック・パンクが一大ブームを巻き起こすんですが、それらのムーブメントの先駆者的存在として、記憶されるべきだと思います。


『Joy』は実験的な要素の強い作品だったためまったく売れず、また時代に先駆け過ぎていたため評価も散々でした。ジョブソンはバンド活動に限界を感じたのか、ソロ活動に重きを置くようになり、82年にザ・スキッズは自然消滅のような形で解散してしまいます。
その後ジョブソンは詩の朗読をしたり、ドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーやヴァージニア・アストレイなどとのコラボ作品をリリースしたり、ファッション・モデルをしたりと独自の活動をしていますが、85年にはウェッブらとともにアーモリー・ショウというバンドを結成しています。これについては早いうちに紹介できればと思っています。
またザ・スキッズも07年以降三度にわたって再結成されています。これにはジョブソン以外にシンプソンとベイリーも参加したようですね。
バンドのもう一人の核だったアダムソンは、ビッグ・カントリーを結成して大成功を収めています。これについては次回取り上げる予定です。
ケリハンは一時ビル・ネルソンのところで叩いていましたが、現在はスペインのテネリフェでミュージック・バーを経営しているんだとか。
また一時ゲスト・ドラマーとして参加していたイーガンは、スティーブ・ストレンジとともにヴィサージを結成し、ニュー・ロマンティック・ブームの隆盛に一役買っています。現在はロンドンのナイトクラブでDJとして活動する他、音楽共有に関連したウェブサービスのビジネスにも関わっているそうです。