グレッグ・レイク・バンド

雨ですね。梅雨ですね。嫌ですね。
というわけでこういう時は頭が痛くなってきて困るので、寝込む前にちゃっちゃと書いてしまいましょう。
ここんとこずっとオールドウェーブ(まあパンクやニューウェーブも今となっては十分オールドなんですが)なんですけど、今回はさらにジジババ向けになってグレッグ・レイクです。
このブログをご覧になって下さっている方々なら、多分レイクのことは御存知でしょう。キング・クリムゾンやエマーソン・レイク&パーマーで活躍し、日本でも高い知名度を誇ったミュージシャンですね。
ただそのへんについて書くと長くなっちゃいますから、今回は80年代にレイクが結成した自分のバンドについて取り上げてみたいと思います。


エマーソン・レイク&パーマーは70年代前半から半ばにかけて一世を風靡した偉大なバンドですが、70年代後半になるとオーケストラを帯同したツアーを敢行して大赤字を出したり、78年にリリースしたアルバム『Love Beach』の売り上げと評価が芳しくなかった(メンバーはもうやる気がなかったが、契約の関係でどうしても作らなくてはならなかった)りと、低迷期に入っていました。
そして結局バンドは80年に正式に解散(当時新聞で解散を報じる記事を読んだ記憶がある)、メンバーはそれぞれの道を歩んでいくことになります。キーボードのキース・エマーソンはソロアルバムや映画音楽を制作し(角川映画幻魔大戦』のサントラも作っている)ましたし、ドラムスのカール・パーマーはエイジアを結成して、産業ロックの部門で大成功を収めました。
で肝心のレイクなんですが、その後しばらくは鳴りを潜めていたものの、81年8月のレディング・フェスティバルにおいて、グレッグ・レイク・バンドを名乗るバンドを率いて突如復活を果たすことになります。
それだけならまあ普通の話なんですが、とにかくメンバーがすごい。何しろギターにあのゲイリー・ムーアがいたんですから、当時はちょっとした衝撃でした。
他のメンバーはベースにトリストラム・マーゲッツ(かつてレイクのプロデュースでアルバムを出した、スポンティニュアス・コンバスションというプログレバンドのメンバー)、ドラムスにセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドで叩いていたテッド・マッケンナ、キーボードにはやはりセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド出身で、かつてウッドストックジョー・コッカーのバックを務めたこともあるベテラン、トミー・アイアーという布陣でしたね。
ムーアは当時もう結構な大物でしたから、いくら大御所レイクのとはいえ何故バックバンドを務めたのか不思議に思う方も多いと思いますが、この頃彼はシン・リジィを脱退後、元ディープ・パープルのグレン・ヒューズとバンドを作ろうとするも頓挫、その後結成したG-Force(このバンドのこともそのうち書きます)もすぐに活動停止。ならばソロ活動に移行しようとしたら、ソロアルバム制作と同時に日本からのオファーでコージー・パウエルのソロアルバムのレコーディングに参加したことが、当時所属していたジェット・レコードとの契約違反に問われ、ソロ活動も封印せざるを得なくなっていて、かなり窮していた時期だったんですね。
一方レイクは自分のバンドを結成するにあたってスピードがあってワイルドなギターがほしいと考え、マネージャーに適任者は誰かいないかと相談するとムーアの名前を出されたため、ちょうど同じマネージメント傘下だったこともあって声をかけたんだそうです。
二人は世代やキャリアが違うこともあって、最初はかなり関係がギクシャクしていたらしいんですが、いろいろ話し合ったりセッションを行ったりして、徐々に打ち解けあっていったんだとか。そのへんはミュージシャンらしいと言えばらしいですね。


グレッグ・レイク・バンドは同年アルバム『Greg Lake』を発売しました。海外ではレイクのソロアルバム扱いでしたが、日本ではムーアの知名度もかなり高かったため、宣伝には彼の名前もガンガン使われていましたし、93年にCD化された時は「グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア」名義に変わっていましたっけ。
このアルバムがバンド名義のリリースではなかったのは、半分しかバンドメンバーがレコーディングに参加していなかったからというのがあります。レコーディングも英国と米国の2箇所で行われていますし。
英国でのレコーディングはバンドによる演奏になっていますが、米国でのレコーディングにはTOTOのスティーブ・ルカサー(ギター)、デヴィッド・ハンゲイト(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)、元キング・クリムゾンでの同僚だったマイケル・ジャイルズ(ドラムス)、ブルース・スプリングスティーンのEストリート・バンドの中心人物クラレンス・クレモンズ(サックス)などが参加して、当時流行の兆しを見せていた産業ロックっぽい音に仕上がっています。
推測なんですがレイク本人はバンドでの活動を望んでいたものの、マネージメント側はレイクをアメリカの市場に向けたシンガーとして売り出したかったため、両者の折衷としてこういう形になったのではないかと。
というわけで中途半端な形で制作されたこのアルバムですが、バンドがレコーディングした作品はなかなか聴き所があるんで、それを紹介しましょう。


Greg Lake - Love You Too Much




Greg Lake』収録曲。なんとボブ・ディランの提供です(正確にはディランの未発表曲『I Must Love You Too Much』に、ディランの許可を得てレイクが多少手を加えたもの)。
最初はちょい産業ロックっぽいんですが、間奏に入ると当時のムーアの特徴であったチュルチュルした感じの速弾きギターソロが炸裂し、一気に世界が変わるところが良いですね。
レイクのヴォーカルとムーアのギターのマッチングはなかなかですし、メロディーも結構覚えやすいので、個人的にはかなり好きです。まあプログレだった頃のレイクのイメージを引きずっていると受け入れられないとは思いますが。


Greg Lake - Nuclear Attack


Greg Lake』からのシングル。ビルボードのメインストリームロックチャート34位。
これはムーアの書いた曲で(アルバム『Dirty Fingers』の一曲として80年に録音したが、アルバムが契約のこじれのためお蔵入りになっていたため当時は未発表だった)、リフを中心に構成されたハードロック寄りの作品に仕上がっていますね。
ムーアにとってもこの曲は会心の出来らしく、代表曲としてライブでもよく演奏しています。


Greg Lake - It Hurts


Greg Lake』収録曲。
レイクの書いたしっとりとしたバラードなんですが、ムーアのギターが入ることでハードロック的なテイストも加わり、単なる泣きの曲に堕することを拒否している面はありますね。
それにしてもレイクはバラードを歌わせると本当に上手いですなあ。マネージメント側がアメリカ向けのシンガーで売りたかったって話も分かるような気がします。
もしこの路線で進んでいたら、クリストファー・クロスみたいになったかもしれませんね。それはそれで面白かったかも。


しかしこのアルバムの売れ行きはビルボード62位、全英62位とバッとせず、ほとんど世間に省みられることはありませんでした。
そして翌年にはムーアが本格的なソロ活動に移るために離脱してしまい、バンドはあっさり空中分解してしまうのです。
83年には2ndアルバム『Manoeuvers』もリリースされました(前作と同時期のレコーディングだったらしい)が、これも前作と同じくバンドとのレコーディングが半分、スタジオ・ミュージシャンとのレコーディングが半分という構成だったため、結局バンドでアルバムを1枚作ったことはなかったことになるわけですね。


これだけなら単なるベテランミュージシャンの黒歴史なんですが、それだけでは終わらないのが面白いところです。
かなり時が経った95年、突如このラインアップでのライブ・アルバム『In Concert』がリリースされ、その選曲の強烈さで一部で大きな話題となるのです。
このアルバムは81年11月に行われたロンドンのハマースミス・オデオンでのライブを収録したものです。当時のFM番組『King Biscuit Flower Hour』のために開催されたものらしいですね。
特徴はとにかく選曲がベタ過ぎること。懐メロ大会みたいで個人的には最高でした。


Greg Lake - In The Court of The Crimson King


キング・クリムゾンの名曲『クリムゾン・キングの宮殿』のセルフカバーです。
歌っている人は同じですからそんなに違和感はないんですが、ギターはロバート・フリップのとは全然違っていて、何とも変な気分になります。


Greg Lake - 21st Century Schizoid Man


これもキング・クリムゾンの名曲『21世紀の精神異常者』。
リフのアレンジがなかなかカッコいいですね。正確無比なピッキングとフィンガリングでバリバリ弾いています。ギターソロは脱線しまくってほとんど彼のオリジナルになってますが、そのへんはまあご愛嬌ということで。
その後再結成キング・クリムゾンが来日した際、フリップはロッキング・オン誌のインタビューを受けたんですが、この時ムーアがフリップのギターのコピーに散々苦労したという話が出てきましたっけ。ムーアはブルースをルーツとしている人なので、フリップの独特なギタープレイを真似るのは大変だったでしょうね。
そのためムーアはフリップに偶然電車で会った時、「ややこしい曲作りやがって」と文句をつけたんだそうです。素晴らしい逸話だと思います。


Greg Lake - Fanfare for The Common Man


エマーソン・レイク&パーマーの名曲『庶民のファンファーレ』。
キーボードとユニゾンするムーアのプレイがなかなかのもので、原曲とは違った魅力が出ていると思います。


Greg Lake - Lucky Man


エマーソン・レイク&パーマーの名曲『ラッキー・マン』。
もともと名バラードなんですが、これはこれでいい味の出たセルフカバーになってるんじゃないかと。


Greg Lake - Parisienne Walkways


ムーアのソロでの名曲『パリの散歩道』のカバーです。原曲は日本でもフィギュアスケート羽生結弦選手がショートプログラムの際に使用して有名ですね。
とにかくギターが泣きまくりで強烈です。レイクのヴォーカルは違和感がないと言うと嘘になりますけど、これはこれでいけるんじゃないでしょうか。ムーアのファンには不評みたいですけど。


バンド消滅後、メンバーはそれぞれの道に進んでいます。
レイクは基本的にソロ活動を行いつつ、ジョン・ウェットンの代役としてエイジアに参加した(来日公演もしたけど、歌詞を覚えてなくてずっとプロンプターを見て歌っていた)り、エマーソン・レイク&パーマーを再結成したり、リンゴ・スターのバンドで歌ったりと、マイペースで活動しています。
個人的にはもう少ししっかりとソロ活動をしてほしかった気もするんですが、これは今さら言ってもしょうがないことですしね。
ムーアはこのバンドで稼いだギャラをジェット・レコード離脱のための裁判費用に投じ、ヴァージン・グループのリチャード・ブランソンの協力もあって、無事にジェットと袂を分かちヴァージンと契約します。
その後はソロ活動も順調で世界的にブレイクを果たし、もちろん日本でも大変な人気がありました。90年代以降はブルースに回帰したり、ドラムンベースとの融合に挑戦したりと意欲的に活動していましたが、2011年2月6日に休暇先のスペインにて、吐瀉物を詰まらせて心臓発作を起こして亡くなっています。享年58。
マッケンナはその後マイケル・シェンカー・グループやギランなどに加入し、日本でもメタルファンにはお馴染みです。
アイアーはマッケンナとともにマイケル・シェンカー・グループやギランに参加したり、ムーアのレコーディングで弾いたりしたほか、意外なところではワム!のレコーディングにも関わっていました。しかし01年に癌のために亡くなっています。享年51。