突然二週間お休みしてすみません。でも已むに已まれぬ事情があったんですよ。
何かと言うとそれは眼疾です。何の前兆もなくいきなり、黒目が思い切り外側に寄ってしまったのですね。昔のテリー伊藤氏や今のあぶらだこのヒロトモさんを、もっとひどくしたような斜視になってしまったのです。しかも時々外寄りになるのが左右入れ替わるので、もう何だかわけが分かりません。
そんな状態ですから当然まともにものが見えるわけがなく、正面の画像と横の画像が同時に網膜に映るというカオスな状態になり、歩くことすらままならなくなってしまいました。首を90度に曲げると何故か焦点は合うのですが、当然ですがそんな体勢をずっと続けられるわけもないですし、その日は基本的にほとんど横になったままでしたね。
で翌日、朝一番で眼科医に行ったんですが、これは脳動脈瘤か脳腫瘍の可能性があると言われて、大病院の脳神経外科への紹介状を書いてもらい、急遽そこに行くことになってしまいました。さすがにそんなすごい病名が出てくるとは思わなかったので、かなりビビりましたね。最近も同僚が一人脳動脈瘤の破裂で亡くなってますし。
結局脳神経外科でMRIを撮ったり、精密検査を受けたりして、そっちの可能性は排除されたんですが、そうすると今度は原因が分からない、ということになってしまい、それはそれで困りました。
そうこうすること約二週間、多分ストレス性だろうということで、とりあえず処方されたステロイド系の薬品が効いたのか、段々と画像のずれが小さくなっていき、今日になってようやく普通に見えるようになって、ほっとしているところです。
と言っても、まだ時々ものが二重に見えたり、右目からだけ涙が出てきたり、まぶたが異様に痙攣したり、時々視界に小さなものが飛んでいるように映ったりと、かなり不安定な状態ではあるのですが。
それでもものを書く分には支障はないと思いますので、今週からまた再開します。よろしくお願い致します。
今回取り上げるのは、自分が中学生時代に一世を風靡したスーパートランプであります。
79年にリリースしたアルバム『Breakfast In America』は、英米だけではなく世界中で大ヒットし、1800万枚以上の売り上げを記録しています。
日本でもオリコンのアルバムチャートで2位に入ったくらいですから、本当に売れたんですよ。
このジャケットに映っているリビーおばさんという人が、プロモーションのため単独来日したこともありましたっけ。それはそれですごい話ですね。
余談ですがこのバンドの名前を見て、当時中学生だった自分は「すごいトランプ」と訳して、ダサい名前だなと勘違いしてましたっけ。
英語を知らないというのは恐ろしいものですね。日本で言うトランプは英語では「Card」と言い、「Tramp」は放浪者という意味だということを知ったのはだいぶ後のことでした。
要するにスーパートランプというのは「素晴らしき放浪者」という意味だったわけで、それを知った時には顔から火の出るような思いをしました。まあ若気の至りですね。
このバンド名はウィリアム・ヘンリー・デイヴィスの『The Autobiography of a Super-Tramp』(「素晴らしき放浪者の自叙伝」の意)という小説から取った、ということを知ったのは、またそれからだいぶ後のことでしたっけ。
スーパートランプは68年英国で、リック・デイヴィス(ヴォーカル、キーボード。ギルバート・オザリバンが在籍していたことで知られる、リッグス・ブルースというバンドで活動していた)が出したメンバー募集の広告を見て、やって来たロジャー・ホジソン(ヴォーカル、キーボード、ギター)と組んだザ・ジョイントというバンドが元になっています。
バンドは欧州各国をツアーしますが、ドイツのミュンヘンで彼らを見たオランダの大富豪スタンレー・オーガスト・ミエセガエスに気に入られ、彼に資金援助を受けるようになって運が開けていきます。
彼らはミエセガエスの進言によりバンドを編成し直し、名前もスーパートランプに変えました。そしてミエセガエスのコネもあってA&Mレコードとすんなり契約もまとまり、70年にアルバム『Supertramp』でデビューしたのでした。
当時の彼らの音楽性は、早い話がプログレでした。初期のメンバーには後にユーライア・ヒープで叩いたキース・ベイカー(ドラムス)、後期のキング・クリムゾンで作詞家として参加(『Larks' Tongues in Aspic』『Starless And Bible Black』『Red』で書いている)していたリチャード・パーマー=ジェームス(ヴォーカル、ギター)、元ルネッサンスのフランク・ファレル(ベース)がいたということからも、プログレとの強い結びつきが伺えるでしょう。
ただ当時はサウンドは消化不良で方向性も定まっておらず、売り上げはほとんど上がりませんでした(全米158位)。71年には2ndアルバム『Indelibly Stamped』(邦題は『消えない封印』)も出しましたが、これも見向きもされなかったようです。
しかし彼らには高くソフトで独特の艶を持つホジソンと、低くブルージーなデイヴィスのツイン・ヴォーカル、そしてツイン・キーボードによる表現力と言う武器がありました。これを生かしていく決心をした二人は、音楽性をポップ方向に向け、メンバーも一新し、新しいスタートを切ることとしました。
そして起死回生を目論んでリリースした3rdアルバム『Crime of the Century』が全英4位のヒットを記録し、ようやくメインストリームに浮上することに成功したのです。
Supertramp - Crime of the Century
『Crime of the Century』のタイトル曲。
まだプログレの名残が残っている感じで、ドラマティックな感動が残る曲です。
なおこのアルバムをりリースした翌75年には、彼らは待望の初来日も果たしています。
Supertramp - Give A Little Bit
77年リリースの5thアルバム『Even In The Quietest Moments...』(邦題は『蒼い序曲』)。ビルボード15位、英国で29位のヒットとなりました。
英国で成功した彼らが、アメリカでの成功を狙って作った曲で、プログレ色は一掃され、ポップな仕上がりとなっています。
ちなみにこの曲の当時の邦題は『少しは愛をください』というダサいものでした。
この頃スーパートランプの日本での人気や知名度は、非常に低かったです。
当時まだ彼らはプログレとして紹介されていましたが、どっちかと言うとコンテンポラリーなポップ・ロックに舵を切りかけている最中で、日本のプログレファンのお眼鏡には適わなかったのですね。
その評価が一転するのが、79年リリースの『Breakfast In America』でした。完全にポップになったサウンドでブレイクを果たすのです。
Supertramp - The Logical Song
『Breakfast In America』からのシングル。ビルボード6位。英国7位。
ホジソンのソングライティングとリリカルなヴォーカルと、いかにも英国人らしい皮肉っぽい歌詞のマッチングが素晴らしい名曲ですね。
ちなみにこの曲の初期の邦題は『とても論理的な歌』でしたが、現在は『ロジカル・ソング』になっています。
Supertramp - Breakfast In America
『Breakfast In America』のタイトルナンバー。79年英国9位。ビルボード62位。
ホジソンが19歳の頃に書いた曲だそうで、2分半と短いのですが、ホジソンのヴォーカルとジョン・ヘリウェルのソプラノサックスの絡みが素晴らしく、小品ながらお腹いっぱいになる曲ですね。
歌詞は聴きようによってはアメリカを皮肉っているようにも聞こえます。アメリカで売れなかったのはそれが原因だったのかもしれません。
またこの曲は日立のカセットテープのCMにも使われ、日本でもヒットしています。
Supertramp - Goodbye Stranger
これも『Breakfast In America』からのシングル。ビルボード15位。英国では57位。
軽快なキーボードのイントロから始まって、デイヴィスのジャージーなヴォーカルとサビでのホジソンのファルセットボイスが十分に堪能できる曲です。
二人のヴォーカリストを持っている強みが、存分に出ていますね。また後半の演奏の盛り上げは、かつてのプログレ時代を思わせてくれます。
Supertramp - Take the Long Way Home
これも『Breakfast In America』からのシングル。ビルボード10位。
ユーモラスで印象的なメロディを歌う、ホジソンのニュアンスたっぷりのヴォーカルがいいですね。
Supertramp - It's Raining Again
82年のアルバム『...Famous Last Words...』からのシングル。ビルボード11位。英国では26位。
『Breakfast In America』時代の神がかった雰囲気はなくなりましたが、ポップ・ロックとしてはいい出来なのではないでしょうか。
個人的にはポップに寄り過ぎた気がして、当時はそんなに聴き込まなかった記憶がありますが。
しかし82年、バンドに激震が走ります。中心人物のホジソンが脱退して、ソロに転向したのです。
脱退の原因は不明ですが、友好的なものではなかったのは確かで、ホジソンとデイヴィスは、以降スーパートランプではホジソンの書いた曲を演奏しないという取り決めを交わしました。
彼らの曲は基本的に作詞作曲は「デイヴィス/ホジソン」とクレジットされていますが、実際はメインヴォーカルを取った側が作っていました。
これまで出した多くのヒット曲は、ほとんどホジソンが歌っていたわけで、つまりそれはそれらの曲をバンドが演奏できないということになります。
なんでこんな取り決めをデイヴィスがしたのかは分かりませんが、ホジソンなしでも立派にやってみせるというリーダーの意地もあったのかもしれません。
しかしその後スーパートランプのセールスは下降線を辿り、88年のツアー終了後、ベースのダギー・トムソンが脱退表明(これもデイヴィスとの確執が原因らしい)したのをきっかけに、バンドは崩壊してしまいます。
バンドはデイヴィスを中心として、96年、10年に再結成をしますが、ホジソンやトムソンにはかつての確執からか声がかからず、バンドの人気も低迷しているようです。
ただ長い年月の間にうやむやになったのか、それとも両者の間で何らかの取り決めがなされたのか、現在スーパートランプはホジソンの書いたかつてのヒット曲も歌っています。動画を観ると声がやはり違うので違和感はありますが、ステージ自体は結構盛り上がってました。
その一方ホジソンはソロとして活動し、大きなセールスこそないものの、地道に演奏を続けています。
一度イエスに加入するという話が持ち上がり、実際曲もレコーディングしましたが、本来のヴォーカリストであるジョン・アンダーソンが復帰したため、ご破算になったということもありました。
94年にリリースされたイエスのアルバム『Talk』には、その時に彼が歌った『Walls』が収録されています。