レインボー

昨日がディープ・パープルなら、今日はレインボーしかないだろうと思って。
レインボーというのはディープ・パープルの天才ギタリストだったリッチー・ブラックモアが、脱退後立ち上げたハードロック・バンドです。
今の若い人は知らないと思いますが、当時はかなり人気がありました。ギターを弾く人は、ほとんど彼のコピーをしてましたから。
初期の中世様式美系ハードロックから後期のアメリカ市場を意識したポップ路線まで、リッチーの嗜好の変遷とともにバンドの音楽性も方向を変え続け、それを受けてメンバーも次々と交代を繰り返していたのですが、基本的にリッチーのカリスマで支えられているバンドだったので、路線がどう変わっても日本での人気は不動だった印象があります。


Rainbow - Long Live Rock 'n' Roll


Rainbow - Gates Of Babylon


Rainbow - Kill The King


78年のアルバム『Long Live Rock 'n' Roll』(邦題は『バビロンの城門』)収録曲。
とにかくこの3曲は個人的に超名曲ですね。リッチーとヴォーカルのロニー・ジェイムス・ディオ、ドラムスのコージー・パウエルという、3人の実力者ががっぷり四つに組んで作り上げた完璧なハードロックであります。
『Long Live Rock 'n' Roll 』はレインボーならではの独創的なロックンロールに仕上がってますし、『Gates Of Babylon』は中近東の雰囲気を上手く取り入れた、スケールの大きな名曲ですし、『Kill The King』はスピード感と臨場感、重厚なアンサンブル、スリリングな曲展開を兼ね備えた曲ですね。このへんの曲が個人的にはレインボーの最高傑作だと思います。
ちなみに僕はこの当時のレインボーを生で観たことはありませんが、ロニーのヴォーカルは後に自分のバンドで来日したときに聴いています。
体は小さいんですが、高音部を一切フェイクでごまかさずに、見事なヴォーカルを聴かせてくれました。あれはすごい体験でした。
残念なことにロニーもコージーももう亡くなってしまいましたけど。この3人でのレインボー再結成とか見たかったですねえ。


Rainbow - Since You Been Gone


79年のアルバム『Down To Earth』からの先行シングル。
ヴォーカルがグラハム・ボネットに代わり、全英6位のヒットとなりました。もともとはラス・バラードのカバーですが、こっちのバージョンのほうが明らかに有名になってしまいました。
とりあえず目に付くのが、オールバックにアロハシャツという、従来のハードロックのスタイルからはかけ離れているグラハムの風体でしょうか。まるでアメリカ人の観光客みたいです。
リッチーは加入時に彼に対し、次のライブまでに髪を伸ばし、ハードロックっぽい格好をしろと命令しましたが、それを平然と無視し続けたというのですからグラハムも相当な神経の持ち主です。
頭にきたリッチーは、ある日スタッフに命じてグラハムの衣装を全部破棄させ、強引に黒の革ジャンとリーバイスを着用させようとしましたが、グラハムは急遽外出してアロハシャツと白パンツを自前で用意してステージに上がったそうです。癇癪もちのリッチーはグラハムのその態度に相当キレたらしく、ギターでグラハムの頭を殴ったことまであると聞きました。ちなみにグラハムはベジタリアンで、肉類を口にしないのはもちろんのこと、皮革製品も決して身につけないそうで、革ジャンが基本のハードロックスタイルを断固拒否したのも当然のことかもしれません。
曲のほうはグラハムのうなるようなヴォーカルと、幾度もキーチェンジされるコーラスが印象的なナンバーで、名曲と言っていい出来だと思いますが、あまりにもポップに接近し過ぎてこれまでのスタイルとはかけ離れているため、アルバムに収録する際には「これはロックではない」と主張するコージーと「どうしても収録する、収録しないならお前をクビにする」と言うリッチーとの間で確執が起きたそうです。結局アルバムリリース後コージーは脱退、すぐにグラハムも半ば追われるような形で脱退しています。


Rainbow - I Surrender


ヴォーカルがジョー・リン・ターナーに代わっての曲で、81年のアルバム『Difficult to Cure』(邦題は『アイ・サレンダー』)からのシングル。
これもラス・バラード作曲で、全英では3位まで上るヒットになりました。本当はアメリカでのヒットを狙ったのでしょうが、ビルボードでは最高105位と惨敗しています(ロック・チャートでは19位に入りましたけど)。
ジョーのヴォーカルはいろいろ毀誉褒貶もありますが、もともとアメリカン・ポップロックの人なので、こういうポップな曲にはバッチリ合ってますね。
当時は古参ファンからは毛嫌いされてましたが、新しいファンを多く獲得した部分もあり、その点で人によって評価が様々な曲です。


レインボーは84年にリッチーがディープ・パープル再結成に参加するために解散。その後リッチーがディープ・パープルを脱退した94年に再結成しましたが、結局アルバム1枚を出しただけで活動を停止しました。
現在リッチーは26歳年下の妻キャンディス・ナイト(この人が4人目の妻)とブラックモアズ・ナイトを結成していて、イギリス中世音楽を現代風にアレンジした吟遊詩人的な音楽をプレイしています。
また主なメンバーの消息ですが、初代ヴォーカリストのロニーは、ブラック・サバスやディオなどで活躍し、その素晴らしいヴォーカルを存分に披露しましたが、昨年胃癌のため死去しました。享年67。
名ドラマーとしてバンドの屋台骨を支えたコージーは、渡り鳥のようにバンドを移り変わりつつ叩いていましたが、98年に高速道路をシートベルトもせずに飲酒運転をして150km/h以上の速度でぶっ飛ばし、しかも彼女と携帯電話で通話するという荒業を披露した結果、中央分離帯に激突して車から放り出され、その上に車が落下してきて押し潰されてしまいました。享年50。
ロニーの後任のヴォーカルだったグラハムは、マイケル・シェンカー・グループを経てアルカトラスを結成し、イングウェイ・マルムスティーンやスティーブ・ヴァイというスーパー・ギタリストを世に出すのに一役買いました。現在も様々なプロジェクトで歌っています。
グラハムの後任ヴォーカルだったジョーは、一時ディープ・パープルに加入したほか、ソロでも活動していましたが、現在はやはり元レインボーのグレッグ・スミス(ベース)、ボブ・ロンディネリ(ドラムス)、トニー・カレイ(キーボード)とともに、リッチーの長男ユルゲンをギタリストに迎え、オーヴァー・ザ・レインボーというバンドを結成しています。


しかしハードロックは懐かしいな。
しばらくはつべあさりにハマりそう。