ジ・アッセンブリー/フィアガル・シャーキー

ここのところ割と涼しいですけど、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕はもうこの時期は全然ダメなので、しばらくは軽めの更新でお茶を濁していこうかと思ってます。
いまいちだるいんですよね。早くも夏バテしてるんでしょうか。昔なら鰻でも食べて精をつけたものですが、最近は高くてとてもじゃないけど僕のような底辺には手が届かなくなっちゃって。
いざとなったら吉野家あたりの安い鰻丼で妥協しましょうか。このご時勢に680円とか、逆に不安になってくるレベルではありますが。


というわけでなんか気力がないので、今回は安直に前々回の続きをいきます。
アンダートーンズ解散後、ヴォーカルのフィアガル・シャーキーはジ・アッセンブリーというエレポップ・ユニットに参加した、というのは前にちょこっと書いたんですが。
このユニットは83年にシャーキー、元デペッシュ・モード、ヤズーのヴィンス・クラーク、それとよく分からないけどSE等を担当しているらしいE.C.ラドクリフの三人で結成されています。
あとギタリストとしてデイブ・クレムソンなる人物も参加しているのですが、元コロシアム、ハンブル・パイ等で弾いていた人と同姓同名(クレム・クレムソンという呼び名のほうが有名ですが)ですね。まあ多分偶然の一致なんでしょう。そんな有名なギタリストが、わざわざエレポップ・ユニットに参加するとも思えないですし。
なんでもクラークがシャーキーのソウルフルなヴォーカルに惚れ込んで、自分からユニット結成を申し出たそうです。クラークはヤズーでもアリソン・モイエを迎え、ソウルフルなヴォーカルとエレポップの合体を試みていますから、その延長線上のアイディアだったんでしょうね。


The Assembly - Never Never


83年のシングル。全英4位。
ポップなシンセの音とシャーキーの独特の線の細いハイトーン・ヴォーカルが絡む、切ない感じのバラードですね。
初期デペッシュ・モードのヴォーカルをソウルっぽくした風で、ちょっとベタな感じもしますけど、個人的には好きな曲です。


しかしジ・アッセンブリーはこのシングル1枚だけで解消されました。多分期間限定ユニットとか、そんな感じの活動だったんでしょう。
その後クラークはポール・クインと組んでシングルを出した後、85年にアンディ・ベルとイレイジャーを結成し、老若男女から英国王室までを含む幅広い人気を獲得しました。
一方シャーキーのほうはソロ・シンガーに転向。ユーリズミックスデイヴ・スチュワートにプロデュースを依頼し、やたらとゴージャスな雰囲気のラブソングを歌うようになったのです。


Feargal Sharkey - Listen To Your Father


84年のデビュー・シングル。全英23位。
マッドネスのチャス・スマッシュことカサル・スミスのペンによるもので、いかにもマッドネスらしい跳ねた感じを持ったポップなナンバーですね。


Feargal Sharkey - Listen To Your Father


これはBBCの『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演したときの映像。
バックバンドとしてマッドネスが特別出演しています。


Feargal Sharkey - A Good Heart


85年に全英1位を獲得し、彼の最大のヒットとなった曲です。邦題は『夢の恋人』。ビルボードでは86年に74位。
これはローン・ジャスティスのマリア・マッキーから提供されたもので、ちょっとブルー・アイド・ソウルっぽさも感じさせる、なかなか聴かせるタイプの曲です。
甘いメロディーを、彼独特のハイトーンでソウルフルなヴォーカルで歌い上げるさまは、ソウル好きならたまらないかもしれません。
ちなみにマッキーはこの頃まだ21歳で僕と同い歳でしたから、すごい才能だなと思った記憶があります。ボブ・ディランドン・ヘンリーなんかの大御所たちも、彼女をプッシュしてましたし。
あとマッキーさんはすごい美人だったんですよね。こんな綺麗な女性ミュージシャンは、かつてのスティービー・ニックスと彼女くらいかなあと、若い頃の僕は思ったものでした。



当時はこんな感じでした。さすがに今は歳相応になってますけど、まあそれは仕方ない。
彼女のいたバンド、ローン・ジャスティスも、あまり売れなかったですけどいいバンドでした。一時期ギタリストとして、あのピーター・バラカンの弟であるショーン・フォンテイン(本名はマイケル・バラカン)も参加していましたっけ。
フォンテインはブルース・スプリングスティーンブライアン・アダムスなどのレコーディングやツアーに参加したこともある、なかなかの腕利きミュージシャンです。


とえらく話が飛びましたが、シャーキーの快進撃はその後も続きます。


Feargal Sharkey - You Little Thief


85年のシングル。全英5位の大ヒットとなりました。ちなみに邦題は『キュートな恋ドロボー』という殺人的なものでしたっけ。
この曲はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのキーボード・プレイヤーである、ベンモント・テンチの書いたもので、モータウン風の軽快なサウンドが印象的です。
大勢のブラス・セクションを従えゴージャスなステージを展開するPVを観ると、地味だったアンダートーンズ時代の反動なのかもと思ったりもして。


これらのヒット曲を収録したデビュー・アルバム『Feargal Sharkey』(邦題は『黄昏のラヴ・ソングス』)も全英12位とヒットし、彼はソロ・シンガーとして順調なスタートを切るのです。


Feargal Sharkey - Never Never


86年のベルギーでのライブだそうです。
ジ・アッセンブリー時代の持ち歌を、アコギ一本のアレンジで歌っていますが、メロディーが良いせいか、違和感はほとんど感じないですね。
この頃が彼がシンガーとして、一番充実していた時期なんじゃないでしょうか。


しかしこの後すぐに、彼の躓きはやって来ました。
デビュー・アルバムの成功の余勢を駆って、全米進出を目論んだシャーキーは、88年にアメリカ西海岸に飛び、ダニー・コーチマーをプロデューサーに迎え、ワディ・ワクテル、スティーブ・ジョーダン、マーク・ゴールデンバーグといった腕利きのセッションマンたちをバックに、2ndアルバム『Wishing』をリリースします。
さらにAOR的な路線を展開したこのアルバムには、なんとあのキース・リチャーズが飛び入りで一曲参加するなど、話題性も十分でした。しかし残念ながら売れ行きは芳しくなく、英国でシングル『More Love』が辛うじて44位に入っただけで、アルバムは英米どちらともチャートインしないという惨敗を喫したのです。
これですっかり失速した彼は、91年にアルバム『Songs From The Mardi Gras』をリリースし、『I've Got News for You』を全英12位のヒットにするなど持ち直したようにも見えたのですが、結局自分の才能に見切りをつけたのか、それっきり音楽界から足を洗ってしまいました。


その後彼は音楽業界のビジネスマンに転身します。
ポリドール・レコードでのA&Rの職などを経て、現在はミュージシャンやレーベルの利益を代表する団体、UK MusicのCEOを務めているそうです。その業績を称えてハートフォードシア大学とアルスター大学から、名誉博士号も送られているとか。
華やかな表舞台から一転、縁の下の力持ちとして業界を支える側になったわけですね。そこでも成功しているのですから、才覚もある人なんでしょう。
09年に撮られた写真も見ましたが、いかにも仕事のできそうないいおじさんになっておりました。まだ54歳ということなので、これからもバリバリ仕事をして、英国の音楽業界を活性化してもらえればと思います。