ゲイリー・グリッター

これまでデヴィッド・ボウイT.レックスロキシー・ミュージックといういわば「グラムロック御三家」を紹介してきました(ボウイは1曲だけだったけど)。
グラムロックは彼らやアリス・クーパーニューヨーク・ドールズなど、後世にも影響を残したミュージシャンも輩出したすごいムーブメントだったわけですが、なまじ大きなブームだったぶん、今見るとただ単にギンギラでけばけばしいとしか思えない、異形のミュージシャンも多数生み出しました。その一人が今回のネタであるゲイリー・グリッターです。
せっかく前回プロディジーとかネタにして、かなり現代に近くなってきたと思ったのに、またグラムロックに戻っちゃうなんて何の因果かと自分でも思いますけど、無理に新し目のネタを書いてもボロが出るだけなので、これはこれでいいんだと強引に思い込むことにして先に進みます。


ゲイリー・グリッターはある意味グラムロック時代を象徴する存在かもしれません。
特徴は「グリッター」の名にふさわしいギラギラの衣装、厚底のロンドン・ブーツ、思いっきり盛り上げたリーゼント、これ見よがしにさらけ出された胸毛など、エルビス・プレスリーを醜い方向にカリカチュアライズしたようなそのルックスでしょう。
グラムロックのミュージシャンというのは多かれ少なかれやりすぎ感があるものですが、彼の場合はそれが過剰すぎて、見るだけで胸焼けがするくらいです。どこかで「グラムロック界のにしきのあきら」と書いてありましたが、言い得て妙かもしれません。
しかしそれなら彼はただのイロモノなのかと聞かれると、必ずしもそうとは言えないんですけどね。なにしろ英国では70年代前半に11曲連続でトップ10ヒットを出した(しかもそのうち3曲は1位)くらい人気はあったんですから。
実は他のグラムロッカーより一世代も二世代も年嵩で、60年代にはまったく売れずテレビ番組の暖め役をしていたという苦労人の彼ですが、グラムロック・ムーブメントが起こるとうまくその波に乗り、英国を代表するロックシンガーとしてその名を知らないものがいないほどの存在となったのです。


Gary Glitter - Rock And Roll (Part.1)


Gary Glitter - Rock And Roll (Part.2)


彼の代表曲で、72年に全英2位と大ヒットした『ロックンロール』。
Part.1は割と普通のポップなブギーですが、ラストにインサートされるブラスがなかなか下品でいい味出しています。
そしてPart.2ですが、これがすごい。ほとんど手拍子と掛け声だけで構成されているという、ちょっと正気を疑ってしまうような曲です。
よく客席との掛け合いが成される曲を「コール・アンド・レスポンスの定番」みたいに言いますが、この曲はその分野の極北でしょう。だって本当にコール・アンド・レスポンスしかないんですから。
Part.2のほうはアメリカでもウケて、なんと全米7位を記録しています。彼のキャリアの中で最もアメリカで売れた曲ですね。みんないい感じに狂ってたんだなあ。


Gary Glitter - Do You Wanna Touch Me(Oh Yeah)


73年に全英2位まで上昇した大ヒット曲。後にジョーン・ジェットもカバーしてましたから、知っている人もいるかもしれませんね。
これもやはり胸焼け感はしますが、彼の曲の中では比較的穏当というか、聴き易い気がします。少なくとも僕は彼の曲の中ではこれが一番好きです。


Gary Glitter - I Love You Love Me Love


同じく73年に、全英1位の大ヒットを記録したバラード。
タイトルからして「Love」が3つもついて鬱陶しいですが、曲のほうも悩ましげと言うか何と言うか、とにかくくどいグリッターのヴォーカルが、トゥーマッチな感覚をこれでもかと味合わせてくれます。


しかしグラムロックの波が一段落すると、彼の人気も急速に衰えていき、70年代後半には早くも過去の人になってしまいます。
それでもとにかく元の人気がすごかったせいもあって、根強いファンは多数いたため、女性メタルバンドのガールスクールと曲を出したり、スパイス・ガールズの『スパイス・ザ・ムーヴィー』に担ぎ出されたりとそれなりに気を吐いてはいたのですが、97年ある事件をきっかけにどん底に落ちていきました。
この年彼が修理に出したパソコンから、大量の児童ポルノ画像が発見され、そのため彼は99年に逮捕されて、懲役4ヶ月の実刑に服すことになります。
その後パパラッチの標的になることを避けるためか、英国を脱出してカンボジアに7ヶ月ほど滞在していたのですが、ここでも英国の大衆紙に発見され、おまけに現地で児童買春をしていた疑惑が噴出したのです。
当時のカンボジアには児童買春を取り締まる法律がなかったのですが、この件に関してカンボジアの女性問題担当相から英国大使館に正式に抗議が行われ、英国では性犯罪者リストに登録されていることもあり、大問題になりました。
最終的に性犯罪の容疑を受け3日間収監された後、同国を永久追放処分となり、その後はベトナムに入国しますが、結局そこでも11歳と12歳の女児2人に性的虐待を加えたとして起訴され、懲役3年の実刑判決が下ります。
そこで2年9ヶ月の服役を終えると、今度はタイと香港に入国を試みましたが、当然ながら双方から拒否され、08年についに英国に戻ることとなりました。当時の英国外相ジャッキー・スミスが「卑劣な」と形容するなど、彼の帰国は怒りと顰蹙をもって迎えられることになり、以降は警察からの監視の元で暮らす可能性も示唆されていましたが、実際どうなったのかは分かりません。
ものすごいくらいの急降下ぶりですが、はっきり言って自業自得なんで擁護のしようがないです。そこそこの成功を収めていたはずなのに、特殊な性癖って人生を棒に振れるくらい強いものなんですねえ。


とにかく本人が胡散臭いうえ、音楽もあまりに通俗的過ぎるため、今までも評価されてませんでしたしこれからも再評価されることはないでしょうが、こういう人がいたということ、そしてこういう音楽が大人気だった時代があった、ということを知っておくのも悪くないんじゃないでしょうか。僕も書いていて自信ありませんけど。


【追記】


ゲイリー・グリッターに関してはこういう記事がありまして、芸能界における一大セックス・スキャンダルの渦中の人物になっているようです。自業自得ですから仕方ありませんが、追い討ちをかけられるような感じで厳しい余生となりそうですね。
しかし反面こういう報道もあるわけで、少なくとも経済的に困窮することだけは避けられそうな雰囲気です。そこが不幸中の幸いと言って良いのかどうなのか。


【さらに追記】


こういう記事が出ました。有罪評決ということになったようですね。
イギリスには公訴時効という制度自体が存在しないので、大昔の罪で裁かれることになったわけですが、量刑はどうなるんですかね。70歳にもなって塀の中とか辛そうですけど。まあ自業自得なんで仕方ないですが。


【またまた追記】


こういう記事が出ました。禁固16年の実刑が確定したようです。
70歳で禁固16年とかきついでしょうね。これは死ぬまで塀の中かもしれません。裁きを逃れるために海外逃亡していましたから、これから刑が軽減されるのもなかなかないでしょうし。まあ自分のしたことの報いなんで仕方ないですけど。
築き上げた名声を一瞬で突き崩してしまうくらい、性欲の誘惑は強いものなのですね。今回の事件ではそういう人間の業のようなものを考えさせられました。