フェルト

どうもです。関東では久しぶりの大雪が降ったりして大変だったんですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こちらは雪が止んだ後に用事があって外出した際に、道路が凍結していたせいで滑って思いっきり腰を打ち付けたりして大変でした。雪が降った時の南関東あるあるですが、今回は打ち付け方が半端じゃなくて参りましたよ。まだちょっと痛いですから。
さてメジャーどころについて書き続けた先月の反動もあって、今月はマイナー月間でいこうかななんて考えていたので、英国のフェルトを取り上げてみようかと思います。
80年代のネオアコブームで注目はされてましたから、知名度はそんなに低くないんですが、セールスに関してはビルボードにも全英ナショナルチャートにも一度も入ったことないんで(UKインディーチャートには入ってるけど)、ほとんど売れなかったと言ってもいいんじゃないでしょうか。
まあ売り上げだけがすべてじゃないですし、個人的にはそこそこ好きなバンドなので別にいいんですけど。
フェルトの特徴は、ネオアコにしては変に表現側の個性というかアクが強く出ていて、何とも言えない独特の世界を展開しているところでしょうか。ネオアコとして聴くと戸惑いますけど、一度はまると他のネオアコが物足りなく感じるところがありました。
またヴォーカルのローレンスの物憂げな声、いい加減うんざりするくらいに絶望的で陰鬱な歌詞、音階を思いっきり無視する特異な歌い方は、オンリーワンの個性がありました。


フェルトは79年に英国バーミンガムで、ローレンス(ヴォーカル、ギター、本名はローレンス・ヘイワードというらしいが、公には発表されていない)が一人でフェルトを名乗り、インディーズから枚数限定シングル『Index』をリリースしたところから始まっています。フェルトという名前はテレヴィジョンの名曲『Venus』の歌詞の一節から取ったそうですね。
このシングルはフェルトのアイテムの中でも最もレアなものなんですが、内容はと言えばノイジーなギターをかき鳴らしつつ、ローレンスがアーとかオーとか変な呻き声を入れているだけというとんでもないもので、音楽的な価値はまったくないと言ってもいいんじゃないかと思います。まあそういうのが好きな人もいるのかもしれませんけど。
80年代に入るとローレンスは学友のニック・ギルバート(ドラムス)、パラダイス・ガレージというブティックで知り合ったモーリス・ディーバンク(ギター)を誘い、フェルトをバンド形態にしてライブを行うようになります。
そしてその後すぐにギルバートがベースに転向、ドラムスにはゲイリー・エインジを迎え、ネオアコで有名なレーベルであるチェリー・レッドと契約し、81年にシングル『Something Sends Me To Sleep』でデビューを果たし、翌82年にはアルバム『Crumbling The Antiseptic Beauty』(邦題は『美の崩壊』)もリリースします。
この当時の音も一応後で聴きましたが、内に閉じこもった暗いネオ・サイケという感じで非常にとっつき辛いサウンドでしたね。まあローレンスの世界としては純度100%なんでしょうが、自己満足的な要素も高かったと感じています。


アルバムリリース後にギルバートは脱退し代わりにミック・ロイドを迎えますが、バンドのサウンドを担うディーバンクも参加したりしなかったりを繰り返すようになります。
このへんはローレンスのパーソナリティに原因があるのかもしれません。彼は「音楽を取ったら単なるキチガイ」と書かれたこともあるくらいエキセントリックな人物だそうで、一緒に仕事をするのは本当に大変だったらしいです。
結局最終的にディーバンクは抜けてしまいますし、その後のパートナーとなったマーティン・ダフィとも仲の悪いところを隠そうともしませんでしたし、いろいろバンド内は軋轢が多かったようですね。


Felt - My Face is on Fire


82年リリースのシングル。ディーバンク不参加の中でリリースされました。
ほとんど何のエフェクトもかけていないギター、疾走するドコドコしたドラムス、そしてローレンスの独白のようなヴォーカルと意外に分かりやすいサビがいい感じに絡まって、なかなか聴きやすく仕上がっています。
この曲はチェリー・レッドのコンピレーション『Pillows & Prayers』にも収録されていて、僕はそれを買ってフェルトを初体験したんですよね。そういう意味では思い出の曲です。


Felt - Penelope Tree


83年リリースのシングル。このシングルではディーバンクは戻ってきているんですが、この曲には参加してません(B面のみ参加)。
アップテンポでメロディーも分かりやすく、サビにはコーラスまで入っているんですが、どうにも陰鬱な感じが取れないところがいかにもフェルトらしいです。


84年には2ndアルバム『The Splendour of Fear』(邦題は『毛氈』)もリリースされています。
このアルバムは6曲中4曲がインストという構成で、これはこれでなかなかとっつき辛いのですが、ディーバンクの透明感のあるギターの響きはなかなかで、初期フェルトの世界を確立した一枚と言えるかもしれません。


Felt - Sunlight Bathed The Golden Glow


84年のシングル。3rdアルバム『The Strange Idols Pattern And Other Short Stories』(邦題は『彩霞』)にも収録されています。
この曲はこれまでのモノトーンな印象から変わって、かなりポップでリズミカルになっています。このへんはプロデューサーがストーン・ローゼズレディオヘッドなどとの仕事が有名な、ジョン・レッキーに代わったというのもあるかもしれません。
これまでのフェルトっていろんな意味で独自の世界観の上に成り立っていて、良く言えば孤高の存在、悪く言えば独り善がりの自己満足だったんですが、この頃から自分たちがどう聴こえるかを意識して、ポピュラリティを身に付けだした感はありました。


85年に入るとオルガンのマーティン・ダフィが加入しました。彼はローレンスの新たな音楽的パートナーとして、その後のフェルトを支える存在となります。
またベースのロイドが抜けてしまいますが、これはマルコ・トーマスをゲストに迎えて対処しています。


Felt - Primitive Painters


85年リリースのシングル。4thアルバム『Ignite The Seven Cannons』(邦題は『カスピの詩人』)にも収録されています。UKインディーチャートでは4位まで上昇し、彼ら最大のヒットらしいですね。
この曲は一つの音階をひたすら歌っているようなローレンスのヴォーカルに、コクトー・ツインズのエリザベス・フレーザーの独特の女声ヴォーカルが絶妙に絡み、唯一無二の世界を作り出しています。プロデューサーをやはりコクトー・ツインズロビン・ガスリーが務めており、その縁による起用だと思われますが、結果は大成功だったんじゃないかと思います。


このアルバムを最後に、初期のサウンドの核だったディーバンクがついに脱退、またベースの座にゲスト参加していたトーマスが就くこととなりました。
またバンドは慣れ親しんだチェリー・レッドを離れて、後にオアシスやプライマル・スクリームマイ・ブラッディ・ヴァレンタインらを世に出したことで知られることとなる、クリエイションに移籍しています。ここでサウンドは急激に変化しているので、フェルトにとっては大きな転機でした。


Felt - Ballad of The Band


86年リリースのシングル。クリエイション移籍第一段ですね。
この曲はそれまでの彼らからは考えられない、軽快なロックンロールです。当時はすごい違和感がありましたが、曲自体はなかなかですね。
バンドの再出発宣言として、ローレンスが柄にもなくポジティブ感を出してみたのかもしれません。


この年バンドは5thアルバム『Let The Snakes Their Heads Crinkle To Death』(邦題は『ヘビの頭をくねらせろ』)をリリースするんですが、これがなんと全部インストでした。
もともとインストの多いバンドではありましたが、さすがにこれはおいおいって感じでしたね。こういうところが不思議な人たちでした。


Felt - Rain of Crystal Spires


86年のシングル。6thアルバム『Forever Breathes the Lonely Word』(邦題は『微睡みの果てに』)にも収録されています。
この曲はダフィーのハモンドオルガンサウンドの中心に置かれ、ポップで軽快で分かりやすい仕上がりになっていますね。
ローレンスのヴォーカルも初期に比べるとかなり力強い響きになっており、クリエイション時代の代表曲と言ってもいいんじゃないでしょうか。


87年リリースの7thアルバム『Poem of The River』あたりになると、ローレンスはギターをトーマスやゲストに任せ、ヴォーカルに専念するようになっていきます(時々は弾いていたらしいですが)。
サウンドも優しくなっていき、初期のプライマル・スクリームを思わせるものとなっています。これはこのアルバムとプライマル・スクリームの1stのプロデューサーが、同じメイヨ・トンプソン(レッド・クレイヨラ)だからなんでしょうか。


Felt - The Final Resting of The Ark


87年リリースの12インチシングル。
ギターとサックスのみで構成されたシンプルな曲で、沈鬱さを湛えたアコースティック・バラードに仕上がっています。
チェリー・レッド時代を思わせる深い世界が見えてきますが、このあたりはプロデュースを担当したロビン・ガスリーの手腕かもしれません。


88年になるとトーマスが本格的にギタリストに転向し、空いたベーシストの座にはミック・バンドが加入、フェルトは5人組になります。
このメンバーで同年に8thアルバム『The Pictorial Jackson Review』をリリースしますが、なんかガレージっぽい音になっていましたね。もちろん悪くはないのですが、ローレンスの気まぐれにバンドが振り回されている感があって、大丈夫なのかなと思った記憶があります。実際トーマスはこのアルバムを最後に脱退していますし。
かと思えば同年矢継ぎ早にリリースされた、9thアルバム『Train Above the City』(邦題は『街を越えて列車は走る』)に至ってはローレンスは参加しておらず、ダフィとエインジの二人によるインスト集になっていました。曲のタイトルだけはローレンスが付けたそうですが。
このアルバムをなんでフェルト名義でリリースしたのかまったく意味不明ですし、音も全然フェルトっぽくないジャズみたいなものになってましたし、そろそろこのバンドも終わりなのかな、という予感だけは漂ってきましたね。


Felt - Space Blues


88年リリースのシングル。
ブルースっぽい雰囲気を漂わせた異色曲ですが、ローレンスとローズ・マクドゥール(元ストロベリー・スウィッチブレイド)のヴォーカルの掛け合い、ダフィのオルガンの響きが素晴らしく、なかなか渋い感じに仕上がっています。
アルバムの迷走っぷりが何だったのかと思わせるような充実した内容で、彼らの創作能力自体は錆び付いていないことを覗わせてくれますね。


このアルバムを最後にフェルトはクリエイションを離れ、モノクローム・セットなどが所属していたエルに移ります。
そこで89年に10thアルバム『Me and a Monkey on the Moon』(邦題は『モンキー・オン・ザ・ムーン』)をリリースし、健在ぶりを示しましたが、結局これを最後に解散してしまいました。
商業的にはまったくと言っていいほど成功しませんでしたが、その後マニック・ストリート・プリーチャーズベル・アンド・セバスチャンのように、彼らへの崇拝を表すバンドが多かったので、影響力はそこそこあったようです。
彼らの解散をもって、ネオアコの第一期は終了したと言ってもいいのではないでしょうか。


フェルト解散後、ローレンスはデニムというバンドを結成します。フェルトの次はデニムとか冗談みたいなんですが、このへんがローレンスの持つセンスなんでしょう。
このバンドはフェルトとはまったく違っていて、早い話がエレポップでした。歌詞は相変わらず毒舌なんですが、音自体は下世話なくらいポップで驚きます。まあこれも結局は売れなかったんですが。
あとデニムはバンドと言いつつローレンス以外の固定メンバーは置かない形になっており、彼もきっと自分の難しさには気づいていたんだろうな、なんて思いましたね。
このバンドは90年代に3枚のアルバムをリリースして活動を停止し、99年以降ローレンスは、ゴー・カート・モーツァルトというソロプロジェクトを指導させ、現在も活動しています。このプロジェクトは一度だけ聴きましたが、デニムからバンドっぽさを抜いてよりピコピコさせた感じでしたね。
サウンドの中心人物だったダフィは、プライマル・スクリームに加入して活躍し、今やバリバリの中核メンバーとなっています。もともとサウンドのセンスはずば抜けていたので、この活躍も当然なのかもしれません。
初期のサウンドを担っていたディーバンクは、セイント・エティエンヌのシングルに参加後、00年にソロアルバムをリリースしましたが、その後の活動は不明です。
デビューから最後までローレンスと活動を共にしたエインジは、サブウェイ・セクトで有名なヴィック・ゴダードの活動に参加していたようですね。
また末期に加入したバンドはメキシコ70というネオアコバンドを結成し、フロントマンとして活動していました。あまり売れなかったですが、1stアルバムはネオアコファンには評判が良かったようです。


【追記】


ローレンスのプロジェクト、ゴー・カート・モーツァルトは、今年の9月に来日が決定しました。新宿MARZで2日間公演だそうです。
今回はヴィニール・ジャパンの招聘による来日のようですね。いろいろ毀誉褒貶もあるところですが、こういうマイナーなミュージシャンを採算度外視(いや本当に度外視してるかどうかは知らんけど)で呼んでくれるのは本当にありがたいです。
フェルト時代は来日したことはないと記憶してますので、これが待望の初来日ということになるんでしょうかね。
会場は確かキャパが300人くらいだったと思うんですが、願わくば埋まってほしいです。