ゲイリー・ライト

どうもです。ワールドカップのおかげですっかり生活リズムの乱れている僕です。
もともとサッカーは大好きなんで、この時期は本当に大変なんですが、とりあえず日本代表はグループリーグ敗退が決定したので、そろそろまったりモードに切り替えようかな、なんて思っています。
日本代表の惨敗については、ツイッターで散々呟いたんで、ここでは自重しておきますけどね。一応音楽ブログということになってますし。
ちょっとだけ言及しますと、選手も首脳陣も美学とか哲学とかに酔い過ぎだよなとは思いましたね。「自分たちのサッカー」という空虚な幻想に踊らされて、現実を見失った結果の惨敗だと考えてます。
上に行くために大事なのは理想のプレースタイルに拘泥することではなく、いかに最良の結果を出すかを最優先に置いて、局面局面で臨機応変に考えることなのではないでしょうか。
あと協会は今回の結果に関して、しっかり総括してほしいですね。いつもそのへんはうやむやにしてしまうため、毎回毎回同じことを繰り返してますし。それとマスコミは馬鹿みたいな煽りを止めて頂けたらな、とも思ってます。
とりあえず選手の皆さんはお疲れ様でした。あとは贔屓のドイツを応援しますので。


さてこんな調子なので今回も短くて済む人を選ぼうかな、と思いまして、70年代後半から80年代初めにかけて活躍したゲイリー・ライトを取り上げてみようかと思います。
この人は日本ではほとんど一発屋扱いですし、実際そんなにヒット曲も出してませんから、その認識はあながち間違いでもないとは思うんですが、シンセサイザーをメインに据えたポップミュージックの先駆者的存在のひとりであることは確かで、80年代のエレポップの隆盛に繋がる源流的な存在としても無視できない人物ではあります。
正直言って今聴くと古臭さは否めないんですが、ポップスとしての出来はかなり良いので、気楽な気持ちで聴いて頂ければ何よりです。


ライトは1943年4月26日に、米国ニュージャージー州のクレスキルという小さな町で生まれています。
子供の頃は子役俳優をやっており、7歳だった1950年には『Captain Video and His Video Rangers』(邦題は『キャプテン・ビデオ』)というSFドラマでデビューも果たしています。
この『キャプテン・ビデオ』というドラマのことは全然知らなかったんですが、調べてみるとアーサー・C・クラークアイザック・アシモフジャック・ヴァンスジェイムズ・ブリッシュロバート・シェクリイ、デーモン・ナイト、C・M・コーンブルース、ウォルター・ミラーといった錚々たるメンバーが脚本や監修を手がけており、一応SFファンでもある身としては興味津々です。どこかで観る方法はないかしら。
ライトはその他にもブロードウェイでミュージカルに出るなどしていましたが、やがて関心は演劇から音楽のほうへと移っていったようで、ピアノやオルガンを学び、ハイスクール時代にはロックバンドを組んで活躍していました。60年には子役時代の知名度のおかげでしょうか、ビリー・マークルなる人物と組んで、ゲイリー&ビリー名義でシングル『Working After School』でデビューも果たしています。
また彼は学業も優秀だったようで、ハイスクール卒業後は医師を志してニューヨーク大学に進学し、心理学を学んでいます。ただ音楽への思いも断ち切れず、ローカルバンドで活動は続けていたようですが。


そんなライトの転機は66年でした。心理学の勉強のために西ドイツのベルリン自由大学に留学した彼は、そこでアイランド・レコードの創設者であるクリス・ブラックウェルと出会います。
ライトとブラックウェルの間には、スペンサー・デイビス・グループやトラフィックのプロデュースを手がけたジミー・ミラーという共通の友人がいたこともあって、二人は瞬く間に意気投合しました。そしてブラックウェルの誘いに応じてロンドンに渡ったライトは、そこでスプーキー・トゥースというバンドを結成し、ヴォーカルとオルガンを担当することとなるのです。
スプーキー・トゥースというのはブリティッシュ・ブルースを演奏する渋いバンドで、英米ではそこそこ知名度はあるんですが、日本では恐ろしいほど無名です。後にフォリナーのリーダーとなるミック・ジョーンズが、後期に加入していたことがあるのが語られるくらいでしょうか。ちなみにパンク初期に出てきたオンリー・ワンズのドラマーであるマイク・ケリーも、ここのオリジナル・メンバーだったりします。
ライトはこのバンドで74年まで中心人物として活動しています。シングルヒットには恵まれませんでしたが、アメリカではアルバムがある程度は売れたため、それなりに充実した音楽活動ではあったようです。
ただ彼の名前を有名にしたのは、バンド活動の合間に行ったセッションでの活躍でした。ハリー・ニルソンの名曲『Without You』でピアノを弾いているのは有名ですが、他にもジョージ・ハリスンリンゴ・スターB.B.キングらのレコーディングにも参加しています。
特にハリスンとは名盤『All Things Must Pass』に参加したのをきっかけに意気投合しており、ハリスンのアルバムの多くにゲストとして招かれています。もちろん逆にハリスンもライトのアルバムにはほとんど参加しており、気心の知れた友人として付き合っていたようです。
僕がハリスンのアルバムで唯一持っているのは『Cloud Nine』(87年)なんですが、ここでもライトはエリック・クラプトンエルトン・ジョンリンゴ・スター、ジェフ・リン、ジム・ケルトナーといった錚々たるメンバーに混ざって参加しており、クレジットを見て「おお」と思った記憶がありますね。
またライトは71年に『Extraction』、72年に『Footprint』というソロアルバムもリリースしているんですが、これはまったくと言っていいほど売れませんでした。後年聴く機会があったんですが、まるでレオン・ラッセルみたいなスワンプ・ロックで、売れた頃の音しか知らなかった僕はかなり驚きましたっけ。


74年にスプーキー・トゥースは音楽性の違いなどのために解散するんですが、そこでライトは本格的にソロ・シンガーに転向します。
そして翌75年に、シンセを思いっきり前面に押し出したアルバム『The Dream Weaver』(邦題は『夢織り人』)をリリースすると、翌76年にタイトルナンバーがビルボードで3週連続2位と大ヒット。アルバムも結局ビルボードで7位まで上昇し、見事に成功を収めることとなるのです。
このアルバムは彼のセルフ・プロデュースですが、それまでのソロとは方向性をまったく変えていて、とにかく全面がシンセの音で溢れていました。ギターが鳴っているのは1曲しかないのですが、そのギターを弾いているのはロニー・モントローズだったりします。まあ今の人は知らないと思いますが、ヴァン・ヘイレンのヴォーカリストだったサミー・ヘイガーは彼のバンド出身だと言えば、なんとなくどういう立ち位置の人かは分かって頂けるのではないかと。
実は末期のスプーキー・トゥースでは電子音が取り入れられており、ライトのソロはその路線をよりポップに進化させたものと言えると思うんですが、このあたりはアルバムに全面的に参加しているデヴィッド・フォスターの貢献も大きいのかもしれません。


Gary Wright - Dream Weaver


『The Dream Weaver』からのシングル。ビルボード2位。邦題はアルバムと同じく『夢織り人』。
邦題だけ見るとまるでムード歌謡ですが(それは『夢追い酒』)、シルクのように柔らかくてスペーシーなシンセの響きと、ハスキーな中にもエモーショナルな哀愁味を秘めたヴォーカル、そして洗練されたメロディーが光る名曲ですね。
シンセの音は後年のエレポップの乾いた冷たい音とは全然アプローチが違っていて、人肌の温もりを感じるような暖かい感じのサウンドに仕上げられています。また何気にファンキーなグループも持っており、アメリカで売れたのはそのへんの要素が大きかったんじゃないかと思います。


Gary Wright - Love Is Alive


これも『The Dream Weaver』からのシングル。やはりビルボードで2位の大ヒットを記録しています。
こちらはシンセを全面的にはフィーチャーしておらず、よりファンクに接近した音作りが成されています。それでも間奏ではこれ見よがしに使ってますが。
あとショルダー・キーボードを使用しているのも新しかったですね。当時は他にはヤン・ハマーエドガー・ウィンターくらいしか使っているのを知りませんでしたし。
キーボード奏者というのはどうしても動きが制限されるため、ライブでは不利な面が大きかったのですが、ライトは積極的にショルダー・キーボードを使って動き回ることで、ライブでのダイナミズムを確保していたようです。


Gary Wright - Really Wanna Know You


81年のアルバム『The Right Place』からのシングル。ビルボードで16位。
この曲はスーパートランプのダギー・トムソンの弟で、『Take a Little Rhythm』(邦題は『恋はリズムにのって』)の一発ヒットを出したアリ・トムソンとの共作です。まあアリ・トムソンを覚えている人もあまりいないとは思いますが。
曲自体はシンセが目立つAORという感じで、当時はまったく興味なかったんですが、今聴くとなかなか気持ち良く洗練されたポップスで、いい仕事しているなと思います。


その後ライトのサウンドはマンネリ化したこともあり、これ以降はまったくヒットは出していません。
しかし彼はラテン音楽AORの接近を試みるなど、まだまだ創作意欲は衰えておらず、マイペースに現在まで活動を続けています。


Gary Wright - Don't Try To Own Me


95年のアルバム『First Signs of Life』からのシングル。
コーラスにハリスンが参加しており、PVにも登場していますね。特にラストでの楽しそうなハリスンの姿は、ビートルズファンなら感涙ものです。
しかし冒頭部でライトが泳ぐシーンは、さすがに年齢を感じますね。頭髪が寂しいことになっていて、別の意味で涙を禁じ得ません。


ライトは現在ソロ活動の傍ら、リンゴ・スターのバンドで歌ったりして、のんびりとやっているみたいです。
あと04年、08年には二度に渡ってスプーキー・トゥースを再結成しており、ライブ活動も行っています。残念ながらミック・ジョーンズは不参加でしたが、マイク・ケリーは参加してました。
また他のミュージシャンのレコーディングにも時折参加しているようですね。一度TMNのアルバムにエンジニアとして参加して、こちらを驚かせたこともありましたっけ。