ザ・クリスチャンズ

突然ですが、今日で1ヶ月の鬱による療養を終えて、仕事に復帰することとなります。
とは言えまだ本格復帰の練習みたいな状況で、週3日のみの出勤となるのですが、それでもやっぱり気が重かったりします。
特に仕事が嫌とかそういうことはないんですが、長いことずっと休んでいたので、同僚と顔を合わせるのにバツが悪いという気持ちがあるんですよ、正直な話。
まあ復帰の挨拶さえしてしまえば、あとは何とでもなると思うんで、あまり気に病まずに前向きに行かないといけないですね。


とどうでもいい前置きをしてしまいましたが、今回は前回の続きです。
前回ネタにしたイッツ・イマテリアルを脱退したヘンリー・プリーストマンが、その後に結成したザ・クリスチャンズを取り上げてみたいと思います。
80年代の半ばに英国では、スタイル・カウンシルやブロウ・モンキーズ、ファイン・ヤング・カニバルズ、シャーデー、ポール・ヤングなどのUKソウルブームがあったのですが、彼らもその波に乗って現れた人たちですね。
特徴は伝統的なソウル・ミュージックを、イギリス的な湿り気のある洗練されたサウンドで包み込んだところでしょうか。一言で言うと「オシャレな音」。
しかしただ単に洗練されているわけではなく、歌には結構骨があります。重厚なコーラス・ハーモニーも素晴らしく、実力はかなりのものだったと思います。
デビュー時にはメンバー全員三十路に突入していたという、超遅咲きのグループだったので、培われた確かな土台があったのでしょう。
あとはスキンヘッドにサングラスという、ギャリー・クリスチャンの「黒いサンプラザ中野」のような風貌もインパクトがありましたね。


彼らは85年に英国リバプールで結成されました。
メンバーは黒人であるギャリー(リードヴォーカル)、ロジャー(キーボード、ヴォーカル)、ラッセル(サックス、ヴォーカル)のクリスチャン3兄弟と、白人のプリーストマン(キーボード)という編成でした。
グループ名の由来はもちろん3兄弟のファミリーネームです。偶然にもプリーストマンのミドルネームもクリスチャンだったため、この名前はぴったりでしたね。
87年には次兄のロジャーが脱退してしまいますが、彼らの実力は高く評価されていて、同じ年にメジャーのアイランドと契約することになります。
折からのUKソウルブームもあって、彼らには多大な期待がかけられていたようで、デビュー前からアイランド・レコードの25周年記念アルバムに曲の収録を許されるなど、扱いは破格だったようです。
その期待に違わず、彼らの活動は最初から順調な滑り出しを見せました。


The Christians - Forgotten Town


87年のシングル。全英22位。邦題は『明日なき町』。
これが彼らのデビュー曲なんですが、いきなりクオリティが高くてビックリです。すごくソフィスティケートされたポップソウルですね。
またUKソウルというのはオシャレな音のイメージとは違って、歌詞が政治的状況にコミットしたものが非常に多かったのですが、彼らも例外ではなく、この曲もヘヴィな英国の現実を見据えた歌詞になっています。


The Christians - Hooverville(And They Promised us the World)


87年のシングル。全英21位。
オシャレなサウンドでありながら、英国の貧困問題をフーバービル*1になぞらえた、硬派な歌詞が現実を鋭く突く彼らの代表曲です。


The Christians - When The Fingers Point


87年のシングル。全英34位。
彼らの曲の中でも最もファンキーな躍動感があって、個人的にはとても気に入っています。


ここで満を持してリリースされたアルバム『The Christians』が全英2位の大ヒットを記録し、彼らは一気にブレイクすることとなるのです。


The Christians - Ideal World


『The Christians』からのシングルカット。全英14位。
ソウルフルで暖かみのあるギャリーのヴォーカルが光る名曲ですね。


The Christians - Harvest For The World


88年にシングルカットされ、全英8位の大ヒットとなった曲です。
アイズレー・ブラザーズのカバー(スタイル・カウンシルパワー・ステーションもカバーしていました)なんですが、よりモダンな形に生まれ変わっていて、なかなか聴き応えがあります。
なおこの曲はソウル五輪を記念して編集されたアルバム『One Moment In Time』に収録され、そこからシングルカットされてヒットしています。
まあ日本ではホイットニー・ヒューストンのタイトル曲ばかりが有名なんですけどね。全英でも1位でしたし。
ちなみにホイットニーの曲は、あの『カリフォルニアの青い空』のアルバートハモンドとジョン・ベティスカーペンターズのオリジナル曲の大半の作詞をしていた)の共作だったりします。
話はさらに飛びますが、ハモンドの息子のアルバートハモンドJrは、ザ・ストロークスでギタリストとして活躍してますな。自分も歳を取るわけだ。


Hillsborough - Ferry Cross The Mersey


89年にシングルカットされ、全英1位の大ヒットを記録した曲です。邦題は『マージー河のフェリーボート』。65年にジェリー&ザ・ペースメイカーズがヒットさせた曲のカバーです。
この曲は89年に発生したイギリスのスポーツ史上最悪の事故、ヒルズボロの悲劇*2の犠牲者を悼むチャリティー・ソングとしてリリースされました。
プロデューサーはユーロビートの大立者ストック・エイトキン・ウォーターマンが務め、ザ・クリスチャンズ以外にも本来この曲を歌っていたジェリー・マースデン、ポール・マッカートニーフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのホリー・ジョンソンという、豪華なメンバーが集結して歌っています。
ちなみにこの曲は日本でもCDが発売されましたが、チャリティーのことは一言も書いてありませんでした。ホントひどいよなアルファ・レコード。


The Christians - Words


89年リリースのシングル。全英18位。『Woman Of Ireland』(原題はゲール語で『mna'na hE'ireann』)というアイルランドの伝承歌のカバーです。
地味と言えば地味なんですが、心に染み入る感じがして好きですね。やはりアイルランド民謡は自分に合うみたいです。
それとベースのピノ・パラディーノのプレイも、ツボを押さえていて良いですね。
ちなみに同じ曲にサラ・ブライトマンが歌詞をつけて、『So Many Thing』というタイトルで歌っていました。
あまりスケートに詳しくないんで間違ってたら申し訳ないんですが、トリノ五輪スルツカヤ(この名前もいまいち自信ない)がエキジビジョンの時サラ・ブライトマンのバージョンを使っていて、
「あれ、クリスチャンズの『Words』だ。でも女性が歌ってるし、歌詞もなんか違うっぽい」
と悩んだ記憶がありますね。


彼らの快進撃はさらに続き、90年にリリースされた2ndアルバム、『Colour』は全英で1位を獲得しています。
しかし順調だったのはここまでで、その後はUKソウルブームが去ったせいもあってセールスは伸び悩み、92年の3rdアルバム『Happy In Hell』以降活動は停滞しました。
そして95年、リードヴォーカルだったギャリーが脱退したため、ザ・クリスチャンズは解散することとなってしまいます。
ギャリー脱退の理由は、プリーストマンが大部分の作曲を手掛けていたため、自分の曲のアイディアが思うように取り上げられなかったことに対する不満が溜まっていたからのようです。


解散後ギャリーはパリに渡り、ソロシンガーとして活動していましたが、99年には弟のラッセルらを呼び寄せ、ザ・クリスチャンズを再結成させました。
03年にフランスのインディーズ・レーベルから4thアルバム『Prodical Sons』をリリースし、その後も2枚のアルバムを発表しています。
05年にはラッセルがツアーを望まず脱退してしまいましたが、ギャリーはメンバーを補充し、現在もザ・クリスチャンズとして活動を続けているようです。
なおもう一人の中心人物であったプリーストマンは、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マカロックのソロをはじめとして、いろんなミュージシャンのプロデュースやサポートメンバーとして活躍しています。
12年にはクリスチャンズのリバプール公演にゲスト参加するなど、ギャリーとの関係も修復されたようです。
また初期に脱退した3兄弟の次兄ロジャーは、98年に脳腫瘍のため死去しています。今回調べるまで知らなかったんですが(つーか顔も知らない)、今さらながらですけどご冥福をお祈り致します。

*1:1930年代の世界恐慌の頃、米国で貧窮者が建てた掘っ立て小屋が立ち並ぶ街のことをこう呼んだ。

*2:89年4月15日、イングランド、シェフィールドのヒルズボロ・スタジアムでのリバプールノッティンガム・フォレストの試合で、ゴール裏の立見席に収容人数を大幅に超える人数の客が集まったため、場内を仕切る鉄柵が崩壊して将棋倒しとなり、死者96人、重軽傷者766人を出す大惨事となった。最初はフーリガンとの関係が指摘されたが、後の調べで観客誘導に手落ちがあったためと判明した。