ボストン

何故か最近プログレからの流れで、アメリカン・プログレ・ハードを聴く機会がすごく増えているのですよ。
アメリカン・プログレ・ハードと言ってももう死語みたいなものなので、一応説明しておきますと、アメリカで70年代に流行ったロックのジャンルで、英国のプログレのような繊細さとアメリカン・ロックのポップさやコーラスワークなどが混ざった音楽性が特徴です。
代表的なバンドと言えば、カンサスやジャーニー、スティクス、フォリナーなんかがそうですかね。後に渋谷陽一に「産業ロック」と呼ばれて批判された面々です。
この手のバンドは「売れ線狙い」とされて正当な評価がされていないきらいがありますが、個人的には「売れるものには売れるなりの理由がある」という考えを持っているので、当時からそういうのは全然気にしてなかったです。とにかく音がカッコよければ何でも好きでしたっけ。
そう言えばアメリカン・プログレ・ハードという言葉も、渋谷陽一発祥と言われてますね。いろんなレッテル貼って忙しい人だな、という気がしないでもないですが。
まあそれはそれとして、今回はその中からボストンを取り上げてみたいと思います。中学生の時、このバンドはかなり好きだったんですよ。
確かにハードロックではあるんですけど、サウンドが非常に分厚くて、ギターの音の粒子が非常に細かく滑らかに思えたところが良かったですね。


ボストンの成り立ちは、他のバンドとは一味違っています。もともとはバンドではなかったのですから。
彼らのストーリーを語るのには、中心人物であるトム・ショルツについての説明が必要となります。これ無しでは何の意味も成さないので。
ショルツは47年に米国オハイオ州トレドで生まれた、ドイツ系アメリカ人です。彼はまずエンジニアを志し、マサチューセッツ工科大学スカラーシップで入学し、マスターの資格を取得して卒業しました。
その後彼はポラロイド社にシニアプロダクト・デザインエンジニアとして採用され、マルチメディアプロダクトの研究に携わります。
そこで働きつつ地元のローカルバンドでギターやキーボードをプレイしていた彼は、音楽への情熱が止み難く、自宅の地下室をスタジオに改造して、そこでデモテープ作りに没頭するのです。
ヴォーカルを友人のブラッド・デルプに任せた以外は、楽器はすべてショルツが演奏し、多重録音された演奏を丁寧にミキシングし、丹念なエンジニアリングを繰り返すこと6年、ようやく完成したデモテープをCBSの担当者に聴かせたところ激賞され(彼らはショルツのデモテープを「現存するあらゆるロックの作品の中で、最も素晴らしい」とまで言ったらしい)、デビューが決まりました。
ただCBS側がショルツ自作のデモテープの音源を、そのままデビューアルバムの音源に使用することを認めなかったのと、当時アメリカではアルバムの発売に当たってツアーをしてプロモートするのが当たり前だったという二つの理由によって、ショルツはCBSに薦められるがままにオーディションを行い、メンバーを集めたのです。これがボストンの生い立ちです。作品が先にあって、バンドが後から出来たという変わった経歴なわけですね。
ちなみに当時のメンバーはデルプ(ヴォーカル)、ショルツ(ギター、キーボード)、バリー・グドロー(ギター)、フラン・シーハン(ベース)、シブ・ハシアン(ドラムス)でした。


再録音にあたってはデルプがコーラスワークを含むすべてのヴォーカルパートを録音し、ドラムのパートがハシアンのプレイに差し替えられ(1曲だけジム・マスデアが叩いている)、グドローとシーハンも一部の曲のパートを録音しています。
ショルツはそれを持って自宅のスタジオに籠り、ひたすらリミックス作業に没頭し続けました。あくまでバンドでの録音に固執するCBSに対する目くらましとして、一曲だけバンドのメンバーによるレコーディングをCBSのスタジオで行い、何とかごまかしたなんてエピソードも残っているくらいです。
思うにショルツは完全主義者で、すべてを自分でコントロールしないと気の済まないタイプの人だったのでしょうね。普通に考えればバンドで録音したほうが絶対楽ですから。それをせずに敢えて自分ひとりでレコーディング作業を行ってしまうあたりに、彼の拘りが窺えます。
そんなこんなでようやくアルバム『Boston』(邦題は『幻想飛行』)は完成し、76年にリリースされました。するとこのアルバムは売れに売れまくり、あっという間にビルボードのアルバムチャートの3位まで駆け上り(全英では11位)、その年だけで100万枚、最終的には2000万枚を売るというとんでもない大ヒットとなったのです。


Boston - More Than a Feeling


彼らのデビューシングル。邦題は『宇宙の彼方へ』。ビルボード5位。全英22位。
伸びやかで美しいギターの音色、デルプの涼やかなハイトーンのヴォーカル、爽快なコーラス、静から動への展開と全てが素晴らしい名曲です。
これまでのハードロックとは似て非なるスペイシーな質感を持っており、当時聴いた時はかなり衝撃を受けたのを覚えています。


Boston - Peace of Mind


『Boston』からのシングル。ビルボード38位。
彼らはアコースティック・ギターの使い方にも定評があるんですけど、この曲はその典型じゃないかと思います。
軽快で爽やかなメロディー、ギターとハーモニーの美しさが印象的ですね。


ボストンの音が新しかったのは、やはり多重録音による独特の重厚感でしょうか。多重録音はそれまでにもクイーンなんかが得意としていましたが、ボストンの場合はその重ねる回数が半端じゃないように思います。
かつてマイク・オールドフィールドの『Tubular Bells』が、二千回にも及ぶオーバーダビングを繰り返して作成されたと聞きますが、ボストンはそこまで行かないにしても、やはり相当の回数音を重ね合わせていますね。そうでないとこの質感は出ないと思います。
あと特徴的なのは、シンセサイザーとコンピューターを一切使っていないところでしょう。これはアルバムにも「No Synthesizers Used」「No Computers Used」と誇らしげにクレジットされており、ショルツのアイデンティティーを示しています(シンセサイザーはその後1曲だけ使ったが、コンピューターは今に至るまで使用していない)。
ショルツのアナログへの拘りは徹底しており、多重録音に必要不可欠と思われるリズムボックスすら使用していません。その代わりに手拍子でテンポを測っていたそうですが、そのアバウトさにより逆に録音にずれが生じ、一発録りのように聞こえています。それが実質一人のミュージシャンによる多重録音なのに、バンドによる録音のような迫力を生み出す結果になっていますね。


その後ボストンはツアーを行いつつ(79年には来日もしている)、その合間を縫うようにして次のアルバムをレコーディングしていました。
今度はクレジットを見る限り、一応バンドのメンバーで録音したようですが、実際はどうプレイするかまで全てショルツの指示によるもので、完全に彼のコントロール下にある状態でのレコーディングだったようです。
そこから考えるにボストンというバンドは、スティーリー・ダンや末期のエレクトリック・ライト・オーケストラに近い存在と言えるかもしれません。
とにかく慌しい状態ながら彼らは78年に、2ndアルバム『Don't Look Back』(邦題は『新惑星着陸』)をリリースしました。このアルバムも売れまくり、ビルボードで1位を獲得し(全英では9位)、通産では800万枚を売り上げています。


Boston - Don't Look Back


『Don't Look Back』のタイトルナンバー。シングルカットされビルボードで4位、全英で43位を記録しています。
この曲はもうイントロのギターのカッティングからして、もうカッコよくてたまりませんね。
メロディー、曲の構成、アレンジ、ヴォーカル、ギターの音色と、どこを取っても完璧な曲だと思います。


Boston - a Man I'll Never Be


『Don't Look Back』からのシングル。邦題は『遥かなる思い』。ビルボードで31位。
イントロのピアノの音に導かれて、デルプの繊細なヴォーカルと独特の音色のギターが絡み、荘厳なパイプオルガンで締めるという構成が素晴らしい珠玉のバラードですね。
儚さと力強さが同居していて、これも名曲だと思います。


Boston - Feelin' Satisfied


『Don't Look Back』からのシングル。ビルボードで46位。
躍動感のある軽快なロックンロール・ナンバーで、いかにもアメリカンな感じがして好きですね。


Boston - It's Easy


『Don't Look Back』収録曲。
起伏に富んだめくるめく展開、透き通るようなヴォーカル、ドラマティックなギター、縦横無尽に動き回るベースと全てが素晴らしく、これがシングルカットされなかったのが不思議なくらいです。


この調子でどんどん作品を発表していくかと思われたボストンですが、ショルツの職人気質的な完璧主義が災いして、以降の活動は停滞します。
レコーディングは遅々として進まず、制作中にグドロー、ハシアン、シーハンが次々と脱退。おまけにあまりにもレコーディングに時間をかけ過ぎたため、ついにCBSレコードが我慢の限界に達し、契約不履行でバンドを訴えるのです。
しかもギャラの関係か何かでグドローもショルツを訴えることとなり、バンドは法廷闘争の泥沼の中に叩き込まれることとなりました。これでついにバンドの活動は停止します。
全ての法廷闘争が決着して、バンドが自由になったのはなんと86年でした。この年ボストンはMCAに移籍し、8年ぶりの3rdアルバム『Third Stage』をリリースしました。
このアルバムもやはり売れ、ビルボードで4週連続1位を獲得し、通産で400万枚を売り上げることとなります。


Boston - Amanda


『Third Stage』からのシングル。ビルボードで1位に輝く大ヒットとなっています。
もはやアメリカン・ハード・プログレと言うよりは、かなりAOR寄りな感じになっていますが、サビのメロディーの美しさはやはりボストンですね。
静かな歌い出しから徐々に盛り上げていく構成の上手さと、もはや職人芸と呼んでいいギターオーケストレーションの見事さは、さすがのものがあります。
ちなみに『Third Stage』は法廷闘争の合間を縫って、こつこつとレコーディングに勤しんで作られたものなので、作曲時期は作品によってバラバラです。この『Amanda』は80年に作られた曲なんだそうです。


この後バンドはマイペースで活動し、4thアルバム『Walk On』がリリースされたのは、やはり8年後の94年でした。
このアルバムもビルボードで7位まで上昇し、100万枚を売り上げましたが、個人的にはかつての良さが失われた気がして、これ以降は興味がなくなりましたね。
なおボストンはこのアルバムをリリース後メジャーからドロップします。アルバム自体は売れていたのですから不思議な気もしますが、職人的な制作態度を貫くショルツはメジャーでは扱い辛い難物だったでしょうし、ショルツ本人も制約のないインディーで満足いく作品作りを望んでいたんじゃないかと推測してします。
すっかり寡作っぷりが板についたボストンが、5thアルバム『Corporate America』をリリースしたのは、またもや8年後の02年でした。もはや狙ってるのかと当時は思いましたね。このアルバムはインディーでありながら、ビルボードで42位に入っています。


その後はメンバーをとっかえひっかえしつつ、気の向くままにツアーをしていたボストンですが、07年には看板ヴォーカリストのデルプを失いました。
彼はボストンのツアーと自身の結婚を控えていたのですが、3月9日に浴室に自動車の排気口からホースを引き込み、一酸化炭素中毒による自殺をしたのです。
現場に遺族宛の封書は残されていたそうですが、その死の理由については未だに明らかにされていません。この頃はもうボストンには興味がなくなっていましたけど、ニュースを聞いた時はさすがにショックでしたね。
バンドはヴォーカルに一時、ストライパー(懐かしいな。クリスチャン・メタル)のマイケル・スウィートを迎えてツアーをしていましたが、その後デルプ追悼のためカラオケに合わせてボストンの曲を歌ってネットにアップしたという縁で、ショルツに気に入られたというトミー・デカーロがヴォーカリストに就任し、現在も活動を続けています。
アルバムはもう11年も出ていませんが、またショルツがスタジオに籠ってこつこつと制作してるんじゃないかと思うと、ちょっと微笑ましいものがありますね。


ちなみにショルツのエンジニアぶりを示すエピソードを一つ。
彼はCBSとの法廷闘争の間に、ショルツ・リサーチ&デヴェロップメント(SR&D)という会社を興し、ロックマンというブランド名でエフェクターギターアンプなどを開発・販売しています。
これらのアンプやエフェクターは性能が高く、多くの著名人が使用していました。あくまでアナログに拘ったためノイズは多かったですが、いかにもボストンっぽい感じの独特の音を出すため、愛用者が多かったようですね。
日本でもB'zの松本孝弘がライブやレコーディングでロックマンの製品を使用していたことが分かったため、いきなり人気が出て中古市場価格が暴騰したなんてエピソードもあったくらいです。
後にエフェクターのデジタル化が進むと、ハンドメイドで生産コストの高いロックマンはそれらに太刀打ちできず市場から駆逐される事となり、ついに95年にショルツはSR&Dをダンロップに売り払うのですが、その後アナログエフェクターの価値が見直されるようになると、ショルツの開発した製品も復刻改良という形で再発され、現在でもアメリカでは販売されています。
ショルツは他にも「留守中の植物への水やり機」「チューニングの狂わないギター」などの特許を数多く取得しているそうです。根っからのエンジニア気質なんでしょうね。


【追記】

2013年12月3日に、11年ぶりの新作『Life, Love & Hope』のリリースが決定しました。
収録曲の中には、亡くなったブラッド・デルプがリード・ヴォーカルを務めた曲もあるとのこと。