あけましておめでとうございます。皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨年は二度も入院するなど散々な年でしたが、今年は何事もなければありがたいなと思いつつ、この文章を書いています。
このブログに関しても、知識は浅く鋭い考察もないものの、引き出しの多さにだけは変な自信があります(まあジャンルフリーで書いてますからね)ので、体調に問題がなければなんとかやっていけるんじゃないかと思っています。
基本的に今はそれほど有名でもないミュージシャンを取り上げつつ、時々有名なミュージシャンについてがっつり書く、みたいな感じでできれば望ましいと思っているのですが、さてどうなることやら。
とりあえず今年は毎週更新、を目標にやっていくつもりなので、今年も変わらぬ御愛顧のほどよろしくお願い致します。
さて今回は初心に帰ってニューウェーブ、それもエレポップを取り上げてみようかと思いまして、ヒューマン・リーグでいくことにしました。
ヒューマン・リーグと言うと『Don't You Want Me』(邦題は『愛の残り火』)の大ヒットが有名ですが、もともとは実験的な音を出すインダストリアル系のシンセユニットだったんですよ。記事によってはキャバレー・ヴォルテールやスロッビング・グリッスルの後継と位置づけていたこともあったくらいです(個人的にはその見解はさすがに違うと思いましたが)。
とりあえず今日はまだ全然売れてなかった頃の、アングラだったヒューマン・リーグを取り上げてみることにしましょう。大ヒットしてた頃しか知らない人が聴くと、びっくりすること間違いなしだと思います。
ヒューマン・リーグは77年に英国の工業都市シェフィールドで結成されています。
もともとは当地でコンピューターエンジニアをしていたマーティン・ウェア(シンセサイザー)とイアン・クレイグ・マーシュ(シンセサイザー)が、77年初頭にデッド・ドーターズというシンセユニットを結成したのが始まりでした。このユニットは友人の誕生パーティーなどに登場し、テレビ番組のテーマ曲のカバーを演奏していたそうです。
このユニットで何度か演奏した後、ウェアとマーシュは本格的なバンドを結成することを思い立ち、アディ・ニュートン(テープ、シンセサイザー、ヴォーカル)をメンバーに加え、ザ・フューチャーというシンセバンドを結成し、シェフィールドの使われなくなった刃物工房でリハーサルを繰り返し、デモも作成しました。このデモは02年に『The Golden Hour of the Future』という名でCD化もされています(ザ・フューチャー単独ではなく、初期のヒューマン・リーグのデモも含まれていますが)。
しかしすぐにニュートンはクロックDVAを結成するために脱退してしまいます。残された二人は当初の音楽スタイルに限界を感じて専任ヴォーカリストを探し、まずはかつてマーシュとともにバンドを組んでいて、そこでヴォーカルとベースを担当していたグレン・グレゴリーに声を掛けますが、都合が合わず断られてしまいました。結局グレゴリーは後にヘヴン17で二人と合流することになりますけど。
そこで二人はウェアの学生時代の友人で、外科病院で運搬の仕事をしていたフィル・オーキーに目をつけ、彼を誘ってヴォーカリストの座に据えます。オーキーは音楽経験ゼロのど素人でした(一応サックスは持ってましたが吹くことはできなかったそうで)が、見た目に華があってポップスターのような風貌だったため、そこにウェアが目をつけたらしいです。まあウェアもマーシュも両手ではキーボードが弾けないレベル(ウェアに至っては一本指で弾いてましたし、おまけにコードの知識すらなかったそうです)でしたから、素人さ加減ではいい勝負でしたけど。
バンドは名前をヒューマン・リーグに変え、デモ・テープを作成します。するとそれがエジンバラのインディー・レーベル、ファスト・プロダクトを運営していたボブ・ラスト(後に彼はヒューマン・リーグのマネージャーになります)の目に留まり、78年6月にシングル『Being boiled』でデビューを果たすこととなるのです。
The Human League - Being Boiled
これがデビューシングル。当時のテレビ番組でのスタジオライブのようですね。
シンセが奏でる重低音のリフと、オーキーの陰鬱なヴォーカルが印象的な曲です。これは当時にしては非常に斬新でした。
シーケンサーがまだない(あったけど高価だったのかもしれない)ため、シンセから出るノイズをリズムパターンとして配しているあたり、なかなかアイディア豊富なんじゃないでしょうか。
あとオーキーのワンレン(当時はロップサイドと言ってました)は見た目的にかなりインパクトがありますね。僕も最初に彼らの写真を見た時、オーキーの髪型に目が行きましたから。
この曲は当時のシーンではあまりにユニークだったため、大手の音楽雑誌『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』(NME)誌でも取り上げられています。ただその号のゲスト・レビュワーだったジョン・ライドンには「trendy hippies」と評されたらしいですけど(真意はよく分かりませんけど、多分褒めてないと思う)。
バンドはスージー・アンド・バンシーズやイギー・ポップのサポート・アクトなどで経験を積み、その評価を高めていきます。当時の彼らのライブに突然デヴィッド・ボウイが観客として訪れ、その後NME誌に「ポップ・ミュージックの未来を見た」と語ったこともありました。またこの頃ライブを観に来ていたオーキーの友人フィリップ・エイドリアン・ライトも、誘われてスライドやフィルム担当としてヒューマン・リーグに加入しています。バンドに視覚面専任のメンバーがいるというのも、当時新しいなあと思ってましたね(そのうちキーボードを弾くようになりましたけど)。
そして『Being Boiled』と次のシングル『The Dignity of Labour』が好評だったことも重なり、ヒューマン・リーグは見事ヴァージン・レコードとの契約を得ることに成功します。
ただヴァージン側は契約はしたものの、ヒューマン・リーグが商業的に成功するかどうか懐疑的だったらしく、最初に制作に関する自由を約束しておきながら、バンドに対して生楽器を入れるなどのコマーシャルかつ抜本的な変化を求めてきます。
彼らは折衷案としてザ・メンという変名を使うことを提案し、79年2月にシングル『I Don't Depend On You』をリリースします。メジャーデビューがいきなり変名というのもすごい話ですが、ヒューマン・リーグは契約にあたってヴァージンから大規模な金銭面での援助を受けていたため、立場的に拒否できなかったらしいですね。
The Men - I Don't Depend On You
ザ・メン名義での最初で最後のシングル。
生楽器を大胆にフィーチャーし、女性コーラスまで導入したエレクトリック・ファンク・ディスコです。あまりにもこれまでと毛色の違う音なのでひっくり返りそうになりますね。
ただ今になって聴いてみると、後にウェアとマーシュが初期ヘブン17でやったファンク路線と、オーキーが第二期ヒューマン・リーグでやったポップ路線と、どっちの要素もこの曲に入っているのに気づきます。
第一期ヒューマン・リーグがすぐに分裂してしまったのも、これを聴くと納得するかも。
ザ・メンのファンク路線がパッとしなかったため、ヴァージンはヒューマン・リーグとしての活動を認めることとなります。まあ無理やりやらせても仕方ないと悟ったということなんですかね。
本来の活動に戻ることができて張り切った彼らは、79年10月にデビュー・アルバム『Reproduction』(邦題は『人類零年』)をリリースします。
このアルバムはリアルタイムで聴きましたが、同郷のキャバレー・ヴォルテールに大衆性を加えたような、インダストリアル風味のエレポップで面白かったですね。基本的なトーンは重苦しくて前衛的なんですが、この手の音につきものの暴力性や陰湿さをまったく感じないところが特徴でした。
何と言いますか、実験的なことを結構やってるんですけど、そのくせ使ってる音自体がポップなので、全体的な印象がからりとしているんですよね。やりたいこととそれを具現化するための手法のギャップが、面白い味になっていると思いました。
これはもしかしたらすごい連中なのかも、と中学生だった僕は思いましたが、さすがに時代が早過ぎたようで商業的には失敗しています。第二期ヒューマン・リーグがブレイクした81年夏に、このアルバムも再評価されて全英34位を記録してますけど。
The Human League - Almost Medieval
『Reproduction』のリードトラック。邦題は『時を超えて』。
強迫的でインパクトのあるリズムと無機質なメロディー、どたばたしつつも徐々に盛り上がっていく展開、そして全体を覆うアングラな雰囲気がたまらん一曲です。
未熟で未完成なのは否めないですけど、好きな人なら絶対肯定だし嫌いな人には一切受け入れられない、そんなタイプの音ですね。
The Human League - Empire State Human
『Reproduction』からのシングル。全英62位。
『Almost Medieval』とはまったく違ったポップなナンバー。速い三連符を用いたリズムがぎこちない疾走感を生み出し、踊れるような踊れないような不思議な感覚を生み出しています。
この頃のメンバーはとにかく前衛的なことをやりたがってましたけど、多分本来の資質はポップなんでしょうね。だからこの手の曲のほうが生き生きしているように感じます。
80年4月には、彼らは限定盤の変形シングル(7インチシングル2枚のバージョンや12インチバージョンなど、5種類のバージョンでリリースされた)『Holiday '80』をリリースしています。
このシングルは全英56位に入り、少しずつ彼らの音楽は認められていきました。日本でも特別バージョンがリリースされましたし。
The Human League - Rock 'n' Roll
『Holiday '80』収録曲。
これはゲイリー・グリッターの『Rock 'n' Roll Part.2』のカバーです。シングルではイギー・ポップの『Nightclubbing』のカバーとのメドレーでした。
このバカっぽさの極致のような曲を、見事に料理しているのがさすがですね。ヒューマン・リーグらしいクールさとゲイリー・グリッターらしい能天気ぶりがうまく同居しています。
このへんからポップスへの傾倒を隠さなくなってきた(『Reproduction』でもライチャス・ブラザーズのカバーとかやってましたけど)のも、後のブレイクへの布石なのかもしれません。
間を置かず同年5月、彼らは2ndアルバム『Travelogue』(邦題は『幻の果てに』)をリリースします。
この作品は基本的には前作を踏襲していますが、音はよりポップになっていますし、演奏や構成もかっちりとまとまっている印象を受けましたね。
当時すでにチューブウェイ・アーミー(ゲイリー・ニューマン)などがブレイクしていたため、彼らもエレポップ隆盛の流れと上手くシンクロすることとなり、全英16位とかなりの成功を収めています。
The Human League - Only After Dark
『Travelogue』からのシングル。
この曲はミック・ロンソンのカバーですね。なかなか渋い選曲です。
元曲はサイケデリックなロックンロールなんですが、彼らの手にかかるとチープなインダストリアル・テクノみたいになってしまいます。
The Human League - Gordon's Gin
『Travelogue』収録曲。
この曲はもともとジェフ・ウェイン*1が書いた、ゴードンズ・ジンのCMのジングルで、それをエレポップ風にカバーしています。
特に重要な曲ではないんでしょうが、ダークなYMOみたいで当時かなり好きでした。
しかしこの頃にはバンドの人間関係は最悪になっていました。
特にオーキーとウェアの仲は修復不可能と思われるくらいで、しょっちゅう口論してましたし、一度はオーキーが通りを歩み去るウェアに対し、近所の玄関にあった牛乳瓶を投げつけたこともあったそうです。
何故そんなに仲が悪くなったのかというと、同じエレポップのゲイリー・ニューマンが大ブレイクしたのに自分たちはそれほど成功していないという現実に対し、オーキーはさらにポップになることを主張し、逆にウェアは自分たちのスタイルを堅持するべきと撥ねつけ、お互いが譲らなかったかららしいです。
マーシュは求める音楽性がウェアと一緒でしたから当然ウェアに付き、ライトはそもそもオーキーの友人ですからやはりオーキーに付いたため、バンド内の亀裂はさらに広がっていきました。
マネージャーのボブ・ラストは両者を和解させようと奔走しましたが、結局双方は妥協しようとはしませんでした。さすがに諦めたラストは、ヒューマン・リーグの名前はオーキー側が使うこと、ウェアとマーシュはヴァージンレコード傘下で新たなバンドを結成すること、次回のヒューマン・リーグのアルバムの印税の1%をウェアとマーシュに支払うことを条件に、バンドの分裂を認めることになります。これはヒューマン・リーグの欧州ツアーのわずか2週間前のことでした。
その後オーキーとライトは新たに二人の女の子をメンバーに入れ、これまでのマイナー感を払拭したような煌びやかなエレポップとなり、全世界でブレイクを果たすのですが、それについては次回書くことにします。
またウェアとマーシュもブリティッシュ・エレクトリック・ファウンデーション(B.E.F.)というプロデュース・チームを設立し、改めてグレン・グレゴリーとともにヘヴン17を結成し、ヒューマン・リーグほどではありませんが成功を収めています。それについては第二期ヒューマン・リーグの後に書こうかと思っています。
あとザ・フューチャー時代に短期間在籍していたニュートンは、今もクロックDVAに在籍しています。クロックDVAは何度も解散しては再結成しているんですが、その全ての時期にニュートンは参加しています。まあ今はニュートン以外にメンバーはおらず、ソロプロジェクト状態なんですが。
最後にこの動画を。
The Human League - Boys and Girls
81年2月にリリースしたシングル。全英48位。
この頃にはもう二人の女性ヴォーカル(スーザン・アン・サリーとジョアンヌ・キャトラル)も加入していて、ジャケットには写っているんですが、音源を聴くとまったく参加している形跡はありません。
何故かというとスーザンとジョアンヌはまだ18歳の学生だったので、卒業するまで学校に通わなくてはいけなかったんですが、ヴァージン・レコードはヒューマン・リーグに対してとにかく早く負債を返済するように迫っていたため、まだ二人が参加できないのにも関わらずシングルを出すことを強行しなくてはいけなかったかららしいですね。なんとも厳しい話です。参加していない二人の写真をジャケ写にあえて使ったのは、若い女の子の写真を前面に出すことで少しでも売り上げを上げようとした苦肉の策なのかと考えると、当時のオーキーの苦しい立場に同情してしまいます。
音はと言いますと、普通に第一期ヒューマン・リーグのまんまですね。ここから2ヵ月後に大ブレイクが始まるとは、誰も予想できなかったんじゃないでしょうか。
まあ第一期と第二期の過渡期的なサウンドと考えればいいんでしょうかね。