ハイジ・ファンテイジー

前回のマリリンの項で、「ハイジ・ファンテイジーのポール・カプリンの目に留まって」なんて文章を何の注釈もなしに書いてしまいました。
まあいい機会なんで、ついでに説明しておきましょう。というわけで、今回はハイジ・ファンテイジーです。


ハイジ・ファンテイジーは80年代前半の英国で、一瞬だけ人気の出たユニットです。フォトグラファーのケイト・ガーナーとクラブDJのジェレミー・ヒーリーをフロントマンに置き、表に出ない(PVにも映っていない)第三のメンバーであるポール・カプリンがトラックを作るという形になっており、当時はあまりなかったノン・ミュージシャン・チームの先駆け的存在でした。
ニュー・ロマンティック以降のエレ・ポップに、ファンクやヒップホップの要素を混ぜ込んで、そこにファッションやヴィジュアル的な戦略を加えたところは、前例がなくなかなか斬新ではありました。ライブは一切しないというところも、いかにも新しかったですね。
ただ頭はドレッドロック、着ているものはボロボロのベガー・ルック(訳せん)という彼らのあまりに最新過ぎるルックスは、キワモノ一直線で逆にすごいものを見ているような気分になりましたけど。
当時アルバムにヌード付き写真集が付いていたというのも(僕は買ってないので見てませんけど)、さらにキワモノっぷりをアップさせてましたっけ。


Haysi Fantayzee - John Wayne Is Big Leggy


82年にリリースされたシングル。邦題は『正義の味方ジョン・ウェイン』。全英では11位まで上昇するヒットになりました。
バウ・ワウ・ワウを思わせるアフリカっぽいビートに、西部劇的なテイスト(まあジョン・ウェインですしね)をミックスした奇妙なダンス・チューンです。
お遊びっぽい佇まいのわりにはずいぶん凝ってる音だなと思ったら、プロデューサーはデフ・スクールのクライブ・ランガーでした。マリリンと一緒じゃん。


Haysi Fantayzee - Shiny Shiny


83年年にリリースされたシングル。全英16位を記録しています。
キャッチーでキュートなヒップホップサウンドに、カントリーから引っ張ってきたようなフィドルが合わさったこれも不思議な曲です。
サビの「Shiny Shiny〜」という部分が耳に残って離れないうえ、構成もアレンジも面白いなかなかの作品だと思いますね。
ちなみにこの曲の12インチは「エンドレス・カッティング」なる仕様になっており、曲が終わると針がうまい具合に飛び、プレイヤーを止めない限りラストフレーズを繰り返すという仕掛けが施されていました。アナログ時代ならではの洒落っ気ですね。


当時アルバム『Battle Hymns For Children Singing』(邦題は『子供たちの軍歌』)も聴きましたが、キワモノと紙一重の面白さを感じた記憶がありますね。
良くも悪くも軽佻浮薄で、楽しさや軽さや踊りやすさ最優先。ラップ調の掛け合い、いかにも打ち込みな感じのリズム・セクション、多用されるスクラッチ、セックスをテーマにした歌詞と、流行りものを凝縮させたような音ですが、それでいてメロディーは普遍的に愛されるポップさかげんなのが憎いところです。
まああっさり言っちゃえばファッション先行の音楽の見本のようなものなんですが、もともとポップ・ミュージックとファッションというのは切っても切れない関係にあるわけで、それを考えるとある種清々しいばかりの潔さがありました。


なかなか興味深い活動をしていた彼らですが、多分周囲も僕と同じようにキワモノとして見ていたんでしょう、すぐに活動は尻すぼみとなり、結局自然消滅してしまいます。
もともと消費されること前提の活動でしたし、あまりにも流行り物を寄せ集めすぎて音楽としての発展性もない感じだったので、消えるのはしょうがないんですがそれにしてもあっけなかったですね。
ただ彼らのドレッドロック・ヘアやベガー・ルックは、のちにボーイ・ジョージがよりファッショナブルな形で真似してました。そういう意味では先駆者的存在だったのかもしれません。
なおユニット消滅後、ケイトは本職のフォトグラファーとしてシネイド・オコナー(シンニード・オコナー)のアルバムジャケットや、デヴィッド・ボウイボーイ・ジョージミラ・ジョヴォヴィッチナオミ・キャンベルらのポートレートを撮るなど成功しています。
ジェレミーはイビザなどの大きな箱でDJ活動を続けながらも、多くの作品のリミックスを担当したほか、一時女優のパッツィ・ケンジットと結婚していました。
またポールは前回述べたようにマリリンのマネージメントを手がけた後、インターネット関連の会社を立ち上げて実業家に転進したとのことです。