バグルス

どうもです。
先週は親族の葬儀があって、さいたまと名古屋を日帰りで往復したんですが、それで体調を崩してしまいまして。
まあ無理して書くこともできなくはなかったんですが、土曜日にはコンサートに行く予定があり、どうしてもそこまでには体調を戻しておきたいと思いまして、静養に専念して更新をお休みさせて頂きました。御心配かけまして大変申し訳ありません。
さて今週はどうしようかと思ったんですが、勝手ながら前に書いたエントリの増補改訂版にさせて頂くことになりました。
今から3年くらい前、このブログは毎日更新だったんですよ。ですから各エントリの内容が薄くて、動画を一つ貼って文章は4行とか、かなり適当な回もあったりするんですね。
これらをいつかはちゃんと書き直したいとずっと思っていたので、ネタが尽きつつある(実際は言うほどネタ切れでもないのですが)今がいい機会かなと考え、ぼちぼちその作業にも取り掛かることにしました。
焼き直しと言われればそれまでなんですが、記事に関してはかなりボリューム・アップしていますので、読んで頂ければ何よりです。


さて、今回は過去のエントリの中では割と反響があったバグルスについて、書き直していきたいと思います。
バグルスは結構有名ですよね。80年代に最も成功したプロデューサーと言えば、まずトレヴァー・ホーンの名前が挙がると思うのですが、そんな彼が結成していたエレポップ・ユニットがバグルスです。
スポットライトが当たっていた期間は非常に短いのですが、ポップス史上に燦然と輝く名曲『Video Killed The Radio Star』(邦題は『ラジオ・スターの悲劇』)をものしているので、僕と同世代でなくても知っている方は多いのではないでしょうか。
80年代前半には電子音やシンセサイザーを多用したテクノポップ(欧米ではエレポップ、シンセポップ)がチャートを席巻したんですが、その先鞭をつけた形になったのもこのユニットです。


バグルスは77年に英国ロンドンの南西、ウインブルドンで結成されました。メンバーはホーン(ヴォーカル、ベース、キーボード)、ジェフリー・ダウンズ(キーボード)、ブルース・ウーリー(ギター)の3人でした。
3人は当時女性ヴォーカリスト、ティナ・チャールズ(日本でも夏目雅子が出ていた資生堂のCMソング、『OH!クッキー・フェイス』をヒットさせている)のバックバンドに在籍したことで知り合います。ダウンズはそれ以前に元エレクトリック・ライト・オーケストラのロイ・ウッドが率いるウィザードに関わっていたこともあるらしいですね。またホーンは当時チャールズの恋人でもあったようです(そのせいかチャールズは『Video Killed The Radio Star』のデモ音源でコーラスを担当する他、資金援助もしていました)。
このバンドを脱退後3人は77年にバグルスを結成、共同で自分たちの曲作りを始め、制作したデモ・テープをいくつかのレコード会社に送ります。するとそれがアイランド・レコードの社長であるクリス・ブラックウェルに認められ、契約を得ることに成功します。
バグルスはデビュー曲のレコーディングを開始しますが、途中でウーリーが自分のバンドであるカメラ・クラブ(メンバーにはトーマス・ドルビーもいた)での活動のため脱退してしまいました(『Video Killed The Radio Star』などの共作者、そしてギタリストとしてアルバムに名前はクレジットされています)。バグルスは2人組になってしまいますが特にメンバーを補充することはなく、79年9月にシングル『Video Killed The Radio Star』でデビューを果たすのです。


The Buggles - Video Killed The Radio Star


これがそのシングル。この曲が79年に突如として全英ナンバーワンヒットとなったことにより、テクノポップの時代の幕が開いたと言っても過言ではありません。それほどこのヒットは衝撃的でした。
またビルボードでこそ40位止まりでしたが、フランス、イタリア、スペイン、アイルランドオーストリア、スイス、スウェーデン、オーストラリアで1位、西ドイツ、ニュージーランドで2位、カナダ、南アフリカで6位に輝くなど、その衝撃は世界的に波及しています。日本でもオリコンで25位まで上昇しました。
テレビの出現により仕事を奪われて没落したかつてのラジオ時代のスターを描いたこの曲は、過去を忘れたくないという願望と、現代の子供達に過去の良さがわからないことへの落胆に触れるという歌詞をノスタルジックなメロディーに乗せて、最新のテクノロジー満載の音を使って歌うという逆説的な構造になっており、そこに英国人らしいアイロニーを感じます。
またテクノロジー優先だった当時の社会に横たわる、目に見えぬ不安をリアルに描出している点でも、単なるポップソングではない鋭さを感じますね。
リアルタイムではニューウェーブの一部として聴いていましたが、今聴くとアレンジは複雑ですし録音もはっきりとプロの仕事で、いわゆるニューウェーブとは一線を画しているところはあるかもしれません。どちらかというとジョルジオ・モロダーあたりとスタンスは近いのかも。
当時としては精一杯未来っぽく作ったんであろうPVは、ラッセル・マルケイが監督しています。彼はその後クイーン、デュラン・デュランビリー・ジョエルエルトン・ジョンビリー・アイドル、ロッド・スチュアートやカルチャー・クラブといった一流どころのミュージックビデオを手がけて、MTVアワードなどを受賞し成功を収めていますね。映画進出後はちょっとアレな作品(『レイザーバック』とか『ハイランダー2』とか)が多くて困っちゃいますが。
このPVは81年8月1日0時01分に開局したMTVのミュージック・チャンネルで一番最初に流されたPVであり、モニュメント的な価値も高い作品ですね。また00年2月27日にはMTVでの放映回数が100万回を超えているんだそうで。
なおPVの後半で、メンバーではない男性が黒い服を着てバックでキーボードを弾いていますが、これは映画音楽家として大成したハンス・ジマーの若き日の姿です。


80年の1月には、彼らはデビューアルバム『The Age of Plastic』(当時の邦題は『プラスティックの中の未来』だったが、現在は『ラジオ・スターの悲劇』に変わっている)をリリースします。
このアルバムは『Video Killed The Radio Star』のプロモーション活動の合間を縫うようにして、突貫作業で作られたものだったようですが、そんな裏事情を感じさせないくらい出来が良く、捨て曲もないので今も個人的には愛聴しています。
ただセールスはそれほどでもなく、全英では27位、ビルボードではチャートインせず、フランスでも15位、イタリアでも17位とあまり売れてないのが結構意外でした。


The Buggles - Living In The Plastic Age


『The Age of Plastic』からのシングル。全英16位。邦題は『プラスチック・エイジ』。
不穏に響くメカニカルなシンセ音とポップなメロディーに載せて、ディストピアSFのような歌詞が歌われる曲ですね。
歌詞はホーンが書いているんですが、彼はJ.G.バラード*1の影響を多大に受けているんだそうで、そう言われて聴くと雰囲気は伝わってくるような気がします。
あと余談ですが、PVでダウンズが手袋してキーボードを弾いているのが、何とも言えぬダサさを醸し出していて逆に良いですね。


The Buggles - Clean Clean


『The Age of Plastic』からのシングル。全英38位。
ウーリーとの共作で、彼らの最初期のレパートリーです。ウーリーのバンド、カメラ・クラブでも演奏されていますね。
シンセ中心のサウンドと明るくポップなメロディー、戦争を扱ったユニークな歌詞が特徴ですが、個人的にはカメラ・クラブのパンキッシュなヴァージョンの方が好みではあります。いやこれも勿論良いんですが。


The Buggles - Elstree


『The Age of Plastic』からのシングル。全英55位。邦題は『思い出のエルストリー』。
映画をテーマにした郷愁味溢れる歌詞と、哀愁のメロディーが良い感じではまった佳曲ですね。湿った切なさがいかにも英国って感じで好きです。
PVもレトロクラシカルな作りになっていて、80年作にしては随分凝った内容なんじゃないかと。


The Buggles - Astroboy (And the Proles on Parade)


『The Age of Plastic』収録曲。
「Astroboy」というのはあの『鉄腕アトム』の海外でのタイトルですが、アトムのようなパワフルな力強さは微塵もなく、退廃的な歌詞をエスニックと言うかもろに中国みたいなメロディーに載せて歌っております。


The Buggles - Johnny On The Monorail


これも『The Age of Plastic』収録曲。邦題は『モノレールのジョニー』。
アルバムのラストに入っていて、疾走感が個人的にお気に入りでした。メロディーも分かりやすいですし。
またまた余談なんですが、堀ちえみの曲にそのものズバリ『モノレールのジョニー』というタイトルのものがあります(作詞は三浦徳子)。メロディーは全然違うんですが、三浦さんがなんかインスパイアされたのかなー、と思ったり思わなかったり。


あとこれもまた余談なんですが、当時のバグルスの作品のどれかに(どの作品なのかはよく分からないんですが)、セッション・ミュージシャンとして中山純一(ジミー中山)という人物が参加しておりました。
中山はその後アリソンという女の子を連れて日本に帰国し、アリソン&フォニックというバンドを結成(白井良明もいたらしい)してロンドン・レコードからシングルを出した(プロデュースは伊藤銀次)んですけど、全然売れなくてすぐに消えてしまいました。僕はこのバンドの演奏しているところを、『おはようスタジオ』(今のおはスタの前身。志賀ちゃんが司会でした)で偶然観てるんですよね。
今回思い出して動画を探してみたんですけど、さすがにどこにもありませんでした。まあ僕もどんな曲だったか全然記憶になくて(いかにもニューウェーブって感じだったことだけは辛うじて覚えてます)、アリソンがあまり可愛くないことしか印象にないくらいですから別にいいんですけど。
ちなみに中山はその後沙羅というテクノポップ・デュオを結成し、1枚アルバムをリリースしています。このデュオが短命に終わった後は、セッション・プレイヤーやプロデューサーとして活動しているようです。
バグルスは「ウーリーが実は日本人ではないか」という噂が流れるなど、この手の妙なネタが多かったですね。


『Video Killed The Radio Star』以外はそれほどヒットしませんでしたが、とにかくその一発が大きかったですし、アルバムを聴けば才能があるのは明らかだったんで、バグルスの前途は洋々としているように思っていました。ところがユニットはちょっと予想外の事態によって、活動停止を余儀なくされるのです。
プログレッシブ・ロックにイエスというとても有名なバンドがありますよね。今でも活動していて、プログレの重鎮として日本でも人気の高い人たちです。
そのイエスなんですけど、前年にヴォーカルのジョン・アンダーソンとキーボードのリック・ウェイクマンが脱退したため活動を停止していたんですが、80年にその後任としてバグルズのメンバーを迎え、結果として吸収する形となってしまったのです。
これは当時本当にわけが分からなくて、大変当惑しましたっけ。テクノポップの人がプログレバンドに加入するとか誰も予想しませんから。
エスのリーダーであるクリス・スクワイア(ベース)は、この加入を「ホーンのヴォーカルがアンダーソンとそっくりだったから」と説明しましたが、それに納得する人はまずいなかったんじゃないでしょうか(後になって両者のマネージメントがブライアン・レーンだったため、ビジネス的な理由で加入が決定したことが判明しました)。僕なんかはただ単にビックリするだけでしたが、古参のプログレファンからの拒絶や嫌悪感はかなり強かった記憶があります。
バグルズを吸収したイエスは、80年にアルバム『Drama』をリリースし、アメリカとヨーロッパでツアーを行いましたが、従来のファンからの反発は根強く評価も動員もいまひとつだったため、結局ツアー終了後に活動を停止し、ホーンとダウンズも脱退しました。


不可解なイエス加入・脱退劇を経て、ホーンは再びバグルスを始動させることを決意し、81年にはアルバム『Adventures In Modern Recording』(邦題は『モダン・レコーディングの冒険』)をリリースします。
一方のダウンズは元キング・クリムゾンジョン・ウェットン(ヴォーカル、ベース)、元イエススティーブ・ハウ(ギター)、元エマーソン・レイク・アンド・パーマーカール・パーマー(ドラムス)らとともにエイジアを結成することを決めていて、そのためアルバムのレコーディングでは4曲に参加したのみなので、この頃のバグルズはホーンのソロ・プロジェクトと言ってしまっていいと思います。
アルバムには当時の最新機器であったフェアライトが導入されており、サウンド面ではかなりグレード・アップしています。後にホーンがプロデュースするアート・オブ・ノイズやイエスの『90125』(邦題は『ロンリー・ハート』)あたりのプロトタイプと言ってもいいかと思いますが、さすがに早過ぎたのかセールスとしては見事に失敗しています。


The Buggles - I Am a Camera


『Adventures In Modern Recording』からのシングル。イタリアで45位、オランダで46位。
エスの『Drama』に収録された『Into The Lens』を改題してセルフカバーしたものですね。原曲のキーを下げてついでにテンションも下げたような感じで、ややダークな作品に仕上がっています。


The Buggles - Adventures In Modern Recording


『Adventures In Modern Recording』からのシングル。かつての仲間だったウーリーとの共作ですね。
ちょっと食い足りない感はありますが、爽やかで聴きやすいポップスです。当時の最新技術をバリバリ使用していて、ホーンのやる気は伝わってきますね。
なおサウンド・エフェクト担当としてイエスのクリス・スクワイアも参加しています。例のゴタゴタで迷惑をかけたお詫びみたいなものなんでしょうか。


The Buggles - Lenny


『Adventures In Modern Recording』からのシングル。オランダで17位。
とにかくフェアライトが目立っていて、ほとんどアート・オブ・ノイズですね。ホーンのヴォーカルもなかなかです。


このアルバムが失敗したためなのか、バグルスはそのまま自然消滅的に活動を停止してしまいました。
ホーンはプロデューサーに転じ、自らのレーベルZTTを設立し、アート・オブ・ノイズフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、プロバガンダなどを世に出しています。
また前述したイエスやABC、ペット・ショップ・ボーイズ、シンプル・マインズポール・マッカートニーベル・アンド・セバスチャンt.A.T.u.などのプロデュースを手がけ、大いに成功を収めています。サウンド的なセンスも勿論ですが、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドt.A.T.u.のように、センセーショナルな売り出し戦略の企画力も優れていて、単なるプロデューサーではなく仕掛け人的な要素も持ち合わせていましたね。
ダウンズは前述したエイジアが大当たりし、ホーンに負けないくらいの成功を収めています。現在もエイジアの中心人物として活動する他、かつて在籍したイエスにも出戻り加入しています。
第三のメンバーだったウーリーは、カメラ・クラブの失敗(カナダではそこそこ売れたそうですが)後に兄弟のガイ・ウーリーとともに、フィラメント・アンド・ジ・エレメンツというバンドを結成しますがこれも失敗し、その後は主にソングライターやプロデューサーとして活動することとなります。グレース・ジョーンズナイル・ロジャースあたりと仕事をしていたようですね。
そして04年にはホーン、ダウンズ、ウーリーの三人が、チャールズ皇太子信託基金のチャリティーコンサートに参加するため集合し、バグルスとして『Video Killed The Radio Star』などを演奏しました。
この時はそれだけで終わったんですが、10年にはホーンがバグルスの再結成を宣言し、ダウンズやウーリーも参加して結成33年目にして初のフル・ライブを行っています。
ホーンはこの時3枚目のアルバム制作についても言及し、実際トレヴァー・ラビンらが参加してアルバムがレコーディングされる、という噂も一時期あったんですが、14年現在リリースはされていません。
エスとエイジアを掛け持ちしているダウンズが、忙しいのもあって制作に乗り気ではないのが原因らしいのですが、新しいバグルスというのも聴いてみたい気はするので、なんとかやる気になってくれると嬉しいですね。

*1:英国のSF作家。独特の比喩表現を多用した実験的な文体で、終末的かつ陰鬱な世界を描き出す作風。ニューウェーブSFの旗手として、後発の作家に大きな影響を与えた。代表作は『結晶世界』『クラッシュ』『残酷行為展覧会』『太陽の帝国』など。