ヒューマン・リーグ

さて今回はどうでもいい前置きは抜きにして、前回のヒューマン・リーグの続きをいきましょう。
とにかくヒット曲ばっかりなので、ちょっとこのブログっぽくない雰囲気になるかもしれませんが、その点は御了承願えれば何よりです。


マーティン・ウェアとイアン・クレイグ・マーシュが抜けたため、ヒューマン・リーグの名前を引き継ぐことになったフィル・オーキー(ヴォーカル)とフィリップ・エイドリアン・ライト(映像、キーボード)ですが、そのためかなりの窮地に陥っていました。
何故ならヴァージン・レコードがヒューマン・リーグに対して行ってきた金銭援助の負債が、全部二人の肩にかかってしまったのです。正確には不明ですが、結構な高額だったようですね。
また直近にヒューマン・リーグとしての欧州ツアーも控えており、それを完遂するためには急いでメンバーを補充する必要がありました。なにしろプロモーターたちはツアーができなくなる可能性が高くなると見て、オーキーを訴えると脅し始めてましたから。
オーキーは地元シェフィールドのクラブに出かけ、そこで踊っていたスーザン・アン・サリー(ヴォーカル)とジョアンヌ・キャトラル(ヴォーカル)を見つけ、彼女たちをスカウトします。ただ二人ともハイスクールの学生で、ジョアンヌは18歳、スーザンは17歳の未成年だったので、オーキーは二人をツアーに帯同するために、双方の親に訪問して許可を取らなくてはならなかったのですが。
オーキーとしては、二人の女の子をフロントに出すことによって、アバのような路線をシンセ・ミュージックで展開することを考えていたようですね。なかなか戦略的な視点の持ち主ですし、ドラスティックな変化を厭わない豪胆さも持っていたのでしょう。
またオーキーとライトは楽器が弾けないどころか、シンセサイザーの知識もろくになかったため、プロのミュージシャンを採用することを考え、やはりシェフィールドでグラフというシンセ・バンドにいたイアン・バーデン(キーボード、ベース)をセッション・ミュージシャンとして雇い入れ、欧州ツアーに出発しました。
ただこのツアーは不評だったようですね。かつてのラインアップを観に来た客は当然ですが不満でしたし、音楽雑誌は彼らを「Oakey and his dancing girls」として、軽蔑と嘲笑の対象にしました。とてもじゃないですが、この後すぐブレイクするって感じではなかったようです。
ツアー終了後、バーデンは次の仕事のために西ベルリンに行ってしまいますが、オーキーはこのままの路線を行くことを決め、スーザンとジョアンヌを正式メンバーに迎え入れています。


その後オーキーはバーデンを呼び戻し、またポップ・パンクのはしりでもあるレジロスの創設メンバーだったジョー・キャリス(キーボード、ギター)もメンバーに迎え、バンドとしての体裁を整えます。
インタビューでオーキーは「うちにもようやく和音の弾けるキーボード・プレイヤーが入ったからね。単音に拘る必要がなくなったんだ」と語っていたそうですから、このラインアップは必然でしたし自信も持っていたのでしょう。
またヴァージン・レコードは彼らがいまいち結果を出せないのは、プロフェッショナルの介在が少な過ぎたからだと考え、ストラングラーズ、バズコックス、ジェネレーションXらと仕事をしたマーティン・ラシェントをプロデューサーに迎え入れました。
これで新布陣となった第二期ヒューマン・リーグは、81年4月にシングル『The Sound of the Crowd』をリリースします。するとこれがトップ20に入るヒットとなり、彼らは一躍人気者になるのです。


The Human League - The Sound of the Crowd


第二期ヒューマン・リーグ初のシングル。全英12位。
これは第一期と第二期のハイブリッドみたいな感じで、個人的には結構好きでしたね。かなりダンサブルな曲ですが、シンセの主旋律が変ですし、サビで「アーッ、アーッ」と叫び続けるのもなんか変です。


このあと彼らは怒涛のポップ路線を推し進め、一気にスターダムへとのし上がっていきます。


The Human League - Love Action (I Believe in Love)


同年7月リリースのシングル。全英3位。
これまでのヒューマン・リーグからは考えられない、思いっきりポジティブな感じの曲になってますね。
実は第二期ヒューマン・リーグで一番最初に聴いたのがこれだったんで、さすがに戸惑いましたっけ。先に『The Sound of the Crowd』を聴いていればまだ違和感は少なかったと思うんですが。


The Human League - Open Your Heart


同年9月リリースのシングル。全英6位。
『Love Action(I Believe in Love)』以上にポップでハートフルな感じになっているのに驚きますが、ここまでやられたらしょうがないな、という気にはなりました。
メロディーが非常に分かりやすく覚えやすいので、個人的には結構好きです。


同年10月には、新生ヒューマン・リーグ初のアルバム『Dare』(邦題は『デアー!』。ヒューマン・リーグとしては通算3枚目)がリリースされます。
どの曲もポップできらびやかで、それまでのマイナー色は皆無です。とはいえラシェントならではの特徴的なリン・ドラム*1の使い方は、なかなか面白いものがありましたが。
初めて聴いた時は「そりゃ売れるよなあ」と思ったんですが、実際全英1位、ビルボードで3位、カナダやスウェーデンニュージーランドで1位、フランスで5位、ノルウェーで6位など、世界中で大ヒットしています。


The Human League - Don't You Want Me


『Dare』からのシングルカット。邦題は『愛の残り火』。
全英、ビルボード、カナダ、アイルランドニュージーランドで1位、南アフリカで2位、スウェーデンで3位、オーストリアで4位、西ドイツで5位、オランダで5位と世界中で売れまくり、ヒューマン・リーグの名を不動にした名曲です。
ナルシスティックなヴォーカルで歌われる哀愁のメロディを、マイルドなディスコ・ビートに載せたポップスですね。ベタなテクノ歌謡という見方もできるでしょうが、時代を代表する一曲には間違いないですね。
歌詞は名もないウエイトレスだった女が、ある男に励まされながらやがて芸能人として人気者になり、男の元から去っていくという内容で、「お前をそこまで育てたのは俺だ。そんな俺を捨てるのか」「それは感謝してるけど、私ももう自分の道を行きたいの」という身も蓋もない掛け合いは、思いっきり演歌っぽくて笑ってしまいます。
PVも基本的に歌詞の内容を踏襲していますが、MTV全盛期に差し掛かっていた頃でしたから、この映像は相当訴求力があったんじゃないでしょうか。その点女性二人を入れてヴィジュアル面を強化したオーキーは、慧眼の持ち主だったのかもしれません。


個人的にはこの大ブレイクを、複雑な思いで見ていたところはありますね。
前回も書きましたけど、ヒューマン・リーグは実験的なことをやっているのに音がポップなところが魅力だと思っていたのに、これだと音もポップでやってることもポップというわけで、何だかよく分からなくなっちゃいましたから。
メンバーのキャリスは「昔のヒューマン・リーグはエレクトリック・ミュージックを作るためにシンセを使ってたけど、今のヒューマン・リーグはたまたま全てをシンセで演奏したポップス」と語っていたそうですが、これは的確な認識だと思いますね。まったくもってその通りですから。バンドの実験的な面を担っていたウェアとマーシュが抜けた以上、こうなるのは必然だったのでしょう。
まあポップスとしては出来が良かったので、別のバンドだと思って聴けば特に問題はなかったんですが、心情的にちょっと引っかかるところはありましたね。僕もまだ若かったですし。


その後ヒューマン・リーグは、エレポップ路線で活動を続けていきます。日本では『Don't You Want Me』の印象が強過ぎて、一発屋と誤解されているところもあるんですが、実際はその後もヒットを飛ばしています。
ただ先進的な部分はまったくなくなり、良い意味でも悪い意味でも普通のポップスという感じにはなりましたね。


The Human League - Mirror Man


82年11月にリリースされたシングル。全英2位、ビルボードで30位。
覚えやすいメロディー、モータウンの雰囲気を漂わせるテクノサウンド、ノスタルジックな感じのコーラスと、なかなか分かりやすい要素を持った曲ですね。


The Human League - (Keep Feeling) Fascination


83年4月にリリースされたシングル。全英2位、ビルボードで8位。
この曲もキャッチーですね。イントロやサビのキーボードの使い方も印象的です。


しかし『Dare』の大成功は彼らにとってかなりストレスになっていたようで、4thアルバムの制作中にプロデューサーを務めていたラシェントが、メンバーと対立して去っていってしまいます。
バンドはラシェントとともに途中まで制作したトラックを破棄し、新たに大物クリス・トーマスとヒュー・バジャムをプロデューサーに迎え、84年にアルバム『Hysteria』をリリースしました。
この作品は簡素でタイトな作りになっていて、それなりに好盤ではありましたが、やはり『Dare』の後となると地味さは否めず、全英でこそ3位になりましたが、ビルボードでは62位に止まっています。


The Human League - The Lebanon


『Hysteria』からのシングル。全英11位、ビルボード64位。
エレキギターやベースなどの弦楽器を効果的に使っていて、ポップだった頃のキリング・ジョークに似ているかもしれません。
歌詞は紛争相次ぐレバノンの状況について歌ったもので、『Don't You Want Me』で演歌丸出しな世界を展開していた人たちと同一のバンドとは思えません。


85年になるとソングライターとして活躍していたキャリスが脱退、マネージャーとしてヒューマン・リーグを支えていたボブ・ラストも去りました。
バンドはキャリスの後任にジム・ラッセル(ドラムス、ギター、プログラミング)を迎え、86年に5thアルバム『Crash』をリリースしています。
この作品はR&Bの世界で当時売れっ子だったジャム&ルイスをプロデューサーに迎え、エレクトリック・ソウルに大胆に舵を切った問題作となっています。
アメリカ市場を意識した甲斐はあったのか、アルバムはビルボードで35位と前作より売れましたが、全英では7位に止まっています。相当後になってちょろっと聴きましたが、いくらなんでもジャム&ルイス色が強過ぎるだろって思いましたっけ。


The Human League - Human


『Crash』からのシングル。全英では8位でしたがアメリカではウケが良く、ビルボードで1位を獲得しています。
程よくブラック・ミュージックのエッセンスが効いたマイルドなナンバーで、これを何でヒューマン・リーグが、ということを考えなければ良い曲ではあると思います。


『Human』がアメリカで大ヒットしたものの、評価はいまいちでバンドは低迷した感を拭えませんでした。
そして同年には初期からオーキーを支えた盟友ライトが、映画制作の道に進むという理由で脱退、翌87年にはバーデンとラッセルも脱退してしまいます。
これ以降ヒューマン・リーグはオーキー、スーザン、ジョアンヌの三人体制となり、それをニール・サットン(キーボード)らサポート・メンバーが支えるという形を取っています。


90年には『Dare』をプロデュースしたラシェントら複数のプロデューサーを迎え、彼らは6thアルバム『Romantic?』をリリースします。このアルバムは『Dare』の路線に回帰したものになっていましたが、さすがに往年の華やかさはなく、セールスも全英24位に止まっています。
またこの頃には恋愛関係にあったオーキーとジョアンヌの仲も破綻しています。ただこの別離は友好的なもので、二人はその後も一緒に活動しているのですが。
そして『Romantic?』の商業的失敗を受けて、92年にはヴァージン・レコードがヒューマン・リーグとの契約を解除しました。これはオーキーにとってかなりのショックだったようで、彼は鬱病を病みカウンセリングを受けています。
スーザンもその前から神経衰弱を病んでおり、バンドは唯一健康を害していなかったジョアンヌの献身によって支えられることとなりました。


その後バンドはワーナー傘下のイーストウエストと契約し、95年には7thアルバム『Octopus』をリリースします。
この作品は「まだやってたの?」って感じでメディアからはほとんど相手にされなかったそうですが、彼らのエレポップを懐かしく思った層も多かったようで、全英6位と久々のヒットとなりました。


Human League - Tell Me When


『Octopus』からのシングル。全英6位、ビルボードで31位を記録し、復活を印象付けた曲です。
手法自体は古さを感じますが、単純にメロディーやノリが良く、音も洗練されていてポップスとしての出来は良いです。


しかし復調したのもつかの間、ヒューマン・リーグはイーストウエストから契約を切られてしまいます。これにはイーストウエスト自体の経営悪化が原因だったようですね。
バンドはカルチャー・クラブやハワード・ジョーンズと共同ヘッドライナーを務めるツアーを敢行するなど、懐メロとしてライブ中心の活動をすることを余儀なくされました。
21世紀に入っても彼らは世界中をライブして回っています。11年には30年ぶりの来日も果たし、元気なところを見せてくれたようですね。
アルバムも寡作ですが出しており、01年には8thアルバム『Secrets』、11年には9thアルバム『Credo』をインディー・レーベルからリリースし、いずれも全英44位とそこそこの順位を記録しています。
また他のバンドとのジョイント・ツアーも数多く、08年にはABC、ア・フロック・オブ・シーガルズ、ネイキッド・アイズ、ベリンダ・カーライル(元ゴーゴーズ)らとのツアーを敢行、同年にはシェフィールド出身繋がりということで、ABC、そして因縁のヘブン17とのジョイント・ツアーも行っています。ウェア脱退時には相当の確執がありましたが、そのへんは歳月が押し流してくれたんでしょうか。
現在もヒューマン・リーグは元気に活動しています。14年には『Don't You Want Me』が再びシングル化され、全英19位を記録するなど本国では根強い人気があるようですね。
ライブ映像を観ると、オーキーは昔のワンレンからは想像もできないスキンヘッド(低迷期に神経性脱毛症を患ってからそうなったようです)になっていますが、あのナルシスティックな歌い方はそのままでした。
スーザンとジョアンヌも10代だった当時と比べるとかなり変わっていますが、それなりに歌も上手くなっています。ジョアンヌはお子さんもいるそうで、お母さんとして子育ても頑張っているようですね。


最後に元メンバーの消息にも触れておきましょう。
オーキーの盟友ライトは、映画関連や設計の仕事に携わっていましたが、現在は奥さんであるトレーシー・ボイドのファッション・ブランドで働いているようです。もともとミュージシャンではないので、音楽の世界を離れるのは必定だったのでしょう。
キャリスは脱退後もオーキーとは友好的関係にあり、ヒューマン・リーグに楽曲を提供したりサポートとして参加したりしつつ、レジロスの再結成にも関わりました。
バーデンはソロとして活動し、2枚のアルバムをリリースした他、色々なバンドのレコーディングにベーシストとして参加しているようです。

*1:米国のリン社が開発した、サンプリング音源のプログラマブル・ドラム・マシン。今よりメモリの性能はずっと低かったため、きめの粗い潰れたドラム・サウンドしか再生できなかったが、それでもこれまでのものに比べると格段にリアルな音を出していた。