オインゴ・ボインゴ

ティム・バートン監督の映画を見ると、必ずと言っていいほどクレジットされているのが、音楽担当のダニー・エルフマンという名前です。
彼はバートン映画の常連で、『ピーウィーの大冒険』以降、『エド・ウッド』と『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』を除く(この時期はバートンと喧嘩していたらしい)監督作全作の音楽を担当しています。またガス・バン・ザント監督の『グッド・ウィル・ハンティング』などでアカデミー賞にノミネートされたり、『デスパレートな妻たち』でエミー賞を受賞したりと、一流の映画音楽家として活躍しています。
そのダニーがかつてリーダーとヴォーカルをやっていたバンドが、今回紹介するオインゴ・ボインゴです。
有名な漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第三部に「オインゴとボインゴ」という兄弟のキャラクターが出てきましたから、名前に聞き覚えのある方は多いのではないでしょうか。


彼らは76年に、音楽と演劇を行うパフォーマンス集団として結成されます。当初の名前は「ザ・ミスティック・ナイツ・オブ・ジ・オインゴ・ボインゴ」というくそ長い名前でした。
そのバカバカしくカラフルで、時に卑猥なステージは評判を呼んだらしく、翌77年には『世界歌謡祭』にアメリカ代表として招かれて来日し、世良公則&ツイストらと同じ舞台に立つ機会を得ます。しかしそのときダニーは怪獣の着ぐるみを着て登場し、顰蹙と失笑を買って帰っていきました。
その後80年にはカルトミュージカル映画フォービデン・ゾーン』(監督はダニーの兄、リチャード・エルフマン)に出演し、音楽も担当したことによって注目され、翌年にはポリスのドラムス、スチュワード・コープランドの兄マイルズが主催していたIRSというレーベルからデビュー。ホーン・セクションを従えた8人編成という大所帯から繰り出す、パワフルだけど変態的なサウンドによって、一部の好事家たちの人気を集めていきます。
また82年にはロサンゼルスで彼らを見た庄野真代に気に入られ、彼女のアルバムの編曲とバックバンドを担当もしています。変なところで日本に縁のある人たちですが、そのせいもあってかこの年にリリースされた『Nothing To Fear』からは日本盤も発売されるようになりました。


Oingo Boingo - Ain't This The Life?


80年のロサンゼルスでのライブ。僕が初めて彼らを見た映像でもあります(見たのは83年くらいだけど)。
一見するとホーンを従えたビッグ・バンドのようにも見えますが、音はどうにも一筋縄ではいかないひねくれぶりで、そのギャップがいいですね。
ひねているけど確かにポップ、というところは英国のXTCを思わせもするのですが、こっちはもう少し病んだ感じがするのが特徴でしょうか。



Oingo Boingo - Only A Lad


81年のデビュー・アルバム『Only A Lad』のタイトルナンバー。僕がはじめて聴いた彼らの曲です。
日本では最初、IRSレーベルのオムニバス・アルバムの中の一曲としてリリースされました。僕はそのアルバムに4人編成時代のポリスの音源が入っているという理由で買ったんですが、結局この曲が一番気に入りました。
なんかすごく変なんだけど、それでいてちゃんとポップで、聴いていて楽しかったですね。


Oingo Boingo - Grey Matter


82年にリリースされた2ndアルバム『Nothing To Fear』(邦題は『オインゴ・ボインゴの謎』)収録曲。いつ頃のライブなのかは分かりません。
とにかくマリンバの音が大変印象に残る奇妙な曲です。ちなみにフロントの2人が演奏しているのは、西アフリカの「バラフォン」というマリンバなんだとか。
しかし僕もずいぶん長いこと音楽を聴いていて、ステージもかなり見ていますが、ヴォーカリストマリンバを叩きながら歌っているバンドというのはこれが初めてですね。インパクト強過ぎ。


Oingo Boingo - Private Life


同じく『Nothing To Fear』収録曲。
シングルとしても発売されましたが、実は今回紹介した中では一番普通の曲かもしれません。
ちなみにPV監督は、前述したダニーの兄リチャードです。


その後ダニーは、彼らのファンであったティム・バートン監督(さすがにいい趣味してる)から、映画音楽を担当しないかと声を掛けられます。
正式な音楽教育を受けておらず、オーケストレーションの経験もなかったダニーはかなり躊躇したということですが、バンドのギタリストでアレンジャーでもあったリチャード・バーテックの助けも得て成功。現在はバートンの映画の他にもサム・ライミ監督の『スパイダーマン』、バリー・ソネンフェルド監督の『メン・イン・ブラック』、ギレルモ・デル・トロ監督の『ヘルボーイ』(これはただ単に僕が好きなだけ)など数多くの作品の音楽を手がけ、今では映画音楽の巨匠のひとりとなっています。
なおオインゴ・ボインゴは商業的には成功せず、ホーン・セクションが丸ごと脱退したり、名前が単なる「ボインゴ」に変わったりと紆余曲折を経て、95年まで活動したあと解散しました。確かにアメリカで売れそうな音とは思えなかったですが、ちょっと残念ではありますね。
今もロサンゼルス近辺では、「ボインゴロイド」と呼ばれる根強いファンを持つほど、カルト的な人気を誇っているということです。