ジョー・ジャクソン

どうもです。今日も前置きとかなしに、すぐに本題に入ります。前回のジョー・ジャクソンの続きです。
82年の5thアルバム『Night and Day』の大ヒットで、一躍都会的なポップスの第一人者として認められたジャクソンですが、彼はその地位に安住することなく、さらに変化を繰り返していくことになります。
この頃2年間の結婚生活が破綻し、ジャクソンは離婚してニューヨークに本格的に移住しました。そしてラテン音楽などを集中的に吸収し、83年にはデブラ・ウインガー主演の映画『Mike's Murder』のサントラを担当しています。
このサントラは未聴で、それどころか映画すら未見なんですが、監督は『チャイナシンドローム』などを撮った故ジェームズ・ブリッジスだそうなので、機会があったら観てみたい気はしますね。調べてみたらあまり映画の評判は良くないんですが。
これで一息入れた後、ジャクソンは84年に6thアルバム『Body and Soul』をリリースしています。
ジャケットはこんな感じでした。



これは著名なジャズ・サックス奏者、ソニー・ロリンズのアルバム『Sonny Rollins Vol.II』のパロディですね。本家のはこうです。



僕はジャズには全然詳しくないんですが、こういうジャケットのアルバムがあることは知ってましたから、かなり有名なデザインなんだと思います。
パロディに選んだ題材が題材ですから、なら今回もまたジャズ(実際検索してみると、このアルバムを「ジョー・ジャクソンがビッグ・バンド・ジャズに挑戦」と説明している文章が多かったです)なのかと思ったんですが、実際聴いてみると確かにジャスをベースにしつつも、ラテンやファンク、フュージョンなどの要素も取り入れ、彼ならではの特異なポップスに昇華していますね。
日本では『Night and Day』が有名過ぎて忘れられがちですが、このアルバムも渋く洗練されていて、なかなかの出来なんじゃないかと思っています。全英14位、ビルボードで20位。


Joe Jackson - You Can't Get What You Want (Till You Know What You Want)


『Body and Soul』からのシングル。ビルボードで15位に輝き、彼の最後のメジャーヒットシングルになっています。
曲自体もなかなか味わい深いのですが、ブラスセクション(ジャクソン本人もサックスを吹いてます)が放つカッコいいフレーズ、盟友グラハム・メイビーの弾くスラップ・ベース、ヴィニー・ズモ(ボサノバなどのラテン音楽のプレイヤーらしいです)の弾くノリが良くてキレのあるギターなど演奏も大変円熟味があって、当時高校生だった僕は大人の世界を覗いたような気持ちになりましたね。
今もライブでよく取り上げられており、本人もお気に入りの曲のようです。


Joe Jackson - Happy Ending


これも『Body and Soul』からのシングル。全英58位、ビルボードで57位。
シンディ・ローパー、ミートローフ、シェール、セリーヌ・ディオン、ボニー・タイラーなどのバックコーラスを務めた経験のあるエレイン・キャスウェルとのデュエットで、80年代ならではの哀感溢れる曲です。ジャクソンのぶっきらぼうなヴォーカルと、キャスウェルのハスキーでアバズレっぽいヴォーカルの絡みが絶妙ですね。
間奏部のテナーサックスもいい音で響いていて、さらに曲の魅力を増しているように思えます。


Joe Jackson - The Verdict


『Body and Soul』収録曲。
日本でもマツダ・ファミリアのCMに使われていましたから、ご存知の方もおられるのではないでしょうか。
この曲がアルバムの中では一番ジャズっぽいですかね。オープニングのブラスの迫力が圧倒的で、なかなかインパクトのある曲です。


そんなこんなでジャズやラテンなどを基本にしたポップス路線を推し進めていたジャクソンですが、この頃には学生時代に勉強したクラシックや現代音楽のフィールドでも、腕を振るってみたいという欲望が芽生えていたようです。その気になればフルオーケストラのスコアだって書ける人ですから、そっちでもやれると思うのは当然かもしれません。
それが高じたのか、85年になるとジャクソンは当時開催されたつくば万博で上映された映画『詩人の家』の音楽を制作するため来日し、東京交響楽団とのリハーサルとレコーディングを5週間かけて行なっています。当時の日本はバブル突入のちょっと前くらいでお金もあったんでしょうが、こんなマイナーな仕事を引き受けてしまうくらい、彼のオーケストラと作業したいという思いも強かったのでしょう。
この作業でガス抜き完了したのかジャクソンは再びポップスの世界に戻り、翌86年に7thアルバム『Big World』をリリースしています。
このアルバムはとにかく独創的でしたね。ライブアルバムでもないのに、オーバーダビング等を一切使わず全て一発録りでレコーディングされていましたから。
録音に際してはニューヨークのラウンドアバウト・シアターという古めかしい劇場が使われました。ミスが許されないという緊張感が全体を支配していて、演奏はかなり硬くピンと張り詰めたようになっています。一応観客席には聴衆を入れたんですが、演奏中に雑音を一切立てない、拍手は演奏が完全に終了するまで待つなど、様々な注意喚起がなされていたそうです。
ここまで読むと単なるスタジオライブなんじゃないかと思う方もおられますでしょうが、録音に関しては当時の最先端デジタル技術がふんだんに投入されており、音質は非常にクリアです。要するにコンサートホールを巨大なスタジオとして使った、ということになるのですね。ライブの緊張感とスタジオレコーディングの高品質を両立させるという、彼ならではの拘りを感じさせる意欲的な作品でした。ビルボードで34位、全英41位。


Joe Jackson - Right and Wrong


『Big World』からのシングル。ビルボードのメインストリーム・ロックチャートで11位。
黒っぽいベース(弾いているのはお馴染みのメイビーではなく、リック・フォードという人)がリードする、ソリッドな大人のロックンロールですね。


Joe Jackson - Hometown


これも『Big World』からのシングル。
アルバムの中では最もポップな曲ですね。シンプルで軽やか、かつトーンがナチュラルで、肩の力を抜いて聴くことができる良い曲です。


しかしジャクソンのクラシック熱はまた抑え難くなっていたようで、翌87年には問題作である8thアルバム『Will Power』をリリースします。
このアルバムはフルオーケストラを使った交響曲集(一部ジャクソンによるピアノ演奏)です。音だけ聴かされてこれがジョー・ジャクソンの作品だと分かった人は、当時一人もいなかったんじゃないでしょうか。ジャケットを見ても表面にはジャクソンの写真は一切使われておらず、インナーの裏面に小さく(それも俯いて頭を抱えている写真が)出ているだけでしたから。
ジャクソンの作風がこんな感じでカメレオンのように変わるものだというのは理解していましたが、さすがにこれにはついていけなかったですね。世間もそう考えていたようで、このアルバムはビルボードで131位と低迷しています。


Joe Jackson - Nocturne


『Will Power』収録曲。
ジャクソンが弾くピアノソロ曲で、なんか坂本龍一みたいです。


この頃のジャクソンは「もうチャートを気にするような音楽からは引退だ」とインタビューで語ったりもしており、意図的に大衆性を切り捨てていた節もあったようです。
翌88年には来日し、『Will Power』の曲を日本フィルハーモニー交響楽団を率いて上演。帰国後はジョージ・ルーカス製作、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『Tucker: The Man and His Dream』(邦題は『タッカー』)の音楽を担当(全編シンフォニックジャズでした)するなど、言ってみれば超俗的な活動を続けていました。
しかしまたしても気が変わったのか、ジャクソンは89年になると再びメイビーらを迎え、9thアルバム『Blaze of Glory』をリリースします。
このアルバムは後で聴いたんですが、とりあえず曲がすべて切れ目なく連続してましたね。アルバムがジャクソン本人の自伝的内容だったため、コンセプト・アルバム的に聴いてもらいたいという意図があったんでしょう。
音自体は通常のバンド編成の楽器やホーン類はもちろんのこと、シタールやバイオリン、チェロ、ダブルベースまで使っていて、随分と凝ったサウンドワークになってましたが、凝り過ぎているきらいもあり、セールスは全英36位、ビルボードで61位といまいちでした。


Joe Jackson - Nineteen Forever


『Blaze of Glory』からのシングル。ビルボードでのオルタナティブ・ソングチャートで4位。
「僕は絶対に35歳にならない」と歌っていますが、当時ジャクソンは34歳でしたから、これは自身の心境を歌にしているのでしょうね。


90年代に入るとジャクソンは古巣A&Mレコードを離れ、ヴァージンに移籍するのですが、この頃から鬱病を病み、活動は停滞していきます。
91年には10thアルバム『Laughter & Lust』をリリース(全英41位、ビルボードで116位)するのですが、その後病状は悪化し、ついには作曲どころか音楽を聴くことすらできなくなってしまいました。


Joe Jackson - Obvious Song


『Laughter & Lust』からのシングル。ビルボードでのオルタナティブ・ソングチャートで2位。
とても鬱病を病んでいる時期に作られたとは思えない、アッパーで派手なビリー・ジョエルみたいな曲なんですが、様々な葛藤の末にこういう世界に行き着いたのかと思うと、何とも複雑な気分になります。
精神的にどん底まで落ちると、ポジティブなものを希求するようになるんですよね。自分も鬱病を患ったことがあるんで、そのあたりの機微は理解できるような気がします。


隠遁状態だったジャクソンですが、94年になると鬱病を克服し、アルバム『Night Music』で音楽業界に復帰を果たします。このアルバムはなんかマイケル・ナイマンみたいで、正直まだ良くなってないんじゃないかと思いましたけど。
その後はさらに音楽的なフィールドを広げ、地味ながら堅実に活動しています。日本ではまったく報道されませんでしたが、99年のアルバム『Symphony No.1』は、01年にグラミー賞のベスト・ポップ・インストルメンタル・アルバムを受賞してますし。ちなみにこのアルバムでギターを弾いているのはあのスティーブ・ヴァイです。
また21世紀に入ると往年のジョー・ジャクソン・バンドを再結成し、シンプルなロックに回帰する動きも見せました。


Joe Jackson Band - Still Alive


ジョー・ジャクソン・バンド名義で03年にリリースされたアルバム『Volume 4』からのシングル。
シンプルに演奏されたミドルテンポのロックで、いい感じで枯れていて個人的には好きですね。メロディーもいいですし。


他にも04年にトッド・ラングレンとツアーしたり、12年にイギー・ポップスティーブ・ヴァイらを迎え、デューク・エリントンのカバーアルバム『The Duke』をリリースするなど、相変わらず奔放に活動しているようです。
あまりにもめまぐるしく変化したため、捉えどころのない面も確かにあるんですが、変化に伴うリスクを恐れずに変わり続けるところが、彼のミュージシャンとしての真骨頂だと思うんですよね。
そのへんを抜きにしても、なんでもスポンジのように吸収しそれを咀嚼して自分のものとして再構成してしまう特異な才能と、それを可能にした音楽的な教養の広範さと引き出しの多さ、そしてあらゆるジャンルに対して真摯に臨む学究的な態度は、もっと評価されていいと思います。