フリートウッド・マック

どうもです。一週間休んでしまったんですが、実はその間入院していたのですよ。
そのことに関しましてはこちらのブログに詳しく記載してありますので、興味がありましたら読んでみて下さい。とにかく痛くて往生しました。
今はもう具合は良くなっていて、とりあえず自宅療養して英気を養っているんですが、やはり寝込んでいたせいか体力はかなり失われていて、長文を書くのはしんどいかな、という感じはあります。
というわけで、今回は前回のボブ・ウェルチ繋がりで、個人的に一番インパクトのあったフリートウッド・マックの一曲、というテーマで軽く書いてみたいと思います。
まあ軽いジャブみたいな感じなので、適当に読み流して頂ければ何よりです。


70年代半ばのフリートウッド・マックの売れっぷりというのは、そりゃもう半端じゃありませんでした。
僕はまだ10代前半だったんですが、75年の『Fleetwood Mac』(邦題は『ファンタスティック・マック』)や77年の『Rumours』(邦題は『噂』)がすごいという話はよく聞きましたし、実際ラジオでも『Dreams』『Don't Stop』などはよく流れており、今でもそらで歌えるくらいですし。
ただ僕はまだ子供でしたし、フリートウッド・マックの洗練された音はいまいち心にぐっと来ないところがあって、それほど熱心に聴いてはいませんでした。ガキにはまだ早過ぎたってことなんでしょう。
個人的にフリートウッド・マックの曲で心を揺さぶられたというのは、79年にリリースされたシングル『Tusk』なんですよね。『Dreams』も『Don't Stop』ももちろん超がつくほどの名曲ですし、そもそも一般的な評価も圧倒的に上なんですけど、『Tusk』の衝撃は本当に大きかったんですよ。今でも自分のフリートウッド・マックのフェイバリット・ソングはこれですから。


『Tusk』は同名の2枚組アルバムからのシングルカットなんですけど、このアルバムはどうも苦闘の産物だったらしく、なんとも微妙な内容でした。
その要因にはいろいろあるんですけど、まずフリートウッド・マックの人間関係が、この頃には完全に崩壊していたというのが挙げられます。そもそも『Rumours』のレコーディングされた76年頃には、まずジョン(ベース)とクリスティン(ヴォーカル、キーボード)のマクヴィー夫妻が離婚し、バンド加入前からカップルだったリンジー・バッキンガム(ギター、ヴォーカル)とスティービー・ニックス(ヴォーカル)も破局を迎えていました。おまけに唯一バンド内でカップルではなかったリーダーのミック・フリートウッド(ドラムス)も、同時期に妻のジェニー・ボイド(ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンと結婚していたパティ・ボイドの妹)と離婚しており、全員の精神状態がボロボロだったのです。
おかげでジョンはアルコールに耽溺してしまいましたし、ニックスもコカインや抗不安剤に依存していくようになります。さらにみっともないのはバッキンガムで、ツアー中常にニックスに辛く当たり、ついにはステージ上でニックスを蹴り飛ばしてそのまま降りてしまい、激怒したクリスティンにワインを浴びせかけられて大喧嘩するなど、醜態の極みを晒していたようです。
そんな状態でよくバンド活動ができるなと思いますが、そこをまとめたのはリーダーであるフリートウッドの人徳だったようですね。彼は非常に気まずい関係だったメンバーをなんとかレコーディングに集中するようにうまく働きかけ、メンバーたちも辛いことを忘れようと制作に没頭。その結果傑作『Rumours』が誕生したのです。
しかしそれが終わると更なる苦しみが待っていました。人間関係のわだかまりは残ったままでしたし、なまじ『Rumours』が売れてしまったため、商業的なプレッシャーまでもがのしかかってくるようになったのです。『Rumours』はビルボードでのアルバムチャート31週連続1位を獲得し、当時1,700万枚を売った(2012年時点で4,000万枚)を売ったというモンスター・アルバムでしたから、これに並ぶくらいのアルバムを、と考えたらそれだけで及び腰になりそうになるのは分かります。
それでもこれまでだったらフリートウッドの統率力で、うまくバンドをまとめられるところだったのですが、彼も離婚のダメージが癒えていないうえに父親の死が追い討ちをかけ、バンド内でのゴタゴタにも疲れきっていたこともあって、コカインとブランデーに溺れるようになり、この頃にはバンドに対する強い影響力を失っていました。
そんな状態で制作された『Tusk』は、バッキンガム、ニックス、クリスティンの三人のソングライターの個性が、まったく融合されることなくそのまま提示されていて、まるでそれぞれのソロアルバムをそのまま1枚にまとめたようになっていました。そのせいか散漫な印象は否めず、当時の評価もあまり高くなかった記憶があります。
肝心のチャートアクションも、バッキンガムの実験的な楽曲のウケが悪かったこと、そもそも2枚組で値段が高かったことがあって、全英でこそ1位でしたがビルボードでは4位に止まり、売り上げはようやく200万枚を超える程度でした。それでも普通に考えたら十分売れたと言えると思うんですが、前作の『Rumours』と比べると何一つ上回っているところがないため、見事に失敗作の烙印を押されてしまったのですね。
この結果におかんむりだったのは、100万ドル以上の制作費を拠出したワーナー・ブラザーズ・レコードでした。彼らは『Tusk』のことをバッキンガムが勝手に弄り回して商業性を失わせた作品と決め付け、バンド側を非難しました。しかしフリートウッドはアメリカの主要ラジオ局が、発売前に全曲を流してしまったのが売り上げの伸び悩みに繋がったと言い訳し、結果お互いに責任のなすり合いをすることとなりました。このため両者の仲は一時険悪なものとなっています。


そんなこんなでカオスな状態の中で制作された『Tusk』でしたが、そんなことは全然知らない一中学生だった僕は、シングルカットされた『Tusk』を聴いて、
「これがマック?めっちゃカッコいいじゃん」
と狂喜してしたのでした。とりあえず聴いて頂きましょう。


Fleetwood Mac - Tusk


『Tusk』のタイトルナンバー。シングルカットされ、ビルボード8位、全英6位を記録しています。
とにかくこのアフリカンな要素を大胆に取り入れた、トライバルなリズムがカッコよかったですね。ここまで大胆にリズムを強調した曲というのは、当時ほとんどなかったんじゃないでしょうか。
これをあのヒットメイカーであるフリートウッド・マックが提示してきたということに、逆に興奮を覚えましたね。まああまりに大胆にやりすぎたせいか、マックのファンの当時の評価は微妙な感じだったようですけど。
この曲はバッキンガムの書いたものですが、アフリカのリズムを導入するというアイディアは、フリートウッドの要望が強かったようですね。彼は81年リリースのソロアルバム『The Visitor』(ビルボードで43位)でもガーナでレコーディングし、現地のリズムをバリバリ取り入れるなど、アフリカのリズムに対して強く傾倒していたようですから。
なおPVに出てくるローマ時代の軍隊みたいな連中は、南カリフォルニア大学のマーチングバンドである、スピリット・オブ・トロイという人たちらしいですね。個人的にはスペクトラムかよと思いましたけど。
撮影はロサンゼルスのドジャー・スタジアムを借り切って行われています。曲中ではほとんど出番のないニックスも、見事なバトントワリングぶりを発揮してご機嫌ですね。


この曲のインパクトが強過ぎたため、実験的なアルバムという印象がずっとついて回っているんですが、バッキンガム以外のメンバーが書いた曲は拍子抜けするほどかつてのフリートウッド・マックのまんまで、こっちの路線で押していけば迷走感はなかったのかな、という感じはします。まあそうなったらそうなったで、僕は面白いとは思わなかったでしょうけど。


Fleetwood Mac - Sara


『Tusk』からのシングル。ビルボード7位、全英37位。
これはニックスの書いた美しいバラードですね。メロディーも良いですし、イントロのピアノの美しいフレーズも耳に残ります。
歌詞はミステリアスなものになっていますが、ニックス曰く「Sara」は自分の分身のような存在であり、当時の自分の状況をメインで歌っているんだそうです。また当時付き合っていたイーグルスドン・ヘンリーへのメッセージも込められているようですね。結局二人は別れてしまったそうですが。


Fleetwood Mac - Think About Me


これも『Tusk』からのシングル。ビルボード20位。
この曲はクリスティンの作品ですね。基本的にスマートなポップスで、フリートウッド・マックのイメージには一番近いのかもしれません。
「私のことを考えて」という歌詞は、当時クリスティンと付き合っていたビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンに対してのものだそうです。二人はこの頃同棲していましたが、結局83年にデニスがロサンゼルスでヨットの甲板から深夜の海に飛び込み溺死したため、結婚することはありませんでした。


『Sara』『Think About Me』はとにかく、『Tusk』はあまりにも異色で、同じアルバムに入っていたというのはある意味すごいですね、整合性もへったくれもないって感じで。そりゃ散漫って言われるよな、って思います。
それでも最近になって再評価はされているようですし、実際良い曲も多いので、お薦めはお薦めです。まあこれを聴くより先に『Fleetwood Mac』や『Rumours』を聴くべきだとは思いますが。


さて苦闘の末にこの作品をリリースしたフリートウッド・マックですが、82年には再集結して『Mirage』をリリースし、ビルボードで1位を獲得するなど復活を果たしたように見えました。
しかしこの当時すでにニックスとバッキンガムは、ソロとして成功を収めており、バンドからはかつてのような求心力は失われていました。またニックスは薬物中毒が悪化してその克服のためにリハビリ施設に入り、フリートウッドも酒と薬物に溺れたあげくに破産するなど、相変わらず内情はボロボロでトラブルが絶えませんでした。
それでも87年には『Tango in the Night』をリリースし、全英1位、ビルボードで7位とヒットさせますが、これを最後についにバッキンガムは脱退してしまい、全盛期のフリートウッド・マックは終わりを告げることになります。バンドは新メンバー二人を加えて活動を続行しますが、90年にはニックスとクリスティンがライブツアーに参加しないことを表明、その年リリースした『Behind the Mask』は全英1位を獲得するもののゴールドディスクを逃し、落ち目なのはは誰の目からみても明らかになりました。
92年にはビル・クリントンの大統領選挙を支援するため、全盛期のメンバーが集まってライブを行いますが、これは長く続かずバッキンガムが再離脱、しかもその後を追うようにニックスも脱退してしまったため、またまたバンドの活動は停滞しました。フリートウッドとジョン・マクヴィーはさらに二名のメンバーを加えてアルバム『Time』の制作に取り掛かりますが、その途中で今度はクリスティンが脱退、しかもアルバムもビルボードの200位にも入らないという惨敗を喫し、ほとんど死に体と言ってもいい状況に陥ってしまうのです。
これでこのバンドは終わりかと誰もが思ったのですが、97年にバッキンガムのソロアルバムの制作にフリートウッドが参加したことをきっかけに、当時のメンバーの人間関係は劇的に改善されていきます。そしてこの年全盛期のメンバーが再集結してライブ活動を開始、その模様をアルバム『The Dance』としてリリースすると、これがビルボードで1位、全英15位の大ヒットとなり、フリートウッド・マックは華麗なる復活を遂げるのでした。
その後98年にクリスティンが引退すると言って脱退します(結局04年にソロ歌手として復帰しています)が、残ったメンバーはそのまま活動を続行。03年にリリースしたスタジオアルバム『Say You Will』はビルボードで3位、全英6位とヒットし、ライブツアーも好評を博するなど、老いてなお盛んなところを見せています。今は各メンバーのソロ活動がメインで、その傍らバンドとしても活動するという感じらしいですが、今年になってクリスティンも復帰し、9月からは全米ツアーも行っているそうですね。
メンバーはみんないい歳で、あの「妖精」とまで言われたニックスですらもう66歳ですっかり老けた感じになっていますが、まだまだ元気に頑張ってほしいものです。