パナッシュ

今回取り上げるのは、前々回にちょっとだけコメレスで名前を出したパナッシュです。日本でアイドル売りされていたので、覚えている方もおられるかもしれません。
実は本国イギリスではまったく相手にされず、日本でしかレコードを出していないというバンドなんで、音楽的には特に見るべきものもないんですが、たまにはこういうのもいいかなと思いまして。


パナッシュは80年に英国で、当時カドリー・トイズ*1でも活動していた日本人ドラマーのパディ・フィールド(パディ辻野)が、友人のコルム・ジャクソン(ヴォーカル)らを誘って結成したバンドです。
フィールドは76年に日本のフランケンシュタインというバンドでドラムを叩いていました。このバンドのギタリストだったワクは、その後東京ロッカーズで活躍したミスター・カイトの結成にも関わっています。
その後フィールドは76年末に若干16歳で渡英し、最初レイプドというバンドを組んでいましたが、さすがにこの名前はヤバ過ぎたためカドリー・トイズと改名し、その風体の異常さ(フィールドは赤い女もののバレエ・スーツを着ていたし、ヴォーカルも白いチュチュを着ていた)から話題を呼びましたが、結局ビザの問題で帰国しなくてはならなくなったため解散。その後再び渡英し、日本の音楽関係者のバックアップのもとでパナッシュの結成に動いたということらしいですね。
パナッシュのサウンドの特徴は、ちょっとニュー・ロマンティックっぽい匂いのするグラムロックといった感じだったんですが、このバンドの売りは別にありました。
それはキーボード担当のポール・ハンプシャーの美形っぷりです。当時僕はミュージック・ライフ誌で初めて写真を見たとき、女の子だと信じて疑わなかったくらいですから、おっそろしいくらいの美少年だったんですよ。とは言え本人はダンス・ソサエティの前身バンドに在籍経験があるなど、単なるアイドルではなかったようですが。
とにかくハンプシャーのこのアイドル性を武器に、彼らは日本の東芝EMIと契約してデビューします。多分日本人であるフィールドが話を持ってったんでしょうね。同系列のバンドだったジャパンのように、まずは日本で人気を獲得して、そこから英国での契約を勝ち取ろうという思惑もあったのかもしれません。


Panache - Auto Love


これが81年の彼らのデビュー曲。邦題は『涙のオート・ラブ』。
まあグラムっぽいな、という他には特筆することもないのですが、引きずるようなジャクソンのヴォーカルと、陰のあるメロディーは印象に残ります。


Panache - Reaction


これは1stアルバム『Dancer At The End Of Time』(邦題は『倫敦美学』)収録曲。
曲はまあ普通ですが、パナッシュの映像はあまり観たことがなかったので、とりあえず載せてみました。


しかし初来日の直前にバンド結成の立役者であるフィールドと、ソングライターでもあったフロントマンのジャクソンが脱退してしまいます。
脱退の理由は病気のためと発表されていましたが、実際はフィールドはジャクソンと喧嘩したための脱退で、ジャクソンはレコード会社がハンプシャーをメインで売ろうという戦略を立て、バンドの主導権を握っていた彼が邪魔になったのでクビにした、というのが真相のようです。
その後バンドは新メンバーを補充し活動を続行しますが、販売戦略はハンプシャー中心になっていきます。82年に出たライブアルバムのジャケットも、他のメンバーそっちのけでハンプシャー一人がど真ん中に大きく写っているくらいでした。


Panache - Heartbreak School 〜 Cut Me Like A Knife


82年のシングル。2ndアルバム『Heartbreak School』(邦題は『パナッシュ・セカンド』)にも収録。ヴォーカルはジェフ・ヘプティングにチェンジしています。
ベースはなかなかカッコよく、音楽的にも進歩が見られるんじゃないかと思いますが、インパクトは『Auto Love』のほうが上かもしれません。


しかしそんな一人のメンバーに偏重したやり方でバンドが上手くいくわけもなく、パナッシュは同年あっさり解散してしまいます。
アイドル売りを強行したレコード会社と、それに乗せられてキャーキャー言っていたファンに潰されたような感じで、ちょっと気の毒な感じではありました。


解散後ですが、アイドルとして持て囃されていたハンプシャーは、その反動なのか元スロッビング・グリッスルで当時サイキックTVを率いていた、アングラの帝王ジェネシス・P・オリッジの元に奔るという予想外の行動を起こし、人々を驚かせます。
音楽どうこうの話ではなく、オリッジが主催していた新興宗教テンプル・オブ・サイキック・ユースにハマって入信したというのが真相のようですね。当時フールズ・メイト誌にボディピアスだらけの写真が載ったりもしていましたっけ。そしてこの頃彼はBeeと改名しています。
また彼はオリッジの愛人を務めたうえに、オリッジの妻のポーラとも関係を持つなど、バイセクシャルな三角関係も築いていたらしいです。すごく因果な世界ですね。
そんなこんなで何年かして、テンプル・オブ・サイキック・ユースを離脱した彼は、元サザン・デス・カルトのメンバーとともにゲッティング・ザ・フィアーなるバンドを結成します。


Getting The Fear -


正直言うと僕も初めて聴きました。曲名すら知らないんですよね。てか映像があるとすら思ってなかったので。
ハンプシャー(もうこの頃はBeeなんですが、ややこしいのでハンプシャーで統一します)はヴォーカルをとってますが、正直ド下手ですね。それと元サザン・デス・カルトとは思えないような軽いギターが何とも言えない感じを醸し出しています。


このバンドはすぐに解散し、ハンプシャーはゲッティング・ザ・フィアーのメンバーだったバリー・ジェプソンとイントゥ・ア・サークルというバンドを結成します。このバンドも探してみたら映像がありました。


Into A Circle - Evergreen


ハンプシャーのヴォーカルは相変らず下手ですが、髪を切っても美形なのはさすがですな。
音はちょっとネオサイケ入ってますが、明るくて非常に聴きやすくなっています。まああんまり売れそうな感じはしませんが。
ちなみにPVに登場する女性は、元ストロベリー・スウィッチブレイドのローズだそうです。


このバンドも成功することなく89年に解散すると、ハンプシャーはさすがに歌は諦めたらしくDJとなり、その後なぜかタイに渡ってしまいます。
そして現地の女優さんやDJらとFUTON(由来は日本語の「布団」らしい)なるエレクトロ系のバンドを結成。現在は元スウェードのドラマーだったサイモン・ギルバートも加入し、2度の来日を果たすなど活躍しています。
当時僕はパナッシュなんてすぐ消えるだろう、と普通に思っていたんで、未だに第一線で活躍しているのには敬意を表さざるを得ません。


Futon - Strap It On


とりあえずPVです。今までのバンドとは全然違い、本当にエレクトロ系になっていますね。
ちなみにこの曲のプロデューサーはボム・ザ・ベースのティム・シムノン、ミックスは元スロッビング・グリッスルのピーター・クリストファーソンが担当しているとか。


あまりにも数奇なキャリアを歩んだせいで、ハンプシャーの話が長くなってしまいましたが、他のメンバーの消息も書き加えておきます。
中心人物だったコルム・ジャクソンは、パナッシュ脱退後モアナ・ロバーツという人とパーティ・フーラなるバンドを結成し、アルバムとシングルを1枚ずつリリースしました。
結局このバンドは成功しなかったんですが、その後ジャクソンは一念発起してニューヨークに渡り、現在はCGアーティストとして活躍しているそうです。
ちなみに彼のホームページも存在しますが、そこのプロフィール欄にはかつてバンドをやっていたことは書いてあるものの、パナッシュという名前はどこにも出てきません。やっぱり本人的には黒歴史として封じ込めておきたいんでしょうかね。
また日本人ドラマーのパディ・フィールドことバディ辻野は、脱退後そのまま英国に居ついてスコットランド人の女性と結婚し、音楽以外の仕事をしながらドラッグに耽っていました。
しかし稼いだ金は全てドラッグに使ってしまうため、結局奥さんには愛想をつかされて離婚、しかも02年には脳梗塞に倒れ生死の境を彷徨うこととなります。しかしリハビリをするうちに再び音楽への情熱が蘇り、驚いたことに08年にカドリー・トイズを再結成させ、デモテープのレコーディングも行ったらしいですね。
その後は英国と日本を往復しながら活動を続け、09年には日本でPADDY & NEW TOYZ(現在はNEW TOYZに改名)を結成し、音楽の世界に本格復帰しています。
何年か前に帰国した際に、AUTO-MODのジュネのブログで紹介されたのを見た記憶もありますが、多少老けてはいたものの元気そうでした。

*1:英国のバンド。初期のジャパンがグラムロックっぽい音を出していた、という印象のバンドで、アルバム『倒錯のギロチン・シアター』でデビューするも、あまりにもジャケットに写っていたメンバーの風体が異常だったため、完全にキワモノ扱いされていた。キーボードのポール・ウイルソンは、後にクラシックス・ヌーヴォーに参加している。