ブライアン・イーノ

仕事柄年末は非常に忙しいので、更新ペースがどんどん下がっています。
多分今月後半はさらにペースが下がって、週一度くらいの更新になってしまうかと思いますが、ご了承下さい。


とりあえず今回はブライアン・イーノについて書きます。かなり有名な人なので、ご存知の方も多いでしょう。
彼は特にプロデューサーとして知られていて、ディーヴォトーキング・ヘッズU2、コールドプレイなどを手がけて名声を博しています。また音楽家としても、いち早くアンビエント・ミュージック(環境音楽)を提唱し、このジャンルの第一人者ともなっています。
他にも意外なところでは、マイクロソフト社のOSであるWindows95の起動音は彼の作曲によるものだったりします。ですから知らないうちに彼の作品に接している人も多いのではないでしょうか。
そんな彼も70年代前半には、ソロ・ミュージシャンとして一種独特なポップ・アルバムを製作していました。今回はそのへんにスポットを当ててみたいと思っています。


イーノは70年代初頭にはロキシー・ミュージックに所属していました。そこで彼はシンセサイザーを駆使して奇妙な音を発していて、それがバンドの特徴にもなっていました。
しかしバンドのフロントマンであるブライアン・フェリーとの確執が生じ、「1つのバンドに2人のノン・ミュージシャンはいらない」という有名なセリフとともに解雇されてしまいます。
これは推測ですが、この解雇の原因はフェリーが自らの描くダンディズムを、イーノの前衛的なサウンドクリエイトで味付けされ過ぎるのを嫌ったからじゃないでしょうかね。二人とも独自の世界をしっかり持っている人なので、衝突は避けられなかったんでしょう。
まあそれはそれとして、ソロに転進したイーノは、短期間でいくつかの独特によじれたポップな作品を発表しています。それらは特に大きなセールスをもたらしたりはしなかったのですが、音楽的には高い評価を得ることとなります。


Brian Eno - Baby's On Fire


74年の1stソロアルバム『Here Come The Warm Jet』に収録された曲。映画『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』で使用されていたため、聴いたことがある方もおられるかもしれません。
開放的なポップではあるものの、奇妙なねじれを感じさせるのはまさに彼ならではでしょうか。イーノの素っ頓狂なヴォーカルと、曲の半分を覆い尽くすロバート・フリップのねちっこく攻撃的なギタープレイにぞくぞくします。
またベースが元キング・クリムゾンで、後にエイジアなどでも活躍するジョン・ウェットンというのも、個人的にはポイントが高いです。


Brian Eno - Here Come The Warm Jets


『Here Come The Warm Jet』のタイトルトラック。
ノイジーなギター音で構成されながらも、静謐さをも兼ね備えている不思議な曲。のちに彼が進むことになる、アンビエント・ミュージックへの萌芽がすでにここで見ることができるのが興味深いです。
しかしこれが74年の音とは思えないですね。彼がいなかったらニューウェーブシューゲイザーオルタナティブも存在しなかったんじゃないか、なんて思ってしまいます。


Brian Eno - Third Uncle


同年の2ndソロアルバム『Taking Tiger Mountain』に収録された曲。
このアルバムは前作よりもアヴァンギャルドさが後退している感がありますが、この曲はその中ではかなり前衛的な部類かと思います。
ニューウェーブを予感させるような印象的なリフと緊張感のある展開、そして尖ったサウンドワークが気に入っています。
のちにバウハウスもこの曲をカバーしています。前に一度紹介しましたっけね(2011-05-08 - 星屑のイノセンス)。


Brian Eno - St. Elmo's Fire


75年の3rdソロアルバム『Another Green World』に収録された曲。
イーノがグラム・ロック時代の名残である化粧を落とすほどの気合を見せ、ラディカルで新しいサウンドに挑戦した結果、アルバムはキャリア最高傑作とも言える出来になっているのですが、その中でもこの曲は最もポップな仕上がりを見せています。
印象的なのはやはりロバート・フリップのギターでしょうか。イーノの柔らかいヴォーカルに絡みつき、螺旋状に上り詰めていくようなプレイは、すごすぎてため息が出るくらいです。


イーノはこのように、かなりインパクトのあるポップ・アルバムを作っていました。特に『Another Green World』でのロックとアンビエントの融合具合のギリギリさは、のちのレディオヘッドを思わせるものでしたね。
しかし70年代後半以降はロックやポップのフィールドを踏み越えて、さらにアンビエントへ傾倒するようになっていき、またプロデューサーとしても売れっ子になってしまったため、この手の作品は作らなくなってしまいました。
残念といえば残念ですが、これらの作品があったからこそ後年の傑作揃いのプロデュース・ワークもあったわけですし、その意味で音楽史に大きな影響を残した作品群、といえるのではないでしょうか。