アル・スチュワート

先週はちょっと腰を痛めてお休みさせて頂きました。週末にはもう治ってたんで、たいしたことはなかったんですけどね。
御心配をおかけしまして、まことに申し訳ありません。モリッシーも癌になって治療を受けていたそうですし、皆様も体にはお気をつけ下さいませ。
さて前置きはこのくらいにして、今回もさっそくいきましょう。前回昔聴いていたポップスがマイブーム的なことを書いたんですが、その流れに乗って今回は英国のシンガーソングライター、アル・スチュワートです。中学生の頃よくラジオで流れてました。
これははっきり言ってスチュワートつながりですね。単なる連想ゲームみたいなものです。このブログは取り上げる対象を選ぶ時、こういういい加減なことをよくやるというのは、昔から読んで頂いている方ならお分かりかと思いますが。
こうなると次はやはりロッド・スチュワートあたりにいくことになるかもしれませんね。いやロッドの場合は、ジェフ・ベック・グループやフェイセズにも言及しなくちゃならなくなるので、面倒くさくてやりませんけど(笑)


アル・スチュワートは本名をアラステア・イアン・スチュワートといい、1945年9月5日に英国スコットランドグラスゴーで生まれています。父は王立空軍のパイロットで、スチュワートの生まれる直前に、訓練飛行中の事故で死亡しているそうですね。
そのためなのかスチュワートは5歳の頃に南イングランドボーンマスに移り住み、その後グロスターにあるウィクリフ・カレッジに入学しますが、早くから音楽の道に進むことを志望しており、17歳でそこを中退してロンドンに移り住み、有名なバンジーズ・コーヒーハウス&フォークセラーというフォークカフェで、ボブ・ディランの曲などを歌っていました。その当時の仲間にはヴァン・モリソンキャット・スティーブンス、バート・ヤンシュ、ロイ・ハーバーなどがいたらしいです。
その後彼はオリジナルの曲を歌うようになり、66年にはデッカ・レコードからシングル『The Elf』(ギターをヤードバーズに入る前のジミー・ペイジが担当していた)を発表します。するとそれが英国CBSに認められて契約を得、67年にはアルバム『Bedsitter Image』でメジャーデビューを果たすのです。
スチュワートはフォークの世界で、内省的で鋭い歌詞が注目を浴び、地味ながら高い評価を受けていたようです。69年のアルバム『Love Chronicles』は、タイトル曲が女性との性遍歴を赤裸々に歌う内容(「Fucking」という言葉も使われていて、これが一番まずかったのでしょう)だったために放送禁止になったのですが、ジミー・ペイジやフェアポート・コンヴェンションのサイモン・ニコルとリチャード・トンプソンらが参加したことが話題になったこともあり、メロディ・メイカー誌のフォーク・アルバム・オブ・ザ・イヤーに輝いています。
ただしその高い評価は必ずしもセールスには結びつかず、初期の彼のアルバムは、70年リリースの『Zero She Flies』が全英40位に入ったくらいで、あとはほとんど目立たない売り上げにとどまっていました。
そんな不遇の中彼はひたすら歴史ものの読書を続け、その結果歌詞の内容もそれまでの私小説的なものから、歴史や戦争を淡々と客観的に映し出していくスタイルに変えていくようになりました。


74年になると彼はアメリカ進出を考え、イギリスで発表したアルバム『Past,Present And Future』をアメリカでもリリースしようとしますが、レーベルであるCBSから発売を断られます。CBSとしてはいかにも英国的なスタイルであるスチュワートの音楽が、アメリカでも売れるとはとても思えなかったのでしょう。
彼は仕方なく、ヤヌスというアメリカの小さなレーベル(バリー・マニロウやキャメル、ジューダス・プリーストの米国盤を出していたところらしいです)から『Past,Present And Future』をリリース、するとこれがビルボードで133位に入ります。
これで自信をつけたのか、翌75年になるとスチュワートは、プロデューサーにアラン・パーソンズを迎えてアルバム『Modern Times』をリリースします。
パーソンズビートルズピンク・フロイドポール・マッカートニー&ウイングスなど数々のミュージシャンのアレンジ、エンジニア、プロデュースなどを務め、多くのヒット作品を世に送り出した優秀な人物です。僕と同世代の方なら、『Eye In The Sky』などの大ヒットを連発したアラン・パーソンズ・プロジェクトの名を覚えている方も多いと思います。
フォーク・シンガーだったスチュワートがそういう人物と組むということ自体、売れてやるという相当な決心があったんだと思いますが、その甲斐あってか『Modern Times』はビルボード30位に入り、スチュワートの名は全米でもメジャーになったのでした。


Al Stewart - Carol


『Modern Times』からのシングル。
パーソンズのプロデュースをほとんど感じさせない、郷愁たっぷりのブリティッシュフォークですね。
後にプロコル・ハルムにも関わったティム・レンウィックの弾くギターが、いい感じで鳴っていて職人芸を感じさせてくれるのも良いです。


これで気を良くしたのかスチュワートはカリフォルニアに移住し、レコード会社もRCAに移籍します(アメリカでは相変わらずヤヌスのままでしたが)。
そして再度パーソンズをプロデューサーに起用し、ロック色を強めたアルバム『Year of The Cat』を76年にリリースするのです。
この作品は憂いを含んだ美しいメロディー、緻密でありながら伸びやかなアレンジ、スチュワートの気品を感じる歌声がうまくブレンドされて、彼の最高傑作と呼ぶに相応しい内容となっています。
当時世界的にAORの波が来ていたこともあって、この作品もそのブームに乗った形となり、ビルボード5位、全英38位と大ヒットしています。


Al Stewart - Year of The Cat


『Year of The Cat』のタイトルナンバー。ビルボード8位、全英31位。
印象的なピアノの響きと繊細なメロディー、時に甘く時にビターなスチュワートの声が見事に絡まり、美しい世界を作り出しています。間奏のサックスもとても良い味を出していますね。


Al Stewart - On The Border


『Year of The Cat』からのシングル。ビルボード42位。邦題は『スペインの国境で』。
レンウィックの弾くスパニッシュギターが鮮烈な印象を残す、エキゾチックなフォークナンバーです。


この成功で勢いづいたスチュワートは、78年に再びパーソンズをプロデューサーに迎え、アルバム『Time Passages』をリリースしました(このアルバムからアメリカではメジャーのアリスタからリリースされています)。
バックにTOTOジェフ・ポーカロやアンブロージア(懐かしい)のデヴィッド・パックなどを迎え、よりソフトでまろやかな感じになったこの作品は、ビルボード10位、全英39位とヒットしています。


Al Stewart - Time Passages


『Time Passages』のタイトルナンバー。ビルボード7位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位。
丸みを帯びて円熟した感じに仕上がっており、当時流行していたAORにかなり寄せた感じがしますが、メロディーもアレンジも雰囲気も極上で、今聴いても気持ちのいい音ですね。
実は僕がリアルタイムで初めて聴いたスチュワートの曲なので、そういう意味でも思い出深いです。


Al Stewart - Song on The Radio


『Time Passages』からのシングル。ビルボード29位。邦題は『ラジオを聞いて』。
かなりアメリカナイズされた音に仕上がっています。なんかウェストコーストが似合うような感じでしょうか。


しかしさすがにこれ以上洗練されるのは嫌だったのでしょうか、スチュワートとパーソンズのコンビはこのアルバムで解消となり、80年には彼自身とクリス・デズモンドの共同プロデュースで、『24 Carrots』をリリースしています。
このアルバムはややロックっぽい面を見せるようになった(と言ってもスチュワートの声が優しいので、そんなに変わった感じがしないのですが)のですが、当時の流れからは多少外れたからなのか、ビルボード37位、全英55位とセールスはいまいちでした。


Al Stewart - Midnight Rocks


『24 Carrots』からのシングル。ビルボード24位。
やや単調なきらいはありますが、美しくまとまった良作ですね。上品で優しい感じがして、個人的にはこれもお気に入りです。


しかしその後スチュワートの名前はヒットチャートから消えてしまいます。ビルボードでは81年に『Live/Indian Summer』が110位、全英では84年に『Russians & Americans』が83位に入っただけですから。
『24 Carrots』リリース後4年のブランクを作ったスチュワートは、その間にいろいろ思うところがあったのか、かつてのフォークの世界に戻っていったのです。そのため『Russians & Americans』はメジャーレーベルからの作品化を拒否され、パスポートというインディーズからのリリースとなりました。
前回取り上げたジョン・スチュワートもそうでしたが、いかにも売れそうな音楽を作るよりも、自分が自由に音楽を作って歌うことを選んだんでしょう。そのへんフォークシンガー出身の矜持を感じますね。
その後スチュワートは自分でマネージメントを行い、年間何十本ものコンサートを敢行し、精力的に活動しているようです。グラストンベリー・フェスティバルなんかにも出てますし。
21世紀に入ってからは、元ポール・マッカートニー&ウイングスのギタリストだったローレンス・ジューバーのプロデュースで、作品を制作することが多いようですね。またアルバートハモンドとデュエットもしています。


日本ではずっと忘れられた存在ですが、今年に入って『Year of The Cat』『Time Passages』が再発されるなど、再評価の機運は出ているようですね。
再発アルバムは1,234円とお手軽ですので、この手のソフトな音が好きな方は一度手にとってみても良いのではないでしょうか。内容は保証しますので。