ブルース・ウーリー&ザ・カメラ・クラブ

昨日の続き。
『Video Killed The Radio Star』のクレジットを見ると、作詞作曲が「Horn/Downes/Woolley」になっているのに気づくでしょう。
「Horn」はトレヴァー・ホーン、「Downes」はジェフ・ダウンズのことですが、なら「Woolley」って誰?ということになると思います。実は彼こそが成功を収めた二人の陰に消えてしまった、ブルース・ウーリーです。


70年代中頃、ブルース・ウーリーはギタリストとして、ティナ・チャールズ(日本の某化粧品のCMソングとして使われた『Oh!クッキー・フェイス』を歌っていた)のバックバンドに参加していました。
実はこのバンドにトレヴァー・ホーンも在籍しており(彼は当時ティナの恋人だったという話もある)、ここにロイ・ウッドのバック・バンドなどに在籍経験のあるジェフ・ダウンズがキーボード・プレーヤーとして加わり、『Video Killed The Radio Star』の作者トリオが顔を揃えました。
3人は共同で自分たちの曲作りを始め、デモ・テープを製作し、それがアイランド・レコードに認められてデビューが決まります。この時はまだウーリーもバグルスに在籍しており、アルバム『The Age Of Plastic』(邦題は『プラスティックの中の未来』)のレコーディングにも参加していましたが、結局は自らのバンドを結成して活動を開始しました。それがブルース・ウーリー&ザ・カメラ・クラブです。
PVは見たことない(存在しないのかも)のですが、スタジオライブがあったので載せておきます。


Bruce Woolley & The Camera Club - English Garden / Clean Clean


2曲メドレーですが、最初の曲は彼らの唯一のアルバム『Bruce Woolley & The Camera Club』(邦題は『イングリッシュ・ガーデン』)のオープニングに収録された、いかにも当時のニューウェーブっぽい曲です。
また2曲目の『Clean Clean』はやはりアルバムに収録されていたバグルズの曲で、もちろんウーリーも作曲に参加しています。バグルズのバージョンと比べるとロック度がかなりアップしていて、疾走チューンになっているのが面白いところです。


しかし彼らは数枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしますが、商業的な成功を得られずに解散。のちにウーリーは兄弟(兄か弟か不明)のガイとFirmament&The Elementsを結成しますが、やはり成功しませんでした。
ちなみにカメラ・クラブのキーボード・プレイヤーだったトム・ドルビーは、のちにトーマス・ドルビーとしてソロで大ブレイクを果たし、またベースのマシュー・セリグマンは初期のトンプソン・ツインズに在籍しています。
なおウーリーはその後一線から退いてしまい、時おりドルビーのアルバムに参加したり、テルミン*1奏者としてライブを行うくらいになってしまうのですが、04年のバグルズ再結成には参加し、久しぶりに大舞台に立っています。
また最近はホーンやドルビーとライブを行ったりもしているようです。

*1:1919年にロシアで発明された世界初の電子楽器。テルミン本体に手を接触させることなく、本体から伸びる2本のアンテナの間の空間に手を入れて、その位置によって音量や音程を調節するのが最大の特徴。レッド・ツェッペリンジミー・ペイジコーネリアスなども使用していた。