ホワイト・スピリット

こんばんは。埼玉は毎日暑いんですが、皆様のところは如何でしょうか。
今年はエルニーニョ現象が発生するために、冷夏になる可能性があると聞いていましたが、この時期にこれだけ暑いんですから、やっぱり夏はくそ暑くなるんだろうなと、今からぐったりしております。
暑さに強い人が羨ましいな、などとぐずぐず言いながら、今回もスタートです。


さて前回がハードロックだったこともあり、今回も面倒くさいからハードロックでいいや、などと思って、適当にネタを探しておりました。
でもあまりメジャーなのはこのブログに似つかわしくないなという気がしますし、ならNWOBHMの頃に雨後の筍のように出てきたバンドなら、ほとんどが売れなかったからいいんじゃないかと思いまして、ホワイト・スピリットを取り上げることにしました。
このバンドは当時は評価こそ高かったものの本国ではほとんど売れず、日本でもアルバムはリリースされたものの、まったくと言っていいほど話題にならなかったですね。のちにここのギタリストだったヤニック・ガーズがアイアン・メイデンに加入したため、そのおかげでメタルファンの一部の間でのみ局地的に知名度があるという感じでしょうか。
しかしだからと言って三流バンドだと判断するのはまだ早いんですよ。そのスピーディーでドラマチックな演奏はなかなか聴き応えがあって、個人的にはかなり好感を持っていましたし、70年代の正統派ハードロックが好きな方になら、自信を持ってお薦めできます。
とりあえずサウンドを一言で説明しますと「ディープ・パープルそっくり」。NWOBHMのバンドとしては珍しくハモンドオルガンをフィーチャーしていて、どちらかと言うとパンクに影響を受けたゴリゴリした音を出すバンドが多かった当時のムーブメントから考えると、いかにもクラシカルでそれだけでもかなり異色の存在でしたね。
僕はこのバンドの動いているところを観たことは一度もないんですが、当時のスチルを見る限りガーズは意図的に見た目をリッチー・ブラックモアに寄せていて、相当ディープ・パープルを意識していたことが窺えました。
あとユーライア・ヒープが好きな人も、きっとこのバンドのことは気に入ってくれるんじゃないでしょうか。まあそんな人がどれだけいるのかは分かりませんが。


ホワイト・スピリットは75年、英国イングランド北部のハートリプールで結成されました。メンバーはブルース・ラフ(ヴォーカル)、ガーズ、フィル・ブレイディ(ベース)、グレアム・クララン(ドラムス)、マルコム・ピアソン(キーボード)の5人です。
バンドは70年代後半にはローカルで活動していましたが、79年頃からのNWOBHMの波に煽られる形で活動を活発化させ、80年には当時メタルのレコードを専門にリリースしていたニート・レコードから、シングル『Backs To The Grind』を出してデビューを果たすこととなります。


White Spirit - Cheetah


デビューシングルのB面の曲。
リッチー・ブラックモア丸出しのギターと、独特の世界観を醸し出すオルガンにリードされて疾走するスピード・チューンです。
曲の構成とかアングラな感じとかは確かにNWOBHMなんですけど、ギターとオルガンのせいでレインボーのアウトテイクにも聞こえて、なんとも味のある一品に仕上がっています。


バンドは間髪入れずにEMIからのコンピレーションEP『Muthas Pride』にも参加し、1曲を提供しています。
このコンピはホワイト・スピリット以外にもクオーツ、ワイルドファイア、ベイビー・ジェーンといったバンドが参加していますが、全部無名に終わってしまいましたね(クオーツとワイルドファイアはCD持ってますが)。
NWOBHMはこういうインディーズの泡沫バンドが非常に多かったため、隠れた音源がたくさんあって今でもマニア受けはすごいんですけど、経済的に成功したバンドは少なかったですね。結局メジャーな存在になれたのはアイアン・メイデンデフ・レパード、サクソンくらいでしたから。


White Spirit - Red Skies


『Muthas Pride』収録曲。
緩急をつけた展開が光るドラマティックな曲ですね。ガーズのギターもコンパクトにツボを押さえていますし。
オルガンはやはりディープ・パープル風なんですが、時折入るシンセがほとんどキース・エマーソンなのがミソでしょうか。、


インディーズでの活動で高い評価を得たホワイト・スピリットは、同年メジャーのMCAレコードとの契約に成功し、アルバム『White Spirit』をリリースしました。
当時のMCAはメジャーレーベルの中ではかなりNWOBHMに理解のあるほうで、ニート・レコードとの提携を行い、他にもタイガーズ・オブ・パンタン、ダイアモンド・ヘッドなどを世に出しています。どのバンドも世間的には無名に終わり、商売としては失敗した形となりましたが、ダイアモンド・ヘッドがメタリカに多大な影響を与えるなど、その功績は無視できないものでした。


White Spirit - Midnight Chaser


『Whire Spirit』のオープニングを飾った曲。81年にシングルカットもされています。
ギターとオルガンがユニゾンでリフを刻むイントロから始まり、レトロな雰囲気を撒き散らしながらも疾走していく王道ハードロック。
ギターとハモンドオルガンのせめぎ合い、そして中間部のスリリングなオルガンソロが聴きどころでしょうか。


White Spirit - High Upon High


これも『Whire Spirit』収録曲。やはり81年にシングルカットされています。
哀愁味溢れるメロディと、スペーシーなキーボードが印象的な曲ですね。もちろんガーズのギターもしっかり脇を固めています。


しかし残念ながらホワイト・スピリットは、アルバムもシングルも不発に終わりました。
曲のレベルは高かったと思うんですが、やはりオルガン主体のクラシカルかつ重厚な雰囲気は、当時のムーブメントの中では異色過ぎて受け入れられなかったというのが大きかったんでしょうね。
あとラフのヴォーカルが平凡で、いまいち特筆すべき魅力が感じられなかった(実は個人的にはワイルドでそこそこ味があると思ってるんですが、ライブではかなり下手だったらしいです)のも弱点だったのかもしれません。
それでもガーズのギターの腕前は大いに認められたんですが、結果彼はその才能に目をつけた元ディープ・パープルのイアン・ギランによって引き抜かれてしまいます。ガーズの当時の心境は分かりませんが、やはりビッグネームの下で活動してキャリアアップするというのは大きな魅力だったでしょうし、そのへんは責められないと思いますね。
ただ中心人物の抜けてしまったホワイト・スピリットは大ダメージを受け、結局はMCAから契約を切られて活動を停止させることとなってしまいます。
翌年ガーズとともにバンドを牽引していたクラランが新メンバーを集め、ブライアン・ハウ(ヴォーカル)、ミック・タッカー(ギター)、トビー・サドラー(ベース)、クララン、ピアソンというラインナップでデモテープを作成しますが、結局メジャーレーベルとの契約を得ることができず、その年のうちに再び活動を停止してしまいました。ちなみにこのとき作成されたデモテープは、2012年に『21 Grams』というタイトルでリリースされています。
その後ガーズがメジャーな存在になるにつれて、ホワイト・スピリットも再評価されていったのだけが慰めでしょうか。いいバンドだったのに残念です。


メンバーのその後ですが、ガーズはギランで2枚のアルバムに参加したあと脱退し、元アイアン・メイデンのポール・ディアノ(ヴォーカル)、元デフ・レパードのピート・ウィリス(ギター)、元ホワイトスネイクのニール・マーレイ(ベース)、元アイアン・メイデンのクライブ・バー(ドラムス)という結構強烈なメンバーとともに、ゴグマゴグというスーパーグループを結成します。しかしこれは思いっきり失敗したため一時は音楽業界からはセミリタイア状態となり、大学で社会学や経済学を学んでいました。
そんなこんなでいまいち浮上し切れなかったガーズでしたが、90年にアイアン・メイデンのヴォーカリストであるブルース・ディッキンソンのソロアルバムに参加した際、その実力を認められてアイアン・メイデンに迎えられることとなり、現在も元気に活動中です。3人のギタリストの中では一番地味な感じですが(他の2人はデイブ・マーレイとエイドリアン・スミス)、今もギランからもらった黒のストラトキャスターを振り回して頑張っています。
次に出世したのは末期に加入したハウでしょうか。彼は84年にテッド・ニージェント・バンドのヴォーカルに迎えられて渡米。その後あのポール・ロジャースの後釜としてバッド・カンパニーのヴォーカリストとなり、4枚のアルバムをリリースしています。中でも『Holy Water』(90年)はアメリカだけで100万枚以上を売り上げましたから、大成功と言っていいのではないでしょうか。脱退後はソロシンガーとして活動しています。
ハウのヴォーカルはハスキーな高音が非常に魅力的なもので、もしガーズのギターとタッグが組めていたら、ホワイト・スピリットの売れ行きもまた変わったのかもしれません。でもこればっかりは言ってもしょうがないですよね。
また末期のギタリストであるタッカーも、モーターヘッドの弟分と呼ばれたバンド、タンクに加入して現在も活躍しています。
最後までホワイト・スピリットを支えたクラランは、一時タッカーの引きでタンクに加入したんですけど、傑作アルバム『Honour And Blood』に参加しただけで脱退してしまいます。晩年はいくつもの持病を抱えて闘病していましたが、08年にロンドンの道端で倒れて頭部を打ち、その外傷が元で亡くなっています。享年50。
ブレイディは一時期セラピーという名の(北アイルランドのパンクバンド、セラピー?とは違うバンド)ローカル・メタル・バンドに加入していたようです。
末期のベーシストだったサドラーは、87年から90年までの間、NWOBHMの古豪サムソンに加入していました。
そして頑張って歌っていたラフと、良くも悪くもホワイト・スピリットのサウンドを特徴付けていたピアソンの消息は、調べてみてもまったく分かりませんでした。ラフの本名がブルース・ウォーカーだということだけは判明したんですが。
多分カタギに戻ったのでしょうが、あまり歌が上手くなかったラフはとにかく、あれだけ華やかな音を出していたピアソンの消息が不明なのは何とも寂しい限りです。