ニック・カーショウ

前回取り上げたハワード・ジョーンズに見た目の印象がとても似ていた人に、ニック・カーショウがいます。顔はハワードと違って結構怖い顔してましたけど、特徴的なスタイルの髪型はそっくりでしたね。
彼はエレポップ全盛時代に彗星のごとくデビューし、いくつものヒットを飛ばしていますから、名前は覚えていなくても、曲は聴いたことがある人が多いかもしれません。


ニック・カーショウは髪型だけではなく苦労人なところもハワード・ジョーンズに似ています。
少年の頃からスレイド(クワイエット・ライオットで有名な『Cum On Feel The Noize』のオリジナルの人)のファンだった彼は、学生時代にハードロック・バンドを結成、その後いくつかのバンドを渡り歩き、80年にはフュージョンなるジャズ・ファンク・バンドでアルバムデビューしましたが4年間泣かず飛ばずで、バンドを脱退して地道に曲作りを行ってデモテープを送りまくったところ、レコード会社の目に留まって26歳でようやくソロデビューにこぎつけています。
しかしこのときの雌伏の期間は無駄ではなかったようで、デビュー後は水準の高いシングルをバシバシ連発し、一気にスターダムにのし上がります。


Nik Kershaw - I Won´t Let The Sun Go Down On Me


83年にリリースされたデビュー曲。全英47位の小ヒットでしたが、翌年再リリースされて全英2位の大ヒットになっています。
一聴すると軽快なノリのポップ・ナンバーですが、実は核をテーマにしているヘヴィな曲だったりもします。


Nik Kershaw - Wouldn't It Be Good


84年リリースのシングル。全英4位のヒットを記録し、ブレイクのきっかけとなりました。邦題は『恋はせつなく』。
アコースティック・ギターの弾き語りでもしっくり来そうな(実際後にアコースティック・バージョンでセルフカバーもされている)、美しいメロディの曲ですね。のちにプラシーボもカバーしています。
ちなみにこの曲を収録したデビューアルバム『Human Racing』で、カーショウは全曲の作詞作曲とアレンジ、ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、パーカッションを手がけ、才能豊かなマルチミュージシャンぶりを見せています。


Nik Kershaw - The Riddle


同年にリリースされた2ndアルバム『The Riddle』のタイトルナンバー。全英3位のヒットとなっています。
独特のコード進行が展開する印象的な曲で、今聴いても非常にいいですね。僕は彼の曲の中ではこれが一番好きです。
ちなみにこの曲はアルバムのリリース直前になって、レコード会社からシングルになるような曲がないと言われ、その場ですぐ適当に書き上げられた曲だということです。彼の溢れんばかりの才能と当時の充実ぶりを示すエピソードですね。
日本では小泉今日子の『木枯らしに抱かれて』が、この曲を思いっきりパクっていることでも知られています。


このようにスターダム街道を驀進していた彼ですが、異常な人気に消耗し、またポップスターである自分の姿に内心では葛藤を抱いていたそうです。
「ポップ・スターであることは、あまり心地よいものではなかった。偶発的にそうなってしまったからね。だから、スタジオに入ってライティングやギターを弾いている時がすごく幸せだった」
と後に彼自身が述懐しています。彼は『The Riddle』以降徐々に表舞台から退いていきますが、それも当然のことだったのかもしれません。


そんな彼のソングライティングやギターの才能を高く評価していたのが、あのエルトン・ジョンです。
エルトンは彼を何かにつけてサポートし、自分のアルバムにゲスト参加させたり、ツアーのメンバーとして招いたり、作品のアドバイスをしたりと援助を惜しみませんでした。
大御所の庇護の下80年代を過ごしたカーショウは、90年代に入るとソングライターやプロデューサーの方向に活路を見出すようになっていきます。そして元ジェネシストニー・バンクスのソロアルバムの楽曲提供とプロデュースを皮切りとし、91年にはアイドルグループのチェズニー・ホークスに提供した『The One And Only』が全英で5週連続1位、ビルボードでも10位に入るヒットを記録し、この道でも大成功を収めることになります。
現在彼はエルトン・ジョンをはじめ、ゲイリー・ムーアブリトニー・スピアーズなどそうそうたるメンバーに楽曲を提供するほか、自らのアルバムも断続的ながらリリースし、ファンを喜ばせています。
自分の資質を早めに見極めたところが、第二の人生でも成功を収めた理由でしょうね。才能のある人なので、そういう形ででも生き残ってくれて嬉しいです。