T.レックス

今では冗談みたいな話ですけど、昔ロックの人は「ジジイになる前に死んじまいたい」というのが普通のメンタリティでした。
初期のロック・スターたちは、いつもそんなことばかり言っていましたからね。長生きしてジジイになるってことは、ロックには似合わないことだったのです。
たとえばミック・ジャガーは「40歳になっても『サティスファクション』をやっていたくない」と言いましたし、ピート・タウンゼントの有名な「Don't Trust Over 30(30歳以上は信じるな)」という警告もありました。デヴィッド・ボウイなんか「ステージで殺されたい」なんてすごいことをのたまってましたっけ。
しかし彼らは結局長生きしてしまいましたから、もうどうにもならないんですけど。
あれから30年以上も経って、ロックが一大産業となると、生き残ったロック・スターたちにとっては、かつての若気の至りのヒット曲は、すべてバックカタログという金の成る木になりました。
かくしてミックは60歳を過ぎても『サティスファクション』をやってますし、ピートもハゲて難聴になりながらも、ウインドミル奏法を披露しています。ボウイに至ってはステージで殺されたいどころか、ジョン・レノンが射殺されて以来、暗殺を恐れてボディガードを増員している始末です。
そんな彼らを非難する気はありません。彼らは「老化」という誰も勝てないものと戦うことによって、さらなるレジェンドになったのですから。
ただ釈然としないものも残るのは事実でして、そうなるとT.レックスマーク・ボランをいつも思い出します。
彼は「僕は30歳になる前に死ぬだろう」と予告し、実際30歳になる直前に事故死しました。そういう意味ではロッカーの鑑なのかもしれません。


T.レックスは70年代前半にデヴィッド・ボウイと並ぶグラム・ロックの旗手として、一世を風靡したロックバンドです。
日本でも人気があって、僕が通っている理髪店のおばちゃんは、若い頃T.レックスの武道館公演に行ったことを自慢にしてましたっけ。ただやはりこのライブを観に行った近田春夫によれば、あまりの下手さに「今なんの曲を演奏してるのかわからない」くらいだったそうですが、まあそれはご愛嬌ということで。
個人的に思うT.レックスの魅力とは、簡単なリフの連続に乗せて覚えやすいメロディーがタラタラと続く妙にのほほんとしたサウンドと、おそらく書いた本人にしか解らないであろう美意識のみで書き飛ばされた歌詞、そして踏んづけられたアマガエルみたいなマーク・ボランの独特の声でしょうか。
それとプロデューサーのトニー・ヴィスコンティが手がけた大胆なストリングス・アレンジや、フロー&エディ*1の変なバッキング・ヴォーカルもよく聴くとなかなかキテます。
とにかく体育会っぽく熱く盛り上がる感じではなく、じわじわゆらゆらとしている感じが僕には合ってました。
なにしろ合いの手が「ハァー」ってため息だったりしますからね。これはたまらんです。


マークは最初シンガーソングライターを志し、パーカッショニストのスティーブ・ペレグリン・トゥックを相棒に、ティラノザウルス・レックスというコンビを結成しました。
このコンビの音楽性は今で言うアシッド・フォークみたいなもので、ファンタジーの世界に題材を得た歌詞を、アコギとボンゴのシンプルな演奏に乗せて、変なビブラートのかかった声でうねうねと歌うものでした。
しかしそのうち時代はロックだ、と気づいたマークは、トゥックがドラッグで使い物にならなくなったのを機に、彼をクビにして新しい相棒のミッキー・フィンを引き入れ、ベーシストとドラマーも探してバンド形態にし、名前もT.レックスに改名しました。
ちなみにもともとマークがトゥックを相棒に選んだ理由は、彼のステージネーム「ペレグリン・トゥック」をマークが気に入ったことでした。何しろあの『指輪物語』のキャラの名前(通称のピピンのほうが通りがいいですが)ですからね。
要するに別に実力で選ばれたのではなかったわけで、そのせいか解雇された後は見事に表舞台から消えたんですが、80年にサクランボの種を喉に詰まらせて窒息するという珍しい死に方をしています。


話はずれましたが、マークはメイクをして、目元にラメを散らし、ド派手なコスチュームでステージに立つようになりました。
するとそのエレクトリック・グラム・ロック路線は大受けし、T.レックスは一躍トップバンドの座をつかみ、マークはティーンエイジャーたちのアイドルとなったのです。
以下代表曲をいくつか挙げます。


T.Rex - Get It On


71年リリースの2ndアルバム『Electric Warrior』(邦題は『電気の武者』)からのシングル。彼らの唯一のアメリカでのヒット曲です。
ちなみに当時アメリカではチェイス*2の同名の曲(邦題は『黒い炎』)がヒットしていたため、曲名を『Bang A Gong』と変えてリリースしています。
今聴いたら音はぺらぺらですし、なによりやたらと単純な曲なんですが、なんとも言えない魅力のある曲です。たまにCMに使われたりもしますし、ポルノグラフィティもカバーしています。
しかし映像ではエルトン・ジョンがピアノを弾いているように見える(音はまったく聞こえませんが)んですけど、本人なんでしょうか。だとしたら何故?


T.Rex - Metal Guru


72年にリリースされた3rdアルバム『The Slider』のオープニングを飾った曲。
タイトルからメタリックなものを想像すると、そのヘナヘナ具合にずっこけそうになること間違いなし。
曲の構成なんかお構いなしで、全編コーラスの繰り返しなのがなかなか面白いです。


T. Rex - Telegram Sam


これも『The Slider』収録曲。
資生堂のCMソングになったんで、覚えている方もおられるかもしれません。
全盛期のT.レックスが放つ完成度の高いヒットシングルで、一度聴くと忘れられない魅力があります。


T.Rex - 20th Century Boy


73年にヒットしたシングル。
この曲は映画『20世紀少年』のCMにも使われていましたから、覚えている人も多いでしょう。彼らの曲の中で最も知名度が高いかもしれません。
とにかくイントロのギターとメインのリフがとても印象に残りますね。ポップでキャッチーで万人にも薦められる曲です。
グラムロックの枠を飛び越えた名曲で、日本でもX JAPANをはじめ、多くのバンドがカバーしています。


T. Rex - Children Of The Revolution


これもいつだったか忘れましたけど、とにかくヒットしたシングル。
トニー・ヴィスコンティの得意技、エレクトリック・ギターとストリングスのユニゾンが見事にキマっている曲です。
ヴィスコンティは、「ビートルズが始めたロックにストリングスを採り入れるというアイデアを、もっと過激に発展させようと思った」と発言していますが、まさにその究極例がこの曲ではないでしょうか。文句なしの傑作です。


しかしブームは3年ほどしか続かず、すぐにマークは過去の人になってしまいます。
同じくグラム・ロックで一世を風靡したデヴィッド・ボウイが、いち早く別な路線を採ったのに対し、マークはいつまでもグラム・テイストのブギー・サウンドをやめなかったため飽きられた、というのが最大の原因でしょう。
また人気急落後のマークは、薬物中毒がさらに悪化したうえ、不摂生が祟って太ってしまい、見るからに精彩を欠くようになります。
おまけに自己中心的でエキセントリックな性格のせいで、プロデューサーのヴィスコンティと喧嘩別れしてからは、絶妙なストリングス・アレンジも変なバック・ヴォーカルもなくなってしまったため、曲が単純なのがはっきりと分かるようになり、完全にマジックは失われました。一時は愛人のグロリア・ジョーンズを通じて、ソウルなどのブラック・ミュージックにも接近しましたが失敗しています。
ボウイがいろんなミュージシャンを起用して、その力を自分の手柄としていくのとは対照的で、要するにマークは不器用な人だったのでしょう。
その後マークは失意の日々を過ごしますが、そんな彼にもう一度光が当たる機会がやってきました。それはパンク・ムーブメントです。
彼はムーブメントの沸騰している最中の77年、音楽番組の司会に起用されました。その番組は話題の若いバンドを呼んでマークとトークさせ、曲を演奏するというありがちなものでしたが、バンクスの多くは子供の頃にT.レックスを聴いていたため、自分たちのアイドルだったマークとテレビに出られることを喜び、番組は盛り上がりました。
これで再び注目されたマークは、再起を賭けて生活を改め、カムバック・アルバム『Dandy In The Underworld』(邦題は『地下世界のダンディ』)もリリースし、ダムドなど複数のパンク・バンドを前座にしたツアーも計画されました。
しかしそんな時、グロリアの運転する車が街路樹に激突し、同乗していたマークは死亡します。
「僕は30歳になる前に死ぬだろう」と言っていた彼ですが、死んだのは30歳の誕生日の一週間前でした。


もちろんマークの死でT.レックスは消滅しましたが、彼の死後20年経って、相棒だったミッキー・フィンと末期のドラマーだったポール・フェントンが中心になって、「Mickey Finn's T. Rex」の名義で活動を始めています(未聴)。
フィンは03年にアルコール性の肝臓病で死亡していますが、残されたメンバーはそのままの名前で活動を続けているそうです。なんかすごい話ですね。

*1:タートルズのヴォーカル・コンビ。T.レックスの他にも、アリス・クーパーフランク・ザッパなどの作品でバック・コーラスを担当している。

*2:アメリカのブラス・ロック・バンド。ブラス・セクションがトランペットのみという特異な構成だったため、他のブラス・ロックより鋭い音を出していた。72年に一度解散するが74年に再結成。しかしツアー中に飛行機が墜落して、リーダーのビル・チェイスらメンバー4人が死亡し、バンドは消滅した。