バズコックス

仕事から帰宅途中に大雨に降られてしまったため、どうやら風邪を引いたみたいで、鼻水をずるずるさせながらこれを書いています。
とりあえずこれを書いたら一眠りします。皆様も体調には十分ご配慮下さい。


今回は英国マンチェスターのロックシーンの黎明期を支えた存在で、パワーポップの草分けでもあるバズコックスです。
バズコックスは76年に、ハワード・デヴォートとピート・シェリーを中心に結成されました。パンクが始まったことによって、それまでのメインストリーム中心のぬるいシーンに石を投げつけるようなムーブメントが、全英に野火のように広がっていた頃で、その先頭を切ったのがバズコックスでした。
デヴォートとシェリーはまず、当時はパンク・ロックシーンが全く盛り上がっていなかった地元マンチェスターに、自らセックス・ピストルズを招聘しました。
その時の観客はたったの42人だったんですが、その中には後にジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーを結成するバーナード・サムナーとピーター・フック、ザ・スミスを結成するモリッシーらの、後に英国のロックシーンを牽引する面々が含まれており、このライブはマンチェスターの音楽シーンを活性化させる出来事として伝説になっています。
これに気を良くした彼らは、翌月のピストルズの二度目のマンチェスターでのライブでは自ら前座を務め、本格的に活動を始めていきます。
彼らは同年、名EPとして名高い『Spiral Scratch』を自主制作して話題になり、一躍パンクシーンの注目の的となりました。


Buzzcocks - Breakdown


これが『Spiral Scratch』の収録曲です。
音はスタジオ録音のものを使っていますが、映像は珍しいデヴォート在籍時のものです。
これを見つけたときには、まさか動画があるとは思ってなかったんで驚きましたね。YouTubeのおかげでいろいろな珍しい映像を見ることができて、ホントいい時代だなあ、と思います。
最後何やらもめてるのも、パンクらしくて面白いですね。


しかしすぐにデヴォートが、マガジンを結成するため脱退してしまいます。マガジンも良いバンドなんで、いずれは紹介したいと思っているのですが、それはまた別の話。
バンドはシェリーが後を継ぐかたちとなり、ラモーンズの持つ切れ味とブリティッシュ・ビートの伝統をパンク・ムーブメントの中で融合したサウンドで人気を集め、78年にはメジャー・デビューを果たします。
シェリーのヘタウマなヴォーカルに乗せて歌われるポップなメロディと、いかにもパンクを通過してきた感じのシャープなサウンドはなかなかいい味を出していて、パワーポップの先鞭をつけたバンドとして活躍しました。


Buzzcocks - What Do I Get


78年のシングル。全英37位を記録し、初めて全英チャートに入る作品となりました。
ラモーンズをUKっぽく切なくしたような、ヘナヘナした感じがなかなか良いです。
歌詞は「恋をして何が得れるんだろう。結局半分空いたベッドで、眠れない夜を過ごすだけ」という強烈なものですが、シェリーの甲高い声で歌われると何となく納得してしまうから不思議です。
これはいわゆる「パンク世代のラブソング」なのかもしれませんね。


Buzzcocks - I Don't Mind


78年に1stアルバム『Another Music in a Different Kitchen』からカットされたシングル。全英55位。
これも実はラブソング。恋がうまく行ってるのかは不明なれど、「気にしないぜ」と強がっているところが等身大な男の子って感じです。


Buzzcocks - Ever Fallen In Love(With Someone You Shouldn't've?)


78年に2ndアルバム『Love Bites』からカットされたシングル。全英12位を記録し、彼ら最大のヒットとなっています。
この曲はとにかくメロディがいいですね。個人的には彼らの曲の中で一番好きです。
恋をしてはいけない相手と恋に落ちると、どれだけ切なくなるかを歌う歌詞も、何とも甘酸っぱいリアリティがあって良いですね。
なんでも50年に初演されたブロードウェイ・ミュージカル『Guys & Dolls』をシェリーがTVで見て、このタイトルと同じセリフを聞いてインスパイアされて作ったんだそうです。


Buzzcocks - Promises


78年リリースのシングル。全英20位。
ギターのスティーブ・ディグルが書いた曲で、メロコアやエモのご先祖様みたいな音なのが、今聴くと新鮮です。


しかしこの頃からシェリーは鬱を病み、ポップな曲が書けなくなっていきます。
79年には3rdアルバム『A Different Kind of Tension』をリリースしますが、彼の精神状態を反映したのか音には陰鬱さが増してきて、ジョイ・ディヴィジョンかと思わせるような曲まであったくらいです。
その後は開き直ったのか、ジョイ・ディヴィジョンのプロデューサーでもあるマーティン・ハネットを迎え、アルバムの路線をさらに推し進めたシングルも出したのですが、結局うまくいかずシェリーはソロ活動に移行し、バンドは81年に解散してしまうのです。


解散後シェリーはソロとして活動し、テクノポップっぽい音を出していましたが、エレポップの退潮とともに名前を聞かなくなってしまいました。
しかしそれほど大ヒットしたわけでもない割には妙にフォロワーが多く、現役のミュージシャンから人気がやたらとあったこともあって、バズコックス再結成の要望は非常に高く、ついに89年には再びシェリーとディグルが合体し、バズコックスとしてツアーを始めます。
93年からはアルバムもコンスタントにリリースするようになり、往年ほど成功しているわけではないものの、ブリティッシュ・パンクの生き証人として存在感を示しています。
95年以降何度か来日も果たしており、日本でも以前以上に知名度は上がっているようです。昔から知っているバンドなので、元気で頑張ってほしいものです。