ジョー・ジャクソン

どうもです。寒いですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
僕は先週ちょっと風邪気味で、大事をとって一回更新をお休みしたんですが、それが良かったのか幸い悪化することもなく何とかなってます。とは言えまだ治ってないのですが。今年の風邪はしつこい。
その間にもヴィサージスティーブ・ストレンジが亡くなったりシーナ&ロケッツシーナが亡くなったり、音楽以外でもアントニオ猪木との二度の激闘が有名な「赤鬼」ことウィレム・ルスカが亡くなったりと、個人的にはいろいろありました。
若い頃に親しんだ人たちの訃報を聞くことが最近増えましたが、これも歳を取ったからなんでしょうね。こちらが老いるのと同じだけ周囲も老いていくわけですから。
寂しいですが自然の摂理ですし抗うことはできないので、せめて僕が生きている間は彼らのことを語っていきたいと思っています。


さて今回は、前回のアンスラックスがカバーしていたという繋がりで、ジョー・ジャクソンを取り上げてみたいと思います。
彼は70年代末から80年代前半にかけて活躍し、エルヴィス・コステロあたりと並び称された存在です。音楽性の変遷の度合が非常に大きいため、いまいち正当な評価が成されていないきらいはありますが、多種類の音楽ジャンルに通じていることによる引き出しの多さ、そしてそれを独自の視点で再構成して自分の音楽にしてしまう能力は圧倒的で、ニューウェーブ時代の英国が生んだ巨大な才能の一人と言ってもよいのではないでしょうか。


ジョー・ジャクソンは本名をデヴィッド・イアン・ジャクソンといい、1954年8月11日に英国中部のスタッフォードシャー、バートン・アポン・トレンで生まれています。
幼い頃彼はポーツマスに移りそこで育つのですが、喘息持ちだったためスポーツ等を禁じられ他の子供たちと遊び回ることができず、その代わりとして音楽に興味を持つようになります。初めはバイオリンを習っていたのですが、作曲にも興味を持ったため、それにより向いているピアノに転向したそうです。
16歳の頃からバーでも演奏するようになり、ジャクソンの音楽の才能はどんどんと開花していきました。高校では音楽で非常に優秀な成績を収め、ロンドンの王立音楽アカデミーに奨学生として入学もしています。自宅のあるポーツマスから週に何日かロンドンの学校に通い、合い間に奨学金で楽器や機材を買い、その傍ら地元の海軍基地にあるバーやパブで演奏活動を行うという毎日だったようです。
しかしアカデミーで過ごすうちに、ジャクソンはクラシックの作曲家になることに対して疑問を感じていくようになります。もともとビートルズキンクスなどを愛好していた彼は、音楽理論を学ぶうちに制約の多いクラシックよりより自由なロックの世界に惹かれていったのです。
そして卒業後は本格的にロックの世界に飛び込み、地元でエドワード・ベアというバンドに加入します。このバンドは後にエドウィン・ベア、アームズ&レッグスと改名し、2枚のシングルもリリースしますが成功はせず、ジャクソンはピアニスト兼音楽監督として、クラブで働くことを余儀なくされました。なおこの頃TV人形劇『ジョー90』*1の主人公に似ているということで、ジョー・ジャクソンと名乗るようになります。
定職について経済的に安定し生活の不安がなくなったことにより、ジャクソンには自分の音楽を練り上げる余裕が生まれます。彼はじっくりとデモ・テープを制作し、それをレコード会社に送りつけ始めました。
そしてテープを受け取った人の中に、A&Mレコードのプロデューサーであるデヴィッド・カーシェンバウムがいました。彼はそれまでにジョーン・バエズキャット・スティーブンスなどを手がけ、後にデュラン・デュランの『Rio』をリミックスし、トレーシー・チャップマンも発掘するなど、有能で見る目のある人物だったようですね。
カーシェンバウムはジャクソンから送られたデモ・テープを聴いて気に入り、彼にレコーディングのチャンスを与えます。正式な契約をするより前にレコーディングは始められたそうですから、カーシェンバウムはよほどジャクソンに惚れ込んだのでしょう。
結果ジャクソンは78年A&Mと契約し、『Is She Really Going Out With Him?』(邦題は『奴に気をつけろ』)でデビューを果たすこととなるのです。


Joe Jackson - Is She Really Going Out With Him?


デビューシングル。
最初はまったく無視されましたが、発売から半年後にアメリカから火がつき、最終的には全英13位、ビルボードで21位のヒットとなっています。
何故アメリカから人気が出たかというと、この頃エルヴィス・コステロニック・ロウらのパワーポップがちょうど人気を博しており、中にはイアン・ゴムやレコーズのようにアメリカ独自に売れた人たちもいるなど、英国以上に受け入れられやすい土壌が整っていたというのがあるかと思われます。
シンプルでソリッドなサウンドですが、印象的なリフやリズムの刻み方はブラック・ミュージックの影響が明らかで、そのへんただのニューウェーブではないなと感じさせてくれました。コステロ同様音楽の素養がかなりありそうに思えたんですよね。
ちなみに当時からジャクソンの音楽的なバックグラウンドは日本でも報道されていましたが、彼のやさぐれた強面な顔つき、若いのに早くも後退し始めた頭髪、ひょろっとした異様な長身という出で立ちを見ると、なかなか信じがたいものがありましたっけ。



こんな感じでしたもん。クラシック云々とかガセだろうって思ったのも無理はない。


翌79年1月にジャクソンはデビューアルバム『Look Sharp!』をリリースしています。全英40位、ビルボードで20位。
わずか2週間で録音されたこのアルバムは、基本こそシャープなロックンロールですがR&Bやファンク、レゲエの要素が巧みに取り入れてあったり、ジャズ的なコード進行がさりげなく入れてあったりして、ジャクソンの音楽的なバックグラウンドの大きさ、多彩さを示す出来になっています。まあ当時はそんな難しいことは分からず単にパンクの進化形のように思っていたんですが、パンク的な激しい怒りの感情は感じさせつつもどことなくクールなところもあったので、初期衝動だけで作っている人たちとはちょっと違うんだろうということは一応感じ取っていました。
バックを担当しているのはジョー・ジャクソン・バンドで、ゲイリー・サンフォード(ギター)、グラハム・メイビー(ベース)、デヴィッド・ホートン(ドラムス)という顔触れでした。このうちメイビーはジャクソンの作品のほとんどに関わっており、盟友と言ってもいい存在ですね。


Joe Jackson - One More Time


『Look Sharp!』のオープニングナンバーで、シングルカットもされています。
荒々しいギターカッティング、自由に跳ね回るベース、タイトでしっかりツボを押さえたドラムス、そして焦燥感溢れるジャクソンのヴォーカルが特徴の、パンクっぽいロックンロールです。
ジョー・ジャクソン・バンドの面々は皆当時20代半ばでしたが、パブで鍛えた叩き上げばかりで、演奏力は抜群でした。アメリカでの人気が高かったのも、ライブ・パフォーマンスが優れていたから、というのもあったようですね。


Joe Jackson - Got the Time


『Look Sharp!』収録曲。アンスラックスがカバーしたことで有名ですね。
スピーディーでパンキッシュな縦ノリナンバーで、この当時ならではの曲なんじゃないかと思います。カッコいい。


制作意欲によほど溢れていたのか、ジャクソンはこの年の10月には2ndアルバム『I'm the Man』をリリースしています。
このアルバムは前作以上にテンションやスピード感が高まり、ジャクソンのヴォーカルもタイトなリズムの中で前のめりになりつつ、パンキッシュに社会への怒りを吐き出しています。
バンドとしての一体感が一番感じられるのもこのアルバムでしょうね。後年のジャクソンはロックバンドという形態に拘らなくなり、それどころかロックに対する嫌悪感も見せるようになるのですが、この当時はロックやパンクに対する相当な思い入れを持っていたんだろうと思います。
とは言えR&Bやレゲエの取り入れ方にも進化を見せていて、懐はさらに深くなったように感じますね。全英12位、ビルボードで22位。


Joe Jackson - I'm the Man


『I'm the Man』のタイトルナンバー。シングルカットもされ、カナダで23位になっています。
この曲はストレートでパンキッシュなロックンロール・ナンバーですね。あまりにも性急でタイトな8ビートなので、逆にビックリするくらいです。
「トレンドを作っているのはこの俺だ!」と思いっきり宣言しちゃう歌詞も、若気の至りっぽくてなかなか微笑ましいです。


Joe Jackson - It's Different for Girls


『I'm the Man』からのシングル。全英5位、ビルボードで101位。
キンクスエルヴィス・コステロの曲を演奏しているような感じの、いかにもイギリスっぽい雰囲気の曲ですね。
「あなたにはわからないのかしらね、そこが違うのよ、女の子って」「あなたたちって、みんな同じね」って歌詞は、ジャクソンの実体験なんですかね。


Joe Jackson - The Harder They Come


80年リリースのシングル。ニュージーランドで34位。
ジミー・クリフのカバーです。原曲はオルガンが目立つアレンジですが、これはギターとベース、ドラムだけでシンプルに演奏されています。
この後ジャクソンは激しくレゲエに傾倒していくんですが、このカバーはそのプロトタイプでしょう。


この年の10月には、ジョー・ジャクソン・バンド名義で3rdアルバム『Beat Crazy』がリリースされます。
前作までは基本がロックンロールでレゲエはエッセンスとして使われているだけでしたが、このアルバムでは全面的にレゲエを取り入れており、当時のジャクソンのヘヴィな精神状態を反映した辛辣な歌詞も相まって、彼のアルバムの中で最も毒気の強い内容になっています。
他のレゲエに接近したバンドを「やつらはレゲエの形だけ拝借している」と批判するなど、そのレゲエに対する本気度を前面に出していたジャクソンですが、やり過ぎたのが敬遠されたのか全英42位、ビルボードで41位と売り上げは低迷しました。ジャクソンも後にこのアルバムを自ら「失敗作」と認めましたが、個人的にはそのエッジの効いたところに好感を持ってます。


Joe Jackson - Beat Crazy


『Beat Crazy』のタイトルナンバー。シングルカットもされています。
尖がった感じのホワイト・レゲエです。曲をリードするメイビーのベースも、エレキギター黎明期の匂いのするサンフォードのカッティングギターもカッコいいですね。バンドのメンバーは本当に手練れです。
歌詞は徹底的に若者のことをこき下ろしています。なんか理不尽なくらいメチャメチャ苛立っていて、自分が当時の英国の若者だったら、逆に怒ったかもしれません。


Joe Jackson - Pretty Boys


『Beat Crazy』収録曲。
この曲は前作の路線を踏襲していて、疾走感溢れるストレートな演奏に載せて、ルックスが良いだけの若い芸能人をコケにした歌詞を吐き散らかしています。
映像では間奏でピアニカを弾くジャクソンの姿も映っています。なんか可愛い。


アルバムリリース後ジャクソンは、長年のツアーによる疲労がたまって腺熱を患い、自宅で静養することになります。
この時期彼はジャイブ・ミュージックのレコードをひたすら聴き続け、いろいろ思うところがあったのか回復後ジョー・ジャクソン・バンドを解散し、本格的にジャイブに挑戦するのですが、それ以降のことは次回にでも。

*1:英国でジェリー・アンダーソンが制作した特撮人形劇。前番組の『キャプテン・スカーレット』がシリアス過ぎて人気が落ちたため、主役を子供にし派手なエンターテイメント路線を取っている。日本でも放送された。