ヘアカット100

ちょっと暗い感じのテクノ系が続いたんで、今回は陽気に行きましょう。
というわけでヘアカット100を取り上げてみます。後のネオアコブームで再評価されたこともあるので、ネオアコ文脈のバンドだと思っている人が多いでしょう。フリッパーズ・ギターの『Haircut100/バスルームで髪を切る100の方法』という曲のタイトルの元ネタにもなってますし。
しかし実際デビュー当時は、その頃ブームだったファンカラティー*1の筆頭格のような扱いを受けていました。
またフロントマンのニック・ヘイワードが美形だったせいもあって、このバンドをアイドルとして捉える人も多く、実際彼らがアルバムジャケットでやっていたファッション(フィッシャーマンズ・セーターの裾をツイードのパンツの中に入れ、しかもサスペンダーを付けるという今考えるとすごい着こなし)が雑誌の表紙を飾りロンドンの若者の間で流行したり、彼らの着せ替え人形が発売されたり、なんてこともあったくらいでした。
しかしそういった瑣末なことから、彼らを凡百のアイドルバンドと一緒くたにしてしまうのは早いです。聴けばよく分かりますが演奏はなかなか達者ですし、ラテンやファンクを消化した小気味良いリズム感覚は、今聴いてもなかなか新鮮です。


彼らは80年の夏に英国ケント州で結成された、ムーヴィング・イングランドというバンドが母体となっています。メンバーはニック・ヘイワード(ヴォーカル、ギター)、グラハム・ジョーンズ(ギター)、レス・ネムス(ベース)の3人でした。
そこでシングル1枚を発表したあと、しばらくリハーサルを繰り返した彼らはヘアカット100と改名、翌81年にメジャーのアリスタと契約、デビューシングルの『Favourite Shirts (Boy Meets Girl)』がいきなり全英4位を獲得し、一躍スターの座に躍り出ました。
ちなみにバンド名の由来は、結成にあたりメンバー全員の髪の毛を切ったら、その総量が100gだったことからきているとか聞いたことがありますが、本当かどうかは知りません。


Haircut 100 - Favourite Shirts (Boy Meets Girl)


これがデビューシングル。邦題は『好き好きシャーツ』というすごいものでしたっけ。何故シャーツ?
まあそれはとにかくとして、オープニングのカッティング・ギター、高揚感溢れるリズム、鳴り響くホーン、全編に散りばめられたサルサ風味と、すべてが瑞々しい80年代ブリティッシュ・ポップの名曲ですね。


その後レコーディングに参加していたブレア・カニンガム(ドラムス)、マーク・フォックス(パーカッション)、フィル・スミス(サックス)を加え6人組となった彼らは、当時の売れっ子プロデューサーであったボブ・サージャントを迎え、デビューアルバム『Pelican West』を発表、全英2位のヒットにしています。
ボニーMのホーン・セクションなども参加したこのアルバムは、フレッシュな躍動感とスマートなリズム解釈を持つなかなかの内容だったのですが、個人的には『レモン消防隊』『海洋少年』などの奇怪な邦題が印象に残っています。やはり日本でもアイドルとして売ろうとしてたんですね。


Haircut 100 - Love Plus One


82年リリースの2ndシングル。邦題は『渚のラブ・プラス・ワン』。全英3位を記録し、彼ら最大のヒットになっています。
夏にピッタリの爽やかで軽やかなメロディーが印象的なポップです。南国のリゾートで聴いたら気持ち良さそう。


Haircut 100 - Fantastic Day


82年リリースの3rdシングル。『Pelican West』からのシングルカットで、全英9位。
爽快なアコギのカッティングと、哀愁を感じさせるホーンが駆け抜ける、いかにも青春っぽいポップです。


しかし彼らが順調だったのはここまででした。翌83年の1月には、権利問題のもつれなどもあって、フロントマンのヘイワードが脱退してソロに転向してしまったのです。
アイドル人気が高く、ソングライティングの中心でもあった人物の脱退で、バンドは一気に窮地に立たされますが、残されたメンバーはそれでもフォックスをヴォーカルに転向させ、同年に2ndアルバム『Paint On Paint』をリリースします。


Haircut 100 - Prime Time


新生ヘアカット100のシングル。83年にリリースされ、全英46位を記録しています。
グルーヴィなギター・カッティングと高揚感たっぷりのホーン、爽快なファルセット・ヴォーカルがぶつかり合う佳曲ですね。


シングルを聴いてもらえば分かるように、『Paint On Paint』もポップ・ソウルとして相当レベルは高かったのですが、やはりカリスマ性のあるフロントマンを失ったのは大きかったのか商業的には失敗し、結局バンドは84年に解散してしまいます。
解散後ジョーンズは音楽から足を洗って樹木の医者に転進し、ネムスはソロになったヘイワードに協力してアルバムやツアーに参加し、フォックスは一時あのエコー&ザ・バニーメンに加入した後にレコード会社のBMGに就職、カニンガムはプリテンダーズで活躍後、ポール・マッカートニーのツアーメンバーとして活動しました。
またバンドは04年と09年に一時的に再結成し、ライブを行っています。

*1:80年代初頭に英国で流行した音楽。ディスコ・ミュージックにラテンのフレーバーを加味した、享楽的なサウンドが特徴。語源はファンクとラテンを組み合わせた造語。