ハワード・ジョーンズ

前回のプロパガンダの楽曲提供者として名前が出てきたので、今回はハワード・ジョーンズを取り上げたいと思います。
彼のことは80年代前半に洋楽を聴いていた人ならご存知でしょう。世界的なヒットを数多く飛ばし、日本でもかなり人気がありましたから。


ハワードは83年のデビュー曲『New Song』の大ヒットで一躍脚光を浴びましたが、実は大変な苦労人だったりします。
10代の頃に音楽で身を立てることを志し、王立北部音楽院でクラシック・ピアノを専攻したものの1年でドロップ・アウト。その後は工場の労務者やピアノ講師として日々の糧を得つつ、プログレッシブ・ロックやパンクロックのバンドで地道に活動していて、当時流行の兆しを見せていたエレポップのスタイルに転向してレコード会社からの契約を得たのは28歳の頃ですから、なかなかの遅咲きです。
しかしデビューしてからの彼は、親しみやすいメロディだけでなく、あの特徴的なツンツンヘアーと童顔も相まって、アイドル的な人気も獲得していました。おっさんなのに。


彼のサウンドは既に膾炙していたありがちなエレポップの範疇ではあったのですが、とにかく曲の質が本当によかったですね。
美しいメロディと繊細な歌詞、練りこまれたアレンジ、そしてダンスミュージックに対するさりげない目配りと、いかにも才人らしい完成度の高さは素晴らしかったです。特にデビューアルバム『Human's Lib』(邦題は『かくれんぼ』)は非常にクオリティが高く、僕もかなり聴き込んだ記憶があります。
それと彼の場合、エレポップでありながら楽曲にパーソナルな肌触りが色濃く残っていたのも特徴でした。これは彼がたまたまシンセを使っていたからに過ぎず、本来はシンガーソングライター的な資質の人だったからでしょう。世が世ならギターを持って弾き語りをする、地味だけど良い曲を書くシンガーみたいな存在になっていたかもしれません(実際後にアコースティック・ライブもやった)。
また彼の場合ライブにも定評がありました。初期はハワードが一人でシンセを演奏し、横で首輪を付けているジェド・ホイルというダンサーが暗黒舞踏を行うという不思議なパフォーマンスでしたし、バンド形態になってからもライブの内容の高さには変わりなく、84年のグラミー賞の舞台でトーマス・ドルビーと共演して寸劇的な要素を取り入れた視覚的にも音楽的にも斬新なステージを繰り広げたことは、今でもオールド・ファンの間で語り草になっています。


Howard Jones - New Song


83年にリリースされたデビュー曲。全英で3位の大ヒット(ビルボードでは27位)となり、ブレイクのきっかけとなりました。
当時この曲がピーター・ガブリエルの『Solsbury Hill』の盗作ではないか、という話が持ち上がりました(実際僕も似ているなと思いましたし)が、ピーターが「いい曲じゃないか」と『New Song』を絶賛したため両者の株が上がったというエピソードが残っています。
今聴いてみても魅力は失われていないですね。いい曲です。


Howard Jones - What Is Love?


同年にリリースされた2ndシングル。この曲は全英3位(ビルボードでは33位)の大ヒットになっています。
ちょっと切ないけど温かみを感じるメロディと、素朴な印象を与えるサウンドが印象的な曲です。僕はこの曲が一番好きですね。
歌詞は「愛ってなんだろう」と問いかけていて一見ラブソング的ですが、よく聴くとその「Love」は親子、兄弟、友人、そんなもの全部に抱く感情のことを言っているんだと分かってきて、そうするとメッセージソングとしての側面も見えてくるという深みを持っています。


Howard Jones - Things Can Only Get Better


85年の2ndアルバム『Dream Into Action』からのシングル。邦題は『オンリー・ゲット・ベター』。
全英で6位を記録するほか、ビルボードでも5位を記録する大ヒットとなり、全米でも彼の名前を知らしめる一曲となりました。
この頃の彼はエレポップからの脱却を模索していたのでしょう。ホーンや女性コーラスをフィーチャーし、ちょっとファンキーな色を出そうとしているのが特徴でしょうか。ベースラインもなかなかいいですね。


他にも大ヒットを連発したハワードですが、80年代後半になるとさすがにイメージが一定化して飽きられたのか、勢いに翳りが見え始めます。
そのうちシングルヒットも出なくなり、93年にはついにメジャー契約を打ち切られてしまいます。これにショックを受けたハワードはなぜか仏教徒に改宗し、創価学会インタナショナルのメンバーになってしまいました。彼は見るからにナイーブそうな人なので、契約を切られたのはかなり精神的にきつかったのかもしれませんね。
しかし音楽的な情熱は損なわれることがなかったようで、自身のレーベルから多くの作品をリリースし、今でも地道に活動を続けています。現在は電子音よりも生音を重視する路線を進んでいるようです。
ライブ活動も行っており、今年2月には来日も決定しています。それも1stアルバムと2ndアルバムを、オリジナルのトラックに忠実に完全再現するというものだそうで、これは貴重な内容になるんじゃないかと思います。


それにしてもこの頃のミュージシャンというのは、センスがあるからセンセーショナルにデビューしてチャートを席巻するんですけど、結局その才能を一過性というポップの罠に絡め捕られてしまい、あっという間に(まあハワードはあっという間じゃなくて、かなり粘ったほうなんですけど)メジャーシーンから退場を余儀なくされる、というパターンが多いですね。
個人的にはそういう人って嫌いじゃないんですけど、ともすれば正当な評価を受けられず、一発屋的に見られちゃうのはかわいそうだと思います。それがポップスの宿命だといっちゃえば、確かにその通りなんですが。