キング・クリムゾン

実は今の僕の音楽のマイブームは、プログレと日本のロックだったりします。
僕が音楽を聴き始めた頃は、ハードロックとプログレの全盛時でしたし、若い頃はライブハウス通いが好きだったせいもあって、日本のロックもある程度は知っているので、別に不思議じゃないと言えば不思議じゃないのですが。
基本的に僕の今の音楽を聴くスタイルは、「昔を懐かしむ」というのがメインなので、プログレはそれにぴったり合っています。60年代や70年代から演奏している人たちが、未だに主流となっている世界ですからww
というわけで、今回はプログレを取り上げてみます。そのうち日本のロックも取り上げることになるかもしれませんね。実際このブログを始めたばかりの頃は、相対性理論ブンブンサテライツとメルト・バナナを取り上げてましたし。


今日のネタはキング・クリムゾンです。前に一度、『太陽と旋律』の頃のライブ映像を取り上げたことがありましたっけ(2011-08-07)。
今でも評価が高く人気もあるのは、60年代末から70年代前半の頃の彼らなんですが、今回はあえて80年代初めに再結成した頃のことについて書いてみます。
一般に知られているクリムゾン全盛時の頃は、まだ僕は洋楽を聴いてなかったので、再結成クリムゾンが僕のリアルタイムでのクリムゾン初体験だったわけですね。


キング・クリムゾンは74年に解散し(実際は71年頃にも一度解散しているらしいのですが)、中心人物のロバート・フリップは、ブライアン・イーノやアンディ・サマーズ(ポリス)、ダリル・ホールなどと組んでアルバムをリリースしたり、デヴィッド・ボウイピーター・ガブリエルのバックでギターを弾いたりしていたのですが、81年に突如キング・クリムゾンを復活させてライブを開始し、世間を驚かせます。
メンバーはフリップ以外に、クリムゾン末期に叩いていたビル・ブラッフォード(ドラムス)、フランク・ザッパデヴィッド・ボウイトーキング・ヘッズのツアーに参加していたエイドリアン・ブリュー(ギター、ヴォーカル)、そしてジョン・レノンピーター・ガブリエルポール・サイモンらのアルバムに参加していたトニー・レヴィン(ベース)といった錚々たる顔触れでした。
とは言えキング・クリムゾンという名前はあたらビッグネームになっていましたから、ファンの期待や思い入れも当然大きく、そのため81年リリースのアルバム『Discipline』が発表されたときは、賛否両論というより酷評の嵐だった記憶があります。
特にトーキング・ヘッズトムトム・クラブ(懐かしいな)で象の鳴き声に似せたギターを弾き、一躍有名になったブリューの参加は古くからのファンには違和感があったようで、「キング・クリムゾントーキング・ヘッズ化した」なんて批判も出ていました。
またレヴィンが野口五郎のアルバムに参加した経歴を持っているのも、格好の叩きの対象になっていましたっけ。実際は彼がハードロックやプログレフュージョン、ジャズ、フォークまで何でもできてしまうオールラウンド・プレイヤーであるということに過ぎず、それは技術の裏付けがないと不可能なことなのですが。
元メンバーのジョン・ウェットンも、「このラインナップをクリムゾンとして認めていない」という発言をしています。まあ彼の場合は音楽性とかは関係なく、単にクリムゾンにアメリカ人(ブリューとレヴィン)が入ったということ自体が気に入らなかったようでしたが。このへんはいかにも英国人っぽいですな。
そう言えばあのロッキング・オン誌も、結構このアルバムを叩いてましたね。新生クリムゾンを「高性能水洗便所」に例えてましたから(要するに「つまらない」ということ)。
そんなポジティブな評価がどこにも見られない状況で、これをラジオで聴いた僕はどう思ったか、というとこうでした。「なかなかいいじゃん」。
いや、別に「メディアに流されない俺カッケー」的な自慢がしたいわけじゃなくて、本当にこう思ったんだからしょうがないです。実際なんでこんなにボロクソ言われてるのか、全然理解できなかったですから。
当時の僕はクリムゾンをろくに聴いたことがなくて、『In The Court Of Crimson King』(邦題は『クリムゾン・キングの宮殿』)と『21st Century Schizoid Man』(当時の邦題は『21世紀の精神異常者』。今はさすがにヤバイので『21世紀のスキッツォイド・マン』になっている)と『Epitaph』(邦題は『エピタフ(墓碑銘)』)しか知りませんでした。そのためほとんどクリムゾンに思い入れがなく、新人バンドみたいな感じで聴けたというのが大きいんでしょうね。


『Discipline』で展開されている音楽は、確かに自分のイメージしていたクリムゾンの音とは、かなり異なっていたのは事実です。
なにしろ僕は3曲しかクリムゾンを知らなかったわけですから、『In The Court Of Crimson King』や『Epitaph』のような壮麗な感じの音か、『21st Century Schizoid Man』のようなハードでフリー・ジャズのような音なのかと思っていたんですね。でも実際は違いました。
そこで展開されていたのは、神経症的に細かくピッキングされるミニマル・ミュージック然としたフリップのギターと、自由奔放でビート感溢れるブリューのギター、レヴィンとブラッフォードによって生み出されるポリリズムなどを取り入れた多彩なリズムのアンサンブルでした。そのスタイルは綴れ織りを思わせるものがありましたね。
また東南アジアのガムランやケチャなどの影響も感じられ、プログレファンから見たらどうなのかはとにかく、ニューウェーブファンから見ると十分刺激的でした。


King Crimson - Elephant Talk


『Discpline』のオープニングを飾った曲。
とにかく非常にリズミカルな曲です。今となってみれば『Starless』で荘厳に幕を閉じたクリムゾンが、このファンキーな曲で蘇ったと考えると、拒絶反応を示すファンが多かったのも理解できなくはないですね。
まあそれはそれとして、この曲の奇妙なポップ感覚と、a,b,cに始まる単語を無意味に羅列しただけだけど、しっかり韻を踏んでいて言葉遊びとして面白い歌詞(ただクリムゾンは歌詞の文学的な世界観を愛するファンも多かったため、逆にこの曲の歌詞は反発された面もある)は秀逸です。
またブリューの象の鳴き真似ギターも冴え渡っています。名人芸ですね。


King Crimson - Thela Hun Ginjeet


これも『Discpline』収録曲。
複雑に絡むギターリフと、小刻みにうねるバッキングが、ケチャのような不思議な感覚を出しています。
軽快なリズムとキャッチーなコーラスもあり、『Discpline』の中ではかなり聴き易い部類かもしれません。


King Crimson - Frame by Frame


これも『Discpline』収録曲。
フリップのギターのせいでせわしない印象を受けますが、非常に力強い曲です。
細かいフレーズを超高速で反復し、それをだんだんずらしていくという妙技に圧倒されます。


King Crimson - Matte Kudasai


これも『Discpline』収録曲。邦題は『待ってください』。
日本語で「まってえぇ〜くうぅ〜ださあぁ〜〜ぃ」と歌われる一種の珍曲ですね。当時はこの曲も叩かれる原因になっていたような。
音自体は非常に官能的で美しいです。気持ちよく身を委ねることができる曲。


その後クリムゾンは『Beat』『Three Of A Perfect Pair』の2枚のアルバムをリリースしました。
どちらのアルバムもなかなかの力作でしたが、あまり当時の評価は高くなかったと記憶しています。


King Crimson - Sleepless


84年リリースの『Three Of A Perfect Pair』収録曲。
これはとにかくレヴィンのベースがすごいですね。このスラッピング奏法は驚異的で、あのエドワード・ヴァン・へイレンも衝撃を受けこれをカバーしたという逸話も残っています。


King Crimson - Three of a Perfect Pair


これも『Three Of A Perfect Pair』収録曲。
00年のツアーでの、ブリューによるギター弾き語りという形で演奏されたヴァージョンです。
とりあえずこんなにギターの難しい弾き語り曲というのも、なかなかないんじゃないでしょうか。すごいと言うか上手いと言うか変態と言うか悩みますね。
観客も変拍子で手拍子を打っていたりして、「さすがクリムゾンの客だなあ」と感心させてくれます。


この再結成クリムゾンは、84年に一時解散します。フリップが後に「レーベルとの契約上、1枚のアルバムを出したいがために、結局3枚のアルバムを出さざるをえなくなってしまった」と語っていたのでも分かるように、もともとパーマネントなバンド活動をするつもりがなかったのが原因のようです。
しかし94年には、ギター2人(フリップ、ブリュー)、ベース2人(レヴィン、トレイ・ガン)、ドラム2人(ブラッフォード、パット・マステロット)のダブル・トリオという珍しい形態で再結成します。
その時の音もなかなか面白かったのですが、それについては機会があったら書くことにしましょう。