スラップ・ハッピー

どうも。欝の薬が効きすぎているのか、一日ぼーっとしている僕です。仕事は何とかやってはいるんですけど、昨日は全然何もできなくなって早退してしまったりして、すごく不安定で会社にも迷惑をかけてしまってヤバイです。
まあそれはそれとして、とりあえず更新はします。これもできなくなったら、本当にまずい状態になってしまう気がするので。
しかし今回もまたまたプログレになっちゃってすみません。今日はカンタベリー・ミュージックのバンド、スラップ・ハッピーです。
と偉そうに書き出してしまいましたが、実はカンタベリー・ミュージックってなんなのかよく知らなくて、英国カンタベリー出身のソフト・マシーンとそれを取り巻くバンドたち、そしてそれらに影響を受けたミュージシャンたちの総称というふうに理解していました。これが正しいのかどうか、自分ではよく分かりません。
調べてみると主なミュージシャンには、中心となるソフト・マシーンの他にキャラヴァンやナショナル・ヘルス、ヘンリー・カウ、ゴング、ケヴィン・エアーズ、スティーブ・ヒレッジ、ロバート・ワイアットなんかが該当するようです。なんか結構な勢力ではあるんですね。大向こうにはウケなさそうだけど、コアなファンが点在してそうな感じ。
そんな中でスラップ・ハッピーは、その異色の音楽性と短い活動期間で、一種の伝説と化しています。


スラップ・ハッピーの発祥はドイツの地でした。
英国人のアンソニー・ムーアが実験音楽を制作するために西ドイツのハンブルグに渡り、そのパートナーとして旧友のアメリカ人でロンドンに移住していたピーター・ブレグヴァドを呼び寄せ、そこに当時ムーアと同棲していたドイツ人女性ダグマー・クラウゼが合流して結成されたのが始まりです。英米独混合トリオという、非常に珍しい形態でしたね。
彼らはドイツの前衛プログレバンド、ファウストの仕掛け人ウーヴェ・ネテルベックのプロデュースで、72年にデビュー・アルバム『Sort Of』をリリースしますが、これは風変わりなオリジナリティには満ちていましたが作風があまりにも実験的で、ほとんど誰にも理解されずまったく売れませんでした。
そこで彼らは翌年に、再度同じ顔ぶれで2ndアルバム『Acnalbasac Noom』を録音しますが、ネテルベックの関係した作品はファウストをはじめとしてことごとく商業的に失敗していたため、発売元のポリドールからリリースを拒否される(このアルバムが陽の目を見たのは80年)という事態に陥ってしまいます。
途方にくれた彼らに救いの手を差し伸べたのは、当時新興レーベルであったヴァージン・レコードのリチャード・ブランソンでした。ヘンリー・カウのギタリストであるクリス・カトラーからこの話を聞いた彼は、前回よりも聴きやすくアレンジし直すことを条件とし、英国で2ndアルバムを再録音させます。結果74年に名作『Casablanca Moon』が世に出ることになりました。


Slapp Happy - Casablanca Moon


これがアルバムのタイトルナンバーで、彼らの代表曲です。
プログレというと難解でテクニカルな音楽を想像される方が多いでしょうが、この曲はタンゴなど幅広いポップミュージックの要素を巧みに取り込み、実にエキゾチックでメランコリックな、完成されたポップスに仕上がっています。このへんはムーアの手腕でしょう。
しかし何食わぬ顔で明快なポップスを屈託なく演奏しつつも、ちょっとエキセントリックな面も持っているのが、後年のニューウェーブへ繋がるようなところもあって、なかなか面白いところではあります。
清々しくもコケティッシュなクラウゼのヴォーカルや、迷宮の中を覗き見ているような感じでちょっと怖いブレグヴァドの歌詞も魅力的です。


彼らはその後、同じカンタベリー・ミュージック一派の左翼派ジャズ・ロック・バンド、ヘンリー・カウと合体するような形となり、難解な2枚のアルバムを発表します。
しかしもともとマルクス主義的な政治志向を持つヘンリー・カウ側の思想に、ムーアとブレグヴァドがついていけなくなってクラウゼを残して脱退してしまい、結果スラップ・ハッピーは消滅することとなってしまいました。
その後クラウゼはヘンリー・カウ解散後、アート・ベアーズに参加したり、ケヴィン・コインらとコラボレーションを行ったりと、ソロとして活動しました。ムーアは音楽学校で教鞭をとる傍ら、ソロ作をリリースしたりケヴィン・エアーズやディス・ヒートらのプロデュースを行ったりしています。またブレグヴァドも美術学校の教師をしつつ、ジョン・ゾーンらのセッションに参加するなど、活動を続けていました。


解散後スラップ・ハッピーのメンバーは、84年に一度だけ同じステージに立ったことはあるものの、それ以外は揃うことはありませんでした。そのため彼らは一部で伝説とされることとなります。
しかし90年代に入り、ムーアとブレグヴァドが英国のテレビ番組で音楽を担当し、クラウゼもその番組に出演したことから再開を果たします。このときの演奏でもう一度一緒にやれるという確信を得た彼らは、ついにバンドを再結成することになるのです。
彼らはかつての縁からなのか、再びヴァージンのリチャード・ブランソンから資金を援助してもらい、98年には23年ぶりの新録アルバム『Ca Va』をリリースし、好評を得ます。
日本でも彼らの人気は高く、00年には来日し、北海道から京都までを縦断するという本格的なツアーも行っています。彼らは『Haiku(俳句)』という楽曲を作るなど親日家だったというのが、このツアーが実現した背景にあるでしょう。なおこのツアーはCD化して発売されてもいます。
その後彼らは再び活動を停止したようですが、解散というアナウンスは出ていないので、また突然復活して活動するかもしれません。ファンの人たちはそれを心待ちにしているのでしょうね。