スニッフ&ザ・ティアーズ

こんばんは。
関東では湿度が下がって、朝晩とかかなり過ごしやすくなっていますが、皆様のところはいかがでしょうか。
日本の夏は本当に熱帯よりも暑いらしいので、早く過ぎてくれることに越した事はないんですけどね。
僕は少し元気になって来ましたけど、相変わらず夏ばて気味でだらっとしています。
そんな調子なので今回も一発屋ネタで更新になります。かかる時間が圧倒的に少なくなりますから、肉体的な負担が小さくこういう時期にはうってつけなので。


今回取り上げるのは、79年に『Driver's Seat』をアメリカで一発ヒットさせ、話題になったスニッフ&ザ・ティアーズです。
当時結構日本のラジオでもオンエアされていたんですけど、覚えている人はどのくらいいるんでしょう。そのくらいマイナーなバンドです。
個人的には渋い大人のロックといった感じで、割と好きだったんですけどね。ただ渋過ぎたのかその後失速しちゃいましたけど。


スニッフ&ザ・ティアーズは、英国デヴォン州ティンバートン出身の音楽家兼画家のポール・ロバーツが、73年に結成したAshes of Moonというバンドが原型になっています。
ロバーツはこのバンドで75年にデモ・テープを制作し、フランスのレーベルに持ち込んで契約寸前まで行ったのですが、残念ながらバンドはその前に解散してしまい、傷心のロバーツは3年間フランスに画家修業の旅に出ています。
その間Ashes of Moonのデモ・テープを聴いたルイジ・サルヴォーリが、これをひどく気に入り、77年のロバーツの帰国後に直談判して、バンド活動を再開させる事に成功します。これがスニッフ&ザ・ティアーズです。
ちなみに当時のバンドのメンバーは、ロバーツ(ヴォーカル、ギター)とサルヴォーリ(ドラムス)の他は、ミック・ダイチェ(ギター)、ロス・ネット(ギター)、クリス・バーキン(ベース)、アラン・フィールドマン(キーボード)という6人編成でした。
彼らはダムドやモーターヘッド、ラジオ・スターズ、ラジエーター・フロム・スペース、カウント・ビショップスなど、パンクやパブ・ロックバンドを多く擁するチズウィック・レコードと契約します。
正直なところチズウィックはそんなに彼らに期待してなかったようで、78年に制作したアルバム『Fickle Heart』(邦題は『不実……』)が1年間お蔵入りするくらいだったのですが、同年にシングル『Driver's Seat』でデビューを果たすと、これがアメリカで大ウケして一躍時の人となるのでした。


Sniff'n' The Tears - Driver's Seat


これがデビュー曲。ビルボードで15位。全英では42位のヒットとなりました。
当時はニューウェーブ全盛時代でしたので、これもニューウェーブとして扱われていましたけど、どう聴いても渋めのオーソドックスなロックですよね。系統としてはパブ・ロックっぽいかも。
ロバーツのヴォーカルは声質自体は甘いものの、歌い方がぶっきらぼうで愛想のない感じなんですが、コーラスは売れ線なツボを外しておらず、そのコントラストが面白いと思ったりもします。
あと決めのざらついたギター・フレーズも、淡々と続けられるドラムスの音も、時折差し込まれるぽわんとしたシンセの音も、今の時代になって聴くと、一周回ってなかなかいい味を出しています。
なおこの曲は97年のアメリカ映画『ブギーナイツ』でフィーチャーされたり、日本映画『20世紀少年』のトリビュート・アルバムに収録されたりもしていましたので、聴いたことがある人もいるかもしれません。
ちなみにこの曲が収録されたアルバム『Fickle Heart』のジャケットは、本職は画家であるロバーツが描いているんですが、これがなかなかいい出来なんですよね。



スニッフ&ザ・ティアーズはこの曲の成功で有名になり、「ダイアー・ストレイツの対抗馬」的なポジションで喧伝されていきます。
しかしバンドはその頃激震を迎えていました。もともと結成の経緯からして、ロバーツのソロ・プロジェクト的な色合いの濃いバンドではあったのですが、それに嫌気が差してバーキン、サルヴォーリ、フィールドマンが抜けてしまうのです。
これに対してバンドは新メンバーを補充し、80年には2ndアルバム『The Game's Up』をリリースしますが、ケミストリーが失われたのか凡庸な作品になってしまい、ビルボードでも全英でもチャートインしないという大惨敗を喫しました。


Sniff'n' The Tears - One Love


『The Game's Up』からのシングル。米英ではチャートインしませんでしたが、オランダで38位に入っています。
AOR的な要素が強くなって、より洗練された感じはしますが、押しが弱いというかインパクトに欠けますかね。個人的には嫌いじゃないんですが。


この後バンドは81年に3rdアルバム『Love/Action』(邦題は『愛の眩暈』。ビルボード192位)、82年に4thアルバム『Ride Blue Divide』をリリースしますが、売り上げは芳しくなく、ついに83年にチズウィックから契約を切られ、活動停止状態に陥りました。
ロバーツは本業の画家に戻り、アムステルダム、ロンドン、ミラノ、パリなどで個展を開き、欧州では音楽活動以上の名声を得る事に成功しています。
また音楽活動も継続しており、85年には『City Without Walls』、87年には『Kettle Drum Blues』というソロアルバムを、インディー・レーベルからリリースしています。


そんなこんなで記憶の中に消えていくはずだったスニッフ&ザ・ティアーズですが、90年代に入って思わぬ形で復活を遂げることとなります。
91年にオランダのCMに『Driver's Seat』が使われたことで人気が再燃し、なんと再発シングルがオランダチャートで1位を獲得するという事態になるのです。
これを知ったロバーツは自信をつけたのか、92年に中期のメンバーだったレス・デヴィッドソン(ギター)らと組んで、スニッフ&ザ・ティアーズを再結成することになりました。
彼らは主にオランダやドイツで活動を行い、現在もバンドを続けています。寡作ではありますがオリジナル・アルバムも21年間に3枚出しており、元気で頑張っているようです。
またロバーツは画家としての活動も続けているようで、こちらで作品が閲覧できます。


Paul Roberts Paintings — HOME


絵画に関してはど素人なので、あまり詳しいことは分からないのですが、まるで写真のようで不思議な絵だと思いますね。


あと一つだけ追記を。
調べているとロバーツを、ストラングラーズにヒュー・コーンウェルの後任として入ったポール・ロバーツと混同しているサイトがあって驚いたんですが、二人は同姓同名の別人です。
バイオグラフィーの生年月日も違います(スニッフ&ザ・ティアーズのロバーツのほうが11歳上)し、顔も全然違うんですけどね。名前だけ見て確認もせず飛びついちゃったのかしら。
ここに書くときはしっかり下調べして、裏を取ってから書こう、と思わされる出来事でした。