ハネムーン・キラーズ

どうもです。
実は体調の回復具合が思わしくなくて、しばらくは不定期更新になると思いますが、どうぞ御了承をお願い致します。


今回取り上げるのは、ベルギーでちょっとだけ活動したユーロ・ポスト・パンクのバンド、ハネムーン・キラーズです。
このバンドは80年代の初め頃に、ベルギーのクラムド・ディスクというレーベルを紹介したコンピレーションで初めて聴いて、そのユニークさがすごく心に残っていたんですよね。
ただその後すぐにバンドが解散してしまったため、それっきりになってしまっていて、記憶の彼方に追いやられた形になってしまった状態だったのですが、最近オリジナル・アルバムが再発されているのを偶然ネットで発見して、「そういえばあったな」と思い出したので、ここに書いてみる次第です。


ネムーン・キラーズは74年にベルギーのブリュッセルで、イヴォン・ブローマン(ヴォーカル、ギター、サックス)、ジェラルド・フェネンベルグ(ギター)、J.F・ジョーンズ・ジェイコブ(ドラムス)の三人で結成されました。
当時はプログレフリー・ジャズの影響を受けつつ、そこにロカビリーやパンク、シャンソンなどの要素をぶち込んだ実験的な音作りをしていたようですね。当時の音をちょっとだけ聴いてみたんですが、なんかキャプテン・ビーフハートみたいでした。
彼らは77年に、当時ベルギーにあったインディー・レーベルであるカミカゼ・ディスクから、後にテレックスのメンバーとなるマルク・ムーランらのプロデュースで、1stアルバム『Special Manubre』をリリースしてデビューします。
このアルバムはカミカゼ・ディスクが自然消滅してしまったため、ほとんど流通しておらず長らく幻の作品とされていたのですが、近年発掘され日本でもCDがリリース(邦題は『デビュー』)されています。いい時代ですよね。


その後バンドは80年に入り、ユニヴェル・ゼロやコス(どっちもプログレ)と並んでベルギーの最重要バンドであるアクサク・マブールの中心人物だったマルク・オランデル(キーボード、サックス)、ヴィンセント・ケニス(ベース)と合体して、バンドとしての体裁を整えました。二人は『Special Manubre』でも共同プロデューサーとして名を連ねており、そこで意気投合したようですね。
そして同年、紅一点としてヴォーカルのヴェロニク・ヴィンセントを迎え入れ、ラインアップを完成させました。
バンドはオランデルが運営していたレーベル、クラムド・ディスクから、81年にシングル『Route Nationale 7』をリリースし、再デビューを果たすこととなるのです。


The Honeymoon Killers - Route Nationale 7


再デビューシングル。本国ベルギーやフランスでヒットしています。
フランスのシャンソン歌手、シャルル・トレネのカバーですね。サウンド自体は軽妙な作りなんですが、プローマンの演劇的でエキセントリックなヴォーカルのせいか、どことなく奇妙な感じがします。


これで勢いづいた彼らは、翌82年にアルバム『Les Tueurs De La Lune De Miel』(邦題は『蜜月の殺人者』)をリリースします。
この頃クラムド・ディスクがクレプスキュールなどと同時に日本に紹介されたため、このアルバムも国内盤が出ましたね。当時買いそびれてしまって、後悔しましたっけ(後に再発盤を買いましたが)。
内容は基本的にユーモラスな雰囲気に貫かれたポップ・ロックといった感じでしたね。ただアクサク・マブールの連中が関わっているせいか毒もあって、一筋縄ではいかない仕上がりになっています。


The Honeymoon Killers - Decollage


『Les Tueurs De La Lune De Miel』からのシングル。
これが個人的には彼らの曲の中で一番好きです。一言で言っちゃうとフレンチ・ポップスとニューウェーブの融合なんですが、両者の要素が溶けきっておらず違和感を内包したままなのが、逆に独自の味を出していると思います。
ヴェロニクはもともとモデル出身で、ヴォーカリストとしては素人だったらしいのですが、その拙さ、ぎこちなさがかえっていい感じになっていて、聴いていて癖になる魅力があります。
彼女のルックスだけ見ると全然そんな感じはしないんですが、声はフレンチ・ロリータみたいでそのギャップもいいんですよね。
実は僕が最初に聴いたコンピレーションの曲もこれなんですよ。一回聴いただけでも覚えちゃったんですから、インパクトは大きかったです。


The Honeymoon Killers - Laisse Tomber Les Filles


『Les Tueurs De La Lune De Miel』収録曲。
フランス・ギャルの『娘たちにかまわないで』のカバー(作詞作曲はセルジュ・ゲンズブール)ですが、原曲よりもかなりハイスピードで、パンキッシュな仕上がりになっています。


このアルバムは日本でも評判になり、ハネムーン・キラーズは84年にレーベル・メイトのミニマル・コンパクトとともに来日し、六本木インクスティックや渋谷パルコ・パート3などでライブも行っています。
しかしその後バンドは12インチシングル『Subtitled Remix』をリリースした以外は目立った活動をせず、85年にはひっそりと解散してしまいました。
理由はどうやらオランデルの社長業が多忙を極めたからということらしいのですが、面白い個性を持っていたバンドだっただけに残念です。
解散後オランデルは引き続きクラムド・ディスクを運営しており、様々なミュージシャンを世に送り出しています。
ケニスはパパ・ウェンバらアフリカ大陸のミュージシャンとコラボレーションするなど、主にワールド・ミュージックの方面で活動しているようですね。
紅一点のヴェロニクはオランデルと結婚しています。現在歌手活動等は特にしていないようです。
また中心人物のブローマンは、残念ながら89年に亡くなっています。そのためハネムーン・キラーズの再結成は実現不可能になってしまいました。


あとこれは注意ですが、アメリカにも同名のハネムーン・キラーズというバンドがいます。このバンドはボス・ホッグやプッシー・ガロアジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのメンバーが主体になって結成されたガレージ・ロック・バンドですね。
僕の友人がハネムーン・キラーズのCDが出てないかなと思ってタワー・レコードに行って、こっちのハネムーン・キラーズを買ってしまったという実例もありますので、購入の際はお間違いのないように。